019|まる・いち・きゅう

019|まる・いち・きゅう

丸い地球をまわりながら考えていることの記録

2024年は4月から7月まではピースボートの地球一周の船(Voyage117)に乗船します。また、2024年度秋学期は早稲田大学と立教大学で非常勤講師として授業を持ちます。

 

  講演(一部)

 

●2024.01.25

地方公務員退職者協議会学習会


●2024.01.27

国際理解教育学会「1974年ユネスコ教育勧告」改定記念イベント

 

●2024.01.28 

埼玉県教職員の平和集会「教え子を再び戦場に送らない」

 

 

●2024.03.24

草加革新懇 総会 2024「戦争でなく平和の準備を~いま私たちができること」

 

●2024.03.31

カフェスロー「若者が夢と希望が持てる世界をどう構築するか」

3/31(日) 「若者が夢と希望が持てる世界をどう構築するか」

 

●2024.07.30

PARC自由学校 02.圧倒的な武力・暴力を前に民衆は何を…?平和のための「紛争」論「絶望と希望が隣り合わせのこの世界で――それでも行動するということ」

 

●2024.10.19

川口母親大会

 

●2024.10.27

2024 こどもの未来をひらくみやぎ教育のつどい

 

●2024.11.03-04

NPO地域共生を支える医療・介護・市民全国ネットワーク
第3回全国の集い in 福岡 2024

 

  執筆

 

●雑誌『世界』2月号「絶望と希望が隣り合わせのこの世界で──なぜ行動するか」

 

 

●『ひろしまレポート2024年版』コラム「G7広島サミットから核軍縮をどのように導くか」(2024年春刊行予定)

 

  メディア

 

●2024.01.07 TBS「サンデーモーニング」新春SP 
●2024.02.04 TBS「サンデーモーニング」
●2024.03.03 TBS「サンデーモーニング」

●2024.03.29 J-WAVE「JK RADIO TOKYO UNITED」WORDS FROM THE FIELD

●2024.04.05 J-WAVE「JK RADIO TOKYO UNITED」WORDS FROM THE FIELD

●2024.04.07 TBS「サンデーモーニング」

 

  その他

 

●2022.02.22 #さようなら自民党政治 裏金政権NO!増税脱税NO!(スピーチ)

 

100日あまりの地球一周の船旅から帰ってきてちょうど1か月。もう長いことこの仕事をしているのに、本当に地球を一周したなんて信じられないと毎回思う。そして久々の地球一周なのですっかり忘れていたのだが、ちょうどこのくらいの時期に、一緒に船に乗っていた人たちがとても恋しくなる。

 

昨今のピースボートには、日本に加えて、シンガポール、マレーシア、タイ、中国、韓国、台湾、香港など、アジア各地から乗客が参加する。昨日はシンガポールの人から「澄子が夢に出てきたの!」と連絡があり、一昨日はマレーシアの人から「明日からメッカに巡礼にいくけれど、2月の終わりにはマレーシアに戻るから絶対に遊びに来て」とのメッセージ。なんだか懐かしくなって船から持ち帰ったあれこれを整理していたら、韓国の方が降り際に紙ナプキンに(!)したためてくれたお手紙が見つかった。グーグルレンズ翻訳によると「澄子さんのことが恋しくなったら船で見ていたように青い空を見上げます」とのこと。「私は死んでないぞ!」と突っ込みながら、笑みがこぼれる。これは私たちが100日かけて築き上げた、国境をこえた、顔の見えるつながり。また会いたい、何かあったら手を差し伸べに駆け付けたいと思える関係。私が思う、小さいけれどとても大事な平和のいしずえだ。

 

