上祐史浩

オフィシャルブログ ―― 21世紀の思想の創造


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6月4日、5日の上信越の聖地巡りです。皆さん是非ご参加ください

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 本日5月14日、当団体の全国8か所の中で、唯一抗議デモを行なっている東京教室の世田谷区の住民組織の方に対して、当団体に対する誤解を解消し、建設的な話し合いの機会を設けていただきたい旨の要望書を提出しました 詳しくは、こちらをご覧ください。 http://goo.gl/KBMN1M
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 今回、ロシアのオウム真理教に関して報道されている中で、間違った事実がいくつかあります。まず、95年のサリン事件のために、ロシアではオウム真理教の活動が禁止されているというのは、日本人の読者には誤解をよぶと思います。

 正確には、日本と同じように、ロシアのオウム真理教も、宗教法人オウム真理教が解散指定を受けただけです。つまり、法人格を持たずに、信者が任意団体としてオウム真理教の活動を行うことは禁じられていません。

 言い換えれば、宗教法人オウム真理教は解散になったが、破防法は適用されなかった日本のオウム真理教と同じ扱いです。よって、1995年以降も、日本と同じように、ロシアのオウム真理教も事実上、存続していました。

 実際に、報道機関さえ、既に忘れてしまったかもしれませんが、私自身が、2003年に、まだアレフ(当時は既にオウム真理教からアレフに改名していた)に在籍していた際には、当局の許可を受けて、ロシアに入国しました。そこで講話会なども行ない、それが日本でも報道されています。なお、私が、アレフをやめたのは、2007年です。
 
 私が入国できた背景には、2000年前後に、ロシアの教団からは離脱していた数名の(元)信者グループが、麻原の奪還テロを企てたこともありました。

 そのグループ内でテロ計画に疑問を持った信者から、他のロシア信者経由で、私に告発がありました。そこで、それを防ぐために、私は、他のロシアや日本の信者と協力し、さらには、ロシアの当局、日本の当局(警視庁公安部)に通報して協力しました。

 結果として、来日していたそのグループのリーダーを国外に退去させ、ロシアに戻ったところを逮捕・拘束することに成功し、問題を未然に防ぐことが出来ました。この後、私は、日本やロシアの当局からも、ロシアの信者をコントロールすることを要請されました。当局の中には、「宗教(のテロ)は、宗教の内部からしか完全にはコントロール(未然防止)できないから」という人もいました。

 さて、その後、2007年にアレフを辞めて以降、今回の大規模な摘発が起こるまで、ロシアのアレフ(旧オウム)がどのように運営されていたかは、私もよく知りません。

 私がアレフを辞める前に、アレフの内部で、私の改革路線と、麻原の家族の麻原絶対主義の路線対立がありました。その結果、2007年に私達がアレフを脱会した後は、アレフに残った麻原絶対主義の人たちは、ロシアの当局とも関係を損ねて行きました。その結果、アレフの日本人は、ロシア国内に入れなくなったと聞いています。

 さて、その後ですが、今回の報道によれば、2011年前後に、ロシアで、アレフの団体が新たにつくられたかのような報道もあります。しかし、新たにつくられたということはなく、前から続いていたものが、活発化してきたに過ぎないと思います。これは、時期から見ても、基本的には、日本のアレフの動きの活発化と連動していると思われます。

 さて、こうした中で、今回の当局の動きの重要性は、刑事事件として大規模な強制捜査が行なわれたことだと思います。

 まず、昨年に既に、この動きの伏線があったのかもしれません。というのは、昨年、モスクワのオウム真理教(アレフ)施設に、当局の強制捜査がありました。その際は、捜索の規模は今回よりずっと小さく、拘束者が出たという情報はありませんでした。

 しかし、確かではありませんが、市民の人権や健康を侵害する団体を創設した罪であるという報道がありました。そして、今回の捜索に関しては、容疑に関する報道内容は曖昧なのですが、報道されている内容からすると、前回と似た容疑だと思います。

