2008-10-15

ママから

テーマ:そうたろう

全国の皆様へ


全国の皆様から本当にたくさんの募金、応援を頂き、宗太郎の夢に向けての第一歩であった多臓器移植手術を受けることができ、非常に感謝いたしております。
移植手術を受けることは、宗太郎がテレビ番組を見て、自ら決めたことでした。
「ママ、宗太郎も治りたい!手術でもいい。がんばる。」と。

宗太郎は、頂いたお手紙などすべてに目を通し、できるだけお返事を書きたいと頑張っておりました。これもまた、夢の一つであったお友達が一度にたくさんできた、元気になったら会いに行くと、それはそれはうれしそうにしておりました。
本当にありがとうございました。

宗太郎は平成20年2月21日の渡米以来、体力作りのリハビリから始まり、3月末、手術の大成功、移植直後のカギとなる時期は頑張って乗り切り、おかゆを口にすることができ、宗太郎が夢にまで見た、お腹いっぱいご飯を食べることができる日を目前とするまでに回復しました。

しかし、4月、重度のGVHDという極めて発症する確率の低い合併症を発症し、何度も命を落としそうになりながらも、いつも崖っぷちで踏みとどまりがんばりました。
どんなに辛く苦しい時でも、決して弱音を吐かず、いつも「ありがとう、Thank you」の言葉を唇からあふれ出しながら、全身全霊で闘い続けました。

一時はまた、食事が摂れるほどに回復しましたが、再度、状態が悪化し始めてからはどんな治療を受けても回復することなく、平成20年9月28日 午後1時42分 9才と2日という本当に短い生涯を終えました。

呼吸器をつけなくてはならないほど体内の酸素が低下し、とても苦しい中、「ママ、ありがとう。ありがとう。」と心配する私を気遣う言葉が、宗太郎の最期の声となりました。
最期は恥ずかしがり屋の宗太郎が自ら「だっこして」とお願いするぐらい大好きだった加藤先生、アメリカで知り合い、助けていただいたたくさんのお友達に囲まれて、とても安らかに静かに私の腕の中で迎えました。
まるでそれは、自分で自分の人生の幕を閉じたかのように。
志半ばだったはずなのに、大きな何かをやり遂げたかのような満足そうな、そして穏やかに何かを語りかけているかのような顔をしていました。

宗太郎の9年間は、本当にずっと病との壮絶な闘いの日々でした。
そして、そのほとんどを病院で過ごしました。制限の多い入院生活ではありましたが、常に色々なことに興味津津でした。旅番組、料理番組を見ていつかは・・・と思いをはせたり、恐竜、動物などの番組を見たり、図鑑、本を何冊も見比べては、将来、恐竜博士になると言って、自分なりに研究をしていました。
文章を書くこと、パソコンを使うことも大好きでした。
体調のよいときには常に自分なりにがんばって勉強をしていました。
ちょうど、渡米の日、成田空港で漢字検定5級合格の知らせを聞き、本当に大喜びをしていました。

移植手術へ向けての体調管理のため寝たきりになってしまっていた宗太郎が、アメリカ行きの飛行機の中で、目をきらきらと輝かせ、ドラえもんの替え歌で「地面を自由に歩きたいな~」と歌いだしたときには、宗太郎の命が未来へ向けて芽吹き始めたかのようにさえ思いました。

このような結果にはなってしまいましたが、9年と2日、頑張って頑張って頑張りぬいた人生だと思っています。
私は宗太郎という子を持てたことを、宗太郎と9年歩んで来ることができたことを誇りにさえ思っています。


最後になりましたが、宗太郎に生きる夢を与えてくださったドナーの方のご冥福を再度、お祈りすると共に、そのご決断を下さったご両親をはじめご家族様に深い感謝と生き抜くことができなかったお詫びを述べさせていただきたいと思います。

本当にどうもありがとうございました。




    平成20年 10月       各務 優子







そうたろうの母から
2008年1月22日火曜日の記者会見以来、宗太郎は、全国から誠にたくさんの方々に支えられ、2月21日には無事、渡米することが出来ました。
3月21日の移植手術後、一旦は退院できるほど回復いたしましたが、4月16日に再入院、その後は多臓器移植後でも発症は珍しいといわれる、GVHDを発症、その他様々な症状を合併し、一時は重篤な状態が続き、PICUに約2ヶ月間お世話になりながらも、生きたいという気持ち一心に、闘病を続けて参りました。
現在、まだ、GVHDをはじめとして骨髄抑制など様々な問題を抱え、残念ながら帰国することのできる状態ではありません。そばで看ている私が目を背けたくなるくらい過酷な闘いを続ける宗太郎ですが、何とか元気になろうと、何とか生きようと毎日、悲鳴を上げながらも、必死に頑張っております。
まだしばらくアメリカでの辛い治療が必要だということで、また皆様のお力をお借りしなければならないことになりました。
どんな時も決してあきらめず、弱音を吐かず必死に生きる宗太郎に、皆様のお力をぜひともお貸し下さい。
どうぞよろしくお願い致します。


