ボン(独[ドイツ])(ベートヴェンの生家) | 神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

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古来、日本では、「愛」と云う字を使わないで、「産巣日(むすび)」と言いました。「むすび」と云う言葉は、「愛」と云う言葉よりも非常に深遠な意味を含んでいるのです。ときに、神産巣日神は「造化の三神」の内の一柱の神であり、獨神(ひとりがみ)で御座います。唯々感謝。

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 さて、去る6月5日(日)の「ライン川( ドイツ )」のブログの中段で、

「(前略)機会がありまして、 宜敷 よろし ければ、この続きを記させて頂きます。(後略)」と お伝え申し上げまして、誠に有り難いことに、「いいね」を頂きましたので、今回、その続きを記させて頂きます。

 

 学部生の頃 すなわち 昭和61年(1986年)(菜食を始める前のことです)8月26日(火)に、 ドイツ のデュッセルドルフ中央駅( ドイツ 語:Düsseldorf HBF)を ( ) って、この日は雨でしたので 途中の駅には降りずに ボン( ドイツ 語:Bonn)に行きました。ボンは ぢんまりとした小都市ですが、当時は 西 ドイツ ドイツ 連邦共和国)の首都でした。 ちな みに、去る  一昨年 おととし の10月30日(木)の「東・西ベルリン(東・西 ドイツ )」のブログ の上段に、当時の西ベルリン( ドイツ 語:Berlin)のことを、

「(前略)第一印象は大きい まち

 西 ドイツ の首都であるボンは ボン大学 そして ベートーヴェン(ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン)の生家があるものの  田舎 いなか のような まち でしたし、バイエルン州最大の都市で 州都である ミュンヘン( ドイツ 語:München)も、それ ほど 大きい まち であるとは思いませんでした。

  流石 ( さすが ) 、かつての ドイツ 帝国の首都だけのことはあると思われました。(後略)」と記させて頂きました。 ドイツ 帝国の首都であるベルリンが、大きかったのですね。御承知のように、前述の 去る  一昨年 おととし の10月30日(木)の「東・西ベルリン(東・西 ドイツ )」のブログで 「ベルリンの壁・崩壊」のことを記させて頂きましたが、今では、 ドイツ の首都は ベルリンですね。

 ボンは、連邦議会( ドイツ 語:Bundestag)がなければ、下の写真のように 野菜 や 果実などの いち が開かれているような  ( ほか ) 田舎 いなか まち と同様です。なお、個人的には  田舎 いなか ほう が好きです。

 

 

ボンで開かれていた いち

 

 

 

 まず、ボン中央駅から 徒歩 約10分 ほど (約700m)の 「ベートーヴェン( ドイツ 語:Ludwig van Beethoven)の生家( ドイツ 語:Beethoven Haus)」に向かいました。この途中で 撮影 った ボンの まち の写真を、下に添付致します。

 

 

ボンの まち の様子

 

 

 

 そして、「ベートーヴェンの生家」に到着致しましたが、午後1時~3時は 休館とのことでした。着いたのは、午後1時20分でした。 ちな みに、 西 スペイン 語で シエスタ( 西 スペイン 語: siesta)という お昼 もしくは その時間の昼休憩(午後1時~4時が目安)を す言葉があります。当時、 西 スペイン では、この時間帯は 商店、企業 そして 官公庁などの多くが休業時間となっていました。 ドイツ でも このシエスタがあるのか と思われました。なお、近年では、E.U.(英語: European Union、日本語: 欧州 おうしゅう 連合)統合によって、北の諸国の習慣に合わせて シエスタの慣習を廃止する傾向が見られるそうです。 たと えば、平成18年(2006年)1月1日から、 西 スペイン の公務員につきましては シエスタ制度が廃止された とのことです。

 E.U.に ちな ませて頂きますと、御承知のように、来る6月23日、英国におきまして E.U.離脱を問う国民投票が行われますね。

 

 

「ベートーヴェンの生家」の入り口の前

 

 

 