 これは、日本の刑事法規には見られない容疑です。前回の捜索の際の報道によると、信者に睡眠や食事を断つ修行をさせ、救急車で運ばれた事例もあるという情報がありました。

 だとすれば、95年に麻原が逮捕される前にも行われていた、一般常識から見れば、心身に無理な負担のかかる修行(教団の主張では宗教的に正当な苦行的な修行)を人権や健康を侵害する行為と解釈したのかもしれません。

 場合によっては、行き過ぎた行為や体調を大きく崩した信者が出たのかもしれません。日本でもアレフから分派したケロヨンというグループが、無理な修行をさせた結果、傷害致死事件を起こし、2004年前後に逮捕・起訴されました。

 このグループの中では、麻原さえしていなかったほどの無理な修行が行われていました(なお、この事件も、そのグループからの内部告発があって、通報されたという経緯があります)。

 しかし、今回摘発は、日本のアレフの目が十分に届かない中で、一部が無理に過ぎる修行に陥っていた結果かというと、そうではないようにも思えます。一部の小グループではなく、ロシアのアレフ全体に向けられた大規模な摘発だからです。
ロシアの法規ならば、こうしたことができるのかもしれません。

 先日、モンテネグロで、オウム信者の日本人とロシア人が多数一時的に拘束され、国外退去になりましたが、マスコミの知り合いから、彼らがアレフであることを聞きました。そして、今回の報道の中には、モンテネグロから帰国したロシア人信者に今回の捜査が行なわれという情報がありますから、彼らは、日本のアレフと繋がったロシア・アレフの中枢メンバーと考えられます。

 さて、今後については、仮に、今回の件が、一時的な強制捜査や拘束にとどまらずに、刑事事件として、立件された場合は、それが持つ意味は、相当に大きいと思います。

 というのは、単に宗教法人の解散指定されたのではなくて、アレフの修行・活動をすること自体が、刑事事件となる状況が作り出されるかもしれないからです。

 一部のネットメディアが、「ロシアオウム真理教壊滅」と報道していますが、そこまではいかなくても、大きな影響があるかもしれません。そして、今後の日本のアレフの変化とも、連動する面があるのではないかと思います。

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  2016年3月13日(日)の福岡教室での講話(第一部)の動画を掲示しました。
 『苦楽の分かち合い、キリスト教と仏教の違い、死を乗り超える感謝の教えなど』(75min).
 https://www.youtube.com/watch?v=9j6VxD-LEGs …

  以下はその講話に用いたレジメです。お聞きになる方は、ご参考になさってください。

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       2016年3月12日横浜、13日福岡講話会レジメ

                  仏教哲学講座第5回

  自他の比較を超える:他と優劣を分かち合う思想

 

1)復習:苦楽表裏と苦楽の分かち合い

 これまでに、苦楽というものについて、仏教の幸福観・幸福哲学として、

1.苦楽は表裏であり、楽を貪りすぎれば様々な苦しみを招き、
  苦を嫌がりすぎれば、その裏にある様々な恩恵を失うこと

2.よって、楽を貪りすぎずに、足るを知り、他と楽を分かち合い、
  苦を嫌がりすぎずに、その恩恵に気づき(苦しみを喜びに変え)、
  他と苦しみを分かち合う(他の苦しみを取り除く手伝いをする)、
  ことが真の幸福の道である、

3.それによって、心の安定と広がり、物事を正しく見る力(智慧)、
  健康長寿、良い人間関係が得られ、地道な長期的な努力によって
  有意義な事柄を達成する人生を歩むことができる、

 といったことを解説した。

 
2)優劣一体という思想

 
 仏教では、優劣の比較を越え、万人万物を仏の現れ、仏性の顕現など見る思想がある。そして、仏陀の心の状態である大慈悲・四無量心には、その重要な要素として、分け隔てをせずに、万物を平等に愛する平等心が含まれている。

 その背景には、苦楽が表裏一体であることと同様に、優劣も表裏一体であるという思想があると解釈できる。例えば、今は優れているとされる者も、慢心に陥れば、時と共に堕落し、劣った者になりかねない。

