『空気人形』 | やりすぎ限界映画入門

やりすぎ限界映画入門

ダイナマイト・ボンバー・ギャル @ パスタ功次郎

■「やりすぎ限界映画工房」
■「自称 “本物” のエド・ウッド」


■『空気人形』
やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]

2009年/日本映画/116分
監督:是枝裕和
出演:ペ・ドゥナ/板尾創路/ARATA/岩松了/高橋昌也/星野真里/柄本佑

2009年 第25回 やりすぎ限界映画祭
2009年 ベスト10 第10位:『空気人形』
やりすぎ限界女優賞/やりすぎ限界男優賞/やりすぎ限界監督賞:『空気人形』


[ネタバレ注意!]※見終わった人が読んで下さい。



やりすぎ限界女優賞:ペ・ドゥナ


やりすぎ限界男優賞:高橋昌也


■第2稿 2018年 7月26日 版

[韓国四大女優]



自分の心にとても正直な僕は女優で映画を見る。①イ・ナヨン、②イ・ヨンエ、③チョン・ジヒョン、④ペ・ドゥナが僕の心の中の「韓国四大女優」。チョン・ジヒョンに続く「韓国四大女優」の4人目はペ・ドゥナ。「韓国四大女優」の最終章。恐るべき「極限8頭身美女」ペ・ドゥナが「韓国四大女優」の真実に止めを刺す。

[ペ・ドゥナ]



初めてペ・ドゥナを見たのは『子猫をお願い』だった。実はど派手ではないナチュラル美人の顔が印象に残らなかった。だが『プライベートレッスン 青い体験』『復讐者に憐れみを』の衝撃がペ・ドゥナを「韓国四大女優」に到達させた。恐れを知らない「全裸」に瞬間で漏らした。「ペ・ドゥナ」という女優を目を逸らさずに見つめた。



「全裸」を恐れぬ精神力。「何て女優だ……」。『リンダ リンダ リンダ』『春の日のクマは好きですか?』で僕は跪いた。『グエムル 漢江の怪物』で無力となり『空気人形』で止めを刺された。『やりすぎ限界映画』とは?[定義⑤]『恋愛映画における女優の私見』において、僕はペ・ドゥナと結婚したいと “本気” で思った。『空気人形』は「もうこれ以上美しくペ・ドゥナを撮れない限界点に到達してる映画」で、2013年までペ・ドゥナのベスト1の映画だった。

[「苦しい」「孤独」]



この世に「孤独」に耐えられる人間など殆どいない。人間には孤独を恐れる本能がある。ファミレス従業員(板尾創路)、純一(ARATA)、店長、受付嬢、OL、萌、萌の父親、受験生、おまわりさん、おばあちゃん、おじいさん(高橋昌也)……。みんな「苦しい」「孤独」を抱えて生きてる。

[吉野弘『生命は』]



■「生命は自分自身だけでは
  完結できないように
  つくられているらしい
  花もめしべとおしべが
  揃っているだけでは
  不充分で
  虫や風が訪れて
  めしべとおしべを仲立ちする
  生命は その中に欠如を抱き
  それを他者から
  満たしてもらうのだ
  …………」


昔高校の代用教員だったおじいさんから、空気人形(ペ・ドゥナ)は吉野弘の『生命は』の「詩」を教えてもらう。「孤独」という「苦しみ」を持つ「人間」に、空気人形の憧れが強くなる。



「私も あるとき 誰かのための虻だったろう」。空気人形は全ての人間が「誰かに支えられなければ生きれない」ことを知る。本当はこの世に真の意味での「孤独」などないこと。そして全ての人間が誰かとの関わりの中で生きてること。その「支え合う」「心」を持つ人間に、「自分もこうなりたい」と憧れたのかもしれない。

[「純一と生涯人生を一緒に生きること」]



だが残酷な現実が空気人形を汚す。この世は「良い人間」ばかりではない。だが「悪い人間」達に「どんなに酷いことをされても」空気人形は「人間」に憧れる。「どんなに汚されても」「人間」への憧れが消えることはなかった。



空気人形が「心」を持って求めたのは「人間になること」「恋人ができること」。そして人間のように「誕生日を祝うこと」「年をとること」「死ぬこと」「孤独から抜け出すこと」を夢見たのは、「純一と生涯人生を一緒に生きること」を夢見たということなのかもしれない。

[「悪いこと」を超える「良いこと」の「喜び」]



純一と一緒にいることがものすごくうれしかった。空気人形にとって「人生最大の幸せ」は、純一が「空気を吹き込んで命を救ってくれたこと」。それは「好きな人に支えられて生きる喜び」を思い知ることだった。「好きな人に支えられて生きる喜び」が「孤独が満たされる喜び」だという「幸せ」を知った。この世で「孤独が満たされる喜び」以上の「人間の幸せ」はないのかもしれない。



