使徒行伝 その12
「7.こうして神の言は、ますますひろまり、エルサレムにおける弟子の数が、非常にふえていき、祭司たちも多数、信仰を受けいれるようになった。
8.さて、ステパノは恵みと力とに満ちて、民衆の中で、めざましい奇跡としるしとを行っていた。
9.すると、いわゆる「リベルテン」の会堂に属する人々、クレネ人(びと)、アレキサンドリヤ人(びと)、キリキヤやアジヤからきた人々などが立って、ステパノと議論したが、
10.彼は知恵と御霊(みたま)とで語っていたので、それに対抗できなかった。
11.そこで、彼らは人々をそそのかして、「わたしたちは、彼がモーセと神とを汚す言葉を吐くのを聞いた」と言わせた。
12.その上、民衆や長老たちや律法学者たちを煽動(せんどう)し、彼を襲って捕えさせ、議会にひっぱってこさせた。
13.それから、偽りの証人たちを立てて言わせた、「この人は、この聖所と律法とに逆らう言葉を吐いて、どうしても、やめようとはしません。
14.『あのナザレ人(びと)イエスは、この聖所を打ちこわし、モーセがわたしたちに伝えた慣例を変えてしまうだろう』などと、彼が言うのを、わたしたちは聞きました」。
15.議会で席についていた人たちは皆、ステパノに目を注いだが、彼の顔は、ちょうど天使の顔のように見えた。
1.大祭司は「そのとおりか」と尋ねた。
2.そこで、ステパノが言った、
(中略)
51.ああ、強情で、心にも耳にも割礼のない人たちよ。あなたがたは、いつも聖霊に逆らっている。それは、あなたがたの先祖たちと同じである。
52.いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、ひとりでもいたか。彼らは正しいかたの来ることを予告した人たちを殺し、今やあなたがたは、その正しいかたを裏切る者、また殺す者となった。
53.あなたがたは、御使(みつかい)たちによって伝えられた律法を受けたのに、それを守ることをしなかった」。
54.人々はこれを聞いて、心の底から激しく怒り、ステパノにむかって、歯ぎしりをした。
55.しかし、彼は聖霊に満たされて、天を見つめていると、神の栄光が現れ、イエスが神の右に立っておられるのが見えた。
56.そこで、彼は「ああ、天が開けて、人の子が神の右に立っておいでになるのが見える」と言った。
57.人々は大声で叫びながら、耳をおおい、ステパノを目がけて、いっせいに殺到し、
58.彼を市外に引き出して、石で打った。これに立ち合った人たちは、自分の上着を脱いで、サウロという若者の足もとに置いた。
59.こうして、彼らがステパノに石を投げつけている間、ステパノは祈りつづけて言った、「主イエスよ、わたしの霊をお受け下さい」。
60.そして、ひざまずいて、大声で叫んだ、「主よ、どうぞ、この罪を彼らに負わせないで下さい」。こう言って、彼は眠りについた。」
「使徒行伝」第6章7節~15節,第7章1節~60節
感想
>さて、ステパノは恵みと力とに満ちて、民衆の中で、めざましい奇跡としるしとを行っていた。
この人は、「そこで、兄弟たちよ、あなたがたの中から、御霊(みたま)と知恵とに満ちた、評判のよい人たち七人を捜し出してほしい」(「使徒行伝」第6章3節)の中の一人の「信仰と聖霊とに満ちた人ステパノ」。
>14.『あのナザレ人(びと)イエスは、この聖所を打ちこわし、モーセがわたしたちに伝えた慣例を変えてしまうだろう』などと、彼が言うのを、わたしたちは聞きました」。
満更嘘という訳でもないだろう。例えば、「マタイによる福音書」第5章21節~44節ぐらいを読めば、イエスが古い慣例を更新しているのが分かる。
http://web1.kcn.jp/tombo/v2/MATTHEW05.html
他にも、従来のユダヤ教では食べてはいけない物が色々あった(例えば豚肉)が、イエスは何を食べても良いとした。おまけに食事の前に手を洗っていたのを洗わなくて良くした。(当然洗っても良かったと思う。)
「1.ときに、パリサイ人(びと)と律法学者たちとが、エルサレムからイエスのもとにきて言った、
2.「あなたの弟子(でし)たちは、なぜ昔の人々の言伝えを破るのですか。彼らは食事の時に手を洗っていません」。」
「マタイによる福音書」第15章1節~2節
「しかし、洗わない手で食事することは、人を汚すのではない。」
「マタイによる福音書」第15章20節
「4.「先生、この女は姦淫の場でつかまえられました。
5.モーセは律法の中で、こういう女をを石で打ち殺せと命じましたが、あなたはどう思いますか」。
6.彼らがそう言ったのは、イエスをためして、訴える口実を得るためであった。
(中略)
11.女は言った、「主よ、だれもございません」。イエスは言われた、「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」。」
「ヨハネによる福音書」第8章4節~11節