  逆に今は劣っているとされる者も、その苦しみをバネに、反省・努力すれば、優れた者になる可能性がある。これは仏教の説く世界観である六道輪廻の優劣・苦楽の循環思想とも通じる視点である。

 よって、自分が優れているとばかり思って慢心に陥ることや、自分が劣っていることを嫌悪ばかりして自己嫌悪に陥ることなく、地道な努力を続けることが重要である。そして、これを言い換えると、以下に述べるように、他と苦楽を分かち合うことと同様に、「他と優劣を分かち合う」ことが、真の成長の道であるという考え方に行きつく。


3)他と優劣を分かち合うという生き方


1.自分が優れているとされる時に
  (自分の優等性を他者と分かち合う)

 まず、自分が優れているとされる時も、実際には、それは自分の力だけによるものではなく、多くの他の支え、そして、それを含む幸運によるものだろう。

 そもそも、人は自分だけでは、生まれ育つことさえできない。中には、自分は努力したが、他はしていないと言う人もいるだろうが、努力できる資質自体も、自分だけで得ることができるものではない。こうして、突き詰めれば、自分が優れていると言っても、世界の万物・全体との関係の中で、そのような巡り合わせになっているに過ぎない。

 よって、自分が優れているとされる場合も、それに対する他者(突き詰めれば万物)の支えに感謝することが重要だろう。こうして、称賛を自分で独占するのではなく、他と分かち合うのである。

 これを言い換えれば、自分の優等性を他者と分かち合うということである。これは自分と他人が繋がっている(自他一体)という思想に行き着く。そして、こうして他者・幸運への感謝をする者は、努力を続ける。そして、他者からの協力も続く。よって、成長を続けることができる。

 逆に、慢心とは、他者に感謝せず、称賛・優等性を自分で独占しようとすることである。それは、自己愛・自我執着のために、優越感に浸る中で、道理を見失った状態である。そして、慢心から、油断・怠惰や傲慢・不遜・他者への感謝の欠如が生じて、堕落・落下していくことになる。


2.優れた他人に対して(他者の優等性を分かち合う)

 第二に、他者が優れている時に、それを妬まずに、自分の成長のための見本・全体の幸福を支える存在として喜び、それを活かすことが重要である。しかし、自分が勝ちたい、自分が一番になりたいとばかり思うと、他者の優等性は、自分の幸福の邪魔だとばかり感じる。その結果、嫉妬し、素直に見習うことなく、他を否定しがちになる。

 一方、他との比較ではなく、自分の成長や全体の幸福を考えるならば、優れた他者がいなければ、自分が真に成長することはできないし、全体の幸福を支えるものがいなくなることが理解できる。よって、優れた他者の存在を喜び、見習って自分の成長に結びつけたり、それを全体の幸福ために活かすことができる。これも、自他一体や、自他の幸福が一体と言う思想に行きつく。

 これは、他者の優等性を自分が分かち合うということである。一方、嫉妬があると、他者の優等性は、他者だけの幸福のためのように錯覚されて、それをいたずらに否定・無視することになって、分かち合うことができない。場合によっては、妬みを背景として、悪口その他で、他者を引きずりおろそうとする。そのために、自分の成長が阻害されるし、全体の幸福にもマイナスになる。


3.劣っている他者に対して(他者の劣等性を分かち合う) 

 自分より劣っているとされる他者に対しては、自分が優れているとされる場合と同じ心の問題が生じる。すなわち、慢心に基づいて見下す心の働きである。

 慢心がなければ、自分の成功は、他者の支えを含めた幸運によるという謙虚な認識が生じるから、劣っている他人を見ても、見下す心は生じにくく、逆に、他人を自分の反面教師にする智恵が生じる。

 自分の成功を幸運と自覚する謙虚さがあると、他人の不成功は自分にはなかった不運の一面があると気づくこともできる。そのため、他人の問題が、将来に自分の問題になる可能性にも気づく。すなわち、他人の問題は、他人事ではないということだ。

