「よかったさがし」

ふっと幸せな気持ちにしてくれる「よかった」はまわりにたくさん転がっている。
それを見落とさない感性を養うために日々感じ、考え、学ぶことを怠ってはいけない。
その日がどうなるかは自分次第。

フィラデルフィア美術館にロダン美術館、バーンズ美術館など、世界的にも有名な美術館が立ち並ぶフィラデルフィアのフェアマント地区。この一角に一帯を要塞でぐるっと囲まれた東京ドームほどの広さの敷地がある。19 世紀前半に世界最初の近代的な刑務所として建てられたイースタン州立刑務所だ。中央の監視塔を中心に7本の廊下が放射線状に延びており、廊下の両側には独房が続く。日本の刑務所の前進である明治時代の集治監と呼ばれる施設もこのデザインを真似ている。

 

 

独房の中には小さな天窓がひとつあるだけ。囚人は人との接触が許されず、独房には食事用の小さなドアしかない。廊下には出られないようになっていた。私がこの刑務所を訪れた日の気温は氷点下。ホワイトハウスよりも早くセントラルヒーティングと水道が整備されたことで当時の基準でいえば先進的な施設だったようだが、真冬の寒さを囚人らがどのように凌いだのかはとても想像できなかった。

 

1971 年に刑務所としての役目を終えたイースタン州立刑務所は、今は年間20 万人が訪れる博物館となっている。フィラデルフィアの大学教授や市民団体などが協働で工夫を凝らした展示は充実していた。アメリカでは薬物戦争(War on Drugs)として薬物の取り締まりを強化した結果、刑務所の収容人数が右肩あがりになり持続不可能な状況になっていること、妊娠した女性が刑務所で出産・子育てをするケースも多く医療システムの整備が追い付いていないこと、刑務所に収容される人の人種に大きな偏りがあること、刑務所に一度でも収容されたことのある人にはその後投票権が与えられない州が12 もあることなど、多くを学んだ。

 

不謹慎に楽しそうと言われてしまいそうですが・・・。無料で借りられるオーディオガイドがとても充実していました。

 

イースタン州立刑務所は英語でEastern State Penitentiary だが、Penitentiary の語源となるPenitence は「後悔」の意味を持つ。イースタン州立刑務所のような設計の刑務所は監視や拘束が目的だと思われがちだが、実は独房の採用の背景には孤独と向き合うことこそが真の反省、そして更生につながると考えた創設者の思いがあった。それまでの牢獄は誰彼かまわず大部屋に収容し、「社会に悪人を逃がさないこと」が優先されていた。

 

イースタン州立刑務所は毎年ハロウィン前後にお化け屋敷を行っています。またシカゴのギャング、アルカポネが7カ月過ごしたことでも有名です。

 

刑務所のあり方は社会の発展とともに変わる。いまでは孤独と向き合うよりも共同作業による社会復帰をめざす国も多い。展示は各国の刑務所の理念を紹介しながら、刑務所がめざすべき姿は決して一つでないことを強調していた。犯罪者を社会に受け入れ、法の秩序を守る社会を実現するとはどういうことなのかをイースタン州立刑務所は訪問者に問う。

 

(SAITAMAねっとわーく4月号 PDF版はこちらから)

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ニューヨーク国連本部で核兵器禁止条約にむけた交渉が始まった。

 

会議用のパス

 

この会議の初日の昨日3月27日(月)、広島で被爆をした藤森俊希さんが証言をした。私は藤森さんの証言を同時通訳するというミッションを受け、会議に参加した。
 

7分。
 

藤森さんと私はここに72年間分の思いを込めた。
 

私は今回、藤森さんの思いを国連の会議に参加しているすべての代表者にしっかり伝えたい人間として通訳という役割を引き受けた。だから、藤森さんと同じくらい緊張した。
 

主役は藤森さん。あの日、あの時、あのきのこ雲の下にいた藤森さんが自分の目の前にいるということを、聞く人は感じる。それが被爆者の証言の力。
 

国連総会本会議場で証言をする藤森さん

 

だけど、かなしいかな通訳は脇役にも関わらず証言を台無しにする力を持っている。みなさんは当日、藤森さんの姿をみて、でも私の声を聞く。

 

