#04 クスリや機械に頼って朽ち果てる前に文明からアシ洗えるといいんだけどさ…  | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥
 
 
 
 
人間の男と女では絶対に創られ方が違う。
そして、人間の女性は誰もが、決して、「生理がはじまったから女性になった」ということではない。
既に母親の胎内にいた時から両方の卵巣の中に卵子を持って産まれてくる。
そして一定の年齢に達した時、子宮壁が充血して基礎体温をあげ、排卵があり、受胎態勢を整える。
受胎がなければ子宮壁に充血した血液は汚血となり生理として下る。また、受胎があった場合は
子宮壁に充血した血液は羊水に変わる。
そのような子宮という臓器は常に動く臓器である。
生きているから、人間の心臓や胃も動くかも知れないが、他の臓器は それほど動くということはない。
肝臓も心臓も、人間の女性の子宮のように、小さくなったり大きくなったりはしない。
生理の時にも正常な位置で正常に子宮が動くなら、通常の女性の月経、生理というものは、
最初の日は少なくて、翌日は多くなり、たとえば三日なら三日、その体に負担がかからない量で出て、
四日目にはきれいになってしまう。その量も、出る時間帯も、人によって誤差はあっても、通常は、
三日なら三日、四日なら四日のうちに汚血はちゃんと出て、それ以上に、それほど長くかかるものではない。
それは、自分自身の臍から、手の指で三本下の位置。
そこに子宮の中心があるという人間の創られ方であり、定め方であり、
その人に合った定位置に子宮があるからである。
本来、女性であれば、誰もが、そのように創られているはずである。
 
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そして子宮とは、本来どの女性においても、脾臓。おなか全体の筋肉。腹筋によって、
しっかりと支えられており、それを安定させておく筋肉の上にあって、
四本の筋肉(靭帯)でしっかりと吊ってあるから、
それが月に一度の生理であっても、受胎して妊娠したとしても、自分の定位置にある。
人間の女性は決して、その子宮が初めから下腹部の下の方に位置して生理が来るように創られてはいない。
ところが今、現代人のほとんどの女性の子宮が、自分の恥骨のすぐ上の位置、下腹部のずっと下の方へ
下垂している。すると、その骨盤の中の非常に狭い場所で、その子宮も思うように動かなくて生理も正常に
出なくなってくるのは当然である。
このように、決められた場所で決められた通りに子宮が動かない女性が今、非常に多い。
 
