イザナギノミコトのレイラインを考える(2) | 西陣に住んでます

イザナギノミコトのレイラインを考える(2)

西陣に住んでます-日本のレイライン

(以下、地図をクリックすると拡大します。)



イザナギノミコトに関わるとされるレイラインを考えるこのシリーズ記事、

まず[前記事] では、

淡路島伊弉諾神宮を起点とする各方位のレイラインについて

実際の神社の位置がレイラインと乖離するものが

少なくないことを示しました(冒頭の図参照)。


出石神社(天日槍命:アメノヒボコ )
東北東諏訪大社(建御名方神:タケミナカタ)
伊勢神宮(天照大神:アマテラス)
東南東熊野那智大社(熊野権現)
諭鶴羽神社(伊弉諾神:イザナギ)
西南西高千穂神社(高千穂皇神:タカチホスメガミ)
西海神神社(豊玉姫命:トヨタマヒメ)
西北西
出雲大社(大国主命:オオクニヌシ)


ここで、各レイラインについて個別に考えてみたいと思います。

この記事では、南と東北東に伸びるとされるレイラインを対象とします。



右矢印


南方位のレイラインとして、伊弉諾神宮では、[前記事] で紹介した

オノコロ島の有力な候補地である諭鶴羽神社を通過するとしています。

しかしながら、諭鶴羽神社の位置は約8°程西にずれています。

地球から見た太陽の見掛けの立体角は約0.5°なので、

約8°西偏している諭鶴羽神社の位置は、

厳密な意味でレイラインとして認定するには無理があると思います。


ちなみに、オノコロ島の候補地をプロットした地図を示します。


西陣に住んでます-オノコロ島候補地


オノコロ島候補地としては、

淡路島内にある小丘状地形である先山自凝島神社諭鶴羽神社

淡路島周辺の島である家島絵島(岩樟神社)友ヶ島飛島

沼島(おのころ神社)などが挙げられています。


オノコロ島は基本的に神話に登場する島であるため、

解釈によっていか様にも比定することができます。

ただし、伊弉諾神宮とレイラインで結ばれている場所はありません。

また、淡路島の真南には他に日本の国土はなく、

伊弉諾神宮の南にレイラインは存在しないと結論付けることができます。



右矢印東北東


伊弉諾神宮の東北東には、皇祖神による葦原中国の平定に反抗した

タケミナカタ(建御名方神)を祀る諏訪大社が存在しますが、

これも夏至の日の出の方位とはやや乖離が大きくなっています。


ここで今一度国生み神話に立ち戻ります。

[前記事] では日本書紀のイザナギとイザナミの国生み神話を紹介しましたが

日本書紀では、この説の他に10種類の異説を紹介しています。

そのうち、第一の異説は他の説に比べて圧倒的に精緻に描かれています。

以下にアブストラクトを示します。


イザナギとイザナミは天の浮橋から天の瓊矛(あまのぬぼこ)で海をかき回して引きあげたところ、矛先から滴った海水が固まってオノコロジマ(磤馭慮島)が生まれました。イザナギとイザナミはオノコロジマに降り立って性交したところ、蛭子(不具の子)が生まれたので、葦船に乗せて流してしまいました。次に淡州(あわのしま)を生みましたが、これも子の数に入れませんでした。性交の流儀に問題があることを天の神々に指摘されたイザナギとイザナミはその後順調に、本州(大日本豐秋津洲)、淡路島(淡路州)、四国(伊豫二名洲)、九州(筑紫洲)、隠岐(億岐洲)、佐渡島(佐度洲)、北陸(越洲)、児島半島(吉備子洲)という大八島国(おおやしまのくに)を生みました。


ここで、大きなヒントとなると考えられるのが、

不具の子である蛭子(ひるこ)が国生み神話に登場していることです。

淡路島のオノコロ島候補地の中で、この蛭子の説話を伝承しているのが

絵島とその近くにある岩樟神社で、伊弉諾神宮の東北に位置しています。


絵島は層状の堆積岩で形成されている小島で、

蛭子を流した場所であるという伝承があります。


西陣に住んでます-絵島


そして、岩樟神社では岩の中にイザナギ、イザナミ、蛭子を祀っています。


西陣に住んでます-岩樟神社

西陣に住んでます-岩樟神社


この蛭子が流れ着いた場所が、

絵島の東北東方位にある神戸の和田神社です。


西陣に住んでます-和田神社

西陣に住んでます-和田神社


そして、その後に和田神社の東北東方位にある

西宮戎神社(西宮神社)に祀られることになります。


西陣に住んでます-西宮戎神社

西陣に住んでます-西宮戎神社


この地で蛭子は「えびす」と読まれ、戎・夷・恵比寿などの漢字が

あてられました。ここにえびす信仰が誕生し、

西宮戎神社は日本のえびす神社の総本宮になりました。

ちなみに、西宮戎神社は正月に境内で競争があり、

福男が選ばれる神社として有名です。


さて、ここで注目すべきことは東北東という方位です。

この方位は有力なレイラインとなる夏至の日の出の方位とほぼ一致します。


西陣に住んでます-日本のレイライン


このラインをさらに伸ばしたものが次の地図です。


西陣に住んでます-日本のレイライン


レイラインは、まず[前記事] で紹介した多賀大社に到達します。


私はこの多賀大社こそ、

イザナギが隠居したとされる日の少宮(ひのわかみや)であると思います。


「日の」は、太陽のパワーが最大となる夏至の日の出の方位を意味し、

「少宮(わかみや)」は、蛭子という若い子が住む宮を意味する

と解釈できるかと思います。


その先に進んで鬼門関ヶ原を超えたあたりには、

カグツチを生んで苦しむイザナミの嘔吐物から生まれた

金山彦命を祀る南宮大社があり、

その先には、葦原中国の平定において最大の敵であった

タケミナカタ(建御名方神)を祀る諏訪大社が存在します。

さらに進むと、

その最高指導者である大己貴命味耜高彦根命を祀る二荒山神社

さらにはヤマト政権の力が及んでいない東北勢のポータルともいえる

白河関が存在します。


多賀大社のイザナギは、これらのことから、

鬼門の方位(東北東:寅)にいる強敵の侵入を防ぐ役割を

担っていたのではと考える次第です。


いずれにしても、諏訪神社を通る東北東のレイラインは、

伊弉諾神宮を始点とするものではなく、岩樟神社を始点とするものであると

考えられます。


さて、


今回の「イザナギノミコトのレイラインを考える」については、

2回で終了の予定でしたが、いろいろと考えた場合、

そんなに簡単に終わらせることができないくらい大きなテーマでした(笑)


あと、2回くらい記事を書きたいと思います。