入門講座(講師)はどこ(誰)にすべきか? | 司法試験情報局(LAW-WAVE)

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司法試験・予備試験・ロースクール入試の情報サイトです。司法試験関係の情報がメインですが、広く勉強方法(方法論)一般についても書いています。※ブログは完全に終了しました。コメントなどは受け付けておりません。ご了承ください。

途中から更新意欲がなくなってしまって、すっかりご無沙汰のこのブログですが、なんとなく春も近いので、司法試験でおすすめの入門講座・講師について、独断と偏見で比較検討してみます。

 

司法試験受験界にいわゆる入門講座は4つあります。

 

【注】このエントリーを書いた2012年から6年が経ち、2018年現在、司法試験予備校は群雄割拠の時代を迎えています。現在では下記の4つの「ハコモノ予備校」だけでなく、多数のネット予備校が存在しています。ここに書いた情報は、現在では完全に古くなってしまいました。

 

① 伊藤塾の「基礎マスター」

② LECの「入門講座」

③ TACの「基礎講座」

④ 辰已の「入門講座」

 

以上の4つです。

これに講師の別を加味して考えれば、全部で十数通りの選択肢があることになります。

 

さて、この中でどの予備校(講師)が良いでしょうか?

面倒なので、先に私のおすすめを申し上げておきます。

 

一番のおすすめは、伊藤塾の基礎マスターです。

 

講師は伊藤先生呉先生どちらでもOKですが、どちらかにすべきです。

伊藤塾長 呉先生

 

100歩譲って、高野先生でもギリギリ許します。

以上の3人が司法試験受験界の入門講座トップスリーだと思います。

 

これ以外にはあり得ません。

これが私の個人的かつ独断的な回答であり、現時点(2012年)で受験界が何年もの年月を費やして導き出した客観的結論でもあります。

 

一定期間市場で揉まれた結果こうなったという結果論を軽く見るべきではありません。

伊藤塾が4大予備校の中で最も後発であるにもかかわらず、受験界でNo.1のシェアを有するに至った理由は、講師陣の優秀性とこの「基礎マスター」という目玉商品の存在ゆえに他なりません。

 

入門講座は、講師(説明の分かりやすさ)を基準に選ぶべきです。

もしテキストが魅力的な講座があったら、テキストだけを別途入手すればいいと思います。

勉強方法が優れた講師がいれば、その方法だけをマネすれば済むと思います。

何か興味のあるオプションが付いているなら、それが別途入手できないか考えるべきです。

その他のオプション的なものはすべて、基本的には講座以外でも入手可能なはずです。

入門講座を選択する際には、入門講座でしか手に入らないものを最優先に判断すべきです。

それは「説明の分かりやすさ」です。

 

上記3人以外の講師のところへわざわざ行くのは、司法試験という今後の長い道のりを歩くに際して、スタート段階から自ら好き好んでハンデを背負いにいくようなものでしょう

正直、物事を選択するセンスに欠けると思います。

 

・・・どうか、あとは皆さんご自身で、何よりご自分の頭でお考えください。

こんなたまたま見つけたブログ記事に惑わされるのではなく、ご自身の目と耳で、自らを偽ることなく、誤魔化しなく、そして何より本気で確かめてみてください
 

できればガイダンスだけでなく、実際の本講義も聴いてみてください。

ガイダンスの模擬講義的なものは実際の本講義よりも丁寧に進められているので、分かりにくい講師の講義もそれなりに分かりやすく思えてしまいます。

全体の趣旨説明等々についても、その予備校あるいは講師にとって都合のよい形で説得がなされるのがガイダンスです。簡単にいえば、良いところばかりが強調されて、マイナス部分は見えにくいのがガイダンスの限界です。

ですから、真剣に司法試験を考える方は、できればガイダンスではない通常期の講義そのものを聴かせてくれと要求したほうがよいと思います(ちなみに私はそうしました。伊藤塾はすぐに見せてくれましたが、中には見せてくれない予備校もありました)。

 

プロとしての経験値、話のうまさ、熱意・・・こういった各々の要素を総合して上記の講師以上の講義の完成度を達成している講師がいるなら、こっちが教えて欲しいくらいです。

そんな人がいないことは、誰よりもこだわり抜いて入門を選んだ私自身が一番良く分かっているつもりですし、皆さんが本気で入門講座探しをすれば、99%の方は同じ結論になると確信しています。

 