船旅の間に形を変えて何回か、中国、韓国、日本の若者で歴史教育や歴史認識をテーマとした企画を行った。準備のプロセスも含めて本当に面白かった。学校教育の文化を比べ、教科書を比べ、カリキュラムにおける重点テーマを比べ、互いの国に対して持つイメージを比べた。なぜみんなそれぞれに自分の国が被害国だと思っているのか、なぜこうも私たちの歴史認識はすれ違うのか、私たちの世代に責任はあるのか、どこに未来へのヒントがあるのか。多少のことでは関係性は揺らがないという信頼のもと、普段は聞けない様々なことをお互いに聞いた。着地点が見つからないと焦りながら、何度も何度も話し、手繰り寄せるように自分たちの思っていることをひとつずつ言葉にしていった。ようやくできあがった75分の企画を終えたら、ものすごく晴れやかな気分になった。「中国と日本は・・・」「韓国と日本は・・・」と評論家はいうけれど、私たちは分かり合えるということを、誰よりも私たちが知っている。

 

分かり合えないことがあっても人と人はリスペクトをもって共存できるということも、船旅を重ねながら得た大きな学びだ。ふとしたことで意見が真っ向から対立することはある。なんなら、よくある。意見が分かれそうなテーマを扱った企画のあとに「畠山さんと話がしたい」と呼び出されてドキドキしながら駆けつけると、案の定「さっきのあの話は納得できない」と言われる。私も納得できなくて、議論が始まる。その場で決着はついたりつかなかったり。しかし本気で意見を交わすと、まずはその真摯さを互いに称えたくなったりするのだから不思議なものだ。最終的に「あなたの意見には納得はできないけれど、あなたの情熱と本気度は伝わった」などと言われ、「agree to disagree(意見が違うことを認め合う)」で終了。でも、少ししてからレストランで再会したら、なぜか「How are you?」と声をかけてしまう。意見が違う人たちを仲裁していたら、ひょんなことから糸口が見つかって「なーんだ、だからそう考えていたのか」なんてあっさり決着がつくこともある。まずは愚直にぶつかってみなければ何がどう運ぶかはわからない。

 

100日間を共に過ごすというのは、言うほど簡単ではない。自分を繕って「いい人」で居続けるには長すぎる。適度に自分をさらけ出して、納得がいかないことは言葉にして、でも明日また朝ごはんで会うかもしれないその人と関係性を保とうとする…そんな絶妙な力学で保たれる100日間。それは、向き合うということであり、逃げないということであり、腹をくくるということ。今どきの言葉で言えば「関係性にコミットする」ってやつか。それとなく付き合っていればなんとなく人間関係が成り立って、嫌になったらシャットアウトできるデジタル主軸の関係性とは真逆。時代と逆行するような泥臭い感じ。はっきり言ってしまえば面倒で、時につらい。でもその先にある関係性はプライスレスだと私は思う。

 

だから私はきっとまた船に乗る。

うしろ向きな言葉が好まれない社会なのは知っている。何かにNOというよりも、何かにYESというほうが受け入れられやすい。というか、NOというヤツは嫌な感じ。言わんとしていることはわかる。

 

それでもこの数か月ガザで起きていることに対して、NO以外の言葉が私には見つからない。普通の人が普通に暮らしているだけなのに爆撃を受け続ける約3か月。私たちがハロウィンだと浮かれ、クリスマスだと浮かれ、紅白だカウントダウンだおせちだ初詣だと言っている間ずっと、ガザの人は逃げている。そして死んでいる。子どもは10分にひとりのペースで死んでいる。加えていうと、イスラエルがガザを攻撃するのは今回が初めてではない。2007年にガザが完全に封鎖されて逃げ場がなくなってから、2008年も、2012年も、2014年も、2021年も、2022年も、イスラエルはガザを攻撃してきた。そして今回、イスラエルの閣僚の一人はガザへの原爆投下を一つの選択肢だとまで言った。これでも「STOP KILLING」というのは「主張が強すぎ」ですか?

