わたくしのブログでは、グルメ記事とか単なる感想レビューとかは、
基本書かない方針だったんですが、
ちょっとあまりに衝撃的だったので、興奮さめやらぬうちに記録としても
書いておこうかな、ということで書いときます。
何を?かといいますと、
いがらしみきお先生の新作について、
ずっと横目では見ていたんです、本屋さんに平積みされているのを
「I(アイ)」です。
この帯に書かれた「東北の地で、神様を 探す」、
紺色無地の表紙に「アイ」とは読めないなにやらクルリと書かれた記号。
「う~、読みたいが、、、いがらしだしなあ、、、怖ええよ、、」
夏ごろからいろんな本屋さんで手に取るが、戻す、手に取るが、戻す。
を繰り返していました。
というのも、
いがらし先生の作品はうかつには読めないんですよ、
「っしゃー!来いや!」というくらいに、精神がしっかりした状態でないと、
呑み込まれる。
友川かずきを聞くときの心がまえといっしょです。
マンガといえど娯楽性はないんです。
命を削りながら書いてる。
一般的には「ぼのぼの」とか「忍ペンまん丸」とかいった、
動物をモチーフにした安全圏の作品と思われがちですが、
「ぼのぼの」も、相当注意してかからないと呑まれますね。
先日、「I(アイ)」とうとう買いました、出町柳商店街のブックスヤスモトさんで
で、この「アイ」なんですが、のっけから凄い始まり方をしております。
つげ義晴先生の描くような救いようのない農村に捨て産み落とされた
主人公の「イサオ」、誕生の折に母親は死んでます。
子を産んで母は死にました、という話しではなく
死体の股のところで血まみれでニッコリ笑っている嬰児、それが「イサオ」です。
う~ん、こんな始まりアリなんでしょうかねえ。
しかも、いがらし先生の絵柄というのが、
どちらかというとギャグマンガ系のハードデフォルメタイプだから、
本来、生々しさとは無縁のはずなのに、かえって脳にくるんですよ。
この「イサオ」は、ひどいイジメに遭いながら成長しますが、
家もなく、引き取られた叔父のところで豚といっしょに育てられていくんです。
村のみんなは、イサオは言葉もしゃべれない野生児というか猿の子みたいに扱っています。
そこに村の中でも裕福な篤志家のような医者の息子、「まーくん」だけが
ちょっと「イサオ」のことを気に掛けてくれていました。
読者は「まーくん」の視点で「イサオ」を見ていくことになる。
でも、まーくんにとって「イサオ」はいい迷惑でもあるんですね。
この「イサオ」には不思議な力があって、常に半眼でじっと目をそらさない。
それは「全てを見ている、全てを感じている、全てを受け入れる」
子供なのに中年のおじさんのようでもあり、おばあさんのようでもある。
インドの原始仏教の説話のごとくでもあります。
芹沢 光治良先生という非常に一部では有名で偉い文学者がいますが、
その「神シリーズ」みたいな感じといえば、余計わからないですよね。
この「イサオ」がまっすぐ過ぎて、
ちょっとした仕草や行動でもすごい緊張感、ドキドキするんですよ。
「何も、悪いことや怖いことが起こらないでくれ~」と
まーくんのように「イサオ」が心配になる、
しかしながら「イサオ」はどんどん遠くへ行ってしまうようになる。
生きていた人が死ぬ、死んだような人が蘇る、
豚の目で世界を見る、壁の中にどんどん入る、
雪がハラハラと降ってくる。
見ればそうなる。
イサオから目が離せなくなってきたところで、1巻終了です。
また、いがらし先生はもう一つ大問題作を連載中です。
それは、イブニングで連載中の「羊の木」です。
「がきデカ」の山上たつひこ先生原作という、
バイオレンス&ハード&サイコ&ほのぼのが同居する問題作。
ある町が凶悪事件の元犯人たち十数人を受け入れることにしました。
出所後の社会更正をはかるために、
一般社会に溶け込めるようにすることを目的として、
町長としては、
町の過疎対策にもなるし国から補助金もでるしということで、
しかしながら、ごく一部の人をのぞき、
住民にはそのことをしらせないでおく。
という、内容なんです。
これも、ドキドキ感が半端ないです。
元凶悪犯だということを何も知らない店主が、彼らに親切にする。
もはやそれだけで、何かが起こりそうな予感なんです。
ここでも、いがらし先生のハードデフォルメされた登場人物の表情が、
かえって恐怖感を増強しております。
ということで、いがらし先生は今、