 すると、他者を反面教師として謙虚に学ぶ、自戒して努力する姿勢が生じる。これは、他者の劣等性を分かち合うということであり、自他一体の思想に繋がる。

 さらに、自分の潜在的な問題の発生を予防するためにも、他者の問題を解決する手伝いをするという発想が生まれる。これは他と苦楽を分かち合う思想に繋がる。

 一方、慢心があると、劣った他人を見下すことになり、反面教師と見て自戒して努力したり、他人の問題の解決を手伝おうとすることはない。そのため、しばらくして気づいて見ると、自分にも同じ問題が生じることが少なくない。


4.自分が劣っていることに対して(自己の劣等性を分かち合う)

 自分が劣っていると感じる場合、それをばねに努力する場合もあるが、自己嫌悪・劣等感ばかりが強くなり、引きこもる場合もある。すなわち、自分の劣等性が露わにならないように他との関係に消極的になるのである。

 また、ある意味で逆切れ状態になる場合もある。実際には、自分に問題があるのに、劣等感・自己嫌悪の苦しみのために、それを直視せずに、問題を他人に責任転嫁するのである。加えて、いたずらに他を貶めることで、劣等感を紛らわす場合もある。

 しかし、自分の劣等性は、決して自分だけのものではなく、多くの人々が共有しているものである。言い換えれば、自分の問題の裏側には、1.自分の実体験から他者の問題を理解・同情することができること、2.それを自分が乗り越えるならば、他者が乗り越える手助けもできる、という自分の潜在的な能力・財産がある。

 これを理解すれば、自分だけの問題と思い込み、自分だけで落ち込んだり、ないしは逆切れしたりするのではなく、多くの他者と共に問題の解決に取り組むという前向きな生き方の道が開けるだろう。そして、これも、自他の間で劣等性を分かち合うことになる。

 なお、卑屈・自己嫌悪のために、引きこもったり、逆切れするのは、突き詰めると、怠惰・甘えの一面がある。自分の劣等性は、自分の価値を否定するものではなく、地道な努力によって、自分の価値を高めていく材料となるものだからだ。

  一方、他と劣等性を分かち合うということは、慢心や卑屈に陥らずに、地道な努力を続ける方向性に向かうことになる。 
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 明日2016年3月6日(日)に、名古屋教室での講話会の講話の第一部をネット公開生中継します。パスワードなしでアクセスでき、アクセス方法(URL)は、http://hikarinowa.net/tv/ です。

 ご機会・ご関心のある方は、ぜひご視聴ください。

 なお、その講話でお話しする内容の一部については、以下のレジメを作りましたので、お聞きになる方は、ご参考になさってください。

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                 全ては心の現れと説く仏教哲学
            敵と友も心が作り出す
 
1.すべては心の現れ
 
 重要な仏教哲学の一つとして、外界は全て自分の心の現れであるというものがある。それぞれの人は、異なる五感と意識を持っており、そのため、人によって、同じ現象を異なる印象を持って受け止める。

 言い換えれば、一つの確たる世界があると言うのではなく、実質上10人に10人の世界がある。これは、大乗仏教の唯識思想と呼ばれる思想の一部でもある。

 これは、仏教の縁起と空の思想にも合致する。それは、あらゆる事物は、原因・条件によって生じ(=縁起の法)、原因・条件が変われば変化するため、固定した実体がない(=空である)と説く。よって、外界を受け止める五感や意識が異なれば、感じる世界も変わる、ということである。

 そのため、前回の哲学講座では、心の持ち方・考え方によって、苦しみも喜びに変えることができると説いた(同じように、喜びも苦しみに変わることがある)。
 

2.心が作る敵と友

 さて、今回は、人にとって、最大の苦しみの対象の一つである「敵」という存在も、自分の心が作り出す面があることを解説する。すなわち、敵も、自分の心の持ち方が条件となって生じるものであって、心の持ち方によって、友が敵に見えるし、逆に敵を友と見ることも可能なのである。以下に、その事例を挙げる


