美味しいワインが飲める今 その1 | ろくでなしチャンのブログ

美味しいワインが飲める今 その1

       美味しいワインが飲める今 その1

               エミール・ペイノー氏の功績

 1940年代のフランス・ワインは、ごく一部であるグラン・クリューを除き、家族経営による葡萄栽培農家によって造られており、現代の我々が飲むと果実味が薄く、酸味が強く、若干の腐敗臭を感じるだろうと言われています。それでは、何故ワインが美味しくなったのでしょうか。

 フランス・ワインの品質向上の要因はいろいろ取りざたされているようですが最大の功労者はエミール・ペイノー氏(Emile Peynaud~1912年生、2004年逝去)であるとの説に異論を唱える方はいらっしゃないようです。



ボルドー大学醸造学博士課程を修了、すぐさま講師となられ、単に大学で教鞭を執るだけでなく、現場である葡萄栽培農家へ頻繁に足を運び醸造方法等の指導を行った方なのです。

 

当初、ペイノー氏が提案した生産方法の多くは、伝統的な生産方法に反する為に、なかなか受け入れられません。やがて、1959年及び1961年にボルドーが大熱波に襲われ大きな痛手を受けます。その様な中、ペイノー氏の指導を実践した生産者が成功を収めたことにより、またたくまに多くの生産者の信頼を勝ち得、ボルドーの100を超す生産者のアドバイザーとして活躍するまでに至ります。

 

 さらに、完熟葡萄の収穫法の提唱が挙げられます。ペイノー氏は、最高の葡萄は最高のワインをもたらすとの信念により、収穫を従前より2週間遅らせ葡萄を完熟させること、収穫時期に来たらなるだけ早く収穫を完了させることを徹底して指導しました。収穫時期が遅くなると、酸が減少し、タンニンがやわらかく、果実味の特徴が出やすい、アルコール度の高い、熟した果実の摘み取りが可能となります。

 


 ペイノー氏は1986年にボルドー大学を退職しますが、1970年代後半まで、毎週月曜日には生産者を集めてセミナーを開き、新しい栽培・醸造方法について説明会を開いていたようで、生涯、生産者とともにワイン造りを実践した方だと言われています。

 

 とりわけ個人主義が強いと言われるフランスの田舎であるボルドーにおいて、さらに個人の主義主張は一貫して主張するといわれるフランス人(偏見ではなくそのように書いていた本を信じているだけ。)が、彼の葡萄栽培手法や醸造手法を簡単に受け入れた訳ではないようです。

 
 ペイノー氏は、服装に気を使う訳ではなく、(フランスは階級社会であり、階級に合った服装をする慣習があるらしい。)カジュアルなスタイルで葡萄栽培農家を訪れ、決して専門用語は使わずに平易な言葉で接していたと言われています。これら、氏の人間性が生産者に受け入れられる下地としてあったという事でしょう。

 ペイノー氏が提唱した1つに、マロラクティック発酵(Malo-Lactic Fermentation)の推進が挙げられます。

 葡萄果汁は酵母によりアルコール発酵が行われます。その後すぐに樽熟成を行なっていたのですが、ペイノー氏は、アルコール発酵後に、更にマロラクティック発酵を行い、残っているリンゴ酸(Malic acid)を乳酸(Lactic acid)菌で乳酸と炭酸ガスに分解する事を提唱します。

 この発酵により、酸味が強いリンゴ酸がより穏やかな、よりやわらかく、よりクリーミーな乳酸に変わり、また微生物の繁殖のベースとなりやすいリンゴ酸が減少し、腐敗臭が減少することになります。

 同時に、炭酸ガスが排出されるので、赤ワインによく見られていた発泡性(微発泡)が見られなくなりました。また、化学反応の過程で生成される副産物がアロマをより複雑なものとします


  ※拙稿2010.6.16マロラクティック醗酵 解説 こちらへ

 

