4月2日、桜の満開を目前にして心不全のため緊急入院となった。昨年8月の退院から一年を待たずして再入院となり我ながら情けなく思う。入院は数年前から最早恒例行事になりつつある。2年前の10月、皆さんもご存知の通り三尖弁の手術が大成功を収め、心不全の要因を断ち切った筈なのにそれでもなお病魔は私に執念深く付き纏って来る。
3月初旬の循環器内科外来時では、心不全の指標となるBNP値は1300と高めではあったが、さほど息切れも意識する事なく日常生活も普段通りに出来ていたため、気にする程ではなかった。最も悪かった時は8000を超えていたからそれに比べれば大人しい方である。気になる腎不全の方はクレアチニン値2.6と入院していた頃よりも低めで成績が良く安心した。
心不全の兆候は3月半ばを過ぎた辺りから出現し始め、体重が1週間で3kg増加し60kg台へ突入。普通に歩いていても息切れが目立ち、腸管も浮腫み腹が張って苦しく、横になって寝ると胸の圧迫感で熟睡出来なくなっていた。手足に浮腫みは無く肺とお腹まわりに余分な水分が溜まっているようだった。腎機能を悪化させたくないためにかなり水分を多めに摂っていたのが仇になり心臓が悲鳴を上げ始めたのである。心臓と腎臓どちらを優先するか、どちらも守る事が出来れば理想的なだが「あちらを立てればこちらが立たず」で相容れないのが厄介なところではあるがやはり心臓が最優先である。心臓が悪化すれば全ての臓器に影響が出るのだから時には他の臓器を犠牲にしなければならない時もある。心臓も腎臓も肝臓も同時に治療出来る最先端の医療技術や薬が開発されれば「渡りに船」なのだが…。
夕刻、救急外来を受診し、左右の肺にかなり水が溜まっている事を確認、BNPは2000を超えておりそのまま入院。7階と循環器病棟の17階が満杯でベッドに空きがなく、今回は一般内科の15階となった。主治医は珍しく20代の若い女医さんとなった。おそらく研修が終わり4月から専攻医となったのであろう。心不全の治療と言えば真っ先に酸素吸入である。新鮮な酸素を吸うことで心臓の負担も軽くなるのである。チューブを鼻に指し酸素が身体中に染み渡ると幾らか楽になる。そしてラシックスの静注(腎臓に負担が掛かる)で、体内に溜まっている水分を尿として排出させる。
治療を始めて1週間は中々尿量が増えず体重の減量も思うように進まなかったが、利尿薬の「サムスカ」を増量した辺りから体重が減り始めて行った。退院2日前に核医学検査(心
筋シンチ)を受けたが、2年前の時とほぼ変化なしだったので治療の必要なしと判断。4月17日いつもより早目の退院となった。2009年に心筋梗塞で右冠動脈にステントを挿入した時から服用を開始した「バイアスピリン」は心臓血管外科の判断で中止となったが、ワーファリンを服用しているので出血のリスクを少しでも減らすための措置だと思う。
三井記念病院の裏庭にある公園には桜の木が数本植えてある。おそらくソメイヨシノだと思うが桜の咲く時季になると病院に訪れる人々や入院患者さん達の眼を和ませている。私も15階の窓から桜を眺めるのが日課となっていた。自宅に戻っても病院食(腎不全食)と同等の食生活を送る事が出来れば心不全を繰り返す頻度はかなり減ると思うのだが…。