文書の翻訳や逐次通訳の場合、発言すべてを訳した上で、聞き手に聞きやすいように少し情報を加えたり、順番を変えて同じ情報を伝わりやすくしたりすることができる。しかし同時通訳は違う。発言者の発言しているのとほぼ同じタイミングで同じ意味の訳が流れることが大事。何よりも、藤森さんの気持ちが伝わらなければ意味がない。
 

藤森さんには原稿をもらってから、わかりにくいところを指摘したり、説明を求めたりした。英語でも力強いメッセージになるように、日本語を変えてもらった部分もある。ピースボート川崎さんと一緒に核軍縮の最先端の事情を反映させるようにこまかな表現について時間をかけて議論した。
 

前日に読み合わせをした。どうしても英語が長すぎて追いつかない部分があった。その部分に印をつけて、藤森さんには原稿に「ゆっくり」と書いてもらった。その上で、その部分で不要な英単語をひとつずつ吟味して削っていった。正式名称などが長い場合は公式の原稿には残しても、口頭では簡略化した。
 

最後に、藤森さんとの会話や原稿の推敲の過程を思い起こしながら、藤森さんが中でも伝えたいと思っているところ、つまり強調するところを考えて線を引く。
 

―死ぬと思われた自分が今日この地で核兵器廃絶を訴えている奇跡。
 

―母の思い。母への思い。
 

―日本政府への失望。
 

―そして各国の代表に思い起こしてもらいたい核兵器禁止条約の意義。
 

その部分であせらなくていいように、もう一度前後の文章を見直す。
 

ブースに入ってひとりでもう一度原稿を読み直す。そして出番を待つ。藤森さんが壇上にあがって、礼をした。おもわず私も、礼。
 

深呼吸して祈る。
 

「藤森さんの声よ世界へ届け」

 

開会前の同時通訳ブースから
 

私は9年前に「核兵器が100年使われない世界をつくるためにはあなたの世代の協力が必要だから」と今は亡き長崎被爆者に言われた。それが私を支えている。同じように、誰かの一言が外交官を揺さぶるかもしれないと私は本気で思っている。政治というのが国益とか、国民の意見とか、安全保障上の事情とか、外交関係とか、色々な事情でなりたっているのなんてわかっているよ。私だってバカじゃない。私はそれでも人間一人の力の大きさを信じる。結局すべては人間同士のやりとりでなりたっているんだもの。
 

だから、どうしても藤森さんが7分に込めた思いを余すところなく伝えなければいけなかった。
細かい反省点はたくさんあるけれど、大役を務めた藤森さんはほっとして国連の食堂でマグロのにぎりを食べて笑顔だった。私と藤森さんは今度会った時には一緒にスキーをしようという約束をした。藤森さんは川崎さんに「スキー仲間ができたよ」と笑って話していた。

 

発言を終えた藤森さんと
 

【ちょっと専門的な後記の後記】
 

広島・長崎への原爆投下から72年。やっと核兵器を法的に禁止しようという動きが本格化した。今週と、そして少し時間をあけて6月~7月にかけてとの2回の話し合いで、各国代表はこれをどのような中身の条約にするかを話し合う。核をもっている国はこの会議に参加していない。核をもっている国に安全保障を頼っている国も参加していない国が多い。日本は原爆を経験しているけれど、参加していない。それでもこの条約には意味があると多くの関係者が思っている。私もそう思っている。人の安全・安心や人の道に反するものをダメとすることに法律の意味がある。そもそも北朝鮮のような国が核兵器を保有・使用する可能性があるから核兵器禁止条約に参加できないというアメリカらの主張は論理が逆だ。世界には核兵器保有国より核兵器非保有国のほうが圧倒的に多い。核兵器に反対する国が条約をつくり、多くの国がそれに批准すれば、法律で裏付けられたひとつの価値観ができあがる。生物兵器や化学兵器、地雷やクラスター爆弾がこれまでそうやって廃絶への道を歩んできたように、核兵器禁止条約も核なき世界に向けた具体的な一歩になってほしい。

 

 

★藤森さんの証言はこちらからご覧になれます(03:55あたりから)。証言原稿はこちら

 

追記(2017.04.01)

