11月14日(金)17:00 をもちまして名古屋市東区東桜 「そうたろうを救う会」事務局を閉局することをご報告いたします。
11月1日(土)に開催しました
各務宗太郎「ぼくが生きる意味」
~そうたろうを送る会~ には多くの支援者の方に出席いただき、ありがとうございました。
救う会といたしましては、そうたろうを通して今後に繋がるような会にしたいと考え、来ていただいた皆様にそうたろうのすべてを感じていただけるよう支援者の手作りで設営し開催させていただきました。
この送る会では、そうたろうを救う会役員が、ご支援してくださった皆様や日本の皆様に、これからも宗太郎と脳死移植医療について忘れることなく繋いで先へ進めるように星名登録し「SOTARO」と名付けプレゼントいたしました。
本当にありがとうございました。
そうたろうを救う会
代表 梶浦祐樹
送る会の受付に、横浜で募金活動をしている「そうちゃんを救う会」の募金箱を設置いたしました。
11月6日(木)に24,520円を振込をいたしました。
会計報告Ⅱ
*********
中間会計報告(平成20年11月5日現在)
収入の部
街頭募金活動 8,516,102円
募金箱 6,540,464円
振込など 139,535,864円
金融機関利息 7,148円
追加募金活動 35,568,127円
―――――――――――――――
合 計 190,167,705円
支出の部
医療デポジット 96,111,100円
追加医療デポジット 32,596,212円
滞在医療費 6,575,344円
渡航費用 9,559,801円
事務局費 3,387,697円
送る会費用 181,631円
―――――――――――――――
合 計 148,411,785円
収入額 190,167,705円-支出済額 148,411,785円
=現在残高 41,755,920円
※送る会費用の中には、星座登録費の52,500円は 含まれておりません。
*********
中間会計報告(平成21年1月21日現在)
収入の部
街頭募金活動 8,516,102円
募金箱 6,540,464円
振込など 139,535,864円
金融機関利息 7,148円
追加募金活動 35,640,127円
合 計 190,239,705円
支出の部
医療デポジット 96,111,100円
追加医療デポジット 71,006,895円
滞在医療費 7,461,376円
渡航費用 9,671,301円
事務局費 3,728,738円
送る会費用 181,631円
合 計 188,161,041円
収入額 190,239,705円-支出済額 188,161,041円
=現在残高 2,078,664円
※残金については、全額寄付いたします。
ぼくが生きる意味 ~送る会~
11月1日(土)に行われた
「ぼくが生きる意味」 ~ 送る会 ~ での様子
名古屋市中区大井町にある名古屋市女性会館にて手作りで設営し開催いたしました。
そうたろうの写真の周りをみんなで想いを込めた折紙で飾りました。
そうたろうの生まれてから亡くなるまでの写真や、そうたろうの作った工作、書道、着ていた服、漢字検定の認定書などを展示しました。
募金活動中に事務局へ届いた応援メッセージやプレゼントを展示しました。
沢山の方にメッセージをいただきました。
この日は、全国から210名の皆様方と各報道関係者、多くの支援者に見守られ、お星様になりました。
LIBRA RA 15h30m20.63s -20'45'47.26" SOTARO
本当に、ありがとうございました。
そうたろうを救う会一同
報道関係Ⅲ(新聞・TV等)
報道日/11月6日(木)8:25~8:50
社名・局名/日本テレビ
番組名/スッキリ!!
備考/15分程放送予定
報道日/11月4日(火)17:25~18:00
社名・局名/名古屋テレビ
番組名/UP!
備考/10分間程放送予定
報道日/11月4日(火)8:25~8:50
社名・局名/日本テレビ
番組名/スッキリ!!
備考/15分程放送予定
放送中止になりました。
報道日/11月3日(月)18:18~18:45
社名・局名/中京テレビ
番組名/リアルタイム
備考/「ぼくが生きる意味」そうたろうを送る会
募金活動再開
募金活動を終了いたします。
再募金目標額 5,000万円以上
(平成20年11月5日 16:33現在)
再募総金額 35,568,127円
マイアミの精算が済みましたのでご報告いたします。交渉の結果、かなりのディスカウントと円高もあり、予定額より少なく済みました。コロンビアの請求はまだですが、残金で精算できると考え募金活動を中止し、口座を閉鎖する事にいたしました。
ご協力ありがとうございました。
報道関係Ⅱ(新聞・TV等)
報道日/10月23日(木)18:28~18:45
社名・局名/中京テレビ
番組名/リアルタイム
備考/ハンバーガーを食べたいと願った少年
臓器移植にかけた思い母が語る・・・
報道日/9月11日(木)19時~21時 <放送決定>
社名・局名/NTV系
番組名/モスクペ!
