聖書における預言者(ナービー)4;繁栄は社会的正義にあらず! | 対内言語と、対外言語と!

聖書における預言者(ナービー)4;繁栄は社会的正義にあらず!

nakama2



               


■公開した前回までの記事

聖書における預言者(ナービー)1

聖書における預言者(ナービー)2

聖書における預言者(ナービー)3-1 エリア

聖書における預言者(ナービー)3-2 エリア

聖書における預言者(ナービー)3-3 預言者は有能な政治家を評価しない‐エリア


 オムリ王朝はヨラムの治世をもって終わる。
 そのおよそ50年後、北イスラエル王国はヤラベアム2世のもとで平和を回復し、繁栄を楽しむようになる。

 ヤラベアム2世の約40年にわたる治世の預言者は、アモス、ホセアである。
 このアモスは、北王国に空前の繁栄をもたらした―戦後日本の高度成長期・バブル期のような―ヤラベアム2世とその社会を徹底

的に糾弾した。
 ホセアもまた別の立場から、徹底的な批判を展開した。

 ヤラベアム2世の象牙の宮殿は有名であるが、現在も、象牙の破片が発掘されている。
 それほどの富と繁栄を国にもたらした彼が、預言者アモスにもっとも手酷く糾弾された。

 これより半世紀後には、南のユダ王国で活躍した預言者イザヤを殺したとされるマナセという王も、政治的・経済的にみれな安

定期を作り、統治期間も約45年に及ぶ『名君』である。

 この時期、ユダ王国が経済的に栄えたのは、―戦後日本がアメリカに従属したのと同じく―アッシリアという国の従属国となり

、逆にアッシリアの全版図・全占領地を自分たちの市場にしていたからである。
 ユダ王国は、銅や香料などの中間貿易などで栄えた。
 ところが、聖書は次のように記し、アモスと同じ様に糾弾している。

  
――列王記下二十一章10~16節・新共同訳――


 主はその僕である預言者たちを通してこう告げられた。

「ユダの王マナセはこれらの忌むべき事を行い、かつてアモリ人の行ったすべての事より、更に悪い事を行い、その偶像によって

ユダにまで罪を犯させた。
 それゆえ、イスラエルの神、主はこう言われる。見よ、わたしはエルサレムとユダに災いをもたらす。
 これを聞く者は皆、両方の耳が鳴る。
 わたしはサマリアに使った測り縄とアハブの家に使った下げ振りをエルサレムに用いる。
 鉢をぬぐい、それをぬぐって伏せるように、わたしはエルサレムをぬぐい去る。
 わたしはわが嗣業の残りの者を見捨て、敵の手に渡す。
 彼らはそのすべての敵の餌食となり、略奪の的となる。
 彼らは先祖がエジプトを出た日から今日に至るまでわたしの意に背くことを行い、わたしを怒らせてきたからである。」

 マナセは主の目に悪とされることをユダに行わせて、罪を犯させた。
彼はその罪を犯したばかりでなく、罪のない者の血を非常に多く流し、その血でエルサレムを端から端まで満たした。

・口語訳
そこで主はそのしもべである預言者たちによって言われた、

「ユダの王マナセがこれらの憎むべき事を行い、彼の先にあったアモリびとの行ったすべての事よりも悪い事を行い、またその偶

像をもってユダに罪を犯させたので、イスラエルの神、主はこう仰せられる、見よ、わたしはエルサレムとユダに災をくだそうとしている。
これを聞く者は、その耳が二つながら鳴るであろう。
わたしはサマリヤをはかった測りなわと、アハブの家に用いた下げ振りをエルサレムにほどこし、人が皿をぬぐい、これをぬぐっ

て伏せるように、エルサレムをぬぐい去る。
わたしは、わたしの嗣業の民の残りを捨て、彼らを敵の手に渡す。
彼らはもろもろの敵のえじきとなり、略奪にあうであろう。
これは彼らの先祖たちがエジプトを出た日から今日に至るまで、彼らがわたしの目の前に悪を行って、わたしを怒らせたためであ

る」。

マナセはまた主の目の前に悪を行って、ユダに罪を犯させたその罪のほかに、罪なき者の血を多く流して、エルサレムのこの果か

ら、かの果にまで満たした。


・英語
Yahweh spoke by his servants the prophets, saying,

“Because Manasseh king of Judah has done these abominations, and has done wickedly above all that the Amorites did, who were before him, and has made Judah also to sin with his idols;
 therefore thus says Yahweh, the God of Israel,
‘Behold, I bring such evil on Jerusalem and Judah, that whoever hears of it, both his ears shall tingle.
 I will stretch over Jerusalem the line of Samaria, and the plummet of the house of Ahab; and I will wipe Jerusalem as a man wipes a dish, wiping it and turning it upside down.
 I will cast off the remnant of my inheritance, and deliver them into the hand of their enemies.
 They will become a prey and a spoil to all their enemies; because they have done that which is evil in my sight, and have provoked me to anger, since the day their fathers came forth out of Egypt, even to this day.’”
 Moreover Manasseh shed innocent blood very much, until he had filled Jerusalem from one end to another;

besides his sin with which he made Judah to sin, in doing that which was evil in the sight of Yahweh.


 王たちは専ら自国の発展と繁栄に目が行く。しかし預言者たちは社会正義に目を向ける。
 どんなに国が栄えても、アモスが糾弾したような「貧富の差が酷くなり、同胞が同胞に圧迫される」ような状態は「義」なる状

態とは言えないと彼等は考える。

 イスラエルの歴史では、王制と預言者たちの運動は常に、併行状態にあった。
 その併行状態は北のエリアではじまり南のエレミヤで終わった。
 この時代は『王と預言者の時代』と呼ばれている。

 もっとも預言運動はその後も続いた。
 捕囚時代にはエゼキエルと第二イザヤがいる。
 しかし、それ以前に「王制の監査役」としての預言者の使命は終わっている。

 以上のような「王と預言者と民」との関係を、申命記と列王記に基づいて記すと、そこには一種の「革命思想」ともいえるもの

が出てくる。