エリア;聖書における預言者(ナービー) 3-1 | 対内言語と、対外言語と!

エリア;聖書における預言者(ナービー) 3-1

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 聖書における預言者(ナービー)1

 聖書における預言者(ナービー) 2

預言者という言葉には、今においても先見者的・代言人的性格も含まれていることは事実だが、それは「イスラエルの預言者の特質」を示してはいない。その特質を示すには、後代が預言者の代名詞のように使う一人の人物をあげるのが最も良い方法であり、その名は「エリア」(前869~845)という。エリヤは、旧約外典時代にも新約時代にも、またその後にも預言者の典型とされてきた。
 
 ところでエリヤは、厚い伝説の雲で包まれいる人物である。そこで、確証のないこと、また学者の意見が分かれることは避け、ここではすべての聖書学者がこれは歴史的事実だとする一事跡をの後を追って彼の人物像に迫りたい。

 すべての聖書学者が「これは歴史的事実だ」とする一事跡とは「列王記第21章」である。時代はアハブ王(7代目イエスラエル王国王・前869~850)の頃である。この時代のユダ王国の王はヨシュパテ(前873~849)で、勿論、預言者はいない。この国の最初の預言者イザヤであり、彼は前742~701年に活躍している。


「列王記第21章―ナボトの葡萄畑」は、イスラエルがすでに分裂した南北朝時代の北イスラエルの国の話しである。
――これらの出来事の後のことである。エズレルびとナボトは、エズレルに葡萄畑を持っていた。畑はサマリアの王アハブの宮殿の傍にあった――(21章1節)

 そこで、

――アハブはナボトに言った。
「お前の葡萄畑を譲ってくれ。私の家の近くにあるので、それを私の菜園にしたい。その代わり、私はお前に、もっと良い葡萄畑をやろう。もし望むなら、その代価を金で支払ってもよい」―― (21章2節)

 現代の基準から見ても、このアハブ王の提案は、王として極めて良心的かつ常識的である。
 ところが、

――ナボトはアハブに言った。
「私は、先祖の嗣業をあなたに譲ることは、絶対にしません」と言った――(21章3節)

 ナボテは、先祖から受け継いだものであるという理由ではなく、”律法を守って”先祖から継承したものを、損益に関わらず売ろうとしない。
 すると、

――アハブは、エズレルびとナボトが「先祖から伝わる嗣業の土地を譲ることはできない」と言った言葉を聞いて、悲しみ、かつ怒って家に這入った。アハブは床に伏し、顔を背けて食事をしなかった――(21章4節)

 イエスラエルは絶対王制ではない。王といえども律法すなわち契約に違反することはできない。これに違反すれば王ではない。
 しかし彼の妻イゼベルはシドンの王女すわちフェニキア人であり、このことを知らない。フェニキアは「現人神」の国だった。
 そこでイゼベルはアハブの態度に驚き、事情を聞いてさらに驚いて言った。

――
 妻のイゼベルが来て、「どうしてそんなに御機嫌が悪く、食事もなさらないのですか」と尋ねると、

――彼は妻に語った。
「イズレエルの人ナボトに、彼のぶどう畑をわたしに銀で買い取らせるか、あるいは望むなら代わりの畑と取り替えさせるか、いずれにしても譲ってくれと申し入れたが、畑は譲れないと言うのだ――(21章5節―6節)

――妻のイゼベルは王に言った。
「あなたが今イスラエルを治めているのですか。起きて食事をし、元気を出してください。私がエズレルびとナボトの葡萄畑をあなたにあげます」――(21章7節)

 キリスト教圏の欧米では、イゼベルは悪女の代名詞である。しかし、それはキリスト教圏が「そう見たい」からに過ぎない。
 イゼベルはアハブの言葉に文化ショックを受けたのである。彼女にとっては、臣下ともあろうものが、王のまことに良心的な提案を一蹴するなどということは、「反逆」か「王権への侮辱」として感じて不思議ではない。 
 まさに彼女にとっては『あなたが今イスラエルを治めているのですか』なのでしかない。

 イゼベルは謀略を使ってナボテを殺してしまい、それを聞いたアハブは所有者のいない葡萄畑を取り上げようとしてエズレルへ下る――(21章8-16節)
 そこへエリヤが登場する。

 この続きは次回へ。