№7
日付:1987/5/30
タイトル:スタンド・バイ・ミー | STAND BY ME
監督:Rob Reiner
劇場名:歌舞伎町シネマ1(閉館)
パンフレット:あり(\400)
評価:-
子供達を主人公にしたノスタルジック・ムービーにおいて、子供達の目線で描けているかが私にとってはとても大事で、大人が過去を振り返るような、当時を懐かしむような造りというだけで、当時の私(20代)は本作を評価出来ませんでした。
さて、あれから37年。今観返すとどうなのか・・・
2024年8月14日
NHK BSプレミアムシネマ放送(2015/1/1)分を鑑賞。日本語吹替え版の2か国語放送を、敢えて音声を英語版に切替えて、日本語字幕表示で観賞しました。こうすると吹替えの台詞がそのまま字幕に表示されるので、通常の字幕版よりも情報量が多い(台詞 > 字幕)と思ったのですが、 思ったほど日本語訳 に納得感を得られなかったので、翌日字幕版(NHK BSプレミアムシネマ放送(2020/1/27)分)も鑑賞。
以下、観ていて引っ掛かった台詞に関する 和訳の比較です。
原文を踏まえたのではなく、物語の流れ的に良いと思った方の訳に〇を付けました。
台詞①
"Hey, at least now we know when the next train was due."
台詞②
"You might even write about us guys if you ever get hard-up for material."
台詞③
"Guess I'd have to be really hard up, huh?"
<字幕版(加納礼子)>
×「次の汽車はすぐだったな」(クリス)
×「俺たちの事を書くかもな」(クリス)
〇「よっぽど書くネタに困ったらね」(ゴーディ)
<吹替版(税田春介)>
〇「これで次の汽車まで安心だな」(クリス)
〇「もし書くことがなくて困ったら俺たちの事を書けばいい」(クリス)
×「僕 すぐ書く事がなくなっちゃいそうだ。ね?」(ゴーディ)
台詞①
迫る列車からギリギリ難を逃れたゴーディとヴァーンにクリスが掛ける言葉。直訳は「少なくとも次の電車がいつ来るかは分かった」。このままでよくない?と思いつつ、どちらか選ぶなら税田さん。
台詞②
クリスがゴーディを慰めるシーン。ここもほぼ原文通りの税田さんの訳の方がしっくりくる。
台詞③
ゴーディの返し。税田さんの訳は会話とし てピンとこないので×。対して加納さんの意訳は見事。
最後に大人になったゴーディがワープロに打ち込んだ文章にも引っ掛かった。
"I never had any friends later on like the ones I had when I was twelve.
Jesus, does anyone?"
「12歳の頃のような友達は、その後持てなかった/誰もがそうだろう」(字幕版)
「あの12歳の時のような友だちはもうできない/もう二度と・・・」(吹替版)
原文に近いのは字幕版なのですが、それでも最後の断定するニュアンスが私的にはダメでした。
これはあくまでNHKのBSで放送された際の字幕なので、劇場公開時は異なる翻訳なのですが、今回観直すにあたって日本語に書き換えられた台詞の妥当性がいつも以上に気になってしまいました。
友人の突然の訃報を受けた男が、当時の彼等との思い出を振り返る。ただ気が合うというだけで連んでいられた12歳の夏。愛すべき4人組の1泊2日の大冒険を描いた本作。周りがダメな大人ばかりの中で描かれる、子供達の程好い結束感。主人公ゴーディと親友クリスの絆。改めて名作と呼ばれる事に異論なしです。クリスを演じたリバー・フェニックスの涼やかな眼差しと存在感が、本作の魅力をグッと高めていますね。
皮肉にも彼との約束を果たす事になってしまうラストですが、それでもやっぱり私的には、リチャード・ドレイファスの当時の振り返り方が鼻に付いた。最後のシーケンス、丸々不要です。パソコンの一文も。彼らのような友達がその後出来なかったから何だっていうのさ?
本作をお気に入りの1作として、ダビングして手元に置いておこうとは思いませんでした。
キーファー・サザーランドもヤバいチンピラ役を好演
パンフレット
「あの時のような友だちを2度と持つことは出来ない。誰だって……」「失われた少年期へのノスタルジックなタイム・スリップ」といった言葉が並んでいた。
・ストーリー
・解説
・プロダクション・ノート
・86全米・各国批評
・ロブ・ライナー
・キャスト
・音楽
前売り半券