『知性の構造』・意味表現における葛藤と平衡 | くらえもんの気ままに独り言

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 『知性の構造』のまとめも後半戦の第7回目に突入します。

 いい加減このシリーズも進めていかないといけませんね(;^_^A

 でも、結構難しいんですよ。(と言いましても西部先生の著書にだいぶ慣れてきた私ですが( ̄∀ ̄))


以下、前回までのまとめです。忘れた方はもう一度復習してみてください。

第1回http://ameblo.jp/claemonstar/entry-11852064051.html

第2回http://ameblo.jp/claemonstar/entry-11855187261.html

第3回http://ameblo.jp/claemonstar/entry-11857103522.html

第4回http://ameblo.jp/claemonstar/entry-11858974746.html

第5回http://ameblo.jp/claemonstar/entry-11868759535.html

第6回http://ameblo.jp/claemonstar/entry-11874667479.html


今までのまとめ

・知識人が腐ってきている、このままではヤバイ

・人間は真理を追究するようにできており、それを紡ぎ出すのが「言葉」

・真理の追及には信仰・懐疑・感情・論理のバランスが大事

・いかなる表現も仮説である

・仮説は棄却されにくいが、真理をつかむための方策があるはず

・真理に到達するには総合知が必要

・多様な前提と経験的事実を総合知によって結び付けていく作業が「解釈」

・解釈するとはすなわち生きることと等しい

・言葉には意味があり、その構造は伝達・表現・尺度・蓄積といった4つの機能で表すことができる


それでは、本編いってみましょう。


第六章『意味表現における葛藤と平衡』


「表現は矛盾の表出である―

そして、表現の真実は矛盾の平衡のうちに宿る。(P117)」


 さて、前回の話の中で出てきましたように言葉は外面性(顕在性)・時間性(差異性)において表現的な意味機能を発揮するわけですが、この表現機能は矛盾に満ちているものだと。例えば安倍総理を指して、売国奴と表現するか愛国者と表現するかという違いが発生してしまう。


 ちなみに矛盾については大きく葛藤逆理に分けることができます。


葛藤(コンフリクト):2つの命題が両立可能

 例)「ドラえもんはまじめ」と「ドラえもんは賢い」

 まじめで賢いという状態はあり得ますが、まじめだけど賢くない、賢いけど不真面目という状態もあり得るということです。


逆理(パラドックス):2つの命題は両立不可能

 例)「ドラえもんはまじめ」と「ドラえもんはずるい」

 まじめとずるいは両立しにくいのでこの場合は逆理ということになります。ちなみに逆理のうち上記例のように正反対の表現を二律背反と呼びます。


 ここで面白いのが「ドラえもんは賢い」を極端に推し進めると「ドラえもんはずるい」と同じになってしまうところです。逆に「ドラえもんはまじめ」を極端に推し進めると「ドラえもんは愚か」と同じになってしまいます。(一方、「ドラえもんは賢い」と「ドラえもんは愚か」も逆理の関係になります。)


 つまり、葛藤を回避しようとして、どちらかの意味に固執すると、無視された方の意味の逆理となり、逆理を回避しようとして、どちらかの意味に固執すると、無視された方の意味の葛藤となるというわけで、結局は矛盾から逃れることはできなというわけですね。


 言葉には同意性と反意性が渦巻いているわけですが、葛藤を処理するためにどちらかに傾こうとすると逆理に転落してしまうので、なんとかして平衡に取り組む必要があります。


 本書の例を取り上げますと「篤実」と「利口」という葛藤の平衡によって、新たに「寛大」と「賢明」という意味が生まれ、上の次元において新たな葛藤が発生するようです。そして、葛藤と再葛藤を繰り返すのは前回述べたように、表現は「スピーチ」の中心に存在し、結合と選択を組み合わせる過程であり、「シンタックス(隣接性)」と「パラダイム(類似性)」という二つの過程を伴うという言葉の構造に由来するものであると。


(参考)


広がりゆく意味宇宙

 類似性にもとづく対立については美人を見てバラ、絶対王政を見てリヴァイアサンを思うように想像力が働くのに対し、隣接性にもとづく対比については美人を見て黒髪、つぶらな瞳、高い鼻etc.、絶対王政を見て宮殿や司教の姿や牢獄を思うというように事実へのこだわりが見られる。


 よって、西部先生は両者の葛藤を「想像主義と事実主義の相克」と見て取ったわけです。


 そして、数世紀にわたる思想の流れは想像主義と事実主義の往復運動であったとのこと。


 啓蒙主義(想像主義)→歴史主義(事実主義)→浪漫主義(想像主義)→自然主義(事実主義)→象徴主義(想像主義)→現実主義(事実主義)→超現実主義(想像主義)


 さらには、想像主義と事実主義との平衡が時代とともに取れなくなり、振れ幅がどんどん大きくなっていっているという。葛藤の一方が極端になると逆理に転落してしまうように、想像主義あるいは事実主義に傾きすぎると徳から不徳へと転落してしまう可能性が高そうでございます。


 問題は平衡喪失を自覚できないことであり、平衡喪失を自覚できなければ平衡を回復させることはできずに不徳の状態へと転落し続けてしまいます。(懐疑→虚無、信仰→狂信、合理→打算、感情→衝動)


 フロイト派心理学によれば葛藤が生じたときに人間は自己防衛機制が働いて葛藤を処理するとのこと。


例)想像Aに関心があるときに事実Bが現れて葛藤が発生したケース

転移:想像Aを別の想像A’に移すことで葛藤を回避

反動:想像Aから事実Bに関心を移すことで葛藤を回避

退行:想像Aを古い関心である想像A’に戻すことで葛藤を回避

同一化:想像Aと事実Bは同一のものであるとみなすことで葛藤を回避

抑圧:事実Bを意識の奥底に抑圧することで葛藤を回避

隔壁化:想像Aは想像A、事実Bは事実Bとして扱うことで葛藤を回避

合理化:想像Aは事実Bの近似だともっともらしく言い張ることで葛藤を回避

妥協:想像Aと事実Bが互いに歩み寄ることで葛藤を回避(この場合想像Aと事実Bの両者の利点を削ぐことで歩み寄る)


 しかし、このように葛藤の処理をしては逆理へ転落してしまうわけであり、葛藤を解決するには平衡によって高い次元へと意識を昇華させ続ける事が健康な表現へとつながるというわけでございます。


 もう少し分かりやすく述べると、「想像Aを選択する」「事実Bを選択する」の間で葛藤が発生してしまった場合、葛藤を回避しようとして仮に「事実Bを選択する」に重心を移してしまうと、今度は「想像Aを選択する」「想像Aを選択しない」との間で迷う羽目になってしまいます。これではドツボにはまってしまって、答え(健康な表現)にたどり着くことが不可能となってしまうのです。つまり、「想像Aを選択する」「事実Bを選択する」との間の葛藤を処理しようとせず、平衡させることが大事だというわけです。


 前回述べたような「言葉の意味の構造」を把握することができれば、自分の表現がどちらに傾いているかを意識することができる、つまり葛藤に対する平衡を取ることができるし、自己防衛機制が自分の表現を病理化させているということを感じ取ることができるのです。


 今回も図がたくさん出てきたのですが、まとめの図を作成するのが少し難しいので、今回は省略させていただきます(;^_^A


今回のまとめ

 表現には矛盾がつきもの。

 葛藤は平衡させることで昇華させることができる。

 逆に葛藤を回避しようと平衡を喪失させると自分の表現が病理化する。


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