 

そんなことを考えている間に、2023年がおわり、2024年がやってきた。私はあけまして「おめでとう」とは、どうしても言えなかった。それはそれ、これはこれ、とも思うのだが、どうしても言えなかった。

 

年明け最初のニュースは能登半島地震。今も刻一刻と被害が拡大している。自然災害の圧倒的な破壊力を、また見せつけられている。ピースボート災害支援センター(PBV)のスタッフはすでに被災地に向かった。この寒い季節、どうかひとりでも多く救出されますように。被災した人、家族を亡くした人にとっては、ここからが本当に大変なのだと思う。着実な支援を重ねていきたい。

 

ただ、この二日間、11月にギリシャで出会ったパレスチナ人に投げかけられた「私たちの存在価値は、他の人より低いですか」という言葉が浮かんでは消える。地震のニュースで正月特番がすべて飛んだテレビをぼうっと眺めながら、人の命の重さは違うし人の命には国境があると、むなしくかみしめる。ウクライナもガザも、年末の振り返りでしかもはやメディアは扱わない。そんな中、国内で起きた地震はメディアを埋め尽くし、誰もが「できることはなんでもしたい」と思っている。戦争と自然災害は違うと人は言うのかもしれない。でも、巻き込まれる市民の立場にたてば、そこに何も違いはない。ただ普通に生きていただけなのに、暮らしを奪われ、故郷を奪われ、命を奪われる。というか、戦争こそ、人が起こしているのだから、止められるはずではないのか。

 

先日(12月28日)NHKの「おはよう日本」に出演する機会をもらった。「国内外ともに暗いニュースが多い1年だったが、ひとつひとつに解決策は必ずある、思いを言葉にしていくことが大事」と言った。「思いを言葉にすれば同じ気持ちの人が見つかるかもしれないし、それがきっと何かの行動につながっていく」とも言った。ただ、それは翻せば、言葉にしなければたくさんのことがなかったことになってしまうということでもある。

 

何かを言葉にすることには少しの勇気がいる。NOを言葉にすることにはもっと勇気がいる。でも、そのNOは誰かが心底必要としている言葉かもしれない。初めて「サンデーモーニング」にコメンテーターとして出演することになった昨年2月、性的マイノリティや同性婚について差別発言をした首相秘書官のニュースがあった。コメント内容について相談した当事者の友人に「あの発言はダメだと思っている大人がちゃんといるということを公共の電波で示してほしい」とまっすぐに言われた。10月、東エルサレムにいるパレスチナ人の友人に「私たちに何ができるか」と尋ねたら、とにかく世界に向けてガザへの攻撃は許されないと発信してほしいと言われた。

 

私の経験上、NOと声をあげることに必要なのは、ひとりの味方だ。たったひとりでいい。ひとりでいいからぶれずに「私もNO」と言ってくれる人が見つかれば、NOという勇気が持てる。私は今年もその味方をさがすために、自分の気持ちを言葉にしながら、おかしなことにNOと言い続けようと思う。

 

*ガザについて知識を得たい方は大和書房から緊急出版された岡真理さんの『ガザとは何か:パレスチナを知るための緊急講義』がおススメです。

地球一周中です。地球一周中なのですが、この5日間だけ船を離れて日本にいました。サンデーモーニングに出て、その他いくつかの用事を超特急でこなし、とんぼ返りです。その間に船はポルトガルからイタリアへ。なので私はイタリアへ飛びます。ここのところ日本↔北米の移動が多かったのでヨーロッパに飛ぶのは何年ぶりだろうか。

ピースを掲げる船で、ぜんぜんピースにならない世界をまわっている。自然災害で地球が悲鳴をあげ、人が死に、ウクライナの戦争は終わらず、ガザではこの3週間で3000人を超える子どもが死んだそうだ。船で一緒に働いているウクライナのクルーはこのクルーズが始まってからお兄さんが戦死した。ガザにいる友人は「また」家を追われ、5人の子どもと逃げている。

ひるがえって私は衣食住に困らずに大きな船で悠々と世界をまわっている。同じ空のもとに広がる景色のあまりの乖離に吐き気がしながらも、自分に同じことが起きたときに私は世界に何をしてほしいかを、ずっと考えている。