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たとえば、そういった女性の生理は、もう何年もの間、場合によっては産まれてからずっと、自分の子宮が
正常な位置ではないために、子宮壁が充血して二日目、三日目までは、それなりに汚血が出てきても、
四日目になって量が少なくなってくると、正常に動かなくなってくる。
その子宮がいつも恥骨の辺りの狭い場所にあれば、正常に動けない。だから思うように出てこないし、
最後まで完全に出きらなかった物。その汚血が子宮壁に残ると、様々な症状に変わることにもなる。
そして何より、そのように正常に動かなければ、精神的にもイライラしてくるし、落ち着かず、
周囲の者の言うことを素直に訊けなくなってくることもあれば、キッキカッカとしてくることもある。だがそれは、
単に、その人の性格とか気性ということではない。
人間の肉体とは、心の容器であり、心のオーヴァーコートである。
肉体が苦しいために、本人の意識、心では抑えられないほど、その苦しさを訴えている状態である。
それほど、子宮の位置というものは、女性にとって大切な問題である。
だから今、自分の子宮が、どこに、どのように下垂しているのか。
それは、お腹の筋肉でしっかりと支えられないためなのか。子宮を吊っている筋肉に問題があるのか。
男も女も、内臓が下垂することで両脚の付け根にある太い静脈と動脈を圧迫して、下半身の筋肉に対し、
血液の循環が悪くなることは共通していても、女性の場合は人によって、その子宮が下垂している状態、
下垂した場所も決して一緒ではない。下腹部が異様に膨れてしまうほど前の方へ落ちている子宮は、
膀胱や尿道筋肉を圧迫してしまうし、後ろの方へ下垂していると肛門筋肉を塞いでしまうばかりか、
腰の筋肉にも負担がかかり、そうしたことで生理中になると、腰痛や腹痛、頭痛や足のむくみなど、
様々な症状を訴えてくる。それらはすべて、
手も足も、胸の筋肉も、全身の筋肉にまんべんなく流れるはずの血液の循環を妨げるほど、
自分の子宮が正常な位置ではないために起こった結果である。 そしてそのために、
自分が必要とし、必要とされたときも、その性行為すら、まったくできないほど、
自分の子宮の位置が正常ではない女性も現代人に増えている。
また、そのように正常に動かない子宮、正常な自分の定位置ではない子宮の中に、いつまでも不純な物が
残っていれば、いずれ腐って行くこともあるし、その部分の細胞も正常な状態ではなくなってくることもある。
医学では単に、その結果だけを診て、子宮筋腫だとか「子宮癌の疑いがある」などと言って、場合によっては
子宮そのものを摘出してしまう手術を勧めている。こうした問題は、まだお産の経験のない若い女性にも、
とても多くなってきている。だが、どんなに大きい筋腫であろうと、自分の子宮が定位置にあれば、
そんな物は皆、生理の時に きれいに出てしまう。
たとえば私は、昨日も今日も、どこにいても誰に対しても、気を送るとか送らないとか、そんなことを考えて
意識したことはない。常に、いついかなる時も、まったく自然である。 もしもこれを意識して 
「もう出さない」「送らない」と考えたならば、おそらく、私は生きていることができない。(1998年2月、口述記録より。) 
そしてそこには、まったく邪気はない。正気のみである。 (注釈:正気【せいき】 天地人に存在する正しい気。) 
だから、私の話を聞いているだけで、そのあと家へ帰ってから、
「子宮筋腫が小さくなった」 「治ったよ」と、そう言ってきた女性も大勢いる。
それは決して、私が治したわけではない。それまで、本人に治す力がなかっただけである。
お腹の筋肉で支えられない内臓が下垂しているために、全身の筋肉に血液の循環も悪く、
細胞が生きるために必要な酸素も回せない。
現代人には、それほど邪気が多く、それほど内臓が下垂している女性が多い。
また、その側にいる男共は、普段、何をやっているのか 。 
   
現在も、頭痛、腰痛、生理痛。また、便秘や痔の問題に悩み苦しんでいる人は男性よりも女性に多く、
それは、なぜなのか。たとえば、生理の期間が長いとか遅いとか、量が多いとか少ないとか、
通常そうしたことは男には解らないし、ましてや女性の子宮の位置がどうなっているのかということは、
人間の女性である本人。自分自身でも、よく判らないことかもしれない。
しかしそれは、創った側から見れば、一目、視るだけですべて解ってしまう。
目に見える部分でもしも、顔に付いて在る鼻の位置がオデコにあるとか、口が目の上にあったとか、
そんなことになっているなら、それは誰もが「おかしい」と判るし、見える。ところが、目に見えない部分で 
体の内側に起こっている事実については、自分自身では何事も解らないし、これまで考えようともしなかった
かもしれない。それは、世の中の医学にも、教育の中にも、人間の創られ方について正しい知識が
なかったからであり、これまで、『人間の設計図』というものが、世界中どこにもなかったからである。
女性の生理というものは、たとえば、月に一回ある人も年に五回の人も、
それはその人にあった生理であって、年に一回で少ないとか、月に二回あったから多いということではない。
長い人もいれば少ない人もいるし、一度に出る量も人によって違う。
また、その子宮の位置によっては不正出血している女性もいるかもしれない。
そして今も、医学という学問が、どんなに発達しようとも、女性の生理痛ひとつ治せないでいる。
それは今日、医学に限らず、自分自身が勉強してきたこと。教育された頭。学問で教えられた知識からは
一歩も外へ出れず、何事も常に、できるフリ、解ったフリをしてしまい、人間が人間については何も解らない
ということを素直に認められない者も多い。
そのためにその本人も、今も大勢が、そうした様々な悩み苦しみを抱えながら生きている。
とくに、教育によって破壊された母体。その事実。このことについては、今どうしても、自然の激しい変化に
ついて行けなくなってきた人間の世の中に必要なことであり、今後、医療も教育の現場も、政治も、経済も、
このことに気づくことができない人間が、社会が、今よりももっともっと大きな問題で壊れて行くことになる。
その時、人々はどうなるのか。どうするのか。
決して、神や仏も、いかなる宗教の教祖も、宗教の教えも、人間を救えるものではない。
そのために私は今もこうして解らない人間、気づけない人のために、
何度も同じことを繰り返して言っているし、書いている。そしてそれが嫌になるとか厭きるということもない。
気づけない人は気づけない。それでも、どんな場合も丁寧に言って、丁寧に話して行くしかない。
そして、馬鹿は馬鹿に気づけばよい。利口は利口に創られた通り生きればよい。それが革命である。
『自然と人間の設計図』に在る人間の創られ方の事実も、道理も、私の言っていることから外れては
世界の誰も生きることはできないし、人間は決して、自然界から外れて生きられない。
今まであったものも今まで通りではなくなり、常識も変わり、そこに生きる人々の意識も変わって行くし、
また、変わらなければ、これ以上この地球上に人間が生きていけない。そして人類は今後、必ず、
私の言ったこと、私の書いた物を基準に営まれることになる。
   
