『日本経済のミステリーは心理学で解ける』・その2 | くらえもんの気ままに独り言

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 前回に引き続き、廣宮孝信氏の『日本経済のミステリーは心理学で解ける』の感想を書いていきたいと思います。


前回のエントリーはコチラ

http://ameblo.jp/claemonstar/entry-11915766750.html


 今回は第2章を取り上げますが、第1章が経済学の話中心だったのに対し、第2章では心理学・生物学的な話になっております。


 例によって未読の方でしたら目次を見ながらの方が理解しやすいので、廣宮氏のブログのリンクを貼っておきます。

http://grandpalais1975.blog104.fc2.com/blog-entry-612.html


 廣宮氏のブログについては本書に関連したエントリーも多数ありますので、そちらも合わせてご覧いただけると、より理解が深まると思います。

http://grandpalais1975.blog104.fc2.com/archives.html


 それでは、さっそく第2章の感想いきます。


第2章「マクロ経済=人間の集合体の心理―“限界”突破のための理論的基礎」


 冒頭から心理は物理的現象だとのこと。

 いや、まぁ、そうなんですが・・・。これこそ理論的には分かるけど感情ではなかなか納得できない部分もあったりなかったり(笑)。


 情報を感知して起こる体の反応を情動と言い、それが脳に伝わって湧き起こるのが感情とのことですが、この情動という反応は無意識であり無自覚であるようです。言ってみれば反射みたいなものですね。感情は物理的現象っていうのは、こういうところから来るのですね。


 もちろん、科学の力ですべてが確実に分かるということはあり得ないので、科学の力で分かったと言っていることの中にも感情で理解される成分がいくらか存在するのですが、その感情をも科学の力によって解明されようとしているのですね。と言いましても科学の力ですべてが確実に分かるということはあり得ないので~(以下、無限ループ)。


 相変わらずの脱線癖ですみません(;^_^A


 さて、情動は無意識の反応、つまり自動反応であということが出てきましたが、無意識というのは意識していない部分すべてのことだそうです。そして無意識の中にも2つの領域がありまして、その個人特有のものが属する個人的無意識と、全人類に共通する集団的無意識とに分かれるようです。


 例を挙げると、習慣によって後天的に獲得されたもの(右足から靴を履くとか、分かりやすく言えば癖ですかね)は個人的無意識に入って、先天的に備わっている性質(呼吸するとか、汗をかくとか)は集団的無意識に入るってことですね。たぶん。


 ちなみに先に述べた情動は集団的無意識の方に入るのですが、ここに入る全人類に共通な心的パターンをユングは「元型(アーキタイプ)」と呼んでいます。


 全人類に普遍的な感覚については『国家のツジツマ』で中野剛志氏も述べていましたユニバーサルなものですね。「和魂」「洋魂」的なものは個人的無意識の方に入るんでしょうね。そしてユニバーサルなものについては「おいしい」って感覚は全人類共通のはずだという話をされていました。


(参考)『国家のツジツマ』・その3

http://ameblo.jp/claemonstar/entry-11805948419.html

 全人類共通ということは人間の遺伝子にもともとシステムとして、そういうものが組み込まれているというわけですね。


 しかも、情動は感染するとのこと!


 確かにこれは経験ありますね。周りが笑っていたらつられて無意識的に笑ったり、周りが焦っていたらつられて無意識的に焦ったり。

 宮城県の気仙沼で津波なんかが来たときにどういう状況なら逃げるかということを住民に聞き取り調査がされたことがあるのですが、「周囲の人が逃げていたら自分も逃げる」と答えた人が多かったとのこと。これは裏返せば周囲の人が逃げなかったら自分も逃げないということになるのかもですが。


(参考)自分(だけ)は大丈夫・分かっちゃいるんだけどね

http://ameblo.jp/claemonstar/entry-11786563284.html


 ル・ボンの群集心理学によれば「断言・反復・感染」によって洗脳のいっちょあがりってことのようです。「国の借金ヤバイ」「国の借金ヤバイ」「国の借金ヤバイ」と繰り返すことによって、みんなそれが無意識的に正しいと思い込んでしまうんでしょうね。特にネガティブなイメージの言葉だと感染力はばつぐのようです。さらに精神が不安定な状態だと感染に弱いようです。


 「グローバル資本主義は人殺し」

 「グローバル資本主義は人殺し」

 「グローバル資本主義は人殺し」


 これを撒き散らしたいところですね(‐^皿^‐)

 ネガティブで破壊的な響きですし、案外浸透したりしないですかね?


