西部邁氏の『知性と構造』のまとめシリーズも今回でついに10回目に突入です(^O^)/
ちなみに全12回を予定しておりますので、今回を含めてあと3回でこのシリーズは終了となります。
最初に読んだ時はなかなか理解できないところも多かったのですが、こうやってブログに書いてまとめてみると理解が深まりますね。みなさんも難解な本に出会った時は自分なりにまとめてみるってのもいい手の一つかもしれませんよ。
以下、前回までのまとめです。忘れた方はもう一度復習してみてください。
第1回http://ameblo.jp/claemonstar/entry-11852064051.html
第2回http://ameblo.jp/claemonstar/entry-11855187261.html
第3回http://ameblo.jp/claemonstar/entry-11857103522.html
第4回http://ameblo.jp/claemonstar/entry-11858974746.html
第5回http://ameblo.jp/claemonstar/entry-11868759535.html
第6回http://ameblo.jp/claemonstar/entry-11874667479.html
第7回http://ameblo.jp/claemonstar/entry-11904741294.html
第8回http://ameblo.jp/claemonstar/entry-11908318654.html
第9回http://ameblo.jp/claemonstar/entry-11917076896.html
今までのまとめ
・知識人が腐ってきている、このままではヤバイ
・人間は真理を追究するようにできており、それを紡ぎ出すのが「言葉」
・真理の追及には信仰・懐疑・感情・論理のバランスが大事
・いかなる表現も仮説である
・仮説は棄却されにくいが、真理をつかむための方策があるはず
・真理に到達するには総合知が必要
・多様な前提と経験的事実を総合知によって結び付けていく作業が「解釈」
・解釈するとはすなわち生きることと等しい
・言葉には意味があり、その構造は伝達・表現・尺度・蓄積といった4つの機能で表すことができる
・表現には矛盾がつきもの
・葛藤は回避するのでなく平衡させねば、表現は病理化する
・平衡を維持するための知恵は伝統にある
・生命の活力の源泉は究極の目的・手段を求める営み
・活力を得るには伝統・習慣を大事に事実主義と想像主義との平衡を保つ必要がある
第九章 『文明の病理とその治癒』
「平衡感覚はいかに鍛えられるか―
それは、複数の強い価値とそれらのあいだの強い緊張によってである。(P177)」
平衡の保持が大事なことはこれまでの話で、だいたい分かってきたのではないかと思いますが、その平衡術の眠る「伝統」へアクセスするにはどうしたらよいものでしょうか・・・。
ここで、一つのアプローチ法として西部先生は個人主義と集団主義について考えました。
まずは、第8回のおさらいです。
個人主義は「集団的帰属感への一体化という内面的な基礎に立って、それをおのれの個人的人格への表明へと外面化させること」(上図の白い部分)、集団主義は「個人的感情の横溢によっておのれを他者から差異化させておきつつ、集団的規律への服属という形で自他を同一化させること」(上図のピンク色の部分)とここでは定義されています。
とすると、公的に個人的に振る舞うのが個人主義、集団的に振る舞うのが集団主義と言えそうです。そして私的には実はその逆であると。
もちろん、上図の四分割はどんな人においても全て含まれるのであって、個人主義かどうかはどの成分が強いかによるわけです。そして、個人主義の中でも個人主義性の強い原始的個人主義と、集団主義に近い個人主義である相互性個人主義に分かれ、集団主義の方も集団主義性の強い硬直的集団主義と個人主義に近い集団主義である伸縮的集団主義に分かれます。
それぞれの国・地域の個人主義および集団主義の性質をまとめるとこのような感じになります。
日本:相互性個人主義―伸縮的集団主義
アメリカ:原始的個人主義―伸縮的集団主義
ロシア:相互性個人主義―硬直的集団主義
ヨーロッパ:原始的個人主義―硬直的集団主義