だからここまで、何度も何度も言うように、
人間の女性とは、本来、十二歳~十三歳になると生理が始まるように創られている。それも単に、
「十二~十三歳になったから生理があった」ということではなく、
既に、母親の胎内、お母さんのお腹の中にいた時から女であり、
この世に産まれたあとになって、十二歳~十三歳に初潮を迎え、そこから、五十五~五十六歳まで
生理がある一定の期間に排卵するための卵子が、卵殻【らんかく】に包まれ、卵包【らんぽう】に包まれて、
両方の卵巣の中へ入れて産まれてくる。
そうして、その心も、体も、人間の女性として育ち、十二歳~十三歳という一定の年齢に達した時点で、
生理、月経を迎えることになる。
その、人間の女性の生理とは、まず、子宮壁【しきゅうへき】が充血して基礎体温を上げ、卵巣から卵子が
下がってきて受胎態勢を整える。それが女性の排卵であり、もしその時に受胎があれば、子宮に充血した
血液は羊水(出産時の湯)に変わり、また、受胎がなかった時は、子宮壁に充血した血液は汚血【おけつ】
としてくだり、生理となる。それは決して、医学とか解剖学とか、学問ではなく、
この地球上に人間が創られた時に定められた、人間の女性。母体の創られ方である。
   
そしてその時、お腹の筋肉、脾臓、腹筋によってしっかりと支えられている子宮は、
自然に、やや下へ下がる。要するに、子宮壁に充血した血液によって比重が普段より重くなる。
それでも、その子宮は、右や左にも傾くこともなく、正常な位置にあって、正常に生理が終わってしまえば、
再び元の位置、自分の位置に戻るように創られている。
しかし、このことを知っていても知らなかったとしても、たとえば、どうして生理痛というものが起こるのか。
世間では、その原因についても、ストレスだとか体質だとか、女性ホルモンのバランスに問題があるとか、
様々に漠然としたことを言って、やはり、人間について解ったフリをしている者も多いが、そうしたことは、
「10」や「20」のところから見ることしかできない学問の知識による判断や勝手な決めつけ、想像ばかりであり、
決して、ゼロの部分。人間の創られ方の基礎、基本について解いている者もいない。そのために、
女は女について自分を解らないし、人間の男も、自分自身が女の体から産まれてきたにも拘らず、
女については何一つとして解っていない。そして今、現代人は、男女平等という教育により、社会も、人も、
その一つの思想にこだわることで、人類の母体と自然界を破壊している。
だから今も、病院の医療や医学という学問が、どんなに発達しようとも、女性の生理痛ひとつ治せない。
 
