教えてくれた映画の中のひとつでもある『ペイ・フォワード 可能の王国』のあの物語は、「知己(自分)がこの先にあるひとつしかない生命や寿命と人生に失敗をしてほしくない」という意味で、友人は知己(自分)に対して紹介してくれたんだとおもっています。
【社会とは君たちみんなが生活していたり暮らしている環境そのもの】であって、【社会はひとりの力ではどうにもできないけどひとりひとりが寄り添ったみんなでならどうにかできるもの】であって、【社会は規模をもっと大きく考えれば国や世界であるもの】であったり、そんな【社会科の学問として基礎中の基礎のような話と共にまず初めての授業の前に「じゃあ世界を変えるにはどうしたら良いだろうか?」などの短絡かつ哲学じみた質問を子どもの生徒たちに宿題として投げかける】というテーマから始まるもの。
この宿題の内容は、「算数や理科のように1つのものと2つのものと3つのものが+(足し)で=(組み合わさる)になると6になる」というような決まって定められた決定理論性や決定暗記性による解答もなく、また、点数や成績表として評価されるものでもないものです。
『ペイ・フォワード 可能の王国』のあの物語は、いわゆる子どもの発想によって出てきた王子様やお姫様のような感覚で平和理論が描かれたユートピア(理想郷)であったり、「ホントにこんな現実が可能なのか?」と、いわゆる現実社会で暮らしているひとたちにとっては、「これはフィクション(架空)でありファンタジー(幻想)である」かのような、どうにも単純な発想で成り立ってしまっていることに、「こんな単純な発想なんかで世の中を変えられるのならとっくに世界中もネットワークを通じて平和やシアワセになっているはずでは?」と、錯覚すら覚えてしまいます。
どこかの映画レビュー記事などで語られてるだろうけど、ネタバレ防止のため、この記事では伏せますが、【ラストのアレとか、たったひとつしかない人生との兼ね合いとか、いろんなものが実際に現実では邪魔をしてしまってるのかも】しれません。
以上の意味も踏まえて、この記事では、社会人としての立場を語りながら、ノンポリ(社会で暮らしながらも社会に無関心)という連中のことを、あえて「社会(世界)を食い潰していたり社会(世界)を腐らせようとしている犯罪者でありテロリストである」というように書きたいとおもいます。
批判も含むあれこれのコメントやメッセージなどは、参考情報としても受けつけしていますので、なにかあればよろしくお願いします。
・ネズミ講の逆説的真理
『ペイ・フォワード 可能の王国』で語られていた、【「次へ渡せ」っていうメッセージと共に、自分が受け取った親切・道徳・愛情などを3人のひとに配り、また、その3人のひとが恩を貰ったひとではなく別の3人のひとに恩返しをして「次へ渡せ」というメッセージを伝えていく】というもの。
実は、ネズミ講(無限連鎖講)っていう悪徳商法の関係なんかで割と知られているお金の動きと図解は似ています。
そして、知己(自分)は、こういうお金に関することが、いろいろと世の中の社会や秩序を壊してしまっている原因のひとつであるともおもっています。
ペイ・イット・フォワードっていう流れは、これを無償の気持ち(母の子どもに対する愛情は自己利益を考えずに注ぐみたいなもの)として、ネズミ講の図のような子から親への流れではなく親から子への流れにして、それを親切・道徳・愛情に置き換えたものだったりします。
そもそもお金に関することで、世間でも詐欺商法がどうこう人間でも貸し借りがどうこう家族間でも遺産相続どうこう醜い戦争を「バレなければ犯罪じゃないんだ」などおもい込み多発している現状だったり、そういうお金を求めることでの世間や人間や家族間に踏み込むことのシアワセの崩壊や疑心暗鬼の助長など、あまりにもバカみたいな現実の話だとおもいます。
知己(自分)だって、今は、ケータイやPCのインターネット通信やアンチウィルスソフトがあるだけでも、どこまでもフリーソフト中心としてゲームやら、ソーシャルネットワーキングサービスでNo.83 匿名希望としての名義での交流やら、さらにブラウザに搭載されている多国語への翻訳サービスでもいろんな記事なども読める、そんなお楽しみコンテンツが全世界規模で広がっているわけですから、別に豪邸に暮らすなどのこともせず、【今や生活必需品みたいなものとしても扱われている通信端末とか、それだけでもどこまでも充実できてしまうようなもの】なんですね。