>55.しかし、彼は聖霊に満たされて、天を見つめていると、神の栄光が現れ、イエスが神の右に立っておられるのが見えた。
似たような現象が「マタイによる福音書」第17章にある。
「1.六日(むいか)ののち、イエスはペテロ、ヤコブ、ヤコブの兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。
2.ところが、彼らの目の前で、イエスの姿が変り、その顔は日のように輝き、その衣は光のように白くなった。
3.すると、見よ、モーセとエリヤが彼らに現れて、イエスと語り合っていた。
4.ペテロはイエスにむかって言った、「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。もし、おさしつかえなければ、わたしはここに小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのために、一つはモーセのために、一つはエリヤのために」。
5.彼がまだ話し終えないうちに、たちまち、輝く雲が彼らをおおい、そして雲の中から声がした、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である。これに聞け」。
6.弟子(でし)たちはこれを聞いて非常に恐れ、顔を地に伏せた。
7.イエスは近づいてきて、手を彼らにおいて言われた、「起きなさい、恐れることはない」。
8.彼らが目をあげると、イエスのほかには、だれも見えなかった。
9.一同が山を下って来るとき、イエスは「人の子が死人の中からよみがえるまでは、いま見たことをだれにも話してはならない」と、彼らに命じられた。
10.弟子(でし)たちはイエスにお尋ねして言った、「いったい、律法学者たちは、なぜ、エリヤが先に来るはずだと言っているのですか」。
11.答えて言われた、「確かに、エリヤがきて、万事を元どおりに改めるであろう。
12.しかし、あなたがたに言っておく。エリヤはすでにきたのだ。しかし人々は彼を認めず、自分かってに彼をあしらった。人の子もまた、そのように彼らから苦しみを受けることになろう」。
13.そのとき、弟子たちは、イエスがバプテスマのヨハネのことを言われたのだと悟った。」
「マタイによる福音書」第17章1節~13節
しかし、ペテロもヨハネも旧約聖書にあまり詳しくないんだね。(そう言えば「無学なただの人」とあるね。「使徒行伝」第4章13節)
>いったい、律法学者たちは、なぜ、エリヤが先に来るはずだと言っているのですか
「見よ、わたしはわが使者をつかわす。彼はわたしの前に道を備える。またあなたがたが求める所の主は、たちまちその宮に来る。見よ、あなたがたの喜ぶ契約の使者が来ると、万軍の主が言われる。」
「マラキ書」第3章1節
ただし、その続きに「その来る日には、だれが耐え得よう。そのあらわれる時には、だれが立ち得よう」とあるので、真の「終わりの時」の事だろう。
>エリヤがきて、万事を元どおりに改めるであろう。
真の「終わりの時」の前に洗礼者ヨハネ的な人物であるアロンのメシアが現れて新約聖書の内容を更新するのだろう。そうじゃないとニューハーフの人などはいくら信仰があってさらに義人でも救われないという事になってしまう。これは聖書の他の部分に矛盾する事になるだろう。
>14.『あのナザレ人(びと)イエスは、この聖所を打ちこわし、モーセがわたしたちに伝えた慣例を変えてしまうだろう』などと、彼が言うのを、わたしたちは聞きました」。
最後に前半。これもあながち嘘とは言い切れない。というのは「ダニエル書」第9章に次のような文章があるからである。
「9:24あなたの民と、あなたの聖なる町については、七十週が定められています。これはとがを終らせ、罪に終りを告げ、不義をあがない、永遠の義をもたらし、幻と預言者を封じ、いと聖なる者に油を注ぐためです。 9:25それゆえ、エルサレムを建て直せという命令が出てから、メシヤなるひとりの君が来るまで、七週と六十二週あることを知り、かつ悟りなさい。その間に、しかも不安な時代に、エルサレムは広場と街路とをもって、建て直されるでしょう。 9:26その六十二週の後にメシヤは断たれるでしょう。ただし自分のためにではありません。またきたるべき君の民は、町と聖所とを滅ぼすでしょう。その終りは洪水のように臨むでしょう。そしてその終りまで戦争が続き、荒廃は定められています。 9:27彼は一週の間多くの者と、堅く契約を結ぶでしょう。そして彼はその週の半ばに、犠牲と供え物とを廃するでしょう。また荒す者が憎むべき者の翼に乗って来るでしょう。こうしてついにその定まった終りが、その荒す者の上に注がれるのです」。」
「ダニエル書」第9章24節~27節
当然、来るべき君はイエスと解釈されていただろうし、メシアなる一人の君が来て断たれた後だったしね。ただし、ダブルミーニングで「終わりの時」の話でもあるかもしれない。
おまけ