『国家のツジツマ』・その3 | くらえもんの気ままに独り言

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 『国家のツジツマ』の感想も第3回目に突入です。第一部では現実は物語でできていること、第二部では近代主義の発生過程について議論が行われたわけですが、第三部以降では日本独自の問題にスポットが当てられておりました。第三部で主に戦前、第四部では主に戦後のことについて語られるわけですが、今回は第三部の感想を書かせていただきます。


 なお、第一部・第二部では対談動画と比べて加筆修正された部分はあまり多くなかったのですが、第三部以降は結構加筆修正されていて(特に佐藤氏がしゃべっている部分に追加のエピソードがあったり)、動画しかご覧になっていない方も新たな刺激が得られるのではないでしょうか。


 それでは感想いきます。


第三部『日本の理念的混乱―明治維新から敗戦まで』


・「インコヒーレント・テクスト」とは何か

 インコヒーレント・テクストというのはそれなりの作品なのにどこかツジツマの合わない物語のことを指しますが、日本の物語もこのインコヒーレント・テクストではないかとのこと。ロビン・ウッドいわく「自分が何を言おうとしているのか、自分でも分かっていない物語」だそうです。確かに映画かなんかでも序盤のテーマと後半のテーマがいつの間にか変わってて、えっ?っていう終わり方をするものもありますね。世界観が矛盾を抱えているということらしいですが、分かるような分からないような・・・。


・文化と文明の違い

 文化は精神性文明は技術的なものと呼びかえてもいいのかもしれませんが、中野氏によると文化が発達すれば文明も発達するが、文化が発達しないのに文明が発達することもあるという。後者はよくないケースとして話されていましたが、文化と文明の乖離、これも世界観の矛盾につながるということなのかもしれません。むしろ最近では文明が発達するほどに分化が衰退していっている感じもしますね(^_^;)


・文明開化とマクドナルド

 ともあれ、西洋から文明のみを日本に取り入れた明治期ですが、文化と乖離した文明というのは表面的なペラペラなものにしか過ぎなかったと。つまり、西洋独自の技術を真に学ぶには西洋の心も身につけなければならなかったということなのでしょうか。これは結構難しいですね。いや、でも分かる気がします。例えば外国の料理人が和食を学びに来たとして、表面的な技術を会得したからと言って、それが真に和食と呼べるか?和の心も加わってこその真の和食と呼べるのではないか?(私自身は味音痴なんですが、感覚的に共感できるかなと思って、こういうたとえにしてみました。)


・少女歌劇のグローバリズム

 西洋の文化を学ばず、文明のみを取り入れたのは、日本文化を保守したかったからではないか?だから日本文化を捨てないで得られるペラペラの表面的な文明(文化と切り離されても世界どこでも使える技術)のみを取り入れたのではなかろうかとのこと。なるほど、気持ちは分かります。日本人には日本人のプライドがあるというわけですね。しかし、それがアダとなって矛盾を抱え込むことになってしまったとはなんとも皮肉なものです。


・異なる近代化の方法論はあったか

和魂洋才でいこうといて、実際には無魂洋才となってしまったわけですが、中野氏によれば和魂=洋魂とも言える普遍的な至高の思想を取り入れることができれば、西洋文明をありのまま取り込むことができたのではないかと。いやぁ、相変わらずハードル高いですねぇ(;^_^A ここで、矛盾を抱え込まずにこのような方法論をとれれば敗戦への道を歩まなくて済んだのかもしれませんが、この境地に達することができる人間ってほとんどいないんじゃないですかね?