芸NO業務などの出演業から発生するプライバシー自爆テロによる学校や職場や人間関係への詮索や危険へのとばっちりに関する生活安全の侵害になっていることで訴えていることだって、今やツールで出回っている3Dコンピューターグラフィックなどの最新ゲーム映像にある市販作品からフリーソフトなどでやれることあれこれだったり、キャラクターメイキングシステムっていうデッサン人形みたいな人物素体モデルにいろんな素材パーツを組み合わせたり加工編集することで無限大にどんな容姿や声などを持った役者を組み立てたりすることも可能であり、さらにそういうのをKinectや全身センサースーツ着用などによるモーションキャプチャーシステムでアナログ式なやり方で、特に子役タレントをアダルトチルドレンの教育問題や精神病問題など発生させることもなく番組製作することもいくらでも可能だったり、また、インターネットや動画サイトなどがある以上、ムリに放送局での番組放送の体系でこだわる必要もないようにおもえますし、【いろいろ陰湿な犯罪やテロにも巻き込まれる危険性のあるお金にそこまで触れないで暮らせるシアワセっていうの、たくさんあるわけ】なんですよね。
この記事では、世の中のお金にこだわる人々が、いかに知能障害じみた生活上のアホなことにこだわっていたり、また、不信・不審のような根本の助長などの不幸や疫病神じみた物件であるかのように振る舞っている連中に向けて、あえて挑発みたいに書いています。
・生きるための農業と活きるための工業という仕事
昔々、年貢という税がある社会で、畑が財産でありお米が税金であるような時代がありました。
「年貢の納め時」なんていう例えの話もありました。
畑が財産でお米が税だった時代からお金に変えた維新結果が【そもそも食べる物を食って餓えない生活堪能しておきながら生産者に無感な謝り】とか【生活用品に頼っておきながら生産者に無感謝】とかの非道なら「年貢の納め時」って現実社会じゃねぇの?
…なんて、なんか現代常識をまったくもって否定するような発言も飛び出してしまいました。
【あたりまえのように生活しておきながら、そのあたりまえのように生活をさせてもらっている生活産業に対して感じたり謝ったりする良識や良心や敬意がまったくもって働いていない】とか、単純に考えてみれば、これほど基本中の基本という意味で世の中の道理として狂人じみていたり歪んだりしていることって理解できる気がするとおもうんですが、気違いの度が激ヤバすぎる精神障害が世の中にどれだけ沸き上がっていることなのでしょうか?
「政治豚は楽しみのムードをぶち壊す」みたいな扱いされることなんかもいくらかありますが、「社会(世界)な人間たちは政治の中でまとめられて政治の中でみんなを合理に生活させたりできることを管理されている」というのに、生活や社会などの基盤や骨組みとなっていることに無関心とか、「まるで人がゴミのようだ」っていう実質印象にしかおもえませんし、そういうノンポリ助長するような芸NOや娯楽あれこれの業者全般を、はっきりと「テ ロ リ ス ト」っていう言い方をしたほうが世のため人のためのようにもおもえます。
みんな、まずは食べる物が無いとあたりまえのように栄養失調や餓死などの問題が生じたりするわけで、お米っていう主食などや、農業の環境こそを人間としてというより生命物そのものに関する財産にしていた年貢の話とか、【実際の史実に関しては書物や教科書などに書かれた範囲でしかなくて不明ですけど、江戸時代がなぜあれだけ戦国時代のような大きな国内戦争もなくて長く歴史を築き続いていけてたのか?】なども、ちょっと学生として義務教育で勉強してきたひとなんかも認知機能が働いてほしいものです。
お金や財産というのを金属や紙のカタマリだったり総市民統轄役所の数字データなんかで管理するような維新された時代や常識というのが世の中の人類の心や感性なんかを格差社会などの差別や争いとして招いてしまっていた結果なのなら、「年貢の納め時」として、今まで誤魔化しをやり続けたり溜め込み続けていた罪と罰のような税を払わなくてはならない社会問題や世界問題なんかも実質には出てくるのではないでしょうか?