1.独占欲・嫉妬心によって、優れた他者が敵に見える

 独占欲・嫉妬心が強過ぎると、優れた他者が、自分の邪魔・敵に見える。自分がすべてを独占したい、一番でなければ意味がないと思う人には、すべての人が邪魔・敵になる。すると、本来は自分を導く仏陀でさえ、悪魔に見える。実際のそうした仏陀の敵が存在した。

 しかし、謙虚な向上心があって、互いの成長を重視する者には、優れた他者は、自分の見本となったり、好敵手としての切磋琢磨を通して、自分の成長を助ける最大の助力者・親友となる。人は、自分一人では、それほど努力・成長できないものだから。


2.怠惰・甘えによって、批判する者が敵に見える

 人は、自分を批判する者を敵と考えやすい。しかし、自分への愛を背景として、自分の問題点を指摘する他者も少なくない。そして、自分自身で自分の欠点全てに気づくことができるかと言えば、なかなかできるものではない。

 これを言い換えれば、謙虚に自己を反省して向上しようという気持ちが強ければ、自分を批判する者が、自分の成長の助力者と見えやすくなる。逆に、未熟な自己愛・甘え・怠惰が強く、今の自分を褒めてもらいたいという欲求ばかりが強いと、自分を批判する者は、自分を嫌っていると思ったり、自分の敵だと見やすくなってしまう。


3.コンプレックスによって、色々な人が敵に見える(被害妄想)

 コンプレックスが強い人の中には、一種の被害妄想に陥っている場合がある。自分に自信がなく、すぐに他人が自分を嫌っていると思うとか(劣等コンプレックス)、自分に責任があるのに、それを受け止められずに、責任を他人に転嫁してしまい、結果として、常に他人・周囲は自分に対して不当な扱いをしていると考える場合などである(優越コンプレックス)。

 その結果、多くの人を敵視しやすくなってしまう。これは、劣等感・自己嫌悪・卑屈が背景にあって、そのために、他への妄想的な嫌悪・被害妄想に繋がるという心理構造になっている。ただ、優越コンプレックスの場合は、他への嫌悪のために、その背景にある自己嫌悪に本人が気づかない場合もあるだろう。


4.悟りを求める心によって、自分を憎む敵さえ助力者に見える

 自分を憎む敵対者も、悟りを求める者には、悟りへの重要な助力者になる。というのは、自己を憎む敵者による苦しみは、悟りを求め、自我執着を弱めるならば、弱まるからである。

 敵対者による苦しみに限らず、すべての苦しみの根本原因は、自我執着であって、自我執着を弱めれば、すべての苦しみは弱まる。よって、苦しみ全般が、悟りを求める心を強め、自我執着の放棄を後押しする効果がある。

 よって、いにしえの仏道修行者は、父母のように自分を保護する者に限らず、敵対者に対する心の持ち方を重要な修行課題としてきた。その修行者の中には、「私は、私を攻撃する魔物たちが愛おしく、魔物を攻撃する者を許さない」という趣旨の詩句を残した者もいる。


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 日常の様々な苦しみを和らげるための仏教の法則についてお話ししました。
 動画(ユースト)http://www.ustream.tv/recorded/83840807

 この講話で用いたレジメは以下の通りです.

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    2016年2月27日千葉・28日東京講話会レジメ

        仏教哲学講座第2回
         苦しみを和らげる仏教の法則


(1)とらわれを捨てる

1.苦しみの原因として、過剰な欲求・執着・とらわれがある。

 それなしではいけないのか。欲張ってはいないか。
 無数の人々が、それなしで生きているのではないか。

2.とらわれ過ぎない方がうまくいく(得られることが多い)