・脱亜入欧か、アジア主義か

 結局は和魂を抑えて西洋文明を取り入れようとしたわけですが、やはり西洋のことを表面的にしか理解しないで西洋の仲間入りだだの西洋を追い抜くだの言ってもいけないわけです。特に後者はグローバリズムと言いながらナショナリズムだと言う、現在にも通ずる矛盾した世界観があるわけで、やはり行き詰まってしまうということなのでしょうね。


・日本人が見落としたもの

 結局、西洋文明の本質的なところを理解せず表面的なところだけ理解して、全てを理解した気になっていてはいけなかったということでしょうか。西洋には西洋の時代の流れ、思想、事情がありました。現在でも北欧は消費税率が高いからマネしよう、アメリカは移民国家だからマネしようなんてことが言われますが、その国の背景や思想までも理解しないと表面的にマネしても問題が一層深刻化してしまいますしね。

・理念的矛盾が深まった経緯

 社会主義はよくなさそう、自由主義も大恐慌でダメ、保守主義も明治維新以降成り立ちえないという状況で残されたのは帝国主義・国家主義的な道でした。現在も社会主義は倒れ、保守主義も安倍ドリルで破壊される予定、本来であればリーマンショックで新自由主義のダメさに気付くべきでしたが、まぁいずれは新自由主義もダメだと気付く(世界的にはそういう傾向になりつつあるみたいですし)。こうなってしまったら将来の日本も帝国主義への道を再び歩み始めるのでしょうか?

・インコヒーレントな「デモシカ帝国主義」

 矛盾を抱え込みまくった結果、帝国主義路線にしか道を見出せなくなった戦前の日本。戦争目的も諸説さまざまで自存自衛のためなのか、アジアの開放のためなのか、支離滅裂な状態。コミンテルンの謀略があったかなかったか詳しくは知りませんが、こんな状態では謀略にひっかかって当然だったのかもしれません。どちらにせよ一本筋の通った物語がないというのは、このような結果をもたらしてしまうというのは教訓とすべきところです。


・昭和の指導者はどこまで責められるべきか

 明治の指導者は頑張ったのに昭和の指導者はダメだったと言われることがよくありますが、明治期に既にいろんな矛盾を抱え込んでしまったため、昭和で取り得る選択肢は限られてしまっていたとのこと。なるほど、そういう考え方もあるのですね。先代の敷いたレールがガタガタだったのであれば、むしろ後に続くものには同情の余地もあると言えそうです。まぁ、昭和の指導者に責任がなかったとは思いませんが、昭和の指導者ばかりを責めるのは確かにアンフェアですね。 


・そして戦前の物語は終わる

 この辺りは『震災ゴジラ』『僕たちは戦後史を知らない』に詳しく書いてありますが、本土決戦やるつもりでいて、いきなり戦争が終わってしまった。「ドラゴンボール」を見ていてクライマックスに達しようとしたところで、映像が「ドラえもん」に切り替わるようなものですね。インコヒーレントの極みというか、モヤっとしますね(;^_^A いや、おっしゃる通り本土決戦をやらないのは正解ですよ。でも、この気持ち悪さというかなんというか・・・。切り替わるにしてもせめて「ドラゴンボールZ」なら・・・。


・抑圧された自滅願望

 敗戦の屈辱および本土決戦への願望を封印するために作り上げられたのが「ファンタジーの戦後史」いわゆる幻想の物語であるわけですが、架空の物語でもって戦前と戦後の間をつなげようとしたということなのでしょう。しかし、このような自滅願望を封印し続けることは不可能であり、表に出るのを待ち望んでいます。行き詰まってしたときにガラガラポンしたくなる衝動というのはこのあたりにも由来するのかもしれません。ドリルで日本を破壊し尽くすという趣旨の総理の言葉は本土決戦の再現を潜在的に望んでいるという見方は深読みしすぎでしょうか?


今回も今までの価値観が揺さぶられる面白い話でした。

しかしまぁ、色々と矛盾を抱え込んでそれを認識できなかったのが問題の本質ということなのでしょうか・・・。やはり、現実の日本が抱える諸問題を解決するにはツジツマの合った真の物語を紡ぎ出さないことには解決の糸口はみつからないのかもしれません。

というわけで、続きは第4回で。



このパートの動画はこちら

対談・保守はゴジラを夢見るか 第3回 近代日本、そして戦後の神話

http://www.youtube.com/watch?v=ACpxWuJPayE



くらえもんが至高のギャグマンガ「ドラえもん」を独自の視点でおもしろおかしく解説!興味のある方は下記のエントリーにまとめを作っていますので是非ご覧ください。