完全に純文学を超えた作品を二本も連載中です。
基本書かない方針だったんですが、
ちょっとあまりに衝撃的だったので、興奮さめやらぬうちに記録としても
書いておこうかな、ということで書いときます。
何を?かといいますと、
いがらしみきお先生の新作について、
ずっと横目では見ていたんです、本屋さんに平積みされているのを
「I(アイ)」です。
この帯に書かれた「東北の地で、神様を 探す」、
紺色無地の表紙に「アイ」とは読めないなにやらクルリと書かれた記号。
「う~、読みたいが、、、いがらしだしなあ、、、怖ええよ、、」
夏ごろからいろんな本屋さんで手に取るが、戻す、手に取るが、戻す。
を繰り返していました。
というのも、
いがらし先生の作品はうかつには読めないんですよ、
「っしゃー!来いや!」というくらいに、精神がしっかりした状態でないと、
呑み込まれる。
友川かずきを聞くときの心がまえといっしょです。
マンガといえど娯楽性はないんです。
命を削りながら書いてる。
一般的には「ぼのぼの」とか「忍ペンまん丸」とかいった、
動物をモチーフにした安全圏の作品と思われがちですが、
「ぼのぼの」も、相当注意してかからないと呑まれますね。
先日、「I(アイ)」とうとう買いました、出町柳商店街のブックスヤスモトさんで
で、この「アイ」なんですが、のっけから凄い始まり方をしております。
つげ義晴先生の描くような救いようのない農村に捨て産み落とされた
主人公の「イサオ」、誕生の折に母親は死んでます。
子を産んで母は死にました、という話しではなく
死体の股のところで血まみれでニッコリ笑っている嬰児、それが「イサオ」です。
う~ん、こんな始まりアリなんでしょうかねえ。
しかも、いがらし先生の絵柄というのが、
どちらかというとギャグマンガ系のハードデフォルメタイプだから、
本来、生々しさとは無縁のはずなのに、かえって脳にくるんですよ。
この「イサオ」は、ひどいイジメに遭いながら成長しますが、
家もなく、引き取られた叔父のところで豚といっしょに育てられていくんです。
村のみんなは、イサオは言葉もしゃべれない野生児というか猿の子みたいに扱っています。
そこに村の中でも裕福な篤志家のような医者の息子、「まーくん」だけが
ちょっと「イサオ」のことを気に掛けてくれていました。
読者は「まーくん」の視点で「イサオ」を見ていくことになる。
でも、まーくんにとって「イサオ」はいい迷惑でもあるんですね。
この「イサオ」には不思議な力があって、常に半眼でじっと目をそらさない。
それは「全てを見ている、全てを感じている、全てを受け入れる」
子供なのに中年のおじさんのようでもあり、おばあさんのようでもある。
インドの原始仏教の説話のごとくでもあります。
芹沢 光治良先生という非常に一部では有名で偉い文学者がいますが、
その「神シリーズ」みたいな感じといえば、余計わからないですよね。
この「イサオ」がまっすぐ過ぎて、
ちょっとした仕草や行動でもすごい緊張感、ドキドキするんですよ。
「何も、悪いことや怖いことが起こらないでくれ~」と
まーくんのように「イサオ」が心配になる、
しかしながら「イサオ」はどんどん遠くへ行ってしまうようになる。
生きていた人が死ぬ、死んだような人が蘇る、
豚の目で世界を見る、壁の中にどんどん入る、
雪がハラハラと降ってくる。
見ればそうなる。
イサオから目が離せなくなってきたところで、1巻終了です。
また、いがらし先生はもう一つ大問題作を連載中です。
それは、イブニングで連載中の「羊の木」です。
「がきデカ」の山上たつひこ先生原作という、
バイオレンス&ハード&サイコ&ほのぼのが同居する問題作。
ある町が凶悪事件の元犯人たち十数人を受け入れることにしました。
出所後の社会更正をはかるために、
一般社会に溶け込めるようにすることを目的として、
町長としては、
町の過疎対策にもなるし国から補助金もでるしということで、
しかしながら、ごく一部の人をのぞき、
住民にはそのことをしらせないでおく。
という、内容なんです。
これも、ドキドキ感が半端ないです。
元凶悪犯だということを何も知らない店主が、彼らに親切にする。
もはやそれだけで、何かが起こりそうな予感なんです。
ここでも、いがらし先生のハードデフォルメされた登場人物の表情が、
かえって恐怖感を増強しております。
ということで、いがらし先生は今、
完全に純文学を超えた作品を二本も連載中です。