天に自分を捧げた日@2009年7月のブログ記事より | ことこと愛する日々@真姿で生きる幸せ

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ことことカフェでの愛の奇跡(軌跡)エッセイ

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本日は、ソウルリーディング&ヒーリング連続講座

日曜A&Bクラスの皆さんと、

埼玉県飯能市・名栗にある八坂神社さんに参拝ツアーに行ってきました音譜


まだこれから4回ほど(信頼のクラスも含めて)参拝ツアーをする予定なので…

天河神社さんツアーのご報告を書いてから、ご報告を書きますね。



今日、ご参加のお一人が、

「あゆみさんは、いつの時点で、覚悟のようなものが決まったのですか?」と

お尋ねくださって、


そのとき、「うーーん、たしか いつかの時点で、

“天に自分を捧げます”って宣言したんですよね、

そのときだと思います」 というようなお話をしていたんですね。



帰宅してからブログを検索したら、

ガイドの永観さん(当時は「ハイアーセルフさん」と明記)との会話まで全部

記事に書いていました!


そうかそうか、書いていたんだっけ、と思いまして。


ガイドの永観さんと、“天に自分を捧げる”ことについて

対話をしたのが2009年6月25日


「天に自分を捧げます」と宣言したのは、

それから約3週間後の2009年7月16日でした(^-^)。



そのとき永観さんと交わした筆談の内容と、

その宣言をしてから1年後の時点2010年7月7日)での心境も、

ブログに綴っていましたので、


いま必要な人にお役に立てれば…と思いますので、

当時の記事からそのまま引用してご紹介したいと思います。


☆*☆*☆*☆*☆


 【ココから、2010年7月7日のブログ記事

 お願いごとを書かなくなった理由-(1)

 お願いごとを書かなくなった理由-(2) より引用】




新月のアファメーションをしなくなったと書いていたのは、

この記事だと思うんです(^-^)。

「お願いごとをしない軽さ」 (2009年7月25日)


ちょうど、1年近く前の記事でした。


このときに書いた、お願いごとがないから書かないということ以外の、

もう一つの理由というのは・・・


ある時期、というか、ある日から(この日と限定できます!!)


わたしは、

「自分のすべて…からだ、人柄、才能…すべてを天に捧げます」

と誓ったからなのです。


その少し前から、わたしは、自分が天から動かされている、

ということをよく感じるようになり、


そういう会話の中から、ハイアーセルフさん(=ガイドの永観さんのこと)から

勧められていたのです。


 ※わたしの場合は、ハイアーセルフさんとガイドの永観さんが

 同じ存在であったことが、あとからわかりました。

 


「あゆみのすべて…からだ、心、人柄、才能、すべてを天に捧げ、手放すこと
すべてを天に捧げます、と誓うとよいぞ。


それを誓うと、人の欲や我に巻き込まれることもなく、

欲に振り回されることもなく、自分の欲に悶々とすることもない。


本当にスッキリとして、楽になるぞ。」


と言われていました。


でも、すべてを天に捧げるって…えー怖い!! そんなことできないよ、

そんなことしたら、すべてコントロールされてしまうの?! と思い・・・


ものすごく怖くて、なかなかできなかったのです。


それと、すべてを天に捧げてしまったら、

夫(=リコピンさん)と離れる(別れる)運命になるか、

自分は(肉体が)死んでしまうのではないか、という恐怖感がありました。


「○○(夫の名前)とは離れないし、死なない。

逆に、生かされる。


怖いのはなぜ?


コントロールされると思う?


