「あのひとカッコ良い!」とか、「あのひと可愛い!」とか、そういう某タレントや某アイドルなどのファンらしきひとのコメントでよく観かけたりするもの。
でも、それは本当に人間として「カッコ良い!」とか「可愛い!」とか呼べるものなのでしょうか?
この雑記24では、そもそも「人間としての魅力って何なんだろう?」と、知己(自分)がいろいろ社会や心理などの論も交えながら、考察してみたいとおもいました。
某タレントや某アイドルなどへの不満やストレス点なども含まれる内容になりますが、知己(自分)の雑記は、論文とかじゃなく、知己(自分)自身のおもってることや書きたいことのノートブックみたいな感じでまとめているだけだという認識で読んでもらえるとうれしいです。
また、感想コメントでも良いし、タレントファンやアイドルファンなどからの気になる批判コメントなどもあったら、メッセージやコメントなどよろしくお願いしますね。



・人間の生きれる喜びや楽しみはどこから生まれるもの?



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誰しも、ひとは家に住んだりしながら、生活を営んでいますね。
でも、その生活というものは、『雑記15 社会人として社会に必要になること』でも書いてますけど、様々な生産者や労働者などで成り立っています。
【そういうひとたちが存在しないと、ひとのこういった生活は成り立たないんです。】
あのタレントが好きだの、あのアイドルが好きだの、そんなことに躍起になってる方もいますけど、【そもそも、そういったタレントやアイドルは、社会における人間として必要とされているのか、激しく疑問に感じる】わけで、まず【人間として尊敬するべき対象を間違ってます】よね?

生産者や労働者の仕事によって、自分たちの生活は助けられている、いわば、【人々の生活上における英雄(ヒーロー)になっている現実】があるんですけど、【なぜ、そういったひとたちを尊敬するような言葉や感想が、ネット上のコメントなどにおいて少ないんでしょうか?】

タレントが好きなひとやアイドルが好きなひとは、【そもそも「自分たちの生活がなぜできているのか?」とか、「偉大なひと」っていうのを、人間性そのものを完全に侮辱するかの如く】、根本からナメてる言動をしているように感じるんですが、こいつら人間の立場として反逆心の意味でぶっ潰しても良いんでしょうか?

ひとに対して「ぶっ潰す」発言すると、物騒に受け取られてしまいそうですけど、【本当に頑張っている仕事の人間が敬れもしない、この残酷で冷酷なような現状に対しては、それほどの理不尽さや怒りといったものが、人間感情の意味で発生したりするようなものだということは、人間としてよく認識していてほしい】とおもいます。

そういった実質の仕事について感じるとか謝るといった感謝とか敬意を示せる者こそ、「カッコ良い!」「可愛い!」といった大きな要素のひとつだということを、どうか大切におもってほしいかぎりです。
だって、そういった【実質の仕事をしているひとたちがいないかぎり、自分たちの生活においての生きるというものや便利というものは存在しない】のですから、そもそもそういう【実質の仕事の概念や責任感を重んじるひとこそ存在価値が十分に観出せてるもの】だとおもいますし、そういったひとを萎えさせたりするような言動をするのは、ゝっきり言ってひとでなしで人間のクズとさえ断言してもよろしいほどだとおもいます。



・さとりを入れられても疚しさのない心



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心を読む程度の能力を持った妖怪に「なによ!このロリコン!変態!」と真実を知られてしまった件。(汗)
『雑記9 読心裁判』の内容でも触れているとおもいますが、こういったものでサトラレたことで、なにか大きな信用を失いかねない疚しい心が観つかってしまったとか、そういう要素を持っていませんか?

それにしても、ひとって、心を読まれることになにを嫌悪を示しているんでしょうか?