タイトル/『モクスペ!神様の忘れ物・・子ども達を救う外科医4人の全記録』
内容/1月の記者発表から手術まで、加藤医師との触れ合いを描くドキュメント番組です。宗太郎くんの東大病院での生活、マイアミでのリハビリの生活、手術に立ち向かう不安な様子などきめ細かく感動的に描かれています。
報道日8月20日(水)
社名・局名/毎日新聞
番組名/--
備考/朝刊
報道日/11月4日(火)17:25~18:00
社名・局名/名古屋テレビ
番組名/UP!
備考/10分間程放送予定
報道日/11月4日(火)8:25~8:50
社名・局名/日本テレビ
番組名/スッキリ!!
備考/15分程放送予定
報道日/11月3日(月)18:18~18:45
社名・局名/中京テレビ
番組名/リアルタイム
備考/「ぼくが生きる意味」そうたろうを送る会
報道日8月20日(水)
社名・局名/読売新聞
番組名/--
報道日8月20日(水)
社名・局名/朝日新聞
番組名/--
備考/朝刊
報道日8月20日(水)
社名・局名/中日新聞
番組名/--
備考/朝刊
報道日/8月5日(火)18時10分~
社名・局名/NHK
番組名/ほっとイブニング
備考/18時10分すぎにそうたろうくんの近況放送予定。
報道日/8月4日(月)朝6時00分~
社名・局名/名古屋TV系
番組名/どですか!
備考/朝7時30分すぎにそうたろうくんの近況放送。
報道日8月2日(土)
社名・局名/中日新聞
番組名/--
備考/朝刊
報道日/8月1日(金)18時17分~
社名・局名/名古屋TV系
番組名/UP!
備考/前半に、ハンバーガーを食べているそうたろうくんの写真が放送。
報道日/7月28日(月)朝6時00分~
社名・局名/名古屋TV系
番組名/どですか!
備考/朝7時30分すぎに放送。
報道日/7月23日(水)
社名・局名/中日新聞
番組名/--
備考/朝刊
報道日/7月23日(水)朝6時00分~
社名・局名/名古屋TV系
番組名/どですか!
備考/朝7時15分ごろ放送されました。
報道日/7月22日(火)18時17分~
社名・局名/名古屋TV系
番組名/UP!
備考/そうたろう君の近況報告映像が放送。
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【事務局からのお知らせ】
野球中継が行われましたので、NTV系「モクスぺ!」タイトル『モクスペ!神様の忘れ物・・子ども達を救う外科医4人の全記録』は、放送されませんでした。
次回放送予定は、9月頃を予定しております。
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社名・局名/NTV系
番組名/モスクペ!
タイトル/『モクスペ!神様の忘れ物・・子ども達を救う外科医4人の全記録』
内容/1月の記者発表から手術まで、加藤医師との触れ合いを描くドキュメント番組です。宗太郎くんの東大病院での生活、マイアミでのリハビリの生活、手術に立ち向かう不安な様子などきめ細かく感動的に描かれています。
備考/ただし、この日は野球中継「巨人VS阪神戦」があり、
ママから
全国の皆様へ
全国の皆様から本当にたくさんの募金、応援を頂き、宗太郎の夢に向けての第一歩であった多臓器移植手術を受けることができ、非常に感謝いたしております。
移植手術を受けることは、宗太郎がテレビ番組を見て、自ら決めたことでした。
「ママ、宗太郎も治りたい!手術でもいい。がんばる。」と。
宗太郎は、頂いたお手紙などすべてに目を通し、できるだけお返事を書きたいと頑張っておりました。これもまた、夢の一つであったお友達が一度にたくさんできた、元気になったら会いに行くと、それはそれはうれしそうにしておりました。
本当にありがとうございました。
宗太郎は平成20年2月21日の渡米以来、体力作りのリハビリから始まり、3月末、手術の大成功、移植直後のカギとなる時期は頑張って乗り切り、おかゆを口にすることができ、宗太郎が夢にまで見た、お腹いっぱいご飯を食べることができる日を目前とするまでに回復しました。
しかし、4月、重度のGVHDという極めて発症する確率の低い合併症を発症し、何度も命を落としそうになりながらも、いつも崖っぷちで踏みとどまりがんばりました。
どんなに辛く苦しい時でも、決して弱音を吐かず、いつも「ありがとう、Thank you」の言葉を唇からあふれ出しながら、全身全霊で闘い続けました。
一時はまた、食事が摂れるほどに回復しましたが、再度、状態が悪化し始めてからはどんな治療を受けても回復することなく、平成20年9月28日 午後1時42分 9才と2日という本当に短い生涯を終えました。
呼吸器をつけなくてはならないほど体内の酸素が低下し、とても苦しい中、「ママ、ありがとう。ありがとう。」と心配する私を気遣う言葉が、宗太郎の最期の声となりました。
最期は恥ずかしがり屋の宗太郎が自ら「だっこして」とお願いするぐらい大好きだった加藤先生、アメリカで知り合い、助けていただいたたくさんのお友達に囲まれて、とても安らかに静かに私の腕の中で迎えました。