・文明の末路
「世界の危機も滅亡も、デーモンにとってはお祭りみたいなものだ」とは、どんな意味があって放った口先なのかわかりませんけど、小悪魔の子のフレーバーセリフの中にもチラチラと奇妙なイディオムが含まれてるセリフ。
文明の末路っていうのは、よくSF作品の世界崩壊と戦うようなストーリーの題材にされていたりもあって、【地球スケールの規模でさえも抱え込みきれない増えすぎた人口を宇宙のスペースコロニーへと移民させていって半世紀が過ぎて地球人という人間と宇宙人という人間とが自治権を求めて戦争をしてしまう某ロボットアニメ】だとか、『ソイレントシステム』(まぁこういうワードをグーグルクロームなんかで左クリック押しっぱなしで文字を選択して右クリックなどでよく検索サイトサーフィンしていますが普通にそこいらの軽めの18禁よりもグロくて嘔吐もんっぽい子ども向けゲームストーリーなどの某海外SF社会映画が元ネタのアレとかも出てくるので慎重にお願いします)みたいなものだとか、実は知己(自分)はそんな中から雑学じみた知識を引っ張ってきてることもかなり多いです。
今は、レンタルDVDの108円で観れるような時代だったり、過去のレトロゲーム作品なんかはゲームメーカー自体が時代遅れの産廃として認識してるのか動画サイトでネタバレプレイ動画などが無償投稿であったりで、随分と節約生活人や貧乏人の視聴物としてはありがたい。
まぁ食糧も食材も資源でさえ無限大に存在するものでもありませんし、肉は生物にとっての人生であることは肉の生産施設に連れて行くなり必然の残虐シーンなどは情操教育として認知していてほしいものです。
「世界の危機や滅亡もお祭りみたいな感じに」考えている節がノンポリ層にあるにせよ、「魔王の手下みたいになる」んじゃなく「戦争に干渉しない」ところが、まだ大人しいのかもしれませんが、生きているための資源が無限大に存在するものでもないので資源消費への罪悪感なども常識として忘れないでほしい感じはします。
言うならば、文明もなにもない原始や自然体などでは、案外、難しいことを知らずが仏のようにストレスもなくシアワセに暮らしていけている様子もあったり、【農業を牧場経営みたいな感じで家族全員や村家庭コミュニティーという事務所への所属の中で、生産業務っていう金属や紙のカタマリじゃない財産を保有】しながら、人口を増やしすぎず良心を痛めすぎずのひとりっ子やふたりっ子などの掟なども考えながら暮らしていたりするものなのではないでしょうか?
