イザナギノミコトのレイラインを考える(6) | 西陣に住んでます

イザナギノミコトのレイラインを考える(6)

西陣に住んでます-日本のレイライン




イザナギノミコトに関わるとされるレイラインを考えるこのシリーズ記事、

まず[第1回記事] では、

淡路島伊弉諾神宮を起点とする各方位のレイラインについて

実際の神社の位置がレイラインと乖離するものが

少なくないことを示しました(冒頭の図参照)。


出石神社(天日槍命:アメノヒボコ )
東北東諏訪大社(建御名方神:タケミナカタ)
伊勢神宮(天照大神:アマテラス)
東南東熊野那智大社(熊野権現)
諭鶴羽神社(伊弉諾神:イザナギ)
西南西高千穂神社(高千穂皇神:タカチホスメガミ)
西海神神社(豊玉姫命:トヨタマヒメ)
西北西
出雲大社(大国主命:オオクニヌシ)


[第2回記事] では、東北東に伸びるとされるレイラインを

[第3回記事] では、西に伸びるとされるレイラインを

[第4回記事] では、東南東西北西に伸びるとされるレイラインを

[第5回記事] では、に伸びるとされるレイラインを

対象としてその意味を推察した次第です。


この第6回記事では、西南西に伸びるとされるレイライン

を対象としてその意味を考察したいと思います。



メモメモメモメモメモ



西南西に延びるとされるレイラインは

天孫降臨伝説がある高千穂神社に到達するとされています。


高天原アマテラス出雲オオクニヌシからを譲り受けた後に

アマテラスのニニギ降臨した「筑紫の日向の高千穂の霊峰」

のモデルの候補地としては、高千穂神社がある西臼杵郡高千穂

霧島高千穂峰の2つが有力な説としてあります。


私はこのうち、

霧島の高千穂峰が天孫降臨神話のモデルの地と考えていますが、

それにはいくつかの理由があります。


まず、高千穂の地に関する記述として、

古事記では高千穂の峰に降り立ったニニギが次のように述べています。


「この地は朝鮮に相対しており、笠沙の御碕にまっすぐ道が通じていて、

 朝日のまともにさす国であり、夕日の明るく照る国である。」


この記述において、「朝鮮に相対しており」というのは、

両地点ともに合致していないといえます。

両地点ともに朝鮮半島を肉眼で見ることは物理的に不可能であり、

おそらくこの記述は、この地域が、朝鮮半島に近い九州(筑紫)に位置する

という観点に立って発せられた言葉であると私は考えます。

なお、霧島の高千穂峰の近くに位置する韓国岳は、

韓国を見渡すことができるほど高いことからネーミングされたそうですが、

もしかしたらこの誤解が当時存在していた可能性も考えられます。


次に「笠沙の御碕にまっすぐ道が通じている」地理的環境にあるのは、

明らかに霧島の高千穂峰の方です。


さらに、「朝日がまともにさし、夕日が明るく照る」のも

霧島の高千穂峰の方です。


Google Earthを使って、西臼杵郡の高千穂で見る春分の朝日と

霧島の高千穂峰で見る春分の朝日を比較したのが下図です。


西臼杵郡の高千穂(国見の丘)で見る春分の朝日

高千穂の朝日


霧島の高千穂峰で見る春分の朝日

高千穂峰の朝日


両図を見てわかることとして、朝日がまともにさしているのは

水平線が海上にある霧島の高千穂峰であることがわかります。

一方、夕日の様子を比較したのが下図です。


西臼杵郡の高千穂(国見の丘)で見る春分の夕日

高千穂の夕日


霧島の高千穂峰で見る春分の夕日
高千穂峰の夕日


西臼杵郡の高千穂の場合、山が周辺の山が高いために

真の意味での夕日が見難いといえます。

それに対して、成層火山の霧島の高千穂峰からの西側の眺望には

東側の眺望と同様にほとんど障害物がなく夕日が明るく照ります。


さらに日本書紀では高千穂の峰を「やせた不毛の地」と称していますが、

これもヴェジテイションに乏しい火山地域の霧島の高千穂峰に合致します。

西臼杵郡の高千穂も高千穂峡も溶結凝灰岩の急崖には

ヴェジテイションは認められないものの、

そのトップは美しい木々に覆われていて、

現在でも釜炒り茶、椎茸、野菜、花などの農産物が豊富です。


以上のような地理的特徴に加えて、

西臼杵郡の高千穂が天孫降臨の地でないと考えられる傍証があります。


それは、下図に示すように、

西臼杵郡の高千穂には、本来は高天原にあるべき

天岩戸・天香山・天安河・天真名井などの場所が

存在しているからです。


高天原(高千穂)


