中曽根康弘とは、その後、この海軍の同胞が十数人で集る「青年懇話会」で半世紀にわたって親交してきた仲だ。この会の幹事役をつとめた赤沢璋一は、薬害エイズを拡大した製薬業界の利権問題で重要な鍵を握るとみられる「血友病総合治療普及会」の理事をつとめてきたが、赤沢は通産省の重工業局長からの天下りとして、エイズ研究班が発足した83年には日本貿易振興会(ジェトロ)の理事長にのしあがった人物で、この血友病"救済"組織こそ、安部英が設立したものであった。今年に入って安部英が世間で激しく批判されるようになると、中曽根康弘は居心地が悪くなり、多くの取材記者に対してしきりと、「彼とはそれほど親しくなかった」と弁解をはじめたが、エイズ研究班班長に安部英を選んだのは、ほかならぬ中曽根康弘本人であった。



 安部英の妻は、読売新聞社の最高顧問をつとめた高橋雄豺の三女であった。高橋は、戦前の内務省で警保局警務課長をつとめていた。内務省には当時、思想犯罪を取り締まる目的で、直轄の特別高等警察という特殊機関がもうけられ、"特高"としておそれられた。ナチスの秘密警察ゲシュタポと同じように、あらゆる人間の私生活を追跡しながら、国策に異議をとなえる者があれば有無を言わせず逮捕して拷問にかけ、処刑した恐怖集団である。日本全土で、おそろしい数の人たちが、冤罪や叛逆罪で処刑された時代があった。 高橋雄豺は、その世界から転じて、のち、読売新聞社に入ると、敗戦に至るまで「副社長」兼「主筆」をつとめ、紙面を使って戦争を鼓舞した。



1923年(大正12年)9月1日に大震災が発生後、警視庁官房主事だった正力は、「朝鮮人が謀叛を起こしているという噂があるから、それをあちこちに触れまわってくれ」と自ら流言蜚語を広めて虐殺を煽動し、さらに9月5日には、社会主義者を厳しく監視して、必要あらば検束するように命令していたという。


 スモン病の公害裁判がおこなわれた当時、厚生大臣だった小沢辰男が、スモン病患者の星三枝子さんの病床を見舞うふりをして、謝罪するどころか、裁判をやめるよう驚くべき "忠告"をした。その小沢辰男が、中曽根康弘と同様、安部英と海軍仲間で、しかも安部と共に設立した血友病総合治療普及会の理事として、血友病患者の"治療"にかかわっていた。つまりHIV感染の拡大に深くかかわっていたというのである。前述の天下り官僚・赤沢璋一と同じである。スモン病とエイズの被害が、同じ人間によって放置され、拡大されたのだ。



小沢辰男には、まだほかの分野で紹介するべき履歴があった。第二次田中角栄内閣の建設大臣に就任し、新潟出身者として、柏崎原発と巻原発の建設にも奔走したのである。 96年8月4日、巻町から日本全土をゆるがす初めての原発住民投票が実施されたのは、こうした人間がいたからである。小沢辰男は、スモン病と薬害エイズと原発の責任者であった。田中角栄を支援した土建業界の利権は、ただ地所と建物ではなく、原子力発電所の巨大な建設利権にあったという事実が忘れられている。ほとんど方はご存知ないだろうが、東海原発をめぐる住民裁判が起こされたときの被告は、田中角栄その人であり、彼は柏崎原発にからむ土地ころがしの疑惑を追及されてきた。



 田中真紀子の夫・鈴木直紀(現田中直紀)の兄・鈴木直道は、今田幸子と結婚したが、その姉の義父・岡見清二は、スモン病の被告企業、武田薬品工業の製薬事業部長を経て、副社長に就任した。同社がスモン病をひき起こすキノホルムを乱売した当時、製薬部門を直接指揮する経営者として、最大の責任があった人物が、この岡見である。武田薬品工業だけでなく、スモン病のもうひとつの加害企業・田辺製薬で、薬害発生時の社長だった平林忠雄も、日本原子力産業会議の評議員であった。