【文明のひとにとって悪魔と扱われているだけで、案外、本来は自然体で無邪気な子どもっぽい遊び心や好奇心があるだけなんじゃないかなぁ?】って、可愛らしくもおもったりする部分もあったりします。
・あとがき
この記事は、チャノロジー・アノニマスのひとたちなどのムーブメント活動人や社会の中でのストレスや鬱症状で悩んでいるひとたちに向けて書いたつもりです。
日本危機や世界危機など世間やニュースなどでは騒いではいますが、それさえも文明がつくり出している幻想みたいなものであったり、割と悩んで行き詰まりを感じたときは、原始とか生命界のルーツとか大自然の掟と歴史とか原点回帰で考えてみると、うまくいくこともあるんじゃないかなぁ?…と、そんな感じにもおもったり…。
2015.11.9
【社会とは君たちみんなが生活していたり暮らしている環境そのもの】であって、【社会はひとりの力ではどうにもできないけどひとりひとりが寄り添ったみんなでならどうにかできるもの】であって、【社会は規模をもっと大きく考えれば国や世界であるもの】であったり、そんな【社会科の学問として基礎中の基礎のような話と共にまず初めての授業の前に「じゃあ世界を変えるにはどうしたら良いだろうか?」などの短絡かつ哲学じみた質問を子どもの生徒たちに宿題として投げかける】というテーマから始まるもの。
この宿題の内容は、「算数や理科のように1つのものと2つのものと3つのものが+(足し)で=(組み合わさる)になると6になる」というような決まって定められた決定理論性や決定暗記性による解答もなく、また、点数や成績表として評価されるものでもないものです。
『ペイ・フォワード 可能の王国』のあの物語は、いわゆる子どもの発想によって出てきた王子様やお姫様のような感覚で平和理論が描かれたユートピア(理想郷)であったり、「ホントにこんな現実が可能なのか?」と、いわゆる現実社会で暮らしているひとたちにとっては、「これはフィクション(架空)でありファンタジー(幻想)である」かのような、どうにも単純な発想で成り立ってしまっていることに、「こんな単純な発想なんかで世の中を変えられるのならとっくに世界中もネットワークを通じて平和やシアワセになっているはずでは?」と、錯覚すら覚えてしまいます。
どこかの映画レビュー記事などで語られてるだろうけど、ネタバレ防止のため、この記事では伏せますが、【ラストのアレとか、たったひとつしかない人生との兼ね合いとか、いろんなものが実際に現実では邪魔をしてしまってるのかも】しれません。
以上の意味も踏まえて、この記事では、社会人としての立場を語りながら、ノンポリ(社会で暮らしながらも社会に無関心)という連中のことを、あえて「社会(世界)を食い潰していたり社会(世界)を腐らせようとしている犯罪者でありテロリストである」というように書きたいとおもいます。
批判も含むあれこれのコメントやメッセージなどは、参考情報としても受けつけしていますので、なにかあればよろしくお願いします。
・ネズミ講の逆説的真理
『ペイ・フォワード 可能の王国』で語られていた、【「次へ渡せ」っていうメッセージと共に、自分が受け取った親切・道徳・愛情などを3人のひとに配り、また、その3人のひとが恩を貰ったひとではなく別の3人のひとに恩返しをして「次へ渡せ」というメッセージを伝えていく】というもの。
実は、ネズミ講(無限連鎖講)っていう悪徳商法の関係なんかで割と知られているお金の動きと図解は似ています。
そして、知己(自分)は、こういうお金に関することが、いろいろと世の中の社会や秩序を壊してしまっている原因のひとつであるともおもっています。
ペイ・イット・フォワードっていう流れは、これを無償の気持ち(母の子どもに対する愛情は自己利益を考えずに注ぐみたいなもの)として、ネズミ講の図のような子から親への流れではなく親から子への流れにして、それを親切・道徳・愛情に置き換えたものだったりします。
そもそもお金に関することで、世間でも詐欺商法がどうこう人間でも貸し借りがどうこう家族間でも遺産相続どうこう醜い戦争を「バレなければ犯罪じゃないんだ」などおもい込み多発している現状だったり、そういうお金を求めることでの世間や人間や家族間に踏み込むことのシアワセの崩壊や疑心暗鬼の助長など、あまりにもバカみたいな現実の話だとおもいます。
