★忌野清志郎さん「ぼくの好きな先生」誕生秘話 | 藤沢あゆみオフィシャルブログ Powered by Ameba

藤沢あゆみオフィシャルブログ Powered by Ameba

作家。著書29冊。相談30000件超。ananによる信頼できるカウンセラー20人の1人。NHKEテレハートネットTV出演。2023年4月「バズる!ハマる!売れる!集まる!WEB文章術 プロの仕掛け66」発売9日で増刷、7月18日枚方蔦屋書店で101人講演会開催

あゆみです。
85回めのモテゾーは
清志郎さんのアノ名曲にまつわるお話です。


忌野清志郎さん「ぼくの好きな先生」誕生秘話


忌野清志郎さんには終生慕った先生がいました。

高校で担任だった小林晴雄さん(77)。
ヒット曲「ぼくの好きな先生」のモデルになった先生です。


69年11月、朝日新聞にこんな身の上相談が載りました。

「十八になる私の子供はギターのプロになるのだと申します。
私どもには何が何だかわからなくなりました」

清志郎さんのお母さんからでした。

「大学に行っても4年遊ぶんだから、
4年は好きなことをやらせてあげましょう」。

気をもむ母を説得したのが、小林先生でした。

清志郎さんは高校時代にバンド「RCサクセション」を結成。
活動にのめり込み、欠席や遅刻が相次ぎました。

ただ、美術部顧問で、生徒の話にじっくり耳を傾ける
小林先生にひかれ、絵画制作に熱中しました。

「勉強が嫌いだから絵描きになった」という先生は
職員室が嫌いで、美術準備室でいつも一人でたばこを吸っていました。

清志郎さんはショッキングピンクに染め上げた白衣を着て、
放課後の美術室で黙々と絵筆を動かしていたそうです。

後に清志郎さんは
「歌手になれなかったら絵描きになっていた」と話しています。


高校を卒業した70年にプロデビュー。
「ぼくの好きな先生」が入った初アルバムを携えて美術室を訪れました。


「先生のことを歌にしたんだ」


10年ほど前から、小林先生を慕う卒業生が開くOB展に
清志郎さんも出品するようになりました。

がんの闘病生活に入っても出品は続いたのです。

昨年2月、武道館で「完全復活祭」と銘打ったライブがありました。
招待された小林先生は、同窓生6人と客席で見守りました。

終演後に楽屋を訪れてビールで乾杯した、

「無理しちゃだめだよ」

清志郎さんは高校の頃と同じように照れくさそうにうなずきました。

「うん、うん」

今年2月、先生と清志郎さんは出会いました。
ほんとうは、がんが転移していました。

「もう大丈夫です」

先生には、安心させようとして、笑ってみせた。


3日、都内で営まれた清志郎さんの通夜に、小林先生は参列しました。
ひつぎの中の教え子は穏やかな顔をしていました。

「十分がんばってきたんだ。ゆっくり休め」


[asahi.com]





【清志郎さんに関するお知らせ】

★清志郎さんの告別式の日が決まりました。


【清志郎さんへ、愛をこめて】

★藤沢あゆみより、忌野清志郎さんへ

★ビートたけしさんより、忌野清志郎さんへ

★泉谷しげるさんより、忌野清志郎さんへ

★矢野顕子さんより、忌野清志郎さんへ

★【続報】矢野顕子さんより、忌野清志郎さんへ

★CHAGEさんより、忌野清志郎さんへ

★及川光博さんより、忌野清志郎さんへ

★トータス松本さんより、忌野清志郎さんへ

★オノ・ヨーコさんより、忌野清志郎さんへ

★間寛平さんより、忌野清志郎さんへ

★曽我部恵一さんより、忌野清志郎さんへ


読んでくれてありがとう。
では、またね。

エッセイランキングに参加しています。