たとえば、その生理痛という問題。それは人によって、お腹を鷲掴みにされたような激しい痛みであったり、
下痢をした時のように下腹部が重いとか、どうしても腰が張って痛い。その他にも、月に一度の生理の時や
生理前後になると、夜になってから、どうしても脇腹から胸の脇の筋肉が攣れて痛く、苦しいとか、色々の
痛みや苦しみがある。また、生理が長い、何日も終わらないという人も、頭痛を伴うという人も、そうした辛さに
慢性的に悩まされている女性は、その年齢には関係なく、今も全国に大勢いる。
要するに、基礎体温が上がっているものが、急に下がって、そのために体が冷えてきて、いろいろな形で
痛みが起きる場合もあれば、極度の内臓下垂。下腹部が幼児体型のように膨れたまま、子宮が極端に
下垂していることにによって、体の中の内臓も、筋肉も、下垂した子宮に引っ張られてしまうために
様々な場所が痛くなってきたりする。
とくに、夜になって、自然界の日の入りと共に、それまで全身の筋肉に流れていた血液が徐々に
引いてくる時間。肝臓へ還る時間帯。それは、夜、寝ている時にも、筋肉に必要な血液が
昼間あった以上に回りにくくなってくるために痛くなってくる。
また、下垂した内臓に、真っ直ぐ下へひっぱられてしまう気管や喉の筋肉にも、
必要な血液の潤いが涸れてくるために、激しく咳き込んでしまったり、呼吸が入らない状態になって、
今もう死ぬかも知れないというほどの苦しさに襲われる女性もいて、それは今、若い女性にほど多い。
また、生理が終わる終わらないという区別、境、そのケジメもないほど、
いつまでも出血したままの状態が続いて、常に貧血気味になって、そのために駅のホームで倒れたり、
めまいがしたり、たとえ何か仕事をするにも立っているのがやっとという女性もいれば、
「どうしても生理不順で、終わるのも遅くて…」と思っている女性には、
「生理が終わってからも、どうしても下り物が多くて…」と、そのように悩んでいる女性も多く、そのために、
ほとんど毎日、パットとかショーツとか、専用シートなどという物を当てている。
先にも述べたように、   
腎臓から下りてくる下り物。それは非常に臭い。人によっては、生理が終わる頃、そして終わってからも、
きれいにあがらなくて、一年中、茶色い下り物がずっと続いている人もいれば、
それも、内臓が下垂していて、子宮が正常に動かないためである。
   
   
何度も言うように、子宮とは常に動く臓器である。本来それが、自分の正常な位置。臍から指三本下の辺りの
定位置に子宮を支えておく腹筋に力がないために、右の方に寄っても左に傾いても、その傾いた方の足が、
むくんだり、痺れたり、冷えてきたりしてしまう。
それは、他の臓器だけでなく、子宮が極度に下垂することによって、下腹部が膨れ、
足の付け根にある上半身と下半身をつなぐ太い動脈と静脈が圧迫されているからである。
要するに、呼吸が浅く、脾臓が弱く、下垂した内臓、下垂した子宮が血液の流れを妨げている。そのために、
下半身の筋肉、脚の方の血の巡りが悪い。そして、膝を曲げ、猫背になって、一年中、
   
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このような格好で過ごしている。
しかも、下垂した内臓によって筋肉が全体的に下へ引っ張られるため、
右でも、左でも、自分の子宮が下がっている方向へ、肩も落ちている。
それを本能的に庇おうとするために反対側の肩に力が入るから、
子宮が傾いた方向とは別の肩の筋肉や首筋も、張って重くなり、疲れてくるし、そのように変形した肉体では、
脇腹から胸にかけての筋肉までも痛くもなってくるのは当然である。 
このように言われてみて、今、自分自身がどうなのか。鏡の前に立ってみればいい 。 
   
人間の脚の付け根には、どの人も、太い動脈と静脈があり、その流れが上半身と下半身をつないでいる。
しかし、下垂した内臓が、そのように大切な動脈と静脈の太い血管までも圧迫してしまい、思うように
下半身に血液が通わなくなっている。
すると、下半身の筋肉は、老化という問題にも関係なく、筋肉に血液の潤いが涸れてくるし、徐々に、
冷たくも硬くもなってくる。
そしてまた、筋肉に血液がしっかりと回らないために、肛門筋肉にも尿道筋肉にも、ひらく力がなくなってくる。
だから、便秘もするし、排尿の状態も悪く、常に残尿感があったり、体もむくんでくる。
そして常に、いついかなる時も、生きている人間の肉体とは、心の容器であり、特に女性の子宮は、本来の
自分の正常な位置から髪の毛一本でもずれるだけで、精神的にも色々な変化をもたらすことになる。
だから単に、生理痛や頭痛という簡単な言葉だけの問題ではない。
 