後日、オーストリアの軍縮大使が条約の前文に『ヒバクシャ』という言葉が入ることにほぼ間違いないと語っている様子が毎日新聞で報道されています。

⇒ 「前文にヒバクシャ」…条約見通し

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トランプ氏が第45 代アメリカ合衆国大統領に就任した翌日の1 月21 日、アメリカ各地で大規模なウィメンズマーチ(女性の行進)がおこなわれた。マイノリティや女性を蔑視する発言を繰り返してきたトランプ大統領に抗議の声を届けようという目的だ。その波は国外にも広がり、主催者の推定では世界80 カ国・670 カ所で470 万人を超える参加者が路上に繰り出したと言われる。

 

私もフィラデルフィアのマーチに参加した。50 万人が参加したとされるワシントンDC には及ばないが、フィラデルフィアのマーチにも当初の見込みを大きく上回る5 万人が参加した。あとからニュースで見てみると、街の中心部のローガン広場から映画『ロッキー』で有名な階段のあるフィラデルフィア美術館までの1.6 キロが人で埋め尽くされていた。

 

ベンジャミンフランクリンパークウェイが人で一杯になった。正面がフィラデルフィア美術館。

 

マーチを終えて一息ついたところで「どうだった?」と日本の友人からのメッセージ。私は迷わず「楽しかった!」と答えた。そう、とっても楽しかったのだ。そして元気になった。

 

マーチには私のように学校や職場の仲間と参加している人もいれば、子連れやカップルもいた。若い人も多かった。参加している人の多くが自作のプラカードを持参していた。「Love Trumps Hate(愛は憎しみをこえる)」のような定番のものもあれば、60 年代のウーマン・リブ運動に参加していた女性の「まだ『これ』に反対しないといけないなんて信じられない!」などといったものもあった。主催者の演説の中で印象に残ったのは、1911 年に女性の参政権を求めるアメリカで最初の屋外集会がおこなわれたのも、ここフィラデルフィアだったということだ。かつての女性の勇気を無駄にしてはいけないとみなが感じたであろう。

 

 

トランプ大統領の誕生は、「気に入らない人たちは排除して自分たちのことだけを考えていれば国は再び強くなれるのだ」という主張が、少なくとも国民の多数に支持されたという意味で衝撃をもたらした。しかし、その主張への不支持を自分たちの言葉と行動できちんと示そうとしている人たちがいることが証明された。

 

今回アメリカのいたるところでマーチがおこなわれたように、まずは街や州のレベルで政治的な対話の場をきちんとつくっていくことが、トランプ大統領を生み出してしまったこの国の現状と向き合うということなのだと思う。今回のマーチはそのはじまりに過ぎない。

 

声をあげても意味がないという人もいる。そのような人には言いたい。「声を届けるための必要条件は声を上げることなのだ」と。

 

大学の仲間やスタッフと。学部の教授の姿も見かけた。

 

(SAITAMAねっとわーく3月号 PDF版はこちらから)

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待ちに待った冬休み。グランドサークルを訪れた。グランドキャニオンに加えてモニュメントバレーやアンテロープキャニオン、デスバレーなど、この国の広大さと自然の織り成す美しさを心ゆくまで楽しんだ。ツアーの発着地のラスベガスは街全体がテーマパークのような場所。私でさえもちょっぴり浮かれた気分になり、カジノでルーレットに挑戦してみた。

 

アンテロープキャニオン

 

旅の終盤、『地球の歩き方・ラスベガス』に小さく「核実験博物館」なるものが紹介されているのを見つけた。すっかり忘れていた! 1951 年から1992 年にかけて計928 回もの核実験が行われたネバダ核実験場(NTS) は、ラスベガスのあるこのネバダ州に位置するのだ。

 

夜も眠ることのないラスベガスの街

 

迷わず足を運んだ博物館は非常に面白かった。きらびやかなラスベガスの繁栄の背景のひとつにNTS の繁栄があることを実感した。1950 年代からNTS には莫大なお金が費やされ、それに伴う経済効果はラスベガスに発展と人口増加をもたらした。観光効果も大きかった。大気圏内での核実験が許されていた1962 年以前は実験のたびにラスベガスまで揺れが伝わり市内からもキノコ雲を見ることができた。これがアトラクションとなり観光客を呼んだ。キノコ雲をあしらったおみやげも大量に売られていたとか。

 

ギフトショップでみつけたポストカード。左はミス原爆コンテストの様子。

 