 それはさておき、平衡感覚を失うとどうやらこの「元型」が前面に出てきてしまうようですね。「元型」本能と呼んだ方が一般的には分かりやすいかもしれませんが、本来は生存や種の保存に必要な性質なのです。しかし、これはなかなかコントロールが難しい。


 前回のコメント欄のソウルメイト様の言葉を引用させていただきますと、「厄介なことに無意識は、意識を簡単に左右するほど強力であると同時に、意識による論理的な説得を受け付けない、というところにこの問題の深刻さがあるように思います。 」というわけです。


 しかも、これがまた集団を形成すると平衡機能をさらに喪失し、「元型」が暴走しやすくなってしまいます。この状態は哲学者ハンナ・アーレントの言うような「全体主義」を引き起こすメカニズムに通じるところがあるように思います。


 とにもかくにもこの無意識は平衡を保とうとすることを邪魔してきます。過去のエントリーにおいても少し触れましたが、フロイト派心理学によれば葛藤を回避しようと種々の自己防衛機制なるものが働くようです。この自己防衛機制も「元型」の一つのパターンでしょう。しかし、この自己防衛機制に任せてしまうと、さらに平衡が失われ、矛盾が深くなっていくということでした。


(参考)『知性の構造』・意味表現における葛藤と平衡

http://ameblo.jp/claemonstar/entry-11904741294.html


 さて、この「元型」はコントロールするのは困難なのですが、このような本能とも呼べる「元型」というものが存在しているということを意識するだけでもだいぶ違うのではないでしょうか。これを知らなければ「元型」のなすがまま自動的に流されてしまいます。そう考えればオルテガの言う大衆は藤井聡先生の言うとおりゾンビというか生ける屍というのもより納得です。自分で何も考えていない、考えているつもりでもそれは「元型」によってそう思わされているだけということですからね。

 「それはもう「それ」であって、「彼」とは呼べない代物になってしまっている。(by藤井聡)」


(参考)『政の哲学』・その2

http://ameblo.jp/claemonstar/entry-11880896742.html

 とまぁ、色々言ってきましたが「元型」は生存、種の保存のために必要な心理パターンですからね。これがなければ、早死にします。たとえば車が突っ込んできてもよけないとか。あくまでも大事なのはバランスです。


 毎度の如く脱線しまくっていますが、本書の内容に戻りましょう(;^_^A。


 情動というのは感染するという話が出てきましたが、そんなオカルトチックと思いきや、なんと科学的に感染のメカニズムが解明されようとしているのです!!


 どうやら、心臓は強い電磁場を発生させているらしく、精神が安定しているときと不安定なときとで電磁場のパターンが変わるとか。つまり、情動は心臓から発生している電磁場を介して物理的に他者に伝わっていくと。


 さらには思考や感情で遠く離れたDNAサンプルの構造を変化させたりするとか。(これは電磁場では説明がつかず、量子場を介して伝わっているかもとのこと。)


 こ、これは知らなかったΣ(゚д゚;)

 

 もしかして念力なるものもオカルトではなかったり?もしかして電磁場とか量子場を利用して他人の感情をコントロールできたり?きゃー(>▽<)y

 

 この部分は私にとって本書の中で最大の衝撃を受けた箇所でした。(詳しくは是非本書をお読みください。)


 つまり、全体主義チックな状態に陥っているのは、この電磁場あるいは量子場がシンクロしてしまっていることで、情動がシンクロしてしまっている状態ということなのでしょうか。


 そして、人々の精神が安定しているときは社会も安定し、人々の精神が不安定な時は社会も不安定になるのではないかと。ということは社会が不安定な時にこそ精神を安定させる、つまりバランスをとれるよう心掛けたいところですね。それが、電磁場・量子場を通して他の人に伝わっていけば社会も安定していくのではないでしょうか。そして、社会が安定すれば精神もより安定するということで、よりよい社会がつくられていくということにつながっていくのだと思います。


 繰り返しになりますが、本書の話は理性でもって情動・感情を抑え込まなくてはならないという話では決してございません。むしろ抑え込めると思い込んでしまうと手痛いしっぺ返しを受けます(先の大戦しかりリーマンショックしかり)。あくまでもバランスが重要であり、理性と情動・感情をうまくつきあっていくことが必要なのです。


 佐藤健志氏も『国家のツジツマ』の中で「心にゴジラを持て!」と言っていました。つまり、自分の心の中には破壊願望のようなものが潜んでいるということを自覚しなければならないと、そして、それとうまく付き合っていかなければならないと言っていました。この「ゴジラ」「元型」の一つなのでしょうね。廣宮氏とアプローチの仕方は違えど、同じところにたどり着いているところが興味深いところですね。いや、これも「元型」という共通の無意識のなせるわざか。


(参考)『国家のツジツマ』・その4

http://ameblo.jp/claemonstar/entry-11806176804.html


 というわけで、第2章の感想はここまで。その3へ続く。


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