まるでそれは、自分で自分の人生の幕を閉じたかのように。
志半ばだったはずなのに、大きな何かをやり遂げたかのような満足そうな、そして穏やかに何かを語りかけているかのような顔をしていました。
宗太郎の9年間は、本当にずっと病との壮絶な闘いの日々でした。
そして、そのほとんどを病院で過ごしました。制限の多い入院生活ではありましたが、常に色々なことに興味津津でした。旅番組、料理番組を見ていつかは・・・と思いをはせたり、恐竜、動物などの番組を見たり、図鑑、本を何冊も見比べては、将来、恐竜博士になると言って、自分なりに研究をしていました。
文章を書くこと、パソコンを使うことも大好きでした。
体調のよいときには常に自分なりにがんばって勉強をしていました。
ちょうど、渡米の日、成田空港で漢字検定5級合格の知らせを聞き、本当に大喜びをしていました。
移植手術へ向けての体調管理のため寝たきりになってしまっていた宗太郎が、アメリカ行きの飛行機の中で、目をきらきらと輝かせ、ドラえもんの替え歌で「地面を自由に歩きたいな~」と歌いだしたときには、宗太郎の命が未来へ向けて芽吹き始めたかのようにさえ思いました。
このような結果にはなってしまいましたが、9年と2日、頑張って頑張って頑張りぬいた人生だと思っています。
私は宗太郎という子を持てたことを、宗太郎と9年歩んで来ることができたことを誇りにさえ思っています。
最後になりましたが、宗太郎に生きる夢を与えてくださったドナーの方のご冥福を再度、お祈りすると共に、そのご決断を下さったご両親をはじめご家族様に深い感謝と生き抜くことができなかったお詫びを述べさせていただきたいと思います。
本当にどうもありがとうございました。
平成20年 10月 各務 優子
そうたろうの母から
2008年1月22日火曜日の記者会見以来、宗太郎は、全国から誠にたくさんの方々に支えられ、2月21日には無事、渡米することが出来ました。
3月21日の移植手術後、一旦は退院できるほど回復いたしましたが、4月16日に再入院、その後は多臓器移植後でも発症は珍しいといわれる、GVHDを発症、その他様々な症状を合併し、一時は重篤な状態が続き、PICUに約2ヶ月間お世話になりながらも、生きたいという気持ち一心に、闘病を続けて参りました。
現在、まだ、GVHDをはじめとして骨髄抑制など様々な問題を抱え、残念ながら帰国することのできる状態ではありません。そばで看ている私が目を背けたくなるくらい過酷な闘いを続ける宗太郎ですが、何とか元気になろうと、何とか生きようと毎日、悲鳴を上げながらも、必死に頑張っております。
まだしばらくアメリカでの辛い治療が必要だということで、また皆様のお力をお借りしなければならないことになりました。
どんな時も決してあきらめず、弱音を吐かず必死に生きる宗太郎に、皆様のお力をぜひともお貸し下さい。
どうぞよろしくお願い致します。
各務 優子
***************
ご心配をおかけしております。
いつも応援してくださって本当にありがとうございます。きっと、宗太郎にも届いてると思います。だからこそ、こんなに頑張れるのかもしれません。それくらい宗太郎は本当によく頑張ってます。
5月2日は、BIGな出来事がありました。なんとオーランドのDisney World(ディズニー・ワールド)からMicky(ミッキー)とMinny(ミニー)が来てくださいました!! 病棟中、大騒動で、こちらでも大人気です!! Micky(ミッキー)からMicky(ミニー)をいただきました!! 宗太郎もDisney World(ディズニー・ワールド)を全部制覇してから帰るなんて言うくらい大好きですから本当に良かったです。
加藤先生からお話がありました。1日の大腸の生検の結果、GVHDの疑いがあるそうです。皮膚の生検もGVHDの疑いだそうです。先日、パルボウイルスがでたのと、はじめの症状からウイルス感染が濃厚だったのですが、皮膚と、大腸からGVHDの疑いと出たので、こちらもこのまま広がってしまうとよくない・・・ということになってきました。
そこで、GVHDに対し、ステロイドを一度大量に投与することになりました。GVHDとウイルスは非常によく似ていて判断が難しいそうです。簡単に言えば、両方とも、外部から宗太郎を攻撃するということです。ウイルスに対する治療としても、ステロイドの投与はすることもあり、有効だそうです。ただ、ステロイドを投与し続けると、感染のリスクがかなり上がってしまうので注意が必要ですが、今はどんな治療にもリスクが伴うのでとのことです。
少し、痰がつまるのか、(これは宗太郎がいつも歯をくい縛ってしまうのでうまく吸引できないからだと思いますが)軽い咳をしようとするのですがうまくできなくて逆に管を噛んでしまいます。夜、とうとうガーゼを巻いて棒にしたものを銜えさせられました。タバコを銜えているみたいです。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