           各務 優子

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 ご心配をおかけしております。

いつも応援してくださって本当にありがとうございます。きっと、宗太郎にも届いてると思います。だからこそ、こんなに頑張れるのかもしれません。それくらい宗太郎は本当によく頑張ってます。

 5月2日は、BIGな出来事がありました。なんとオーランドのDisney World(ディズニー・ワールド)からMicky(ミッキー)とMinny(ミニー)が来てくださいました!! 病棟中、大騒動で、こちらでも大人気です!! Micky(ミッキー)からMicky(ミニー)をいただきました!! 宗太郎もDisney World(ディズニー・ワールド)を全部制覇してから帰るなんて言うくらい大好きですから本当に良かったです。


 加藤先生からお話がありました。1日の大腸の生検の結果、GVHDの疑いがあるそうです。皮膚の生検もGVHDの疑いだそうです。先日、パルボウイルスがでたのと、はじめの症状からウイルス感染が濃厚だったのですが、皮膚と、大腸からGVHDの疑いと出たので、こちらもこのまま広がってしまうとよくない・・・ということになってきました。

 そこで、GVHDに対し、ステロイドを一度大量に投与することになりました。GVHDとウイルスは非常によく似ていて判断が難しいそうです。簡単に言えば、両方とも、外部から宗太郎を攻撃するということです。ウイルスに対する治療としても、ステロイドの投与はすることもあり、有効だそうです。ただ、ステロイドを投与し続けると、感染のリスクがかなり上がってしまうので注意が必要ですが、今はどんな治療にもリスクが伴うのでとのことです。

 少し、痰がつまるのか、(これは宗太郎がいつも歯をくい縛ってしまうのでうまく吸引できないからだと思いますが)軽い咳をしようとするのですがうまくできなくて逆に管を噛んでしまいます。夜、とうとうガーゼを巻いて棒にしたものを銜えさせられました。タバコを銜えているみたいです。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。
 

                           5月3日  各務 優子




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このたびは、宗太郎のために、皆様の温かいお気持ちをたくさん頂きまして、誠にありがとうございました。


1億2千万円という、果てしなく大きな金額を目の前に、こんな金額が集まるのだろうかと大きな不安のまま迎えた、1月22日の記者会見でした。それから、約2週間、こんなに驚くほど短期間に抱えきれないくらい大きなお気持ちを頂き、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。なんと、お礼を申し上げて良いのか、言葉に尽くせません。本当にありがとうございました。


皆様から頂きました、この大きな温かいお気持ちを、しっかりと受け止め、アメリカでの移植手術へと向かいたいと思います。今後とも、温かく見守りくださいますよう、よろしくお願いいたします。本当にありがとうございました。



                            2月6日 各務 優子





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宗太郎は生まれてすぐに消化管の異常がわかってから8年間、そのほとんどを病院で生活してきました。それは検査、手術、絶食の連続のつらいものでした。しかし、ヒルシュスプルング病類縁疾患には未だ(根治)治療法が確立されておらず、その場その場で起きることに対処するしかないのです。


今までに六回、危篤を宣告されました。その度に先生方のご尽力により、なんとか乗り切ってまいりましたが、それ以外の時もいつも感染症との闘いで、死と隣り合わせの息を着く間のない生活でした。いつどうなるのかわからない、先が全く見えない暗黒の世界でした。ただ、なんとか生きて欲しいと、それだけでした。


このような日々を送る中でも、宗太郎の心は成長し、つらいはずなのに、逆に笑顔で明るく楽しく生活するよう私を励ましてくれました。次第に私も、しょげていても仕方がない、いつ何があっても後悔しないように、今、自分ができる精一杯のことをして、できるだけ楽しく過ごそう、と思うようになりました。


これをモットーに宗太郎と、そして先生、看護師さんたちのご協力の下、支えてくださる周りの方々と共に頑張ってまいりました。
しかし、度重なる感染により、使用できる薬剤も少なくなり、点滴もとれにくく、食べることもできない、もはや限界です。


その上、宗太郎自身が「ママ、宗太郎はみんなと違う、ご飯が食べられない、歩けない、お友達が欲しい、学校に行きたい、お家に帰りたい。とにかく治りたい!!長生きしたい。」と、訴えるようになりました。宗太郎は日々、やりたいことがたくさんあり、生き生きと、自分の人生を歩きたいと欲しております。


今まで、ジャクソン記念病院で多臓器移植をして元気になっていくお子様方を見て、いつの日か宗太郎も適応にならないかと、願っておりました。あまりにも高頻度な感染により、医学的に一度は断念しかかりましたが、東大の先生方のご尽力により、なんとか移植が受けられるところまで、こぎ着けることができました。しかし、今を逃すと、内蔵の大部分が、高度な障害を受けているため、もう生きるチャンスはないと言われております。


どうぞ、宗太郎に、生きるチャンスを下さい。お助けください。



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