人間に起こる頭痛 も、便秘も、いくつか決まった種類がある が、
これもまず内臓下垂。女性の場合はとくに、子宮下垂が原因であり、
生理中に頭痛が酷いことも、まず呼吸が浅いことに問題がある。
普段から非常に呼吸が浅く、とくに下半身の筋肉に血液の循環が悪いために、
上の方、上半身へ必要以上に血の巡りが激しくても、決して、その頭には、
酸素も、血液も、ほとんど回らない状態である。
 
自然界の雨も、上から下へ降って下に下りた物は、やがてまた、上に昇って大気として上昇して行く。
もしそれが猛暑の夏のように破壊されれば、雨は降らない。
その道理も、自然の産物である人間も同様に、
一旦、下へ降りたものは必ず上へあがらなければならない。
ところが、そうした決まり、取り決め、人間の創られ方道理には関係なく、下垂した内臓が、
両脚の付け根にある、人間の上半身と下半身の流れを結ぶ太い静脈と動脈を圧迫するから、
そのようにして上半身だけ回すばかりで、下半身に下がらないし、脚の方の筋肉が冷えて、硬くなり、
その足腰ではしっかりと上半身を支えられず、次第に体型も崩れてくる。
だから頭にも血の巡りが悪くなるし、酸素も回せなくなる。 
 
普段から呼吸が浅く、膝を曲げて前屈みの姿勢で過ごしていることが多いために、体型が崩れていて、
下半身の筋肉、細胞に、血液も、酸素も、ほとんど何も回ってこない。
そのために、足首、ふくらはぎ、膝の裏、太ももの裏、尻の坐骨の辺り…。これらの筋肉に対しても
血液の循環が悪く、そして、背中から肩にかけて。首筋も、後頭部も、そこから頭の上を回って目頭にかけて。
   
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こうした流れに沿って、血と気の巡り方に異常がある人は、男女年齢を問わず、現代人に非常に多い。
とくに、この流れが滞っているために、全細胞に必要な酸素が頭にも昇って行かない。
だから頭痛がしてくるし、目が疲れる。
 
同じように、いま全国にいる猫背になっている人間。それは、若い女性に限らず、
自分を単に更年期だと思い込んでいる主婦。
病院で、自律神経失調症
最近でいうところの慢性疲労症とか生活習慣病などという馬鹿げた名前も同じく
と診断された人。
惚け老人。痴呆症も、健忘症も、こういった人達のすべてが、
下半身と頭の筋肉の関係 。その気血の循環が悪い。
 
そしてそのような肉体の変形。本来の人間の創られ方から外れて体型を崩した結果に、
現代人は様々な病気や症状を抱えて悩み苦しむことになる。たとえば、
心臓や脳の血管に異常が起きてしまう、いわゆる成人病の関係に限らず、アルツハイマーだとか、老人惚け、
最近の若い人の脳が白く萎縮してしまう問題も、ここに原因がある
だがしかし、人間を解らない医学という学問では、そうした原因の事実も判らないし、認められない。そして今、
自分の呼吸が浅いという問題ひとつ、それがやがて大変な結果を招くことになるということに
自分では気づけない人も多い。
 
この自然界。地球上に、人間が生きる絶対条件はまず、呼吸。酸素を吸うということである。
そして、その呼吸が完全であることで全身の筋肉に血液の循環もあるし、気も回り、食べた物の栄養も回る。
要するに、人間の呼吸とは、下腹部の筋肉が動くほどの深い呼吸。肺という臓器が、
顔にある呼吸器。肺の出先機関から酸素を吸って、全身の筋肉の細胞も皮膚も生きる
肺が精一杯、酸素、空気を吸わなければ、お腹の中の大腸も動かないし、皮膚も荒れてくる。
それどころか、排便、排尿も悪く、ほとんどまったく出ない。
それによって、手も、足首もむくむし、血管の中の血液は汚れてくる
とくに生理中は、便秘に苦しんでいる女性が非常に多く
その原因 もほとんどすべて、子宮下垂によるものである。
生きるために必要な酸素が全身の筋肉に行き渡らない。
そのために、目がとても疲れているし、首も重く、肩も張っている。肺から下りてくる白い下り物も多くなる。
 