5月3日 各務 優子
**************
このたびは、宗太郎のために、皆様の温かいお気持ちをたくさん頂きまして、誠にありがとうございました。
1億2千万円という、果てしなく大きな金額を目の前に、こんな金額が集まるのだろうかと大きな不安のまま迎えた、1月22日の記者会見でした。それから、約2週間、こんなに驚くほど短期間に抱えきれないくらい大きなお気持ちを頂き、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。なんと、お礼を申し上げて良いのか、言葉に尽くせません。本当にありがとうございました。
皆様から頂きました、この大きな温かいお気持ちを、しっかりと受け止め、アメリカでの移植手術へと向かいたいと思います。今後とも、温かく見守りくださいますよう、よろしくお願いいたします。本当にありがとうございました。
2月6日 各務 優子
**************
宗太郎は生まれてすぐに消化管の異常がわかってから8年間、そのほとんどを病院で生活してきました。それは検査、手術、絶食の連続のつらいものでした。しかし、ヒルシュスプルング病類縁疾患には未だ(根治)治療法が確立されておらず、その場その場で起きることに対処するしかないのです。
今までに六回、危篤を宣告されました。その度に先生方のご尽力により、なんとか乗り切ってまいりましたが、それ以外の時もいつも感染症との闘いで、死と隣り合わせの息を着く間のない生活でした。いつどうなるのかわからない、先が全く見えない暗黒の世界でした。ただ、なんとか生きて欲しいと、それだけでした。
このような日々を送る中でも、宗太郎の心は成長し、つらいはずなのに、逆に笑顔で明るく楽しく生活するよう私を励ましてくれました。次第に私も、しょげていても仕方がない、いつ何があっても後悔しないように、今、自分ができる精一杯のことをして、できるだけ楽しく過ごそう、と思うようになりました。
これをモットーに宗太郎と、そして先生、看護師さんたちのご協力の下、支えてくださる周りの方々と共に頑張ってまいりました。しかし、度重なる感染により、使用できる薬剤も少なくなり、点滴もとれにくく、食べることもできない、もはや限界です。
その上、宗太郎自身が「ママ、宗太郎はみんなと違う、ご飯が食べられない、歩けない、お友達が欲しい、学校に行きたい、お家に帰りたい。とにかく治りたい!!長生きしたい。」と、訴えるようになりました。宗太郎は日々、やりたいことがたくさんあり、生き生きと、自分の人生を歩きたいと欲しております。
今まで、ジャクソン記念病院で多臓器移植をして元気になっていくお子様方を見て、いつの日か宗太郎も適応にならないかと、願っておりました。あまりにも高頻度な感染により、医学的に一度は断念しかかりましたが、東大の先生方のご尽力により、なんとか移植が受けられるところまで、こぎ着けることができました。しかし、今を逃すと、内蔵の大部分が、高度な障害を受けているため、もう生きるチャンスはないと言われております。
どうぞ、宗太郎に、生きるチャンスを下さい。お助けください。
みなさまへ
そうたろうをご支援してくださったみなさまへ
29日午前3時40分頃、母の妹よりそうたろうが母の腕の中で静かに息をひきとったと連絡がありました。
そうたろうは、8月3日にニューヨークのコロンビア医療センターへ転院し、その後、8月22日に呼吸困難によりPICU(小児集中治療室)へ移りました。翌日の8月23日には呼吸状態が悪くなり挿管(人工呼吸器)をしました。この挿管をする直前に、「ママ、ありがとう。ありがとう。」と言っていたそうです。これがそうたろうの最後の言葉になりました。
一進一退の状況が続いていたのですが、9月16日、右肺が気胸になってしまいました。9月25日、今度は左の肺が気胸になり突然サチュレーションが下がり、血圧も低下しました。X線撮影をすると治りかけていた右肺も気胸になっているのがわかり左右2本ずつ、計4本のドレーンを入れました。9月27日には呼吸状態も回復してきていたのですが、9月28日には、そうたろうの体がついていかない状態になり、投薬を止め、母に抱っこされ最期を迎える・・・
これまで、そうたろうをご支援してくださった全国のみなさま本当にありがとうございました。そうたろうは最後まで戦い抜きました。悔しいことに病気に勝つことは出来ませんでしたが、我々の心に大きなプレゼントをしてくれました。そうたろうありがとう。
そうたろうを救う会
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
全国の皆さまからの多大なるご支援ご協力、誠に感謝申し上げます
2008年1月22日(火)の記者会見後から募金活動を開始し、3週目に入った2008年2月6日(水)、宗太郎へ大変多くの皆さまより善意のお気持ちを賜りまして、目標額に達することができましたことをご報告させていただきます。