論理的に考えると、高天原と天孫降臨の地は異なる必要があります。

もし高天原が高千穂の峰であったら、

それこそ大きな矛盾といえるかと思います(笑)


逆に西臼杵郡の高千穂こそ高天原であると私は考えます。

西臼杵郡の高千穂は、標高は比較的低いながらも

平野とは隔絶された一種の高地性集落ということができ、

柱状節理が発達するV字峡谷は極めて神々しい様相を呈しています。

これぞ、天の世界をイマジンするには抜群であると思います。


以上のことから考えるに、

アマテラスファミリーのルーツは西臼杵郡の高千穂にあり、

アマテラスというシャーマンを中心にして

神話にあるような平和なコミュニティーを築いていたのではと推察します。

そしてそれがアマテラスの子孫の時代になると、

新たな住居を九州東南部の肥沃な地に求め天孫降臨したのでは

と考える次第です。


なお、後の世にこの高千穂の高天原をモデルにして

大和の葛城の地にも高天原が建設されたことが推測されます。

天皇の神格化を強調するためには、

都の近くにも神聖な聖地が必要であったと考えられます。


下図は、高天原としての伝承がある高天彦神社と

大和に存在する天香山と天岩戸を含む地図です。


高天原(大和)


興味深いのは神社から天香山と天岩戸に向かうラインの角度がN54E、

つまり北から東に57度、東から北に36度傾いた方位を向いています。

36度という角度は180度を5で割ったものであり、

5本の等しい長さを持った棒を用いれば作図することができます。

偶然の一致であるかどうかはわかりませんが、

高千穂と大和のこれらのインフラのレイアウトが類似している

ということ自体は事実です。


以上のように考えた場合、高千穂は皇祖神の故郷ということができ、

伊弉諾神宮とレイラインで結ばれていても不思議ではないと考えます。

そこで、実際にどうなのか検討したものが次の図です。

ちなみに図には参考までに他の2本の主要なレイラインをプロットしてます。

[伊勢に神宮がある謎] [もう一つの神宮レイライン]


高千穂レイライン


伊弉諾神宮から冬至日の入の方位にラインを描くと

高千穂神社の位置を通過せずに

九州の名社である西寒多神社祖母山の位置を通過します。

ただ、これらの地点と伊弉諾神宮を結ぶ合理的な理由については

まったくといっていいほど思いつきません。

おそらくこの位置関係は偶然のレイアウトであると私は思います。


一方、高千穂神社から夏至日の出の方位にラインを描くと、

伊弉諾神宮の位置を通過しません。

基本的にこれらのライン上には、天岩戸神話に関係する神々を祀る

大麻比古神社(フトダマ)枚岡神社(天児屋命)などの神社や

淡路島の先山の頂上付近にある岩戸神社など天岩戸系の神社が

見事に並びます。

このことから、このレイラインはイザナギ神宮を含むレイラインではなく、

天岩戸神話に関係するレイラインであると考えます。


以上のことから、西南西のレイラインについても

伊弉諾神宮は基本的に絡んでいないと考えられます。



メモメモメモメモメモ



以上により、伊弉諾神宮をとりまくすべての方位において

レイラインの存在の検討が済みました。


次回はこのシリーズの総集編(最終回)として、

今回登場した日本の主たるレイラインの形成プロセスについて

考察してみたいと考えます。


ここまで、

伊弉諾神宮の多くのレイラインを否定した形になっていますが、

伊弉諾神宮が日本の太陽信仰のメインストリームにあることは

間違いないと私は思っています。