古代歴史ロマン♪ 鞠智城(きくちじょう)
熊本県・菊池には、中世の菊池氏の活躍を物語る遺構のほかに、古代を物語る遺跡もあります。
それが、鞠智城(きくちじょう)です。
城と言っても、私たちが「城」と聞いて想像するような「近世の城」ではなく、
はるか昔、飛鳥時代の古代の山城です。
吉野ヶ里遺跡は弥生時代(200年ごろ)のものですが、
鞠智城は660年ごろ、大和朝廷が日本を治めていた時代に、
朝鮮半島からの侵攻に備えて作られた古代山城です。
当時、朝鮮半島には、百済、新羅、高句麗という3つの国がありました。
しかし、660年に、日本と友好関係にあった百済が、中国を支配する唐と新羅の連合軍に攻め込まれました。
救援を求められた日本は援軍を送りましたが、
663年、白江村(はくそんこう・はくすきえ)にて大敗をしてしまいます。
百済が攻め滅ぼされた今、日本にも唐・新羅連合軍が攻め込んでくるのではないか。
当時の天智天皇は、都を内陸の近江・大津宮に遷すと同時に、国防を固めます。
博多湾近くにあった調停機関「那津官家(なつのみやけ)」を防備の為に大宰府に移動。
これが、大宰府の始まりだと考えられているそうです。
また、その大宰府を守るため、百済の亡命者による築城技術を組み入れ、要所に山城を築きました。
大野城(福岡県)、基肄城(きいじょう)(佐賀県)、金田城(長崎県)が造られました。
ここ鞠智城はこれらの城への食料、武器、兵士の補給支援基地とみられています。
手前の建物が、米の保管場所とされている建物です。
高床式・校倉造り・ねずみ返し、と、当時の米倉の特徴を兼ね備えています。
三角形の木材を使った校倉造りは、奈良の正倉院と同じ造りですね。
この米倉には、1,200俵の米を保管することができたそうです。
あれ?遺跡をみたがっていた張本人は、すっかり虫捕りに夢中。
鞠智城の虫さんたちは、なかなか手ごわかったようですよ~。
ま、そんなもんですな・・・・
鞠智城のシンボル、八角形の鼓楼です。
最上階に太鼓を置いて、連絡に使っていたと考えられているそうです。
八角形というと、法隆寺の夢殿を思い出します。
百済の文化なのでしょうか。
もちろん、建物は復元です。
建物の前には説明プレートがありました。
柱などの跡から、どんな建物だったのか考える・・・・難しいけれど、楽しそうです!
防人(さきもり)達が寝起きをしてい建物です。
東国から国防のために、はるか遠く九州に連れてこられた防人たちの心情を思うと、
ちょっとぐっときました。
私の出身地の愛知県からも、たくさん来ていたようです。
当時と変わらぬ山並みを眺めてみる。
復元されている建物は少ないものの、とても重要な遺跡であると感じました。
吉野ヶ里遺跡に比べて認知度も低く、熊本県ではもっと多くの人に知ってもらおうと、
東京でアピールしたりしているそうです。
ただ、地元でも認知度はイマイチだなあ、と感じました。
古代の東アジア情勢は、今、国境を越えて盛んに議論されているホットな分野です。
私たちが歴史を学習したころとは随分違う東アジア像が明らかになってきてもいます。
歴史の教科書の記述も、変わってきているとのこと。
韓国の歴史ドラマも今日ではたくさん放送されて人気を得ていますよね。
日本の歴史、韓国の歴史、そして中国の歴史をあわせてみていくと、
ダイナミックな東アジアの歴史がみえてきそうです・・・・!!
飛鳥の朝廷―古墳(大和)時代・弥生時代 (小学館版学習まんが―少年少女日本の歴史)
小学館 1998-02 by G-Tools |
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