これにより、目標額に達した2008年2月6日(水)をもちまして当会の募金活動は終了とさせていただきます。今まで本当に、ありがとうございました。皆さまひとりひとりのお気持ちが、短期間での目標達成に繋がったということをひしひしと感じております。
また、目標額に達する直前より募金箱回収のご連絡を取り急ぎ行っておりますが、想像を上回るほどの短期間で目標額を達成したため、全募金箱の回収に至らずご迷惑をお掛けしております。そうたろうを救う会一同、全力をあげて早急に募金箱回収をすすめてまいりますので、ご理解いただきますようよろしくお願い申し上げます。
皆さまからの大きな支えは、大きな希望となります。ここに改めて深く感謝申し上げます。これから宗太郎は、この希望を胸に抱き、臓器移植手術へと向かうことになります。どうか皆さまには、今後とも宗太郎のことをあたたかく見守ってくださいますよう、よろしくお願い申し上げます。
・・そうたろうを救う会・・
近況報告≪6≫
9月24日(水)――――――
9月23日のメールから
呼吸器はついたままですが、今日は作業療法の先生が来て、
関節が固まってしまったり、筋肉が落ちてしまっているので
それを少しずつでも改善、予防するために先生と一緒に、両足と両腕の運動をしました。
9月20日(土)――――――
まなちゃんを救う会より、9月19日に1,700万円の募金をしていただきました。
まなちゃんを支援している支援者の皆様、まなちゃんを救う会の役員をはじめとするスタッフの皆様、本当にありがとうございました。
9月18日(木)――――――
9月18日のメールから
ニューヨーク・ヤンキースの松井秀喜選手から励ましのメッセージとサインの書かれた色紙、ボールとリストバンドがが14日に届きました。
12日に遠征試合から戻った松井選手は、日本人向けのフリーペーパー記事で、宗太郎君が、同じ病院に通う松井選手にいつか会えるかもしれないと願いながら闘病生活を送っているということを知り、「病気に負けず頑張ってください」と書いた色紙などをプレゼントしてくれました。
早く状態がよくなり、会えるといいですね。
9月12日(金)――――――
9月11日のメールより
月曜、今まで皮膚全身にワセリンガーゼを巻いていましたが、それが悪いところのみ、(頭部、上腕、胸部、下腹部など)の一部だけでよくなりました。
皮膚の状態がよくなってきたので、これからは乾かす方向で様子をみるそうです。
このところ、全身状態はあまり変わらず、寝ている事がほとんどです。
起きても、はっきりとはしないで、頷くだけのかんじです。
血圧は落ち着き、尿はでていますが、呼吸器は外れていません。
9月4日(木)――――――
9月4日のメールより
まだ挿管されており、声は出ませんが、唇の動きで、問いかけに、「おはよう」「グッモーニング」などと答えてくれます。
看護婦さんに「オープン ザ マウス」といわれても、すぐに大きく口を開きます。
おしっこも出ており、全身の浮腫みも随分と減ってきました。
9月3日(水)――――――
9月3日メールより
そうたろうの状態は落ち着いています。
おしっこもたくさん出ており、血圧も、かえって高いくらいです。
今日は話しかけると、「痛いとこない?」に頷いたり、「寒い?」に首を横にふったりして意思表示もしてくれます。
パウチの周りの皮膚のただれている部分も小さくなってきています。
9月2日(火)――――――
9月2日メールより
状態は、ずいぶんと落ち着いてきました。
左のソケイ部、(太ももの付け根の部分)に入っていたCVが漏れてきたため、抜きました。
症状が落ち着いてきたことで、薬の量も減ってきました。
9月1日(月)――――――
8月23日のメールより
呼吸状態が悪くなり、人工呼吸器がつけられました。
週末、少なかった尿が増えてきたりと、だんだんと状態は安定してきてます。
8月26日のメールより
呼びかけに頷いてくれました。
原因は検索中ですが、はっきりした事はわからず、色々な事が重なって状態が悪くなったと考えられる、とのことです。
8月28日のメールより
今日はあまり調子がよくなく、おしっこも少ないです。
首のところからCV(中心ライン)を入れました。
8月29日のメールより
おしっこが少ないため、透析を回し始めました。
でも、血圧はずいぶんと落ち着いてきました。
こころなしか、皮膚の状態も赤みが少し治まって、きれいになってきているかんじです。
このまま落ち着いてくれることを願うばかりです。
8月30日のメールより
透析が回ってますが、自分の尿も出てきてくれ、血圧、呼吸状態も落ち着いてきてくれています。
皮膚の状態も全体によくなってきているかんじです。
8月31日のメールより
昨日よりまた少し状態が良くなり、呼びかけにも反応してくれます。
皮膚も日に日によくなってきているので、全身状態もおなじように薬に反応し、良くなってきてくれていると思います。
9月1日
31日、おしっこが出てきてくれてるため、今日から透析がなくなりました!