 それで、代わりに ボン大学へ行きました。この大学では、去る5月14日(土)の「デュッセルドルフ( ドイツ )(ハイネの家)」のブログに記させて頂きました ハイネなどが学んでいます。このときは 夏休みの ため なのか、学内で 誰にも会いませんでした。前述致しましたように、 小雨 ( こさめ ) が降っていることも関係していたのかもしれません。 ちな みに、下に 写真を掲載致しますが、バロック(仏語: 英語: baroque)建築様式の建物です。なお、去る 昨年の4月26日(日)の「モン・サン=ミシェル( フランス )」のブログ の下段に、バロック建築様式のことを記させて頂きました。

 

 

ボン大学

 

 

 

  さら に、ライン川( ドイツ 語:Rhein)沿いを歩きました。 ちな みに、前述の 去る6月5日(日)の「ライン川( ドイツ )」のブログの上段に、「ライン川には、大型船が運航しています。」と記させて頂きましたが、この ぐ下の写真に写っています船のことです。

 

 

ライン川

 

 

ライン川

 

 

ライン川

 

 

 

 それから、前述の 「ベートーヴェンの生家」に戻りました。到着したのは、午後3時05分でした。午後の開始時間なので、大勢の人々が て 混んでいました。 ちな みに、去る 一昨年 おととし の10月12日(日)の「ダリアの花」のブログ の下段に、

「(前略)『楽聖』と われ、当時、貴族の ため の音楽だったクラシック音楽を、庶民の ため の音楽にしたということは誠に素晴らしいですね。ベートーヴェンの葬儀には 2万人もの市民が参列し、臨終の家から教会に至る道を埋めたということは、その音楽が庶民性であることを物語っている、と思われます。(後略)」と記させて頂きました。なお、御承知のように ベートーヴェンの肖像画を見ますと、 かつら かぶ っていません。それ以前の作曲家たちの肖像画を見ますと、貴族の ため に 作曲していたので、宮廷での礼儀の ため かつら かぶ っている とのことであります。

 

 

「ベートーヴェンの生家」の中庭

 

 

「ベートーヴェンの生家」の中庭

 

 

 

 この下の写真を見ますと、左側には 自筆の楽譜が写っていまして、右側の書には 「グラドゥス・アド・パルナッスム( ラテン 語:Gradus ad Parnassum)Manuductio」と記されています。 ちな みに、「グラドゥス・アド・パルナッスム」とは パルナッソス山への 階梯 かいてい (本来は 「はしご段」のこと)という意味の ラテン 語です。なお、パルナッソス山は 芸術や学問の聖地とされ、「グラドゥス・アド・パルナッスム」という題は 芸術の教則本などに よく用いられた とのことです。

 

 

自筆の楽譜 そして 「グラドゥス・アド・パルナッスム」と記された書

 

 

 

 ベートーヴェンが生まれた部屋には 家具や展示品もなく、胸像(彫像)だけが置かれてありました。

 

 

ベートーヴェンの胸像

 

 

 

 肖像画 そして ピアノ(英語:piano)が置かれている部屋です。

 

 

肖像画 そして ピアノが置かれている部屋

 

 

 

 ときに、「ベートーヴェンの生家」を あと にして ボン中央駅に向かいました。このボン中央駅で 二人 ふたり 連れの日本人(男性)に会いました。この 二人 ふたり によりますと、コブレンツ( ドイツ 語:Koblenz)のユース・ホステル(英語:youth hostel)は 「山の上で いい」とのことでした。それで、某・ガイドブック(英語:guide book)を見ますと、城塞跡に建てられた ユース・ホステル(古城ユース・ホステル)とのことでした。ライン川 そして モーゼル川( ドイツ 語:Mosel)の両河を 一望出来るとのことでした。 ちな みに、去る 一昨年 おととし の11月8日(土)の「プラハ(東欧)」のブログ そして 去る 昨年の4月29日(水)の「アムステルダム・1( オランダ )」のブログの中段やや下に、