人にコントロールされるよりいいだろう。」

 (※↑「たしかに!!」と 今、読んでいて、合いの手を入れてしまいました(笑))


「『私のすべてを使ってください』と言えばいいのですか?」


「言い方はどうでもいい。

‘自分のすべてを天に捧げる’ということだ。


でも、怖れがあるうちは、やめて。簡単ではない、
欲を捨てて、我を捨てて、天にすべて預けるというのは…。


しかし、ラクになるぞ。」


と、なお、勧められていました。


「○○さん(リコピンさんの名前)とぜったい離れることもなくて、

ずっと一緒に生きられるのなら、今でもできるかもしれません」


と言うと、


「○○と離れないならいい、と思えるなら、もう、できるぞ。」


「でも、すべてを天に捧げたら、自分の好きなことはできないのですか?」


「そんなことはない。

天に捧げたとしても、好きなことはしてもよいし、好きに生きてよい。


欲と、好きに生きるのはちがう。」


「うーん…、いまいち、その違いがわかりません。」


「そのちがいが、いまいちわからないのも、しかたない。


まぁよい。そのうち、な。悪くなることはないから、安心を。」


 (以上、2009年6月25日の会話より。

 ノートに書いているのでそのままです。)


そのような会話のやりとりがあったのです。



その後、3週間ほど経った、2009年7月16日。


1通のメールを書いたときに、

自分がまた‘天の意志’に動かされた、と感じました。


「(わたしにメールを書かせたのは) 天の意志だと氣づいたら、

スーッとモヤモヤが消えていき、


もう、すべてを天に捧げ始めているのかも…と、

すでに天の意志で動かされていることを感じています。


このまま天に捧げてもいいかも…と。


○○さん(夫の名前)と離れず、一緒に生きていけるのであれば、

天に私をお預け? お返し? まるごと捧げたいと思っております。。。」


ノートに、このままの文章で書いて、

ハイアーセルフさんに話しかけてみました。


「そうか…○○と一緒なら、よいか? 離れなければ、よいか?


○○と生きて、身体も生きて、離れなければよいか?」


(はい、いいです。天に、わたしのすべてを捧げます。

わたしを、すべて自由にお使いください。)


 (と、心の中で宣言しました。)


「よし、よし。。。。すごい。

あゆみは、もう、神の意志に……従う…と、すべて捧げる、と。


○○も、あゆみも、死なないし、ずっと一緒にいられる。


身体もいまのまま、生きていけるし。心配いらない。


あゆみのたましいのすばらしさ、人格、人柄、才能、

すべて天に捧げた、ので。


あゆみの我=エゴ、執着、欲=人の世の地位的な欲も、

すべて、すべて、なくなり、ました!!!!!!!!


○○と一緒に…は、大丈夫。


それも、あゆみがいなくなったり離れたら、

○○が悲しみ、苦しむと知っていて、愛からの氣持ちからなので。


みな、わかっているから…。


あゆみの光の輝きは、いま、とてもとても輝きを放っている。」


と…わたしは、降りてくる言葉を夢中でノートに綴っていました。


その月から、新月の日にお願いごとを書かなくなりました。



昨年(2009年)の7月16日に宣言してから、


「わたしのすべてを天に捧げます、預けます。」

「わたしのすべてを、どうぞ自由にお使いください。」


という想い・意識のなかで、日々を生きてきて、

1年という月日が経とうとしています。


自分のすべてを天に捧げた、とは言っても、

欲やエゴのようなものがなくなったわけではないと思うし、


いまでも、執着のようなものや、「人に認められたい」という想いが

消えたわけではないと思います。


しかも、その後も一時期、お願いごとを書いていた時期もありました。


この記事 を書いた頃は、このノートに、夫との将来や夢について書いたり、

ふと思い立ったときに、願いごとを書いたりしていました。


でもその後、夫の誕生日にこの記事 を書いてからは、

やっぱりお願いごとは書かなくてもいいや、と手放しました。


いまは、レイキのブラッシュアップクラスで、

「4ヵ月間の願望実現のアファメーションをする」という課題があるので、

それは書いたし、取り組んでもいます。


だから正確には、「自分のすべてを天に捧げたと言えるのか?」

と尋ねられたら、ちがうのかもしれません。


「天に捧げた」というと、ちょっと言葉が強いかなと思うのですが・・・


いまは、自分に関わるすべてのことについて、

「天に委ねられるようになった」、

「天の采配や意志に対して、自分でコントロールしようとしなくなった」、

などという言い方が、


自分のなかでは一番しっくりくるのかなぁと、いまは感じています。


そして、お願いごとを書かなくなった理由を、

ハイアーセルフさんとの会話の一部始終を、


(リクエストをいただいてから、ずいぶん経ってしまいましたが)