展示では、NTS は民主主義と自由を守るためにあるというメッセージがきわめてスマートに貫かれていた。核兵器が第二次世界大戦の終結をもたらし、冷戦時代には抑止力として「Hot War(武力衝突)」を回避し共産主義の脅威から民主主義を救ったというところまでは予想通りだった。しかしそこからさらにNTS が核兵器の近代化に果たした役割についての展示が続く。核兵器の近代化は破壊力を高めるだけだと思われがちだが、従来の「重くて汚染度の高い」核兵器に対して「小型でよりクリーンな」核兵器が開発できるようになったとの説明があった。反核運動についてもきちんととりあげ、しかしそこですかさず「核兵器に関しては賛否両論あるがその両方を表現する自由を守るためにも核兵器が必要なのだ」と語るNTS 関係者のインタビューが流れる。放射線のリスクについては、核実験がもたらした環境汚染と人体への影響を踏まえてNTS での活動が本当に必要だったのかと問いかける識者の意見が紹介されたあとに「科学の前進にリスクはつきものだ」とのコメントがあった。NTS では核兵器以外にもテロ対策に関わる訓練や航空宇宙学に関する実験が多く行われてきた。終盤の展示はそれらを紹介し、最後のパネルは「冷戦時代と同じように、NTS はアメリカ国民の安全と安心を守るために今後も邁進していく」と締めくくられていた。

 

館内には史料に加えて模型やミニシアターなどがあり、小さいなりに展示の工夫がなされていた。

 

核は自由と民主主義のために必要不可欠。このメッセージとどのように向き合うのかが試されていると感じた。

 

 

(SAITAMAねっとわーく2月号 PDF版はこちらから)

 

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とある月曜日、いつものように登校してまずは事務のコートニーに挨拶をと思ったが彼女の姿が見当たらない。用事で外出かしらと思い午後にもう1 度彼女のデスクを覗いてみたがやはりいない。次の日も同じだった。コートニーが連続欠勤するなど滅多にない。教授に聞いてみると「陪審員として招集されて裁判所通いだよ」と言われた。結局彼女が戻ってきたのは翌週の火曜日。丸々6日間不在だった。


身近な人が陪審員になるのはアメリカに来て初めてのことだった。コートニーが仕事に復帰したその日、給湯室で彼女をつかまえて思わず質問攻めにしてしまった。なんとコートニー、陪審員はこれで3 回目だと言う。今回は殺人の罪に問われた被告人をめぐる刑事裁判で、12 人の陪審員のうち1 人だけ違う意見だったために裁判が長引いたらしい。アメリカでは陪審の有罪・無罪の評決には全員の一致が必要となる。今回は結局最後まで全員の意見が一致せず評決不成立(hung jury)となったという。この場合基本的には新たな陪審員が選ばれて、陪審をやり直すことになる。

 

陪審員は投票登録をしている、または運転免許を持つ18 歳以上のアメリカ人の中からランダムに選ばれる。陪審員候補者団に選ばれると郵便で案内が送られてきて裁判所で予備尋問を受ける。簡単な適性検査のようなもので、その結果「今回は結構です」となる場合もあるがそれはそれで陪審員としての役目を1 日果たしたことになるらしい。一度陪審員を務めると、その裁判にかかった時間に応じて2 日以内であれば1 年、3 日以上であれば3 年間陪審員としての義務が免責される。ちなみにコートニーは陪審員候補者団として召集されて陪審員に選ばれなかったことがないらしい。しかも30 代前半ですでに3 回陪審員をやっているコートニーってもしかしてすごいのでは?


「でも6 日も仕事を空けるってやっぱり大変だよね」と尋ねると陪審員に選ばれた従業員に対する雇用主の義務についても教えてくれた。フィラデルフィア裁判所の管轄区では陪審を理由にした解雇は違法とされている。しかし、その間の給料を支払う義務はない。ペンシルベニア大学は職員が陪審員を務める際にはその間の給料も満額で支払うそうだが、雇用主によっては無給休暇扱いにするところもあるとか。陪審員には裁判所から最初の3 日間は1 日あたり9 ドル、4 日目以降は25 ドルが支払われるが、経済的な理由で陪審員候補団として召集されても延期を要請する人は少なくないようだ。

 

コートニーは今回の裁判が評決不成立となってしまったことに少なからず失望していたが、「でも投票できる権利がある以上、きちんと陪審員の務めを果たすことは大事だと私は思っている」と言い切っていた。

 

科学技術史学部の事務室。コートニーはここで働いている。

 

(SAITAMAねっとわーく1月号 PDF版はこちらから)

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