血圧も安定し、呼びかけにもよく反応してくれています。
まだ、いろいろな管が多いため、自己抜去しないよう、薬を使っているので、眠っている時間が多いですが、全体に良くなってきてくれているかんじです。
会計報告
そうたろう渡航多臓器移植費用概算
デポジット 1億800万円
渡航費 700万円
現地滞在費 350万円
事務局費 150万円
―――――――――――――
合 計 1億2000万円
デポジット89.5万ドル(×120)=約1億740万円
(77万ドルがホスピタルフィー
12.5万ドルがプロフェッショナルフィー)
*********
中間報告(平成20年3月9日現在)
[収入の部]
街頭募金活動 8,516,102円
募金箱 6,540,464円
振込など 138,223,784円
金融機関利息 7,148円
―――――――――――――――
合 計 153,287,498円
[支出の部]
医療デポジット 96,111,100円
滞在医療費 1,758,603円
渡航費用 3,479,280円
事務局費 1,313,965円
―――――――――――――――
合 計 102,662,948円
収入額 153,287,498円 - 支出済額 102,662,948円
= 現在残高 50,624,550円
*********
中間会計報告(平成20年8月11日現在)
収入の部
街頭募金活動 8,516,102円
募金箱 6,540,464円
振込など 139,535,864円
金融機関利息 7,148円
―――――――――――――――
合 計 154,599,578円
支出の部
医療デポジット 96,111,100円
滞在医療費 4,825,333円
渡航費用 4,575,650円
事務局費 1,719,004円―――――――――――――――
合 計 107,231,087円
収入額 154,599,578円-支出済額 107,231,087円
=現在残高 47,368,491円
*********
9月3日にコロンビア医療センターへ送金いたしました。
内訳(単位は円)
医療デポジット 16,485,000
送金手数料等 8,000
合 計 16,493,000
近況報告<5>
8月22日(金)――――――
昨晩、鼻やパウチ周辺の出血に引き続き、腹痛、呼吸困難になり、今朝PICUに移動になりました。
意識はあります。
左手にピックラインをもう一つ入れてもらい、今はやっと落ち着き、寝ています。
8月21日(木)――――――
16日(土)に、車椅子で散歩に出ることができました。
病院の近くの公園まで行き、30分ほどで、「疲れた!」と帰ってきましたが、今のNYは日本の秋空のような心地よさで、よい気分転換になりました。
3日にNYへ来て以来の外だったので、宗太郎も町並みの見学がすごく楽しかったようです。
18日月曜の夕飯より11日ぶりに食べる許可が出ました。
まだ完全に皮膚がよくなったわけではないのですが、これ以上絶食が長くなると腸にも悪いので、ということです。
喜んでいる私たちに、「そんなに大騒ぎしなくても・・・」とまたクールに言っていましたが、彼が一番待ち望んでいるご飯です。
支援者が買って来てくださったオムライス、病院食のチキン、ブロッコリー、ニンジンを少しずつですが、満足そうによく噛んで味わっていました。
8月18日(月)――――――
8月16日、こちらでもありがたいことに、いろんな人に助けられ、なんとか家が整い、明日からは交代で、アパートで寝れる状態になりました。
本当にマイアミの時はすべて準備して頂いていた事なので、ありがたかったなって、改めて感じました。
宗太郎は、相変わらずで、肌の状態が悪いため、ちょっと触れたり、服が擦れたりするだけでもかなり痛いようで、悲鳴をあげています。
それでも文句も弱音も言わずに、絶食頑張っているのですが、頭の毛も抜けてきてしまいまい、おやじっぽくなってしまってます・・・。
写真は宗太郎の寝姿です。けっこうこのお祈りポーズ多いです。
あと、すごい色の薬のパッケージを持ってるところと、病院で出てくるご飯です。(絶食ですが、だしてもらってます)
8月8日(金)――――――
同じ病院で心臓移植を受けた大崎幸一くんが遊びに来てくれました。
毎日のように来てくれて、とても楽しい時間を過ごしております。
このときばかりは、痛みも忘れることが出来るようです。
8月7日(木)――――――
8月2日、マイアミのジャクソン記念病院を6時に退院予定でしたが夜9時ごろに、無事退院することが出来ました。長い間お世話になったので、Drや看護婦さんたちとも涙まじりでお別れです。
みんなで撮った写真をパネルに貼り付け、周りに折り紙で折った動物で飾りつけし、プレゼントしてきました。
宗太郎は退院できたら、現地で支援してくれてる方のお店、寿司JOEにどーしても行きたい!と、食べられるようになってからず~っと言っていたので、もういつもなら寝てる時間ですが、明日NYへ発つと言う事もあり、出かけることにしました。
そして長いことメニューとにらめっこし、自分で選んだのは串カツでした。
そのほかに、うなぎ茶漬けと魚の煮付けをごちそうになりました。
前に店へ行った時は、まだ移植前の飴3個の時だったので、お店のスタッフみんな喜んでくれ、宗太郎もとっても楽しかったようで、「そろそろ帰ろうか?」と聞いても、眠いのになかなかうんと言わないくらいでした。
アパートに帰り、原油高で荷物の重量オーバーが厳しいので、何度も何度も重い荷物を持って、体重計に乗り計算して・・・
朝がくる頃にやっと荷造りが終わりました。
そして、いよいよ出発です。
幸いマイアミ空港では現地での支援者が待っていてくれ、スムーズにチェックインできました。
もう飛行機には慣れたのか、宗太郎も余裕の表情です。
無事NYに到着し、山のような荷物でしたが、バンのタクシーでなんとか病院へ到着することが出来ました。
漏れ漏れのパウチも移動中は漏れずにもってくれてよかったです。
病院にはハートトゥハートの方が2人待ってて下さり、とてもほっとしましたし、助かりました。病棟に上がった所で、ボランティアのセラピードッグのゴールデンレトリバーにも会うことができ、大喜びです!