この1年間、実践&体験したからこそブログに書けるようになったし、

まさに今が、‘書くべき時期’だったのだなぁとも思います。


きょう、ある方へのメールを書いていたとき、

とても自然にこんなフレーズを書いていました。


「いまは、自分に関わることのすべては、
天の采配と流れの中で、起こるべきことが起こり、

そのときそのときで、するべきことがわかる、
と感じるようになっています。


ですから、いまはすべて天にお預けして流れに任せています(^^)。


これからも、ハートとたましいにしたがって、
ワクワク楽しい人生にしていきたいなぁと思っています。」


今の心境としては、この言葉が本当にしっくりきます。


1年前のあの日に比べて、

天を信頼する氣持ち=自己信頼の氣持ちは、
確実に、大きくなっています。


氣持ちが、とても軽やかでラクになっているなぁと思うのです。


あの日から1年経って、いまのわたしが書けることはと言えば、


自分のすべてを天に捧げる、預けるということは

自分の一番神聖な想い=ハートの真実にしたがって生きること。


ハートの真実にしたがって生きているかぎり、

あらゆる執着を手放すことができ、

心は軽やかに自由でいられる。


ということかなと、思っています。


本当に必要に迫られないかぎり、これからもわたしは、

新月のお願いごとは書かないと思います。


すべてを天に委ね、預けてしまったほうが、だんぜん心地よいから・・・(^-^)。


これが、いまわたしが、新月のお願いごとを書かなくなった理由です。


 【ココまで、2010年7月7日のブログ記事

 お願いごとを書かなくなった理由-(1)

 お願いごとを書かなくなった理由-(2) より引用】

 

 ※ご興味ありましたら、↑コチラの2つの記事もお読みいただけたらうれしいです。



☆*☆*☆*☆*☆


ブログを読み返してみたら、4年前の2009年にはもう

「天に自分を捧げます」と宣言していたのですねぇ。


想っていた以上に前だったことに、自分でも驚いています。


2009年6月といえば、その年の1月からカラーセラピーを有料で始めて、

3月にレイキティーチャーになり、伝授をさせていただくようになった頃です。


まだ、レイキヒーリングの個人セッションも、

有料のリーディングも、もちろんおこなっていない頃でした。


振り返ってみると、やはり、その後からはたしかに、

自然に導かれるかたちで、天に使っていただいてきたなぁ、と感じます。


わたしの場合は、先に宣言してしまったことで、

今のようなスタイルのセッションをするように導かれていったのかな、と思います(^-^)。


そして、ガイドの永観さんが、

「でも、怖れがあるうちは、やめて。簡単ではない、

欲を捨てて、我を捨てて、天にすべて預けるというのは…。

しかし、ラクになるぞ。」 と言っていた通り、


本当に、ラクになりました。心が軽くなりました。

頭で考えなくなり、世間の常識や人の言葉にも縛られなくなり、

“内なる感覚”で生きられるようになりました。


その4年後が、今のわたしです(*^.^*)。



どなたかのお役に立てば…と思い、

3年前のブログ記事をご紹介してみました。


いつもお読みくださり、ありがとうございますドキドキ


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ガーベラあっちゃんにマリアライト伝授&レイキ再伝授☆ご感想 (4/9)

メモ2013年前半のおすすめ記事は→

メモ2012年後半のおすすめ記事は→★★


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