 とらわれを捨て、心が静まった方が、正しい判断ができる。
 止観の教え=心が止まると物事を正確に観ることができる

 (あまり)うまくやろうと思わない方がうまくいく
 急がば回れ、果報は寝て待て、笑う門には福来る、
 急いては事をし損じる、勝つと思うな思えば敗けよ。


(2)苦しみを過大視しない

 実際以上に苦しみを大きく見てしまうことを避ける。

1.苦しみが永続すると錯覚する場合がある。

 苦しみが生じた時は、あたかもずっと続くかのように、
 錯覚する場合がある。実際は、いつかは消えるもの。
 思い出せば、前(昔)もそうだったはず。  

2.苦しみが間断なく続くと錯覚する場合がある。

 実際には、多くの苦しみは、一日中続くのではなく、
 合間があって、休める時があるものが多い。

 →とらわれが強いと、永続する、間断なく続くと感じる。


(3)苦しみの裏にある喜びに気づく。

 何かの現象を苦しみだとばかり考え、嫌がり過ぎている。
 実際は、苦しみがあるから楽しみもある(苦楽表裏)

1.苦しみがあるから、努力・成長することが多い
  →全く苦がなければ、努力も余りできないが、良いのか

2.苦しみがあるからこそ、その原因のとらわれを弱めて悟る。
  →全く苦がなければ、悟ることはできないが、良いのか

3.自分に苦しみがあるから、他の苦しみも理解できる。
  →全く苦がなければ、慈悲は培えないが、良いのか。

4.各種の苦しみを喜びに変える考え方の例
    
 全く批判がなければ、必要な反省・成長ができるか
  自分の欠点全てを自分で気づくことができるか
  自己愛を弱めて悟る機会を得ることができるか 

 全く失敗・挫折がなければ、本当に成功できるか
  真の成功は、失敗とその反省から生じるのでは
  失敗は成功の元・成功へのステップ 

 全く経済苦がなければ、本当に豊かになれるか

  経済苦は、質素倹約の智恵を生む。
  経済苦は、貧しい人たちへの慈悲を生む。
  経済苦は、真の豊かさ=悟りの道
  自分の物にとらわれずに、万物を宝とする。

 全く病苦がなければ、本当に健康になれるか

  一つ病気がある方が、体をいたわり長生きする
  一病息災。健康自慢は早死にする場合も。
  病苦の時こそ、感謝・謙虚な心が芽生える。
  人は、自分一人で生きているのではない。

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茶話会in長野市
鈴木邦男(「一水会」顧問、作家)×
上祐史浩(「ひかりの輪」代表)


 数年前から、幾度となく、対談、共著の出版と親交を重ねてきた二人がしばらくぶりに再会。二人の愛する長野県に出向いて語り合います。
 昨年のサリン事件二十年の節目を経て、再びオウム事件、宗教、その他ヘイトスピーチにみられる思想の劣化などにもふれつつ問題を振り返り、反省・教訓、今思うことを語り合い、未来を切りひらく哲学について考えるそんなひととき。今回はアットホームな「茶話会」の雰囲気の中での対談です。

鈴木邦男

鈴木 邦男(すずき くにお)
「一水会」の顧問。
1943 年、福島県生まれ。
1972 年に新右翼「一水会」を結成し、
1999 年まで代表を務める。
幅広い分野の人たちと交流をもち、様々な
テーマで執筆活動を続けている。
著書「夕刻のコペルニクス」「公安警察の手口」
「言論の覚悟」、など。
        
上祐 史浩(じょうゆう ふみひろ)
「ひかりの輪」(東西の思想哲学の学習教室)
の代表。1962 年、福岡県生まれ。オウム真
理教に出家。地下鉄サリン事件発生時にはモ
スクワに滞在。事件後偽証罪で逮捕され、出
所後「アレフ」代表となるが、2007年に
脱会、「ひかりの輪」を設立した。
著書に「オウム事件 17 年目の告白」、鼎談「終
わらないオウム」など。

日時:2 月 5 日(金)18 時開場、18:30 開始 2時間強
主催: 茶話会実行委員会
連絡先:TEL : 080-9214-8951
参加費:3,000 円( ワンドリンク、お茶とお菓子、お土産込み)
会場:
インディア・ザ・ロック(ライブハウス 詳細http://goo.gl/tKxcZ8)
    長野市権堂町2390 TEL / 026-234-1894
当日直接お越しいただいてのご参加OK
(ワンドリンク付き)