以下、いくつか具体的に書いてみます。
 

たとえば、LECの柴田先生 は受験界で非常に有名な講師ですが、オリジナルテキストは見にくくて覚えにくいものと感じました。肝心の講義の質についても、講義の段取り、具体例等話の巧みさ、声のトーン・テンポ(つまりは聴きやすさ)等々どれをとっても、伊藤先生・呉先生以下としか思えませんでした。それでも受験界では良いほうの講師だとは思います。でも、同時に柴田先生が講師デビューして既に何年もの月日が流れているのにもかかわらず(そして、著作方面では売れっ子であるにもかかわらず)、受講者数が上記伊藤塾の講師陣に及ばないことには、相応の理由があると評価せざるを得ません。こういう結果論を、入門探しをしている人はもっときちんと評価すべきです。

 

同じくLECの工藤先生 は、オリジナルテキストの出来は良いと思いますが、いかんせん講義の仕方がまだまだプロになっていません(それでも受験界ではかなり良いほうの講師だとは思います)。

 

同じくLECの岩崎先生 ですが、この先生も相対的には悪くはありません。あえて言うと、伊藤塾系の講師に最も近いタイプといえると思います。ただ、全ての要素で伊藤・呉・高野先生を下回っているのも確かです。

 

TAC(Wセミナー)はよく知りません。受験界を代表する有名講師がいないので個々の評価は差し控えますが、この予備校が有力な講師を生み出しえないという結果論には、相応以上の理由があると私は考えます。

 

これはちょっと愚痴ですが、辰已の西口先生 の入門講座を1科目ヤフオクで買って聴いてみたときは本当に落胆しました。伊藤塾基準でいえば、ほとんど予習をしてきてないのではないかと思えるような講義でした。入門書をスカスカな説明ですっ飛ばしていました(話もあまり上手くなかったです)。こんな講義で法律に入門する人がいるのかと思うと、正直いたたまれない気持になりました。

 

辰已は全般的に入門講座に力を入れていません。これから受講される方は、各予備校を比較検討されて、きちんと自分の目でその事実に気づくべきだと思います。その上で、各予備校を真面目に比較検討した結果、あろうことか「辰已を選んでしまう」人がいるとすれば、私はその人のセンスのなさに心底閉口してしまうだろう、としか申し上げようがありません。

 

以上、独断で書いてきましたが、これがいろいろな講師の講義を聴いてみた私の率直な感想です。

くどいですが、皆さんは皆さんの目と耳で、その予備校が、その講師が、本当に十分に信頼に値するものなのかどうか、自分を誤魔化すことなく何ものにも流されず、真剣に検討してみてください。そうすれば、ほとんどの方には私の言っていることは分かります(のかどうかは分かりません…)。

 

・・・しかしまあ、ここまで言っても、マズいラーメン屋に入る客が絶えないのと同様に、支持率の低いマイナー予備校・マイナー講師のところに好き好んで行ってしまう少数派がでてくるのは、ある意味自然の法則みたいなものなんでしょうね。

そういう方は、ひょっとするとそこで自身の選択の個性を発揮されているつもりなのかもしれませんが、つくづくご愁傷様なことだとしか言いようがありません。。

ともあれ、今回はあまりにも本音を、そして本当のことを書きすぎたかもしれません。


ちなみに、
入門講座について通常と異なる裏技的戦略(奥義)を知りたい方は基礎マスターと商訴集中講義 ~入門講座再考~ をご覧ください。

このエントリーでは、「入門講座」という司法試験に必須のものと思われてきた商品が、実は必ずしも必要なものではないのではないか、という問題提起(私の本音)を書いています。

 




 

【追記】 司法試験バトルロワイヤル<樹海篇>


このエントリーでは、伊藤塾講師をあまりに褒めすぎたきらいがあると反省しています。

当ブログの売りである方法論的観点が、この記事からは完全に抜け落ちています。

一言でいえば、「入門後」のことを全く考慮しない書き方になってしまっていました。

(書いた時期が、方法論を全面展開する前だったのでそうなってしまいました)

そこで、バランスをとる意味でも、若干内容の付加をしておきたいと思います。

まず、ゼロから司法試験合格までを、A君が富士山を目指す道のりに喩えます。

法律知識ゼロの初心者A君が、熟練ガイドの案内を頼りに富士山登頂を決意。

右も左も分からないA君。まずはガイドの助言を100%信じて歩きはじめる。

(Bさん・C君・Dさん・E君・Fさん・G君・Hさん・I君・Jさんも一緒だ。楽しい旅になりそうだ)
        