病室に入った後は、ナースをはじめ、何人ものDrが入れかわり立ち換わりで診にこられるので大忙しでした!
まだばたついていますが、宗太郎はまずまず元気です。
パウチの周りの皮膚がただれてしまって、漏れる度に悲鳴をあげていますが・・・
コロンビア大学病院はNYヤンキースの指定病院だそうで、松井選手も通っているそうです。
8月4日(月)――――――
主治医の加藤先生がニューヨークのコロンビア大学へ移動することになりました。様態の安定していないそうたろうをマイアミにおいて行く事はできないと判断され、そうたろうもニューヨークへ転院する事になりました。
そして本日、無事にコロンビア大学に転院し入院できたと報告がありました。
そうたろうは元気とのことです。
発疹は良くなったり悪くなったりを繰り返しています。
唇や鼻からの出血もまだつづいていますが、足の浮腫みはなくなり、熱もなく、食欲もあるようです。
そして、日本の友達が、ポケモンカップ麺を送ってくれました。すっかりカップ麺がお気に入りになってしまい、普段よりもたくさん食べています。
7月18日(金)――――――
少し眠り薬を使い、内視鏡検査をしました。
食事のレパートリーは少しずつ増えています。
なんと昨日は、母たちがどん兵衛の天ぷらそばを食べていたところ、食べたいと言いだし、ちょうどそこへ先生が。「食べてみていいよ」と!
そばも、カップ麺も生まれて初めてです。どうやら気に入ったらしく、今度は
「天ぷらが食べたい」だそうです。
写真のケーキは母作パンプディングと、病院の先生の奥様から頂いた手作りローズケーキです。
7月16日(火)――――――
鼻血と耳血がちょっと治まってくれたと思ったら、今度は皮膚に発疹が出てきてしまいました。肌が少しずつきれいになってきていたのですが、みるみる全身に広がり、顔もより一層むくんできています。
原因を検索するため、腕の一部の皮膚を採取しました。
7月13日(日)――――――
血小板が低いせいか、耳血が出てしまい不快で、ずっとご機嫌ななめでベッドでゴロゴロとしています。OP後はみるみる回復していましたが、今回はもっとダメージが大きかったのか、というより長く寝たきりだったので、回復に時間がかかります。少しずつ、きげんがいいときにリハビリや体力作り一緒にがんばります。
7月12日(土)――――――
今週は、検査もあったせいか、なんだかだるい日も多く、散歩にも行かないで、ダラダラなかんじでしたが、今日は張り切って朝から先生に外出行っていいかと、ちゃんとエイゴで聞くことができました。
午後からまた4時間の外出許可が出て、ドライブへ行ってきました。あんまり天気は良くなかったのですが、かえって暑すぎずよかったです。
途中で先週も立ち寄ったフルーツ屋さんに寄りました。そうたろうはそこで買ったトマトとオクラがとても美味しくて気にいっているので、また買って帰りました。
7月11日(金)――――――
この中でお豆腐と、鮭、海苔巻きの一部をそうたろうは食べることができました。今度はドラゴンロールが食べられるようになりたいそうです。(緑のアボガドのやつです )
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7月10日(木)――――――
言語療法の先生がきてくれ、大きい声を出せるように口や舌の訓練などをしてもらいました。
7月9日(水)――――――
リハビリはいつもと違う先生がきてくれました。ベッドから起き上がる練習をしました。あと、作業療法の先生もきてくれ、洋服を着たり、箸を使って細かい訓練をしました。
7月8日(火)――――――
午後から眠り薬を使い、肝臓の生検、骨髄検査をPICUにて受けました。このため朝、昼は絶食でした。そうたろうは、まだ、おなかが空いたという感覚はないので、そんなに辛くはないようですが、最近お気に入りのスコーンが朝食に出てくると、がっくりです。
だって、昨日の晩からそれを心配して「スコーン出たらショックだよ」と言うので、そんなこと言っていると出たりして、って話していたので、笑ってしまいましたが。
7月7日(月)――――――
音楽療法の先生がまた来てくれました。そうたろうだけではなく、私たちにとっても、気分転換になり、とても楽しく過ごせるので、本当にありがたいです。
今回もベル、ギター、両方やりました。
ベルは音を鳴らすのに、手を大きく使うので本当にいいリハビリにもなります。
7月6日(日)――――――