「(前略)メジャーな某・ガイドブックによりますと、宿泊の予約をするのは日本人 ( くらい ) で、欧州では宿の予約は必要なく、ユース・ホステルの場合は、午前中に到着した ほう がいいと書かれてある程度で 御座 ござ いました(後略)」と記させて頂きました。また、去る7月16日(木)の「フランス革命記念日」のブログ の上段に、ユース・ホステルの会員証は日本で取得した むね を記させて頂きました。但し、この あと は ハイデルベルク( ドイツ 語:Heidelberg)に行く予定でしたので、コブレンツでは泊まりませんでした。なお、御参考の ため に、コブレンツのユース・ホステルのことを記させて頂きました。今 まで ドイツ に行く という 方々 ( かたがた ) には 必ず 紹介して来ました ユース・ホステルで 御座 ござ います。

 補足させて頂きますと、これ まで 、ノルウェー王国(ノルウェー語: Kongeriket Norge/Noreg)のベルゲン(ノルウェー語: Bergen)、スコットランド(英語: Scotland)の首都である エディンバラ(英語: Edinburgh)、そして、 勿論 もちろん 日本のユース・ホステルなどを利用しました。また、前述の 去る7月16日(木)の「フランス革命記念日」のブログ の上段に、

「(前略)前述の男性とは、パリ( フランス 語: Paris)のユース・アコモデイション(英語:youth accommodation)に滞在しました。 ユース・ホステル(英語:youth hostel)の会員証は日本で取得して行きましたが、 フランス では、ユース・ホステルよりもユース・アコモデイションの ほう がいい と ぼう ・ガイドブック(英語:guide book)に書かれてあったからで 御座 ござ います。(後略)」と記させて頂きました。以上から、 欧州 おうしゅう (ヨーロッパ)の中で、北欧のノルウェーのベルゲン そして  ドイツ のユース・ホステルは いいとされています。

 

 ところで、ライン川 そして モーゼル川を言及しましたので、 ドイツ における ワインの格付かくづけにつきまして 記させて頂きます。すなわち、御承知のように、ワインの原料は葡萄ぶどうであります。 ちな みに、以下の格付かくづけを聞かされたときに、ドイツ 人は きわめて 厳密であると思われました。

 つまり、まず 上記のライン川 そして モーゼル川流域の産地ということで、格付かくづけを行ないます。つぎ に、その流域の何処どこ葡萄ぶどう畑であるかということで 格付かくづけを行ないます、さらに、その畑の どの葡萄ぶどうの木であるかということで 格付かくづけを行ないます。しかも、その木の どの葡萄ぶどうふさであるかということで 格付かくづけを行ないます。そのうえ、そのふさの どの葡萄ぶどうつぶであるかということで 格付かくづけを行ないます。そして、最後に そのつぶから出来た ワインを吟味して 格付かくづけを行ないます。なお、機会があるごとに、この話を致して参りました。ついながら、年配の家政婦に この話を致しましたときに、ひらめいたことがありました。取りも直さず、大抵たいていの日本人は 上記のような 格付かくづけに 付いて行けないであろうということであります。

 

  つぎ に、母親によりますと、明日 そして  明後日 ( あさって ) けて 姉は 山形に 旅をする とのことでした。 さらに、この夏には、一ヶ月間 夫婦で 北海道に旅行するそうです。母親によりますと、「いいわね」とのことでした。 北海道に ちな ませて頂きますと、学部生の頃、 釧路 くしろ のユース・ホステルに泊まったことがあります。

 

 さて、前述のように、ハイデルベルクで 宿泊しようと思いました。ハイデルベルクには、ハイデルベルク大学( ドイツ 語:Ruprecht-Karls-Universität Heidelberg)があります。 ドイツ では 最古の大学とのことであります。

 

 ときに、機会がありまして、 宜敷 よろし ければ、この続きを記させて頂きます。

 

 本日も、最後 まで  お読み頂き、誠にありがとうございました。唯々感謝。(^-^)