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1月18日、大阪から東京の帰り道、綺麗なアーチの虹。

ちょうど、車内で瞑想し、良いインスピレーションが湧いた時でした(^o^)丿


悪天候の中、思いがけぬ幸運でした。


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 大雪の予報のため、明日明後日に予定していた3月の永平寺を初めとする福井の聖地巡りの下見を延期しました。明日は大阪教室で多少の面談・相談を受けたら、東京に戻ることにしましたが、果たして戻れるのか笑。


 最近の世相を見て、波乱の幕開けの2016年と思っていましたが、ご多分に漏れず、私も頂戴した感じです。


 しかし、人生は波乱に満ちた冒険の旅、どうなるか分からないからこそ、明日を生きる意味があるとも言います。


 どうせ困難が避けられないなら、後ろ向きにならずに、その中で、突破口を発見する、知恵と勇気を鍛える旅とでも考えれば、今後の展開が楽しみでもあります。


 寒波の中で、風邪・怪我・事故などにご注意いただきながら、多くの人に、何かの貴重な発見がありますように。

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     速報:ひかりの輪・北陸福井の聖地自然巡りのご案内
      深山幽谷の禅道場「永平寺」から小京都「小浜」まで   
             2016年3月19~21日


 来る3月に、ひかりの輪として初めて、北陸の福井の聖地・自然巡りを行うことになりました。曹洞宗の大本山として名高い永平寺、小京都とも言われる仏教都市の小浜、さらには、敦賀湾・若狭湾周辺の神社仏閣や自然など、とても魅力一杯のプログラムとなります。


 その魅力と、初めて訪問するエリアでもあることから、今から期待する声が多くの方から、寄せられていますので、正式なお知らせの前に、ご紹介の速報をいたします。


1.永平寺:深山幽谷の禅道場


 道元を開祖とする曹洞宗の大本山。時の天下人北条氏の信も得て、都の活動も可能だった道元ですが、「深山幽谷にあって仏の教えを守りなさい」という師匠の教えを守って開いたのが、この永平寺。


 それ以来、その教えである「只管打坐=ただひたする座る」を実践する禅修行の中心地であり続けています。あれこれ説明することもばかられる、聖地中の聖地であり、必見の聖地。じっくりと堪能できるプログラムを用意しています。


 永平寺参考HPページ:http://kankou.town.eiheiji.lg.jp/guide/


 さらに、永平寺周辺には、他にも、白山平泉寺など、豊かな自然の中の特級の神社仏閣があり、見どころ一杯です。
 
 白山平泉寺参考HPページ:http://www.city.katsuyama.fukui.jp/heisenji/


2.小浜:小京都とも呼ばれる仏教都市

 
 小浜は、実に130ものお寺があって、「小京都」との異名も。さらに、中国・朝鮮と奈良・京都の交流の窓口で、当時最新の仏教文化が伝わり、多くの優れ た仏像が保存され、「海のある奈良」とも。その中でも、代表的な「小浜8寺」が収める仏像めぐりが、ハイライトとなります。


 若狭・小浜参考HPページ:http://wakasa-obama.jp/


3.敦賀・若狭・三方五湖:パワースポットも


 日本海が広がる敦賀湾の近くには、気比神宮や金崎宮などの著名なパワースポット神社があります。さらに、近くには、若狭湾や、五つの湖が広がる三方五湖と続く豊かな自然があります。心身が浄化される聖地、心が広がる雄大な自然を併せ持つエリアです。


 気比神宮参考HPページ:http://kehijingu.jp/
 金崎宮参考HPページ:http://kanegasakigu.jp/
 三方五湖参考HPページ:http://www.town.fukui-wakasa.lg.jp/…/sitesheeing/mikatagoko/


日程:2016年3月19~21日


 19日:気比神宮・金崎宮(敦賀周辺)
 20日:永平寺・白山平泉寺など(福井市周辺)
 21日:小浜の各寺院・三方五湖など


参加方法:


 東京、名古屋、大阪からは、団体の車両が出ます。
 自家用車での参加、電車での参加も可能です。


お問い合わせ先:ひかりの輪の本部・各支部教室
 詳細:http://hikarinowa.net/branches/

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