今日はまた午後から4時間の外出許可がでました。あいにくの雨でしたが、ビスケーン国立公園へ車を走らせているうちに、さっきの大雨がウソのように晴れてきました。
海辺でカニや魚をみた後、ビシターセンターで園内の自然のビデオや、マナティーやウミガメ、イルカの骨などを見学しました。
公園まで1時間強かかるので、ほとんどの時間は車内で座っていただけなのですが、まだまだ体力がないため、病院に着いたら、もうぐったりですぐに寝てしまいました。
でも、動物好きのそうたろうにとっては、フロリダはパラダイスですね。たった4時間で、とても楽しめました。
7月4日(金)――――――
こちらでは夕方にスコールが多く、今日も7時くらいから雷と大雨です。そうたろうの元気もなく、病院にいたので、花火中止かな?ちょうどよかったね。なんて話していたら、9時頃、ヒュードーンと、花火の音が聞こえてきます。立体駐車場なら病院構内でもみえるかも、と聞いていたので、「行ってみる!」と。
マイアミの至る所で(アメリカ中かな?)上がっているため、大小様々な花火が四方八方にみえます。楽しみにしていたので、みられて喜んでいました。そうたろうの元気がないといっても、ご心配なく。
熱も、痛いところもなく、ご飯も食べられているのですが、まだまだ、ちょっとだるそうな日もあります。おなかのパウチがよく漏れてしまい、ちょっぴりその部分がただれているのと、パウチ交換に時間がかかるので、疲れてしまうこともあるようです。 それでも、かなり長い時間リハビリのイスに座っていられるようになりました。
先日、先生は、ICUの頃を振り返り、「結局何が起きたのかはよくわからないけれど、そうたろうの力でここまで回復したのは間違いない。そうたろうクンはモンスターだね」、と言っていました。
7月1日(火)――――――
広い構内に、SUBWAYやマクドナルドや色々なお店があるのでが、中華料理の店をみつけ、さっそくメニューチェック。「もうちょっとしたらラーメン食べられるかなあ?」食欲も尽きません。いいことですね。
6月30日(月)――――――
午前中に待ちに待ったリハビリの先生が粘土と車椅子を持ってきてくれました。
「 Big cheek & little nose」 と言われ、ご丁寧に鼻管もついています。遊んでいるだけに見えますが、今のそうたろうにとっては、かなり力がいるので、よいリハビリになります。
ベッドは柔らかすぎなので、寝るだけにして、起きてるときはなるべく車椅子にいるように、と言われました。そして、いつものように、「See you tomorrow!」と言うので、「本当に明日?」って確認したら、「Yes」と言いつつウインクされました。 もちろん、次の日にきてくれたことはなく、だいたい週1回ほどですが・・・。
とっても楽しみにしていたので、七夕のお飾り作りをしていたのですが、いそいそと「片付けて」と、やる気満々です。今度はギターに加え、ハンドベルにも挑戦しました。すごく上手に、歌いながら演奏することができました。
ジャガイモ、ターキーのミンチ、玉葱を摩り下ろして作りました。そうたろうはとてもびっくりしながらも、美味しいと食べてくれました。ご飯はアメリカの支援者の方が送ってくれた田牧米というものを柔らかく炊いてみました。とても美味しかったです。
翌朝は、そのコロッケでコロッケパンを作って食べました!
6月28日(土)――――――
そうたろうは「久しぶりに車に乗れる!」と大はしゃぎです。乗り物好きなそうたろうは、家に帰れる事より、車に乗れることのほうがうれしいようです。遠回りをして、ビーチの賑わいを車内から楽しみながら、アパートへ一時帰宅しました。点滴の量も少なくなり、ロックする時間ができたため、身軽な状態で帰宅することができました。
そうたろうリクエストにより、ドミノピザを買って病院へ戻り、夕飯にしました。まだチーズも具もなしのピザですが、トマトソースがおいしいらしく、パンだけの時よりも沢山食べていました。
6月27日(金) ――――――
PICラインが右腕に入り、2ヶ月もの長い間もってくれたCV抜くことができました。いつものように、怖くて半べそをかいてましたが、処置が終わったら「なんかそうたろうさ、7月4日までに家に帰れる気がしてきた。ね?ピックラインも入ったしさぁ。」とニコニコで、おしゃべりも復活!です。
そうたろうは、独立記念日に花火があがるという話を聞き、それが病院からは見えないけど、アパートからはおそらく見えるとのことで、退院したくてしかたがないみたいです。