李鐘根さんとお好み焼きはもう食べない | 019|まる・いち・きゅう

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丸い地球をまわりながら考えていることの記録

私は明日、李鐘根さんと広島でお好み焼きを食べる約束があったんです。李さんのおうちの近くのお好み焼き屋さんで。11時半に駅に着く予定で、「そこから歩けますかね、李さんのおうちまで?」って聞いた私に「歩ける歩ける。15分もありやあ歩ける。でもタクシーもワンメーターよ」と楽しそうに教えてくれたんだけどな、李さん。あれは1週間前のこと。

 

李さん。わたし、駅から歩くかタクシーか悩むことはなさそうです。李さん、今朝亡くなりました。私はお好み焼きを食べに行きません、明日。

 

昨年の8月5日、私はやっぱり広島にいて、韓国人被爆者の慰霊祭に足を運んだ。李さんは献花をしながら嗚咽をもらしていた。私はその姿を見ながら、前日に李さんが言っていた言葉を何度も何度も反芻していた。「被爆者で、在日コリアン。本当に色々な差別をされたよ。今でもある。でももうしかたないと思うしかないね」。そんなことを言わせてごめんなさいと、李さんの後ろ姿をみながら情けなくて涙がこぼれた。

 

涙といえば私と李さんの出会いは涙まみれ。2012年のイスタンブール。李さんが初めて本名(民族名)を名乗り、被爆を語った地球一周。被爆証言をする李さんに通訳として付き添って、メディアのインタビューを受けながらふたりでボロボロ泣いた。私は李さんが泣いたからもらい泣きしたと思っていて、李さんは私が通訳しながらとめどなく泣くから思わず自分も涙が溢れたと言う。通訳なのに泣くなんて、って言う人もいるかもしれないけれど、あの時の私と李さんはふたりでひとりみたいになっていたから。そのあとブルーモスクをふたりで堪能したのもいい思い出。

 

またひとり、私の心の支えとなる被爆者が亡くなったけど、私はその分強くなってみせる。核兵器のない世界も、差別のない世界も諦めない。諦めないというか、当たり前に誰しもの命と尊厳が守られる社会がいいと思うので、当然のこととしてたたかい続けます。

 

李鐘根さんのこと、ぜひ読んでください。

https://d4p.world/news/11909/

 

 

追記(2022/08/11):

李さんについて、広島にいるジャーナリストで友人(と言うのは畏れ多いですが)である宮崎園子さんが記事を書かれています。

 

原稿から削られた6文字 原爆の日1週間前に急逝した韓国人被爆者の"遺言"とは

https://www.buzzfeed.com/jp/bfjapannews/hiroshima2022