上祐史浩

オフィシャルブログ ―― 21世紀の思想の創造


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 天皇陛下の生前退位とSMAPの解散を平成時代との枠組みにとらえる記事があった。SMAPの活躍も主に平成時代。
 
 そこで思うのが、来年には終結するオウム裁判とその後の麻原の刑死の見通し。オウムも平成に世に知られた。
   
 こうして、一つの時代が終わり、新しい時代がまじかに迫る。そうした雰囲気を強く感じる。
  
 近田春夫氏との対談の中で、質問を受けて、天皇陛下の退位・交代は、時代の変化と連動すると答えた。
 
 昭和天皇が崩御した89年は、その前後に米ソ冷戦が終結し(ソ連・ベルリンの壁の崩壊)、昭和高度成長の象徴である松下幸之助氏も逝去した。
 
 そして、入れ替わるかのように、90年から株価急落・バブルが崩壊、冷戦のタガが外れた宗教勢力の復興が始まり、イスラム原理主義(復興主義)や、キリスト教保守主義の台頭が始まり、国内でもオウム・幸福の科学の新新宗教のブームが始まった。
 
 次の時代はどうなるか。それを思索しつつ、体が感じている、新しい思想の息吹を温めよう。

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人は、毎日毎日、絶えず、果てしなく、求め続ける

しかし、多くの人にとって、欲するものは、なかなか得られない。
 
得たとしても、満ち足らず、もっと求める。

だから、一生、毎日、果てしなく、求め続ける。

こうして、完全な充足に至ることがなく、その意味で
心が平安に至ることがない。 

完全な充足に至る道は、自他の区別を超えること。

なぜ果てしなく求めるのか、求め続けなければならないのか。
それは、自分のものにしようとしているから。

他のものを自分のもののように喜ぶことがないから。

または、他と分かち合っているものこそ、
最高の宝だと気づくことがないから
 
自分のものにしようとしても、世界のほとんどのものは、そうならない。

他のものを喜ぶことができれば、宇宙全体を喜びにできる。

他のものが、この世界、宇宙全体が、喜びになる。

ただし、この完全な充足と平安を得るには、
単に、そのように考えるだけでは足りない。

実際にそう感じるには、普段から、欲望を慎み、
なるべく不善を避ける必要がある。

今日そうだったように、聖地の聖なる波動も助けになる。

そうして、体の気の流れを整えておかないと。
そう感じるのは心と体であり、頭ではないから。
 

そして、その時は、

世界の万物・世界全体が、宝となる

すべてものが輝きを放って感じられる


               日光・中禅寺湖・千手ヶ浜にて 8月16日
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  植松容疑者に共鳴して、障害者に価値がないという声がネットに出ている。

 しかし、彼が影響を受けた(ヒトラーの)優生思想、すなわち、人の存在価値を能力の優劣で決める論理の危険は、際限がないこと。それは、障害者やユダヤ人にとどまらないことだと思う。実際、同じくヒトラーの影響を受けた麻原は、修行者以外は、すべての人が価値がないとした。

 更に、今後、人工知能の発達が人類に危険をもたらすという識者が多数いる。いつか人間を超えた人工知能が、同じ論理で、人類全体を欲望や争いを抑制できない「障害者」「地球の癌」として抹殺するSF映画もある。優生思想の人間が、人工知能を作ればどうなるか。人工知能の未来は、それを作る人間によることは間違いない。

 こうして、障害者の抹殺は、他人事ではないと思う。そして、他にされたくないことは、他にしてはならないという原則がある。優生思想は強者の論理。自分はもっぱら抹殺する側だと思い込み、抹殺される側と考えていない。しかし、今後は、人類さえ、地球の支配者であり続けるかはわからない。


 更に、もう一つ注意すべきは、優れた者を残し、劣った者を減らすという優生思想の価値観は、ヒトラーだけの政策ではないことだと思う。

 歴史上、最初はむしろ米国が主導していた。ナチスの影響が戦後は下火になったが、日本にも優生保護法があった。最近話題となって謝罪されたハンセン患者の隔離政策だ。

 さらに、今、出生前診断によって、障害者となる可能性が高いことがわかると、中絶を選択する人が、97パーセントという事実がある。生まれる前ならば殺人ではないが(しかし、厳密には堕胎罪(の可能性)がある。現実ほとんど摘発されないようだが)。

 障害者の養育・扶養は大変だと思うが、そのために、今回の事件のように、障害者の介護施設などの社会福祉政策もあるも事実だ。警察で高揚しながら自己主張している植松容疑者にしてみれば、「生まれる前に殺すあなたたちは、順法精神の良い市民であり、生まれてから殺した俺は悪魔ですか。あなた方がひそかに望んでいることを私が代わりにしただけですよ」と言うかもしれない。

 かといって、自と他の優劣の比較が強い社会の中で、ほとんど夫婦が、中絶を選択する気持ちはわかる。しかし、中絶がやむ得ないならば、少なくとも、自分たちの中にも、どこかに植松容疑者がいると考えて、彼を反面教師とする謙虚さを持つべきかもしれない。それが、社会を徐々に良くして、植松容疑者のような人が出ていないようにする、遠い道のりの第一歩ではないか。
 
 そうではなく、単純に、こんな人間、信じられないと安直に考えるならば、その慢心が社会の未来を危うくしないだろうか。自分の問題は、自覚できれば抑制されるが、自覚されなければ、野放しになる。植松容疑者は、イスラム過激派でもない、欧州への移民者でもなく、全くの日本の若者の一人ではあることは否定できない事実だ。

 こうして、障害者も、植松容疑者も、他人事ではないと思う。オウムの過去の罪がある私には、最初からそうだが、今どんなに強い立場にいる人も、将来は、抹殺される側になる得るし、同時に、慢心を抱けば、気づけば、抹殺する側になるかもしれない。


 では、根本の問題はいったい何だろうか。

 それは、学力・財力・容姿など、時々に変わる社会の価値観の下だけで、人の優劣を区別して、その存在価値を決めてしまい過ぎることではないだろうか。

 実際、日本の年間自殺者は2万から3万。その10倍未遂で緊急搬送とも。その中に、劣等感によって、自殺(に追い込まれる)者がいる。自分には、何のとりえも、生きる価値もないと考え、自分を抹殺している。今回の事件の被害者の1000倍の数だ。

 特に競争の現代社会は、自他を区別し、自他の優劣を比較し、他者ないし自分の価値の否定しすぎる傾向が強いと思う。それが、他殺・自殺に繋がる。宗教の一部も、万物は神仏に起因すると説きながら、善悪の区別を率先している面がある。

 こうした中、これを超えた、万物の一体性と平等性に十分に気づくための思想・哲学・世界観が必要だと思う。自分の団体では、これを「輪」という言葉に込めた。そして、もうすぐ平和の祭典の五輪。
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