イザナギノミコトのレイラインを考える(4) | 西陣に住んでます

イザナギノミコトのレイラインを考える(4)

西陣に住んでます-日本のレイライン

(以下、地図をクリックすると拡大します。)



イザナギノミコトに関わるとされるレイラインを考えるこのシリーズ記事、

まず[第1回記事] では、

淡路島伊弉諾神宮を起点とする各方位のレイラインについて

実際の神社の位置がレイラインと乖離するものが

少なくないことを示しました(冒頭の図参照)。


出石神社(天日槍命:アメノヒボコ )
東北東諏訪大社(建御名方神:タケミナカタ)
伊勢神宮(天照大神:アマテラス)
東南東熊野那智大社(熊野権現)
諭鶴羽神社(伊弉諾神:イザナギ)
西南西高千穂神社(高千穂皇神:タカチホスメガミ)
西海神神社(豊玉姫命:トヨタマヒメ)
西北西
出雲大社(大国主命:オオクニヌシ)


[第2回記事] では、東北東に伸びるとされるレイラインを

[第3回記事] では、西に伸びるとされるレイラインを

対象としてその意味を推察した次第です。


この第4回記事では、西北西-東南東のレイラインを対象として

その意味を推察していきたいと思います。


さて、先日記事 [1] [2] で太陽暦のイヴェントである

節分のレイラインについて考えましたが、

その中で出雲猪目洞窟から三輪山に至るレイラインを示しました。


出雲-三輪山


実は、伊弉諾神宮から見て西北西のレイラインも出雲付近を通過します。

イザナギが登場する神話に関連する古社とともにレイラインをプロットすると

次のようになります。


イザナギのレイライン


ここで、図中の赤色のラインは出雲大社から見た冬至の日の出の方位、

また水色のラインは伊弉諾神宮から見た夏至の日の入の方位です。


図を見ると、出雲大社から冬至の日の出の方位に進んでいくと、

関連のポイントを次々と通過して伊弉諾神宮に至ることがわかります。

またこのラインは日御碕と花窟神社についてもしっかりと外挿しています。

一方で、伊弉諾神宮から夏至の日の入の方位に進んでいくと

関連のポイントをほとんど通過せず、

唯一猪目洞窟の西近傍を通って日本海に抜けていきます。


さらに、伊弉諾神宮が指摘する熊野那智大社の位置は

冬至日の出のラインおよび夏至日の入のラインからかなり遠く、

明らかに太陽のレイラインが存在していないことがわかります。

これは熊野三山のすべてに言えることであり、

熊野三山と出雲の間にも太陽のレイラインは存在しないといえます。


以上のディスカッションから、伊弉諾神宮と出雲の間には

出雲から見た冬至の日の出方位のレイラインが存在すると考えるのが

合理的であると考えられます。


そしてこのことは、「出雲が先に存在して伊弉諾神宮が後に創建された」

という事実を論理的に導くものです。

このことは、記紀の神話の時系列とは異なりますが、

「日本神話」があくまで神話であることを考えれば、合理的な結論といえます。


そして、[第3回記事] でのディスカッションを含めれば、

「伊弉諾神宮は、出雲から見た冬至の日の出方位のレイラインと

 伊勢神宮-葛城山の西方位のレイラインの交点に位置するように

 創建された」

と考えることができます。


つまり伊弉諾神宮は、アマテラスの末裔である大和朝廷と

スサノオの末裔である出雲国との共通の宗教インフラであり、

イザナギがアマテラスとスサノオの親であることを考えれば、

極めて合理的な位置に存在するといえます。


イザナギのレイライン


ここで、出雲大社-伊弉諾神宮ライン上に存在する宗教インフラを

順に詳しく見ていきたいと思います。

なお、このレイラインに関連するイザナギ&イザナミ神話のエピソードは

[節分のレイラインを追いかける(1)] を参照してください。



(1) 日御碕神社


出雲大社の西北西に位置する日御碕神社ですが、

もともとは出雲の国津神の祖先であるスサノオを祀る神社でした。

平安時代になると、村上天皇から日沈の宮と呼ばれますが、

これは冬至の日の出方位と夏至の日の入方位がほぼ同じであることから

「夏至のもっとも盛んな太陽が沈む方位」と考えたことによるものと

考えられます。

このとき、村上天皇は伊勢神宮からアマテラスをこの地に勧請しました。


(2) 出雲大社

アマテラスに国を譲ったオオクニヌシが祀られている神社です。

出雲の本拠地であるこの神社は

このレイラインの事実上の起点であると考えます。


(3) 三屋神社


オオクニヌシとスサノオのファミリーが祀られています。

オオクニヌシの最も重要な神社の一つといえます。


(4) 御墓山


イザナミの墓があるという比婆山伝説の伝承地の一つです。


(5) 日売坂鍾乳穴神社


現在ではオオクニヌシを祀っていますが、

もともとはイザナギ・イザナミを鍾乳洞に祀った神社と言われています。

[第3回記事] で推察したように、鍾乳洞という地下空間は、

黄泉の比良坂の入口をイマジンさせる場所であると考えます。


(6) 石上布都魂神社


現在ではスサノオを祀っていますが、

実際はイザナギがカグツチを斬った十握剣を祀った神社と言われています。


(7) 伊弉諾神宮


ここでイザナギを祀る伊弉諾神宮がレイライン上に登場します。


(8) 花窟神社


日本書紀では、紀伊国の花窟神社をイザナミの墓としています。



メモメモメモメモメモ



以上の宗教インフラの名前を神話のキャストの名前で

地図にプロットし直すと下図のようになります。

イザナギのレイライン


神話の1つのエピソードに登場するキャストが、これほどまでに

太陽の運行上の特別な角度を持つレイライン上に乗ってくるのは

けっして偶然ではないと思います。


また、北側にある節分レイラインのように

出雲を黄泉の国・根の国として、近畿を一般の国とするような

並びになっているのは興味深いところです。


日本の古代宗教が日本神話と空間的にシンクロしているのがよくわかります。




さて、残るは南西方位のレイラインです。