そして、筋肉が変形するほど体型が崩れ、とくに今、大人になって、たとえ成人してからも、
下腹部が幼児体型のように膨れている女性は、自分の子宮が常に恥骨の辺りにある。
だから生理の時に子宮壁が充血して、その比重が重くなると、その子宮はもっと下垂することになる。
極端に下垂した子宮の半分くらいは、ほとんど膣の中に入ってしまっている。
それによって、子宮を安定させている四本の筋肉(靭帯)。それが下垂した子宮に引っ張られ、
攣れて痛くなるから、本能的に前屈みの姿勢になる。
常に猫背になり、膝を曲げ、腰を落とし、顎を前に出して歩いている。
そんな格好であれば、当然、全身の血液の流れも悪くなるし、頭痛もすれば、首も重くなってくるし、
肩こりにもなるし、腰痛にもなる。
これは、女性に限らず、現代人のほとんどの者に言えることである。
たとえ今、頭痛や健忘症などということに悩まされていなくても、
筋肉が硬ければ、絶対に健康そのものとは言えない。
 
ただ単に肩がこる、重い、張っているとか肩甲骨が痛い、腕が腫れる、痺れるということを言っている女性、
訴えている人も、それは女性に限らず、そして年齢的な問題とか老化現象ということでもなく、
すべて、筋肉が生きるために必要な血液が正常に回っていかないからであり、筋肉が硬くなっている。
 
かといって決して、その場所に、健康器具や電気治療器などを使えば楽になるということではない。
国の機関による許認可、登録手続きがありながら、そういった健康器具、医療用具で、
本当に人間の体が治せるならば、現在も、これほど様々なガラクタとして、高額な機械や器具が売られたり、
買われたりすることもなかったかも知れないが、そもそも、健康な人は決して、健康器具は使わない。
そんな物で病気の予防ができた者もいない。
日本の厚生省は何を認可して、使用許可や販売する資格を登録させ、与えているのか。
たとえば、按摩器、マッサージ器という物で、首や背中、肩の筋肉を部分的に強く揉みほぐすことで、
一時的に楽になったように想えても、それで肩こりや首筋の痛みが治るわけではない。
筋肉の中にある血液の流れ、血管は、それこそ、細胞と細胞をつなぐ細胞核の中まで細かく、
人間の目では見えないような毛細血管もある。
部分的に強く揉み解したり、叩くことによって、その血管が切れて、細胞が破壊され、
その部分だけが麻痺するから、一時的に楽になったように感じても、
その破壊された場所へつながる場所、まだ生きている筋肉のあらゆる血管に負担がかかり、
その体はその後、もっと悪くなる。 
これは、腰痛やムチウチということで悩んでいる人や、椎間板ヘルニアと呼ばれる症状、その病名を
付けられた人に対しての牽引治療も同じである。とくに、腰痛の牽引という治療をつづけて半身不随になり、
寝たきりや車イスの生活になった人はいても、治ったという人は、まずいない。
筋肉に血液の循環が悪く、硬く、冷えてしまい、そのように駄目になった細胞は、決して弄ってはいけないし、
どんな場合も、その場所へ、どのようにして血液の流れを促せばいいのかを考えることが必要である。 
そしてそれは、自分自身で治す以外に方法はない。
なぜなら、その筋肉の硬い体は、他人の体ではなく、自分の肉体である。
人間は今、人間について、結果的、部分的、統計的な判断で診て決めつける時代が、もう終わったことに
気づくべきである。
そしてまず、
どこから、どうやったら、そこに血液が回って、筋肉に、暖かく弾力が出てくるのかということを考えればよい。
筋肉が生きるために必要な血液を流せば、肩が張るのも、腰が痛いのも治る。
要するに、その心で動かしている自分自身の肉体である。その変形した体型、自分の体を自分で治すには、
まず、膝をピンと伸ばして、真っ直ぐな姿勢になることを心がければよい。
たとえば、生理前後であっても、「頭痛がする」ということで、テレビの宣伝を見て、薬屋さんで薬を買って、
それをいつも自分のハンドバッグに入れて持ち歩いている女性にしても、膝の裏の筋肉がしっかりと
伸びていれば、背筋も伸びて姿勢もよくなり、呼吸も楽になるし、細胞に必要な酸素も、ちゃんと上へ
あがっていくようになる。すると、頭の痛いのもとれる。
 