「これ以上命が奪われてはいけない」「殺すな」

なるベく大きな声で言うこと。何度でも言うこと。世界に発信すること。

そのために私たちは船を使う。今後寄港予定のピレウス(ギリシャ)、イスタンブール(トルコ)、ポートサイド(エジプト)で、【STOP KILLING GAZA】と書いた巨大バナーを船体に吊るします。これまででいちばん大きな船があるなら、私たちはこれまででいちばん大きなバナーを掲げる。

世界中で起きているデモにのせて、私たちは海から声をあげる。

 

***

 

追記:ピースボートで行ったバナーアピールの様子はその後各種メディアに取り上げられました。

 

 

 

 

明日から船。最後の追い込みだ!って意気込んでいた朝、届いた訃報。ちゃんと向き合ったら気持ちが全部そっちに持っていかれそうで、見なかったことにした。自分の気持ちに蓋をした。見なかったことにすれば、なかったことになるかのように。

夕方になって「中西さんが亡くなったの、実は結構こたえてるんです」って、大先輩である同僚にそれとなく言ってみたら、涙が溢れそうになったから、語尾を早口にしてパソコンのスクリーンに集中した。

夜、明日から船だからデスクを片付けていたら中西さんからの年賀状が出てきた。今年の1月のもの。こちらからの年賀状への返信だけど、さらに返信したくなって「要対応」のファイルに入れてたわけさ。ほんと私はものごとを後回しにするの、最悪だよほんと。遅いんだってば。

明日から船に乗って来週から地球一周の船旅に出る。最近はショートクルーズと部分乗船ばかりだったので、地球一周の船旅は中西巌さんと一緒に乗った63回クルーズ(2008年)ぶり。このタイミングってことは、中西さんが「存分に楽しんでこい、しっかり核廃絶を訴えてこいよ」って言ってるってことなのかもしれない。と、都合よく解釈するくらいしか私はこの訃報を消化する方法を知らない。

地球を旅するカフェの心底美味しいケーキを食べながら、ずっと考えていた。今日はクリスマスイブ。ハンナになんて声をかけようか。

ハンナはウクライナ南部ヘルソン出身のピースボートの元船員。戦火を逃れ、今はルーマニアで暮らしている。ロシアのウクライナ侵攻が始まった時に生後4ヶ月だった息子さんは、もう1歳だ。今日はどんな気持ちでいるだろう。メリークリスマスでいいのかな?…そんな中、今日もヘルソン市砲撃のニュースが入る。クリスマスイブに故郷が破壊されるニュースを聞くのはどんな気持ちだろうか。少し前に話をした時は「悲惨なニュースばかりで悲しむことも驚くこともなくなった」と言っていた。考えて、悩んで、「愛と祈りを送ります」としか言えなかった。いつも代わり映えしない言葉。つくづく自分が嫌になる。

先日、ピースボートがずっとお世話になっているガザ地区のザヘルさんのインタビューを訳した。昨年5月のイスラエルの攻撃で家が破壊されたザヘルさん。子どもたちに願うことは?との問いに「人生が子どもたちにとってフェアであること」と答えていた。ザヘルさんはこれまでの人生で「こんなのフェアじゃない」と、どれだけ憤り、どれだけ踏ん張ってきたのだろう。

戦争は市民にとって、いつもフェアじゃない。どちらの市民にとっても。大きな正義語りにのみこまれて、自分たちの幸せを自分たちで当たり前に手に入れられるフェアさを失わないように、私は戦争ではなく平和を訴える。

ふたつきほど前、天声人語の3人の「中の人」のうちのひとりが女性になった。天声人語史上初めての女性筆者だそうだ。遅すぎるかもしれない。でも私は嬉しかった。「そういうわけで、今日から小欄の担当は、おじさん2人とおばさん1人になった。」というその部分を、思わず頬を緩ませてしまいながら読んだ。

その数日後、ふとしたきっかけから、その「中の人」が私の大先輩の郷富佐子さんだと知った。もう10年以上も前になるけれど、会ったこともある人。(たしか)築地の朝日新聞本社でお茶をして、がんばってね、って声をかけてもらった。