日本の場合は個人主義が集団主義に近く集団主義が個人主義に近いため、個人主義と集団主義との間の葛藤は小さいと言えます。そのため、内的にはすごく安定しているのですが、強固な価値観の不在により外圧にはひどく弱くなっております。(逆にヨーロッパは個人主義と集団主義との間がとても大きく、内的には不安定ですが外的には安定していると考えられます。)
上図の通り強い個人主義と強い集団主義を持とうと思った場合、強いルール形成能力が必要となってきます。というわけでルール形成能力の高さの順で言えば、ヨーロッパ>アメリカ・ロシア>日本ということになります。これは個人主義と集団主義のあいだの緊張の強さに比例します。
ちなみにヨーロッパの中でもさらに細分化され、日本に近いのがドイツ、アメリカに近いのがイギリス、ロシアに近いのが東欧諸国、ヨーロッパに近いのがフランスという感じになります。
さて、各国の性質については上で述べた通りですが、これを個人レベルまで落とし込むとこのようになります。
相互性個人主義―伸縮的集団主義:協働
原始的個人主義―伸縮的集団主義:競争
相互性個人主義―硬直的集団主義:強制
原始的個人主義―硬直的集団主義:認識
この四要素は誰しもが持っているものですが、その比重が違うというわけで、日本は協働の比重が高く、アメリカは競争の比重が高く、ロシアは強制の比重が高く、ヨーロッパは認識の比重が高いというわけです。
ちなみに伸縮的集団主義は技術主義となじみやすく、相互的個人主義は平等主義となじみやすいため、日本人は大衆化にあまり抵抗がないということ。大衆化に対する楽観主義が日本人ってことですね。生ける屍になることに恐怖を感じないのが日本人・・・。どうしたものか・・・。
ヨーロッパで生まれた技術主義と平等主義が実は日本に一番適していたという皮肉(;^_^A
いやぁ。迷惑ですね。
では、日本は葛藤の少ない脆弱国家なのか?
確かに個人主義と集団主義のあいだの葛藤は少ないので一見、平衡感覚を鍛えにくいような感じもしますが、個人主義の中の集団主義性、集団主義の中の個人主義性というところに葛藤を見出すことによって平衡感覚を鍛えることができるのではないかと。
つまり、個人主義と集団主義のあいだの葛藤はヨーロッパと比べて少ないため活動範囲は狭いのですが(個人主義に近いところ、集団主義に近いところは守備範囲外になる)、構造化された葛藤を意識することにより、より柔軟により遠くまで活動の幅を広げることができる可能性を秘めているというわけです。
しかし、現在の日本はそれをせず安易に大衆化への道を歩み、さらには大衆が権力を握ってしまっているという状況に陥っているのであります。もはやこれまで?
というわけで、本日のハイライトです。
やはり日本が一番、脆弱というか平衡感覚を養うのに高度な技術を要するって感じですね。外圧かけてくるような輩さえいなければ平和で安穏と生きて行けたかもしれませんがね。
しかしまぁ、軽く無理ゲーですなこりゃ(;^_^A
本日のまとめ
・日本は個人主義と集団主義とが近く葛藤が少ない
・よって平衡感覚が未熟
・しかし、実は葛藤は内部に構造化されているので、それを意識すれば最高の柔軟性を発揮可能
・だが、実際は大衆化しやすく、既にそうなってきている
日本人が平衡感覚鍛えるのって結構ハードル高い?いや、逆に面白いって思った方はクリックお願いします。(思わなくてもクリックしてくれると嬉しいな(;^_^A)
P.S.
リニューアルした進撃の庶民でも引き続き火曜日に『もう一つの進撃の庶民』を連載中です。
http://ameblo.jp/shingekinosyomin/
(他の曜日も漫画「アイドル新党なでしこ」の配信などキラーコンテンツ満載です。応援よろしくお願いします。)
P.P.S.
政治や経済についてよく分からない、もっと知りたいという方は下記のエントリーにまとめを作っていますので是非ご覧ください。
政治経済初心者必見!!
http://ameblo.jp/claemonstar/entry-11932947967.html
くらえもんが今まで解説した本について知りたいという方は下記のエントリーにまとめを作っていますので是非ご覧ください。
くらえもんの気ままに読書まとめ
http://ameblo.jp/claemonstar/entry-11944673248.html
くらえもんが至高のギャグマンガ「ドラえもん」を独自の視点でおもしろおかしく解説!興味のある方は下記のエントリーにまとめを作っていますので是非ご覧ください。
くらえもん的ドラえもん解説