しかし、腰も背中も肩も、体の中心、内臓の位置も、極端に変形している者を無理に姿勢をよくしようとしても、
その体はもっと苦しくなるし、血液が循環しないために硬くしこり、冷えてしまっている筋肉は、
余計に変形してしまう。
ましてや腰痛の人に対しての牽引治療というものは、
血液の循環が悪くなった筋肉、駄目になった細胞を何度も繰り返して、無理矢理に伸ばしてしまう。
また同様にして、日本の鍼灸の治療で使われてきた先の鋭い鍼。そして、
どんなに素晴らしく開発された磁気治療器も、
人間の身体の悪くなった場所。その部分の細胞を完全に破壊するほど、集中的に痛めつけてしまう限り、
どんな病気も怪我の後遺症も、絶対に治らないし、治せない。
人間は、部品と部品の組み合わせではない。
このように、医学も、健康産業も、厚生省と文部省という管轄にありながら、それは、
国が進んで公害を造っているようなものである。 要するに、
肩や腰に貼りつける豆磁石にしても一時的なものにしか過ぎないし、これまで様々な機械、器具が開発され、
それを売ることで自分の人生を素晴らしく切り拓いて行こうと考えた人も、もしもそれを使うときは、
その場所がどうして悪くなったのか。その人の体の、どこがどのようにして筋肉が悪くなったのか。決して、
結果ではなく、原因について正しく知ることが必要だったのである。しかし、
どんなに高額な機械や器具も、どんなに素晴らしく開発された物も、その使い方を指導する人もいなければ、
これまで、『人間の設計図』というものがなかったために、医学という学問も、病院の医療も、どこの治療院も、
現代人の教育、学問は、様々な病気や色々の障害を造り、増やすことはできても、人間を治せない 。 
 
そして今日、自然の激しい変化について行けない現代人の肉体も、心も、
もうどうにもならないところまで来ている。
たとえば、健康器具を売っている者に限らず、
全国の保健婦。リハビリ施設の職員。病院や診療所の経営者や開業医、治療院の治療師。
そういった者はどれも、自分が勉強した枠からは絶対に外へ出られないし、
非常に狭い範囲でしか物事を考えられない。
『団栗の背比べ』のように、自分だけの知識と権力の中だけで生きている。
そんな余裕のない心で、その容器である肉体が、本当に健康なのか。 
それで本当に人の体を診る側に立つ者なのか。
それはすべて、その体型を見れば一目瞭然である。
今、現代人は、ほとんどの人が、猫背になっていて、虫の息である。
そのように呼吸が浅いために、脾臓というお腹の筋肉に内臓を支えておく力がなく、下腹部の筋肉は弛み、
その中にある臓器は決して正常な位置ではない。
要するに、お腹の出ている人ほど、それは決して貫禄ではなく、棺桶に近いほど異常な内臓下垂である。
その内臓下垂のために、全身の血液の循環が悪く、体も冷えているし、冷たい。そして手足がむくんでいる。
それは、邪気の塊りである。
そんな人が近くに寄ってくるだけでも、相手は具合が悪くなるかも知れないし、決して、
その人を信頼しようという気持ちにもなれない。
   
   p132~133 生理痛の治し方や対策について、具体的な箇所 未修正。および、 
   p137~138 自分の肉体の手入れ、管理・保管について未修正のため掲載省略。
 
