ちょっと面白い数学の話 その17 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

3次方程式の解の公式は、
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に対して、
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というものhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%AC%A1%E6%96%B9%E7%A8%8B%E5%BC%8Fだが、
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これが負の場合、3つの実数解を持ち(正の場合を考えれば①だけ実数解となり実数解が1つの場合なので、負の場合は3つの実数解と容易に推定できる。厳密な証明は微分を使えば簡単。)、当然①,②,③の3つで表される訳だが、実はこの場合、①だけで3つとも表している。(当然②,③の式も正しい。)

例)
$シフル・ド・ノストラダムス
この3次方程式を解の公式で解くと、
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となるが、この3乗根を外す(因数定理で解ける場合のみ外れる。つまりルートの中身が負で因数定理で解けない場合は3次方程式の解の公式は全く不能である。)と、
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(検算は自分でしてみて下さい。)
よって、1つで3つ表している。

補足 当然②,③の式も正しい。
②だけ確認すれば十分だろう。(①が3の場合の②だけ確認すれば十分だろう。)
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よって、OK。
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ちょっと面白い数学の話
昔の参考書「数Ⅰ演習」(板垣・土師氏著)に、
「3次方程式の解法には多くの人々の努力が重ねられているが、完全な解法にはじめて到達したのはタルタリア(1499~1577)であった。彼ははじめ、x^3+px^2=qのタイプの3次方程式を解く不完全な方法を発見してその成功は発表したが、その方法は秘密にした。フロドリウスはx^3+mx=nのタイプの3次方程式を解く方法を知っている、と公言した。タルタリアは1535年2月22日に公開の席で問題解決の立合をしようと申し込んだ。タルタリアは、それから他の形の3次方程式も研究し、苦心の末、立合の10日前になって、x^3=mx+nタイプの解法も知り得た。立合の当日、タルタリアは相手の出した30題を2時間以内に解き、フロドリウスは与えられた問題を1題も解くことができなかった。タルタリアはその後、研究に努め、1541年に3次方程式解法を完成した。彼はそれを自分の著書の中で公表するつもりであった。ところがカルダノ(1501~1576)はタルタリアの解法を知りたくてたまらず、手をかえ品をかえて懇望し、秘密を守る堅い約束をしてそれを教わった。そして約束を破って1545年に著わした自分の書物の中でそれを書いてしまった。タルタリアは悲憤やるかたなくそれに抗議したが、今日なお、タルタリアの発見した方法はカルダンの方法と呼ばれている。」
とあり、今日までひどい話だと思っていたが、ウィキペディアに、
「タルタリアが三次方程式の代数的解法を知っていると聞いたカルダノはタルタリアに頼み込み、三次方程式の代数的解法を聞き出すことに成功した。カルダノは、弟子のルドヴィコ・フェラーリが得た、一般的な四次方程式の代数的解法とあわせて、三次方程式の代数的解法を出版したいと考えるようになったが、タルタリアとの約束で秘密にすると誓ったために、出版することはできなかった。そこで、かつてデル・フェロが、三次方程式の代数的解法を得たという噂を頼りに、フェラーリとボローニャに行き、デル・フェロの養子のアンニバレ・デラ・ナーヴェ(Annibale della Nave) に会い、デル・フェロの遺稿を見せてもらった。それによってカルダノは、タルタリアが三次方程式を解いた最初の人ではないことを知ったので、タルタリアとの約束は無効とし1545年に 『アルス・マグナ』(Ars Magna) を出版し、様々な形の三次方程式の解法を公表した。以来、三次方程式の解法はカルダノの方法と呼ばれるようになった。この事はタルタリアを激怒させ論争に発展したが、カルダノは『アルス・マグナ』の中でデル・フェロとタルタリアの功績について賞賛しており、独自の方法と偽ったわけではない。また、タルタリアから解の導出方法までは聞いておらず、色々な形の三次方程式について解を表した事はカルダノ自身の業績である。」
とあった。
http://homepage3.nifty.com/sugaku/3jihouteisiki.pdf#search='3次方程式の解の公式'

おまけ