数日後、A君たち一行は、富士山の麓の樹海の前に到着する。

(気がつくと、I君とJさんの姿が見えないが、それはまあ仕方がないか)

とにかくさすがは熟練ガイド。匠の技で、楽しく最短ルートで樹海まで導いてくれた。

脱落者もあまり出ていないし、このままこの人について行けば間違いないと確信する。

        
さあ、ここからが富士登山の本番。A君たちは気を引き締め、樹海の門をくぐる。

(そういえば、あいつ(熟練ガイド)の姿を見たのは、この時が最後だったなぁ・・)
        
樹海の中。真っ暗で何も見えない。富士山がどっちにあるのかも分からない。

熟練ガイドは勝手に、そして唐突にその任務を終了し、いつの間にか姿を消した。

(たぶん「次なるA君」を探しに、元いたスタート地点に戻っていったのだろう)

A君たちは焦りはじめる。ある者は疲れ果て、ある者は「お家に帰る」と泣き出す。

ある者は自殺しようとする。ある者は隣の仲間を道連れにしようと必死に足を掴む。

ある者は当初の目的が何だったかなど忘れて、食料を得るため畑を耕しはじめる。

まるで樹海で生きていくことそれ自体が目的であるかのように、樹海に順応していく。

消えたガイドを恨む声がでる一方で、ガイドの再臨に最後の希望を託す信者もいる。

このキノコを食べると富士山に行けるとかの根拠のない樹海伝説も流行り始める。

「こんなはずじゃなかった・・」事態は混乱を極める。

        

A君は決意する。もうガイドにも仲間にも頼れない。自力で富士山を探そう。

そうして、もう一度目的を富士山に設定し直し、ひとり樹海をかき分けて進む。
        
A君、ついに樹海を抜ける。ついに富士山頂に到達する。

        

山頂からひとり樹海を見下ろすA君。Bさんが死んでいる。C君は首を吊っている。

ガイドの再臨を信じ続けたDさんとE君はその場で餓死。Fさん、G君は行方不明・・。

Hさんが生きてる!。樹海から出られたんだ。傷だらけだけど、助かってよかった。

樹海の外に目をやる。あれは樹海に入る前に姿を消したI君とJさん。2人とも元気だ。

そうか、樹海に入れなかったということもまた、ひとつの「成功」なんだな。。
A君は、自らの道程を振り返っていた。それはけっして楽しい旅などではなかった。

知らぬ間に自分たちはこの旅に命を賭けてしまっていたのだ。

9人の仲間たちの顔を思い出しながら、その事実を反芻するA君。再び背筋が凍る。

途中で消えたガイドのことなんて、もう思い出すことはなかった。
 

(おわり)

 

このエントリーで、基礎マスターがおすすめと書いたのは、あくまで①②③ までの話です。

すなわち、樹海に入るまでの話です。

 

どうかこの点を誤解なさらないようにお願いします。

 

伊藤塾の基礎マスターは、樹海までの案内役としては間違いなく最高の存在です。

今でもその考えに変わりはありません。その点は保証すらできます。

しかし以降については、伊藤塾(&ほとんどの予備校・講師)はほとんど何もしてくれません。

実際、基礎マスター受講生のほとんどは、山頂の景色を見ることなく樹海の中で死にます

もちろん、他の講座の受講生のほとんども、樹海の中で死にます。

「ふーんだ。私は○○先生を信じるも~んっ」みたいに言ったところでどうしようもないのです。

今年も、そしてこれから先もずっと、「○○先生の受講生」のほとんどは樹海の中で死ぬのです。

 

どうかその現実から目を逸らさないでください。

 

基礎マスターは、あくまでも他講座より樹海に到達する可能性を高めてくれるだけです。

山頂に到達する可能性を高めてくれるわけではありません
 

実は、司法試験では、樹海に入れないこと自体は大した痛手ではありません。

司法試験の真の犠牲者とは、樹海に入ったうえで樹海から出られなくなった人のことをいうからです。

 

樹海から出られなくなるくらいなら、樹海に入れないほうが100倍マシ


↑これが司法試験です。司法試験とは、そういう特殊な試験です。

しつこいですが、その点を忘れないでください。

まとめます。

 