【人間の大きな魅力の要素のひとつである信用】といったものを、この行では、少し書き出してみます。
【信用されるには、詐ったり欺いたりといった要素を完全に消し去れば良いもの】なんだと、まぁ、単純に考えれば単純に考えれられる要素なのかもしれないし、特に、無邪気や赤チャンや幼子などはこの大きな魅力を存分に持っているものなのかもしれないです。

「どうして信用されないの?」「どうして嫌われるの?」って嘆いているような子なんかも、【カッコつけるんじゃなくてカッコ良いことを実践する】とか、【可愛い子ぶるんじゃなくて可愛いことを実践する】とか、【そういうものを貫き徹す】とか、疚しさのない言動を疑われても調査を入れられても【潔白であるような歪みのない無不正な言動をしていれば良いだけ】なのに、どうしてそういう活動をしないのかドアホすぎてまるで意味がわかりませんね。

どんないかなる調査や追及をされようが歪みも不正もみつからない、ウソやミエとかズルなんかも一切みつからない、そんな存在になるだけで、実質にカッコ良いし可愛い、そんな天使のような潔白の信用評価と魅力が出るものなら、ものすごく簡単なものにもおもえるんですが?
また、歪みも不正もみつかったり、ウソやミエとかズルなんかもみつかったりするようなものなら、即座に謝罪をするなり、【もしもそういうことをしてしまった場合のペナルティー(賭け出すものゝ約束)の条件も自らつけるとか責任を背負うとかそういうことをすれば良い】んですよ。

実際、実質には【詐欺犯罪者にもほどがあるように詐ったり欺いたりすることが大好物で、人間という存在そのものへの信用の概念とかを根本からぶち壊すようなカッコ良くも可愛くもない、世の倫理(モラル)において存在すら邪魔で魅力のカケラもないし価値すらないようなゴミクズになりたがるとかひとでなし】や、化け物同士の化かし合いをしたがるような、【まぁ、いわばこの世から消えてほしいし生まれてきたゞけでも邪魔でしかない存在】に、どんな価値観やシアワセをおもってそんなことをしてるのかまるで意味がわかりません。

どんなに心や真実を読み解かれても、自分は絶対に潔白であるという絶対の信用というのは、カッコ良いとか可愛いとかもそうですが、【それ以前に人間が人間として存在価値が在るために厳守してほしいもの】だとおもいますし、また、【他の同じく人間として在るひとの印象なども汚さないように、連帯責任も意識しながら、人間というものそのものゝブランド性について】も、大切に責任感も添えて重んじてほしいものだとおもいます。



・すっぴんこそ人間として真実の魅力



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イメージ画像としてファイナルファンタジー3のジョブ(職業)チェンジのシステム説明の画像をお借りしました。
「すっぴん(素っぴん)って、そもそもなんなの?」って問われると、「元々」とか「ありのまんま」とかのひとの様子を表すような意味にもなるとおもいます。

これも、あくまでも知己(自分)の感じたものなんですが、ひとは人間そのものへ誠実に向き合うことについての「カッコ良い」とか「可愛い」とかの概念について、重大な誤解をしている部分もすごく多い印象を受けます。

特に、家族とか親友とかもそうだし、恋愛とか結婚とかはもっと深く関わるものだとおもうんですが、【人間としての魅力と本気で向き合うことになるなら、ひとは、必ず、素の人間と向き合うことになるんだとおもってます。】
そういった人間の概念そのものへの魅力を本気で想うなら、身や心なんかも【化粧でも装飾でも化けたり飾ったりしない「すっぴん」のカッコ良さや可愛さでないと、ひとは、信用といった絶対の信頼性を得られないとおもう】んです。

だから、そんな化粧や装飾なんかで誤魔化したりした結果が、そんな人間の根本と向き合うような自分や相手とお付き合いしていって【「素」というものが出てきたとき、「裏切られた」とか「裏切ってしまった」とか、人間関係の上で詐欺犯罪の被害者(破局関係)を生み出してしまうんじゃないか】と、そんな感じもします。