中の人が郷さんだと知ったときのはじけるような驚きと、嬉しさと、湧き上がるエネルギーみたいなものを最近になってもたまに思い出す。身近な人が、きっと私も想像のできないような様々なものとたたかいながら、時に理不尽な思いやプレッシャーも感じながら道を切り拓いていると知ることがこんなにも力をくれるのか、と。エンパワーメントって、こういうことなのかな、と。

毎朝これは郷さんかなと思いながら天声人語を読む。今日もそう。今日の天声人語を書いたのは郷さんかもしれないし郷さんじゃないかもしれないけれど、最後の2文を何度も何度も読んだ。

「戦争はあらゆる心を破壊する。だからどれだけ遠くても、どれだけ困難でも、やめさせなければいけない。」

福島原発事故後の2011年夏、何かできることはないかとピースボートスタッフが南相馬を訪れた。なかなかできそうなことが見つからず、おそるおそる不謹慎を承知で「ちなみに子どもたちを船に乗せることはできるんですけど…」と言ったら「そういうのをぜひお願いしたい!」と言われて始まった【福島子どもプロジェクト】。「こんな時だから子どもたちには世界をみて、夢を膨らませてもらいたい」と地元の人たちに背中を押され、49人の中学生が船に乗った。それから11年。これまで船に乗った南相馬の中高生は100人以上。

 

コロナがあり、2019年を最後に実施できていなかったこのプロジェクトを、今夏3年ぶりに小規模ながら再開しました。まだ船は出ていないので、広島への4泊5日のピーススタディツアーという形で。

 

 

私はただのサポート役だったのだけれども、毎日現地から届く日報をブログ記事にまとめながら、このプロジェクトを続ける意味をじんわりと噛みしめる日々だった。

 

飛行機に乗ったことがない、広島は厳島神社が楽しみ、って言っていた中学生が、5日間でいろんな人に出会い、戦争について学び考え、ベタな表現だけど、なんだかしっかりとした顔つきで、南相馬に帰っていった。

 

 

今年参加したのは中学1年生。原発事故の記憶はない。福島の事故は到底収束していないとはいえ、ご家族も地域も、いま命の危機にあるわけではない。その意味では緊急支援のようなものではないし、プロジェクトが当初持っていた「保養」の要素もなくなった。だけど、10年を区切りにプログラムを打ち切る団体も多い中で、つながって、一緒に視野を広げ、社会と世界のこれからを考えるパートナーであり続けることが大事なのだと、突然腑に落ちた。大きなプロジェクトではなくても、何かが終わったからって勝手に終わりにしない関係をたくさんたくさん持ち続けることが、社会がいろいろな人にやさしいものになるヒントなんだと思うのです。ちょっと舌ったらずですが。

 

担当したスタッフが、考え抜いた末にプログラム修了証に記した言葉が私は好きだ。

今回のプログラムの中で感じ、経験したことが、人や世界と繋がる楽しさ、学ぶことの大切さを知るきっかけになっていれば嬉しいです

シンプルだけど、とても素敵な言葉だと思う。

 

 

プロジェクト実施にあたりご支援・ご協力くださったみなさま、本当にありがとうございます。

 

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👇「福島子どもプロジェクト2022夏休み」開催概要

https://peaceboat.org/42772.html

 

👇「福島子どもプロジェクト2022夏休み」日々の様子(Facebook投稿へのリンクです)

 

【福島子どもプロジェクト2022夏休み:1日目】

https://www.facebook.com/peaceboatvoyage/posts/8717072968318685

 

【福島子どもプロジェクト2022夏休み:2日目】

https://www.facebook.com/peaceboatvoyage/posts/8722398641119451

 

【福島子どもプロジェクト2022夏休み:3日目】

https://www.facebook.com/peaceboatvoyage/posts/8727310277294954

 

【福島子どもプロジェクト2022夏休み:4日目】

https://www.facebook.com/peaceboatvoyage/posts/8731425553550093

 