知己(自分)だって、今は、ケータイやPCのインターネット通信やアンチウィルスソフトがあるだけでも、どこまでもフリーソフト中心としてゲームやら、ソーシャルネットワーキングサービスでNo.83 匿名希望としての名義での交流やら、さらにブラウザに搭載されている多国語への翻訳サービスでもいろんな記事なども読める、そんなお楽しみコンテンツが全世界規模で広がっているわけですから、別に豪邸に暮らすなどのこともせず、【今や生活必需品みたいなものとしても扱われている通信端末とか、それだけでもどこまでも充実できてしまうようなもの】なんですね。
芸NO業務などの出演業から発生するプライバシー自爆テロによる学校や職場や人間関係への詮索や危険へのとばっちりに関する生活安全の侵害になっていることで訴えていることだって、今やツールで出回っている3Dコンピューターグラフィックなどの最新ゲーム映像にある市販作品からフリーソフトなどでやれることあれこれだったり、キャラクターメイキングシステムっていうデッサン人形みたいな人物素体モデルにいろんな素材パーツを組み合わせたり加工編集することで無限大にどんな容姿や声などを持った役者を組み立てたりすることも可能であり、さらにそういうのをKinectや全身センサースーツ着用などによるモーションキャプチャーシステムでアナログ式なやり方で、特に子役タレントをアダルトチルドレンの教育問題や精神病問題など発生させることもなく番組製作することもいくらでも可能だったり、また、インターネットや動画サイトなどがある以上、ムリに放送局での番組放送の体系でこだわる必要もないようにおもえますし、【いろいろ陰湿な犯罪やテロにも巻き込まれる危険性のあるお金にそこまで触れないで暮らせるシアワセっていうの、たくさんあるわけ】なんですよね。
この記事では、世の中のお金にこだわる人々が、いかに知能障害じみた生活上のアホなことにこだわっていたり、また、不信・不審のような根本の助長などの不幸や疫病神じみた物件であるかのように振る舞っている連中に向けて、あえて挑発みたいに書いています。
・生きるための農業と活きるための工業という仕事
昔々、年貢という税がある社会で、畑が財産でありお米が税金であるような時代がありました。
「年貢の納め時」なんていう例えの話もありました。
畑が財産でお米が税だった時代からお金に変えた維新結果が【そもそも食べる物を食って餓えない生活堪能しておきながら生産者に無感な謝り】とか【生活用品に頼っておきながら生産者に無感謝】とかの非道なら「年貢の納め時」って現実社会じゃねぇの?
…なんて、なんか現代常識をまったくもって否定するような発言も飛び出してしまいました。
【あたりまえのように生活しておきながら、そのあたりまえのように生活をさせてもらっている生活産業に対して感じたり謝ったりする良識や良心や敬意がまったくもって働いていない】とか、単純に考えてみれば、これほど基本中の基本という意味で世の中の道理として狂人じみていたり歪んだりしていることって理解できる気がするとおもうんですが、気違いの度が激ヤバすぎる精神障害が世の中にどれだけ沸き上がっていることなのでしょうか?
「政治豚は楽しみのムードをぶち壊す」みたいな扱いされることなんかもいくらかありますが、「社会(世界)な人間たちは政治の中でまとめられて政治の中でみんなを合理に生活させたりできることを管理されている」というのに、生活や社会などの基盤や骨組みとなっていることに無関心とか、「まるで人がゴミのようだ」っていう実質印象にしかおもえませんし、そういうノンポリ助長するような芸NOや娯楽あれこれの業者全般を、はっきりと「テ ロ リ ス ト」っていう言い方をしたほうが世のため人のためのようにもおもえます。
みんな、まずは食べる物が無いとあたりまえのように栄養失調や餓死などの問題が生じたりするわけで、お米っていう主食などや、農業の環境こそを人間としてというより生命物そのものに関する財産にしていた年貢の話とか、【実際の史実に関しては書物や教科書などに書かれた範囲でしかなくて不明ですけど、江戸時代がなぜあれだけ戦国時代のような大きな国内戦争もなくて長く歴史を築き続いていけてたのか?】なども、ちょっと学生として義務教育で勉強してきたひとなんかも認知機能が働いてほしいものです。
お金や財産というのを金属や紙のカタマリだったり総市民統轄役所の数字データなんかで管理するような維新された時代や常識というのが世の中の人類の心や感性なんかを格差社会などの差別や争いとして招いてしまっていた結果なのなら、「年貢の納め時」として、今まで誤魔化しをやり続けたり溜め込み続けていた罪と罰のような税を払わなくてはならない社会問題や世界問題なんかも実質には出てくるのではないでしょうか?