 この収穫時期を遅らせることは、生産者にとって秋雨や霜の心配と戦わなければならないことを意味しますが、昨今の天気予報は5日から7日後の天気に関し90%から100%の精度をもって的中させるようです。気象衛星や気象専門会社の台頭が葡萄栽培の強力な助っ人となっているようです。

 

  ※拙稿2010.12.19葡萄の成熟 こちらへ

     2010.12.20葡萄の収穫 こちらへ  

 

 さらに、発酵温度の徹底的管理が挙げられます。実は葡萄が醗酵槽に入れられた後は『神の領域』とされ、醸造家は何も出来ないというのが一般的だったのです。

 一般的に発酵温度は28度までと言われ、限界数値は最高30度とされているようです。

 余りに高温になり過ぎると、酵母の活動が中断したり死滅して醗酵が止まってしまう恐れがあるからです。

 ワイン造りは秋口に行われるのですが、気温が高く、かつ、葡萄の完熟度が高い場合、アルコール度数も高く、発酵温度が高くなりすぎるケースが生じます。昔はこういった非常時に醗酵槽に氷を入れたと言う記述(1947年、1949年、1959年)もあります。
 発酵温度に関し、グラン・クリュで33度といった記述もありますが、あくまで一時的な温度であり、1時間か2時間位を限度としているようであり、半日あるいは1日といったスパンで発酵温度1度づつ上昇させ、限界に達すると逆に徐々に1度づつ下げているようです。

 赤ワインは果帽の下の葡萄果汁の糖分が発酵により炭酸ガスとアルコールに変化するのですが、炭酸ガスが溜まり液温が上昇しますので、ビジャージュが必要となります。発酵温度の管理には、蛇管液温調整パネルを吊るし、冷却水や温水を循環させ調整します。温度は果帽下30㎝の葡萄果汁にデジタル温度計を入れて管理しているようです。もっとも大手ではステンレスタンクを使い、外側部分にパイプが設置され、コンピューター制御されているようですが、木製槽やコンクリート槽への回帰も行われているようです。

 

  ※拙稿2010. 5.27 ワインの発酵 こちらへ

     2010. 6.16 ビジャージュ・ルモンタージュこちらへ

     2010.11.13 セメント醗酵槽 解説 こちらへ

 

 さらに、『選果の徹底』が挙げられます。従前は葡萄果汁をそのままバルク売りすることも行われており、ワインにしても絶対量の減少は収入に響くと考えられ、選果の考え方は希薄だったようです。質より量の時代であり、葡萄樹も多量生産の可能な品種が尊重されていたのです。

 しかし、選果の徹底が高品質のワインを生み出し、価格に反映する事を知った生産者は選果への道を歩む事となります。

 現在のトップシャトーは、健全な果実のみを収穫し、更に除梗前後の選果を徹底的に行い、最終的には粒単位の選果を、ターブル・ド・トリと呼ばれる選果台を導入し、腐った果実、未熟な果実、痛んだ果実、蔓、果梗、葉等全ての好ましからざる物質を人海戦術により徹底に除去しているようです。

 さらに、最新式はコンピュータ選果まで導入されているといいます。赤外線とかそういったもので判別しているようです。

 また、醸造も葡萄樹の樹齢や区画が異なる毎に分けて行ない、質が劣るとみなされたロットはすべてセカンド・ワイン、サードワインに格下げする等の手法が導入されています。1970年代後半に、当時低迷していたシャトー・マルゴーを復活させたのは、この選果の成果と言われています。

 もっとも、レオヴィル・ラスカーズでは100年以上前から、シャトー・マルゴーも同程度前からセカンド・ワインを導入していましたが、これらの事実がペイノー氏の功績を何ら損なうものではありません。

 

 ペイノー氏の口癖は、『若くてもおいしく飲め、長い熟成にも耐えられるボルドーの赤ワインをつくる。』だと言われ、その精神はペイノーが亡くなられた今も、ミッシエル・ロラン氏やシャトー・ラグランジュの再生に貢献した鈴田健二氏に引き継がれています。
 

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