【甲】自力で樹海を突破できる自信と算段のある方

⇒ 基礎マスターは一番のおすすめです。

あなたなら簡単に抜け出ることができるその樹海に、最短最速で連れて行ってくれます

【乙】自力で樹海を突破できる自信と算段のない方

⇒ 基礎マスターは必ずしもおすすめしません。

入ったら最後、ほとんどが生還できないその樹海に、最短最速で連れて行かれてしまいます

 

【甲】の方は基礎マスターでいいと思います。

というか、【甲】の方は何をしてもいいと思います。

念のためこのブログを一読でもしてもらえば、さらに何の問題もなく山頂まで到達できるでしょう。

 

【乙】の方の選択肢は、以下の4つがあります。

 

まず、富士山自体を目指さないという選択肢があります。

司法試験自体をやらないということです。

そうすれば、樹海で死ぬことは100%ありません

 

これはこれで極めて賢明な選択です。

司法試験の世界では、自分の能力を客観的・相対的に判断できない人がとても多いです。

世間一般の「優秀」と、司法試験の「優秀」との間には、恐ろしいほどのギャップがあるからです。

多くの受験生が客観的な判断ができず、司法試験に興味を持ったが最後、そのまま樹海に突っ込んでいきます。

そんな中で、ご自身の司法試験における能力を客観的に見積もることができる人は、大人の優秀さを持っています。

少なくとも、司法試験に受からない人よりもはるかに優秀なのは間違いありません。

 

目を瞑って、基礎マスターで最短最速で樹海に連れて行かれるという選択肢もあります。

ほとんどの受験生はそうしています。それでも10人に1人くらいなら富士山に到達できます。

残り9人のうち、2~3人くらいなら(傷だらけにはなりますが)なんとか生きて帰ることできます

 

「生きて帰ることができる」とは、もちろん司法試験に合格できるということではありません。

これは、司法試験から撤退しても、まずまずマシな人生を送れるということです。

 

樹海から出る可能性を高めてくれるガイドに最初からつくという選択肢もあります。

じゃ樹海に入るほうはどうすんだよという方がいるかと思いますが、それほど心配はいりません。

一定の努力さえすれば、多少回り道をしても樹海に辿り着くことは誰でもできます

未修ローのゴミ講義でも、努力さえ怠らなければ、樹海に辿り着くことは誰にでもできるのです。

基礎マスターでなければ樹海に辿り着けないなんていう方は、その意味でむしろ危ない。

そんな人が、司法試験という命を賭けたサバイバルゲームに参戦するのはあまり感心しません。

 

もちろん、「樹海から出る可能性を高めてくれるガイド」は、現時点では一人しかいません。

あとは誰のところに行っても合格率は変わらないと思います。

 

樹海までは基礎マスターを使って、そこからガイドを乗り換えるという選択肢もあります。

利用できるところまで基礎マスターを利用し、利用価値し終わったところで捨てるわけです。

こういうのはずる賢くて冷めた人にしかできませんが、それが平気でできる人は優秀な人です。

 

たとえば、基礎マスターで法学の入門を終えてから、4段階アルゴリズムで論文を書く訓練に移るということです。

もし、いま私が初心者だったら、(インプットの不安をとりあえず解消する意味でも)あるいはそうしたかもしれません。

 

言うまでもなく、私のおすすめは①or③or④の3つです。

当然、②はおすすめできません。

 

本当は、(もう一つの選択肢として)スタート段階で②を選んだのち、樹海で迷子になって③に移行してくる、④の変形パターンみたいな人もいるのですが、できればスタート段階から②以外を選んでください。

 

もっとも、いくら言っても、ほとんどの受験生は結局何も考えずに②を選んでしまいます。

そうやって樹海の中でバタバタと死んでいきます。

 

①③④を選べる受験生は僅かです。

自分に自信がないという点では同じですが、②と①③④とでは、死亡率が全く違ってきます。

というか、①③④を選べているという時点で、その人はすでに【乙】の住人ではないのかもしれませんが・・・。

 

 

 

 

 

 


【どうでもいい補足】  ~マイナス思考排除の論理について~

 

受験界でよく言われるマイナス思考排除の論理について、若干の検討をします。

まず一つ目です。

受験界には、「マイナス思考は不合格の可能性を高めるので排除すべき」という考え方があります。(マイナスというのは、司法試験において生じうる悲惨な現実のことだとお考えください)

 

この考え方にはたしかに一理あります。そのことを私も部分的には認めないではありません。

しかし、マイナス思考を排除しても、それはせいぜいモチベーションの喚起にしかなりません。

 