・文明の末路
「世界の危機も滅亡も、デーモンにとってはお祭りみたいなものだ」とは、どんな意味があって放った口先なのかわかりませんけど、小悪魔の子のフレーバーセリフの中にもチラチラと奇妙なイディオムが含まれてるセリフ。
文明の末路っていうのは、よくSF作品の世界崩壊と戦うようなストーリーの題材にされていたりもあって、【地球スケールの規模でさえも抱え込みきれない増えすぎた人口を宇宙のスペースコロニーへと移民させていって半世紀が過ぎて地球人という人間と宇宙人という人間とが自治権を求めて戦争をしてしまう某ロボットアニメ】だとか、『ソイレントシステム』(まぁこういうワードをグーグルクロームなんかで左クリック押しっぱなしで文字を選択して右クリックなどでよく検索サイトサーフィンしていますが普通にそこいらの軽めの18禁よりもグロくて嘔吐もんっぽい子ども向けゲームストーリーなどの某海外SF社会映画が元ネタのアレとかも出てくるので慎重にお願いします)みたいなものだとか、実は知己(自分)はそんな中から雑学じみた知識を引っ張ってきてることもかなり多いです。
今は、レンタルDVDの108円で観れるような時代だったり、過去のレトロゲーム作品なんかはゲームメーカー自体が時代遅れの産廃として認識してるのか動画サイトでネタバレプレイ動画などが無償投稿であったりで、随分と節約生活人や貧乏人の視聴物としてはありがたい。
まぁ食糧も食材も資源でさえ無限大に存在するものでもありませんし、肉は生物にとっての人生であることは肉の生産施設に連れて行くなり必然の残虐シーンなどは情操教育として認知していてほしいものです。
「世界の危機や滅亡もお祭りみたいな感じに」考えている節がノンポリ層にあるにせよ、「魔王の手下みたいになる」んじゃなく「戦争に干渉しない」ところが、まだ大人しいのかもしれませんが、生きているための資源が無限大に存在するものでもないので資源消費への罪悪感なども常識として忘れないでほしい感じはします。
言うならば、文明もなにもない原始や自然体などでは、案外、難しいことを知らずが仏のようにストレスもなくシアワセに暮らしていけている様子もあったり、【農業を牧場経営みたいな感じで家族全員や村家庭コミュニティーという事務所への所属の中で、生産業務っていう金属や紙のカタマリじゃない財産を保有】しながら、人口を増やしすぎず良心を痛めすぎずのひとりっ子やふたりっ子などの掟なども考えながら暮らしていたりするものなのではないでしょうか?
【文明のひとにとって悪魔と扱われているだけで、案外、本来は自然体で無邪気な子どもっぽい遊び心や好奇心があるだけなんじゃないかなぁ?】って、可愛らしくもおもったりする部分もあったりします。
・あとがき
この記事は、チャノロジー・アノニマスのひとたちなどのムーブメント活動人や社会の中でのストレスや鬱症状で悩んでいるひとたちに向けて書いたつもりです。
日本危機や世界危機など世間やニュースなどでは騒いではいますが、それさえも文明がつくり出している幻想みたいなものであったり、割と悩んで行き詰まりを感じたときは、原始とか生命界のルーツとか大自然の掟と歴史とか原点回帰で考えてみると、うまくいくこともあるんじゃないかなぁ?…と、そんな感じにもおもったり…。
2015.11.9