サリドマイド薬害時代に厚生省の薬務局長だった松下廉蔵が、いま96年春に、ミドリ十字の最高責任者として「殺人容疑」で告訴され、業務上過失致死容疑で逮捕された。松下廉蔵がミドリ十字の社長だった時期に、同社の非加熱血液製剤クリスマシンを投与された肝臓病の患者が、エイズウィルスに感染して95年暮に死亡したため、遺族たちが松下廉蔵を告訴したのである。しかもこの患者の場合、すでに安全な加熱血液製剤が承認されたあと、非加熱製剤が使用されたのである。この危険な製剤を回収しなかったミドリ十字と、回収を命令しなかった厚生省が、人間を死に至らしめたことは明白である。



 松下廉蔵は、株主代表訴訟でも告発されてきたが、原告たちが裁判所に "当時の経営者会議の議事録"などの資料を証拠保全するように申請したにもかかわらず、ミドリ十字は、それらの重要書類を提出しなかった。実は、松下廉蔵の妻・澄子の兄が、細川内閣の法務大臣・三ヶ月章である。



 しかも松下廉蔵と三ヶ月章の一族に、戦前のアジア侵略時代の台湾高官・深川繁治が現われるのはなぜなのか。さらにこの家族を追ってみると、いま述べた反原発ステッカー裁判で判決を下した裁判官のひとり、大西勝也と原子力関係者が次々と姿を現わすのである。



83年7月4日に郡司篤晃が、危険なアメリカ原料の非加熱製剤を使わないよう指示したにもかかわらず、1週間後の7月11日には、「非加熱製剤の一律輸入禁止はおこなわない」と正反対の結論に転じ、"謎の1週間"があったとされる時期に、厚生省の薬務局長だったのは、ミドリ十字などの製薬会社から億単位の莫大な献金を受けて衆議院議員に当選した持永和見であった。激しい世論の批判が郡司篤晃にすべての責任をかぶせているあいだ、"謎の1週間"の決定権を握っていた上司の持永和見が追及されないのは、まことに不思議である。



広瀬 隆 著「腐食の連鎖」から


これらの人脈を辿れば、満州で様々な国籍の人間を「マルタ」と呼びペスト菌や炭素菌などをうえつけたりと様々な人体実験を繰り返していた731部隊に行き着く。


731部隊の石井を全面的に支えた1人が戦後に日本ブラッドバンクという企業を興す。・・・血液銀行・・・その昔、輸血用血液は、売血して賄われていた。漫画家つげ義春の弟の忠男は、血液銀行で働いていたことを漫画で描いている。


日本ブラッドバンクがミドリ十字に吉富製薬と合併し吉富製薬となりウェルファイド株式会社に社名変更後、ウェルファイド株式会社と三菱東京製薬株式会社が合併し、三菱ウェルファーマ株式会社となり三菱ウェルファーマ株式会社と田辺製薬株式会社が合併し、田辺三菱製薬株式会社となる。



ミドリ十字などの血液産業は、731部隊の生き残りによって創設され、売血で発展し、薬害エイズを生み出すことになり、これらの人脈が血族であり原発を推進した一族とほぼ重なる。



これらの史実を考えていくと連合軍による東京裁判が何を裁いたのか?ということにもなる。


731部隊は、戦時中より敵国である米国に人体実験によるデーターを流し続けていたという。


これらデーターと引き換えに彼らは命を助けられたなどというのが通説だが、そもそも共謀してた可能性すら疑わせる何かがある。


731部隊の非道な人体実験の数々を思い起こせば、薬害エイズが日本にエイズを広めるための厚労省と製薬会社とアメリカの国ぐるみの謀略かも?などとすら思えてくる昨今であります。


輸血を経路とした肝炎の問題も然りであります。

核になる人物は逮捕すらされていないのは東京裁判で無罪放免になった人々の背景と似通う・・・岸、笹川などなど。


厚労省のこれら犯罪の歴史は、我々の年金の組織的犯罪行為とも当然リンクしてくる。


これら日本の近代から現代を貫く犯罪者一族の系譜は以下の系図で俯瞰できる。


http://www.asyura2.com/07/senkyo36/msg/477.html


(-∧-)合掌・・・