【福島子どもプロジェクト2022夏休み:5日目(最終日)】

https://www.facebook.com/peaceboatvoyage/posts/8734743436551638

私は明日、李鐘根さんと広島でお好み焼きを食べる約束があったんです。李さんのおうちの近くのお好み焼き屋さんで。11時半に駅に着く予定で、「そこから歩けますかね、李さんのおうちまで?」って聞いた私に「歩ける歩ける。15分もありやあ歩ける。でもタクシーもワンメーターよ」と楽しそうに教えてくれたんだけどな、李さん。あれは1週間前のこと。

 

李さん。わたし、駅から歩くかタクシーか悩むことはなさそうです。李さん、今朝亡くなりました。私はお好み焼きを食べに行きません、明日。

 

昨年の8月5日、私はやっぱり広島にいて、韓国人被爆者の慰霊祭に足を運んだ。李さんは献花をしながら嗚咽をもらしていた。私はその姿を見ながら、前日に李さんが言っていた言葉を何度も何度も反芻していた。「被爆者で、在日コリアン。本当に色々な差別をされたよ。今でもある。でももうしかたないと思うしかないね」。そんなことを言わせてごめんなさいと、李さんの後ろ姿をみながら情けなくて涙がこぼれた。

 

涙といえば私と李さんの出会いは涙まみれ。2012年のイスタンブール。李さんが初めて本名(民族名)を名乗り、被爆を語った地球一周。被爆証言をする李さんに通訳として付き添って、メディアのインタビューを受けながらふたりでボロボロ泣いた。私は李さんが泣いたからもらい泣きしたと思っていて、李さんは私が通訳しながらとめどなく泣くから思わず自分も涙が溢れたと言う。通訳なのに泣くなんて、って言う人もいるかもしれないけれど、あの時の私と李さんはふたりでひとりみたいになっていたから。そのあとブルーモスクをふたりで堪能したのもいい思い出。

 

またひとり、私の心の支えとなる被爆者が亡くなったけど、私はその分強くなってみせる。核兵器のない世界も、差別のない世界も諦めない。諦めないというか、当たり前に誰しもの命と尊厳が守られる社会がいいと思うので、当然のこととしてたたかい続けます。

 

李鐘根さんのこと、ぜひ読んでください。

https://d4p.world/news/11909/

 

 

追記(2022/08/11):

李さんについて、広島にいるジャーナリストで友人(と言うのは畏れ多いですが)である宮崎園子さんが記事を書かれています。

 

原稿から削られた6文字 原爆の日1週間前に急逝した韓国人被爆者の"遺言"とは

https://www.buzzfeed.com/jp/bfjapannews/hiroshima2022

 

 

先月、三田村静子さんと本当に久しぶりに会った。私たちは2008年のピースボートで一緒に地球一周をした。4ヶ月の「証言の航海」。

「畠山澄子です」って言ってもわかってもらえなくて、忘れられちゃったかなと少し寂しく思っていたんだけど。そのあと集合写真の時に誰かが「澄ちゃんどこね?」と大きな声で言ったら「澄ちゃん?!」と。まさかの三田村さんの脳内メモリに本名登録されていなかったというオチでした。まわりの人には「すみちゃんは全然変わらない」と言われるのに、三田村さんはしきりと「立派になって!見違えて!」と喜んでくださった。



来週早稲田の学生を連れて長崎に行く。学生は班ごとにテーマを決めて自主的に動くのだけど、今学期私の授業をとっていた子が「証言を聞きたいのでどなたか紹介してくれませんか」と連絡をしてきた。忙しい時期なのを承知で無理を言って三田村さんに証言をお願いすることにした。

三田村さんと出会って14年。核兵器をめぐる世界の情勢は前進と後退の繰り返し。今年に入ってからはあまりにも冷静さを欠いた国内世論が目立つ。だからこそ、私は学生とともに三田村さんに会いに行く。核共有とか、核抑止は必要だよねとか、軍事費あげたほうがいいよねとか、そういう意見を目にしたときに、学生が三田村さんの言葉を思い出せるように。

三田村静子さんのことは、ここから読んでください。ストーリーからもとべます。
http://www.asahi.com/hibakusha/shimen/nagasakinote/note90-07.html