【恋愛や結婚に向けての思春期な活動にせよ、カッコつけるとか可愛い子ぶるとか、そういう化粧や装飾も含み、全く必要のないムダな努力をしているほかならない】ようにおもえてしまうんですよね。
さらに、家族や結婚など共同生活を前提条件とした場合でも、【はっきり言って生計資金にもなったり資源なんかもムダ遣いしているだけのクソっぷりがよくわかる】気がします。

『さとりを入れられても疚しさのない心』の行でも述べたことですけど、すっぴんといった素すら魅せないとか、特にマイナスな己の罪悪な部分をやたら隠そうとするとか、そういう「カッコつけ」や「可愛い子ぶり」は、【魅力どころか「自分自身が化け物や詐欺犯罪者である」と、全く魅力にもならないゴミクズである根拠や証明なんかを提示しちゃってるようなもの】だという、極めてアホすぎて狂いすぎてるような印象しかありません。

【ジョブチェンジして白魔導士やら黒魔導士やらに変身するような言動をしているとすれば、それはあくまでも遊びや道化(ピエロ)みたいなものにしか過ぎなかったり、役職や演出の上でしかないものなのかもしれませんし、人間そのものへ本気や真剣の場や情況においてそれを持ち出すのは、人間そのものを完全にナメてます。】

そういった面でも、「タレントやアイドルといった概念が大嫌い」だと、知己(自分)は宣言しているつもりですし、人間として根本の魅力を魅せるとなれば、やはり【すっぴんこそ人間として真実の魅力】であると、そういう心理論になるとおもいます。



・推理上からわかるもの



そもそも人間の魅力とか、そういったものを判断するのに、すぐにそのひとの魅力などの全てが判断できるわけではありませんし、身や心にまでいろんな化粧や装飾をしたウソやミエという建前や世辞すら罪悪感すら感じれない詐欺犯罪じみた人物である疑いや可能性も、絶対に障害となって立ちはだかるものとおもいます。
【人間=不純・汚物】という認めたくない残酷なものだとおもいますが、【だからこそ、人間に対しては、特に情報からの推理という能力が大きく必要とされてくるんだとおもいます。】

例えば、化粧するのも装飾を身につけるのもそうだし、髪の毛をやたら伸ばしたがったり、そういった情報から人間像を推理していくと、ゞういった推理論が出てくるとおもいますか?

髪の毛というその情報から、まず髪の毛の洗い手入れする手間とか、シャンプーやトリートメントの消耗品のことや、ドライヤーという電熱・温風という割と電力消費量が高い器具のこと、それから、それらに浪費する時間のこと、いろんな【利他(アルトル・他人のため)じゃない利己(エゴ・自分のため)の要素】とか【消費されてる時間】とかの人間像が推理上から出てきたりします。

言われてみれば、シングルマザーで給料のため仕事しながら、それと同時に子どもとお喋りや相談したりする【時間を大切にしている】と話してるひとの髪型を観ていると、【髪が短い】とか【髪が乾きやすいよう鋤(す)き手入れをしてある】とか、気がつくんですよね。

もちろん、手間のことも肌に余計な自然じゃないことして健康被害を与えないたりもしないように、化粧もしてる様子がありません。
だから、そこから、ホントに【時間そのものへの重要さを真面目に考えて感じてる】とか、【ひとを想い遣っている気持ち】とか、そういった人間の魅力を判断できたりもするんです。



・あとがき



男子力だか女子力だか知らないし、タレントだかアイドルだか知らないけど、人間そのものが捻り潰したいくらい嫌になるようなストレスの原因って何だったのか考え込んでいたら、こういう雑記文を書き遺したくなりました。
人間の魅力どころか、人間としての根本そのものが文字どおりの意味で「気違い」であり「狂っている」と、今のところ、そんな結論でまとまっています。
【さらに、それを罪悪感の認識もできなければ自覚もできない】【魅力どころか最悪の詐欺犯罪者だらけすぎ、信じるもシアワセもなにもあったもんじゃない、不信や不純や歪み不正に満ちた建前や世辞ばかりの地獄構図。】
これのなにが人間の魅力なんだろうね???

2015.1.5