「心」を持って知ったこと。それは「良いこと」と「悪いこと」の両方を経験して、「良いこと」の「喜び」の方が大きかったということ。たとえ「悪いこと」があっても、それを超えるほど「良いこと」があった時の「喜び」が大きかった。その「喜び」を知ったから、空気人形は「どんなに酷いことをされても」人間に憧れたのかもしれない。

[「傷つくことを恐れない勇気」]



■「私… 誰かの代わりでもいいの」

ファミレス従業員や純一だけではない。人間同士で対峙して傷つくのは誰だって怖い。だが空気人形のように、「悪いこと」を超える「良いこと」の「喜び」を本当に思い知った人間に、「勇気」は生まれるのだと今思う。「私… 誰かの代わりでもいいの」という「勇気」。「どんなに酷いことをされても」「傷つくことを恐れない勇気」。空気人形が「人間」より先に、「孤独」を抜け出す方法が「傷つくことを恐れない勇気」だと気づいてしまった。

[ファミレス従業員の「孤独」]



■「心なんか持たないほうが
  よかった?」
 「うん
  面倒くさいんや 俺
  こういうの 面倒くさいから
  お前にしたのに」
 「面倒くさい…って
  ひどい そんな言い方」


『空気人形』を見て『ピノキオ』を思い出す。「ピノキオ」はゼペットが「子供がほしい」と思って作ったので「命」が宿るが、「空気人形」はファミレス従業員が「恋人がほしい」と思ってないのに「命」が宿る。「ピノキオ」のような「ハッピーエンド」になれない「空気人形」の何と残酷な「悲劇」。



空気人形が「心」を持っても喜ばない。もし本当は「恋人がほしい」なら、「人間の姿になったのぞみ」を見てゼペットのように「幸せ」を実感したはず。もし本当に「孤独」を恐れてないなら、「のぞみを買わない」はず。「自分に嘘をついてる」。ファミレス従業員が「孤独」なのは、「傷つくことを恐れない勇気」がなかったからなのかもしれない。

[純一の「孤独」]



■「空気が君の体から抜けた時…」
 「ああ…」
 「苦しかった?」
 「うん…
  苦しかった…」


「苦しかった?」とわかってるのに、空気を抜けば死んでしまうのに、なぜ純一は空気を抜きたかったのか? 純一が「孤独」な理由の「真実」なのかもしれない。相手を苦しめることができてしまう自分に気づいてない。「写真の彼女」が去った理由なのかもしれない。



「自分が他人にしたことは、いずれ全部自分に返ってくる」。「空気を抜くこと」を、「心が美しすぎる」空気人形は「純一が一番喜ぶこと」と勘違いした。空気人形に取り憑いた仏様の裁きだったのかもしれない。

[「死」の間際に見た最期の夢]



純一を殺してしまった哀しみが空気人形を「自殺」に追い込む。「心が美しすぎる」から自分を許せなかったのか? あるいは純一のいる世界に行きたかったのかもしれない。空気人形にとって「死」は、「命」を持つ人間への憧れにも見えた。



だが空気人形が「死」の間際に見た最期の夢は「純一に誕生日を祝ってもらう夢」。「心」を持って一番幸せだった思い出は「純一と過ごした日々」。空気を抜いて自分を殺しかけた男を、最期まで一途に愛した。「空気」ではない、純一と同じ食べ物を食べ、「純一と生涯人生を一緒に生きること」を夢見た。

[「燃えないゴミ」「極限の美」]



■「もともとは
  同じだったはずなのに
  こうして戻って来た時には
  みんな違う顔をしてる
  ちゃんと愛されたかどうか
  表情に出るんだ
  それはこの子たちにも
  あるってことじゃないかな
  心が」




■「キレイ…」

自分の「死に顔」を、「ラムネの瓶」や林檎で飾り、自分の最期をこれ以上ないほどの「極限の美」まで美しく演出したのは、「自分が幸せだったこと」「自分が愛を知ったこと」を知ってほしかったのだろう。



「キレイ…」。「燃えないゴミ」の「死に顔」がこの世のものとは思えないほど「極限の美」に輝いたのは、空気人形が「心」を持ってどれほど「幸せ」だったかの「証」。「悪いこと」を超える「良いこと」の「喜び」を知れば、人間は誰でも「孤独から抜け出すこと」ができるという、空気人形の「心」の「声」が聞こえてくるようだった。




『英語完全征服』
『春の日は過ぎゆく』
『猟奇的な彼女』
『空気人形』

画像 2018年 7月