「もう、気にせんでええ」

 

 健一が笑みを湛えながら、優しく応える。

 

「健一」

 

 健一の名前を呼んだ涼子の瞳は、背後の夜景が霞むほどに、強い光を帯びていた。

 

「なんや?」

 

 涼子の瞳に圧倒されながらも、健一は笑みを崩さなかった。

 

「私たちのことなら気にしなくていいのよ。あなたは、自分の好きなようにやって」

 

 いきrなりの涼子の言葉に、健一が笑顔を引っ込め、代わりに戸惑った顔になる。

 

「どういうことや?」

 

「麗さんと一緒に東京へ行きたければ、行っていいのよ」

 

 涼子は、どこまで自分のことを気遣ってくれるのだろう。

 

 健一は涙が出そうになっが、口をついて出た言葉は反対のことだった。

 

「俺を見くびるなと言うたんは、誰やったかな」

 

 今度は涼子が、「どういうこと」と訊ねる番だった。

 

「俺は、麗に惚れとる。それは間違いない。そやけど、溺れてはおらんつもりや。おまえらを放っぽって、俺が麗を追っかけて東京へ行くわけないやろ」

 

「いいの? そんな強がり言っちゃって」

 

 涼子の瞳が、微かに揺れた。

 

「強がりやあらへん」

 

 断固とした口調だ。

 

「麗も大切やけど、それと同じくらい涼子も大切や。良恵ちゃんと新八もな」

 

 感に堪えかねたように、涼子の瞳が潤んでくる。

 

「あなたって、ほんっとうに馬鹿ね」

 

 泣き笑いの表情で言うと、涼子は再び夜景に眼を向けた。

 

 その背中が、微かに震えている。

 

「自分でもそう思う」

 

 涼子の背中に答えた。

 

「だから、あなたが好きなのよ」

 

 ため息混じりにそう呟くと、涼子は一度髪を掻き揚げると振り向き、また健一と向き合った。

 

「わかった。もう、これ以上は言わない」

 

 そう言った涼子は、いつもの涼子だった。

 

「心配かけて悪いな」

 

 健一が、明るい口調で言う。

 

「いいのよ」

 

 涼子も笑顔で返し、言葉を継いだ。

 

「ただ、ひとつ約束してほしいんだけど、もし麗さんが東京へ行っても、会社には一切私情を持ち込まないでね」

 

 涼子の目が、厳しくなっている。

 

「あなたは、社長よ。愛する人と別れたからといって、仕事に影響させてはならないわ。その時は、私が許さないから覚悟しておいてね。その自信がないのだったら、格好をつけずに麗さんと東京へ行くことね」

 

 涼子は厳しいことを言っているが、健一には、それが涼子流の励ましだということが、わかり過ぎるくらいわかっていた。

 

「約束する」

 

 厳粛な顔で、健一が頷く。

 

「なら、いいわ。まあ、仮に麗さんと別れても、落ち込む暇がないくらい、私が突き上げてあげるから大丈夫よ」

 

(何が、大丈夫なんだか。)

 

 思ったが、もし、麗と別れでもしようものなら、どこまで心にダメージを負うかわからない。

 

 それがわかっていて、涼子は嫌われる覚悟で釘を刺してくれている。

 

 今の健一には、涼子の厳しい言葉が、もの凄くありがたかった。 

 

涼子は誰よりも厳しく、そして、誰よりも優しい。

 

健一は、涼子というかけがえのない女性に出会えたことを、心の底から感謝した。

 

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