そもそも、司法試験はモチベーションではなく、方法で勝負すべき試験です。

 

試験合格に必要なのは、

①方法 と ②努力 です。

 

このうち、①を間違えるから受からないのが司法試験です。

 

もちろん、マイナスなことばかりを考えて勉強が手につかなくなるのは問題です。

努力が合格のための必須の要件であることも確かです。

しかし、何よりも大事なのは方法のほうです。

方法を確立しなければ、確実な合格は望めません。

 

マイナス思考はたしかに心理的な不安をもたらしますが、物理的な視界をクリアにします。

しっかりと目を開けて正確に現実をみることは、②にはマイナスでも①にはプラスなのです。

 

プラス思考は心理的な安心感をもたらしますが、その分、視野の正確性は犠牲になります

悲惨な現実に目を瞑ることは、②にはプラスでも①にはマイナスなのです。

 

方法論で合格することを目指す当ブログとしては、どんなに不安でも、正確に現実そのものを見ることをおすすめしたいです。

二つ目です。

「受からなかったときのことは、受からなかったときに考えればいい」という考え方があります。

後先考えない無思慮な受験生や、初めから受かることが決まっている(上の【甲】に属するタイプの)自分に絶対の自信を持つ優秀な受験生・合格者の中に、そのような主張をする人が多いです。

ちなみに私は、その人が受験生(合格者)として優秀であるかどうかと、発言者・助言者として優秀であるかどうかは、完全に分けて考えています。

 

もちろん、この考えも分からないではありません。

しかし、こういった類の助言は、私にはあまりにも現実感覚を欠いた無責任な態度と感じられます。

 

私には、こういう発言が、本当の悲惨な現実に向き合った上での発言とはどうしても思えません。

 

こういう発言をする人には、

「自分が受からなかったときにも、本当に同じことが言えるのですか?」

と問いたくなります。

 

こういう発言をする人は、受からない可能性を一切考えないまま実際に受からなかった場合に、その人がどれだけ大きなダメージを受けるか。その想像がなさすぎます

 

「受からなかったときのことは、受からなかったときに考えればいい」なんて嘯いていた人が、実際に受からなかった場合、通常、その人は想像を絶する大変な状態に陥ります

 

素直に考えれば、誰だって「それはそうだろうなぁ」と思うことでしょう。

口先の思いつきの言葉と、実際に起こる現実は、ほとんどの場合、一致しません。

そんなことくらい、私に言われなくても本当は誰でも承知されているはずです。

 

その意味で、こうした発言をしている人が、深く考えて物を言っているとは私には到底思えません。

 

「受からなかったときのことは、受からなかったときに考えればいい」なんて、そんな発言は、実際に自分が当事者になることは100%あり得ない、と思っている人にしか言えない台詞です。

 

こういう台詞は、その場(たとえば入門講座のガイダンスという場)を適当に取り繕うためだけの、司法試験志願者に現実感覚を忘れさせるための、都合のいい方便として使われているだけです。

 

こういう助言を平気でする合格者や講師は、極めて無責任だと思います。

また、こういう助言に逃げずにいられない受験生も、心が弱すぎます。

・・・以上、マイナス思考排除の論理について検討してきました。
 

長々と書いてきましたが、私から申し上げたいことは一つです。

仮に、百歩譲って、マイナス思考の排除に若干の効果があると認めたとします。

二百歩譲って、そうやってマイナス思考を排除することで合格した人がいたのだとします。

 

それでも、そんな風にマイナス思考を排除することでかろうじて合格できた人の方法など、人に向かって説く「方法」と呼ぶには値しません

 

その人は、たまたま受かったにすぎません。

本来は、そんな精神論で受かってしまうほうがおかしい、と考えるべきです。

 

現実から目を逸らさなければ、それで「安心」を買わなければ合格することができないような、そんな詰めの甘い方法で司法試験をやってはいけません

 

どんなに悲惨な現実に直面させられても、そのことでどれだけ不安に苛まれたとしても、それでも余裕で合格してしまえるくらいの算段をするべきです。

 

現実に向き合えば、誰にでもそれは可能です。

 

そのためには、自分の進むべき方向、そして、進んではいけない方向を見定めることです。

悲惨な現実を認識しておくことは、その重要な要素のひとつです。

 

一人でも多くの方が、司法試験という樹海の犠牲者にならないことを、心から願っています。