   
「物は手持ちで十年」と謂われるように、どの仕事に使う何の道具でも、その手入れと保管を怠らなければ、
どんな物も長持ちさせることができるし、手入れ、管理を怠れば消耗も早いし、気がついた時には簡単に
朽ちて壊れてしまう。それは人間の肉体にしても同じである。
だから、一日 使った自分の肉体は、その日のうち、絶対に手入れと保管が必要である。
人間は、普段、自分達で乗っている車でも電車でも定期的に整備、点検をしていながら、それに乗って、
それを動かしている人間そのものには、今ほとんど、その肉体にも、心にも、無責任である。それでいて、
食べることも、働くことも、遊ぶ余裕さえもなく、どうにもならなくなった時にはじめて、己の愚かさに気づくのか、
どうなのか。それともまだ、見栄や体裁、己の権利ばかりを主張し、何事にも感謝なく、そこに、
この自然界に生かされていることに突っ張りつづけるのか。それで本当に自分自身が楽なのか。
人生とは、それほどつまらないものではない。
この自然界では、人間ほど、自分自身が自由にならない生き物はいない。
その朝と晩。目が覚めて起きあがり、その肉体を動かして生きる前と、使ったあと。一日二十四時間中、
せいぜい三十分は、自分の肉体の手入れをすることが大切であり、 
自然界に生かされている人間であるなら、男も、女も、自分達に与えられた義務をまっとうすべきである。
   
いずれにしても、そうした生理期間中に女性の体に起こる頭痛や生理痛ばかりか、下り物の問題や、
貧血、冷え性、あるいは、微熱が治まらないということも、それらは結果であって、すべてが、
筋肉に流れる血液の循環が悪いために起こることであり、
それを根本的に治すためには、子宮下垂、内臓下垂を治さなければならない。
その下垂した子宮を堂々と、自分の定位置にあげれば、生理は、三日~四日という期間であがるし、
下り物もきれいになくなってくる。
    
そのためにはまず、
それらの具体的な原因についても、自分自身の肉体が、今、どうなっているのか。 
それは、過去。産まれる前、母親の胎内にいた時、どのような状態であったのか。また、産まれる時も、
どのような分娩により、何があったために、今のような状態に至っているのか。
解らない人は解る人に訊けばよい。
それが私の洗心指導であり、難しいことは何一つない。
本人が納得いくまで、丁寧に、じゅうぶんな会話をするだけである。
そしてそれに気づいたあと、具体的には、どうしたらいいのか。
どうすれば下垂した内臓をあげられるのか。
両脚の付け根の太い血管ばかりか、肛門筋肉や尿道筋肉までも塞いでしまい、
便秘や残尿感を起こすほど下垂した子宮を自分の基の位置へ戻せるのか。
これには幾つかの方法があるのだが、これも実に簡単なことである。
手術する必要はないし、何か特定の機械や道具を遣うこともないし、必要としない。
   
かといって、下がった物を上げるために、単に逆立ちをすればいいということでもなく、どの人も、
何か目の前に用意されたものに従って、「絶対にこうしなければならない」ということではない。
世の中には、それを「ああそうですか」と簡単にやってしまう人もいれば、どんなことも決して、
それを自分で必要とするまでは、自分の心で納得できないと「嫌だよ」という人もいる。だから、
すべての人を同一に、一緒にして考え、その人に合わない方法や策を押しつけたり、
「こうしなさい」と無理矢理に決めつけても、そのことが人によっては何よりも苦しく、
それによって更に肉体を駄目にしてしまうこともある。
   
とくに今、社会でも、教育の現場でも、家庭の中でも、「決めつける」「決めつけられる」という問題で
大勢の人が悩んでいる。そしてそのことによって、親も、子も、夫婦間でも、家庭内暴力や非行とか、
人間不信とか、それはもう他人には解らないし、人には言えない問題で悩んだり、酷い場合は、
親が子を、子が親を殺してしまったり、社会の人間関係においても様々に大変な事件や事故も
起きているのではないか。 それはまったく、人間が人間について解らないために、今後、もっともっと、
今の世の中の人々には想像もつかないような大きな問題へ つながって行くことになる。
   
たとえば、自分の目の前のテーブルへ置かれた湯呑にお茶を注ぐ時、ある人は、
片手に持った急須を上の方へ持ちあげてから、そこへ勢いよく、
ジャジャジャーッと、まわりにはねて零れるほど、
それを構わず、ガチャーとお茶を注いでから、ガァーと飲む人もいれば、
そうではなくて別の人は、手に持った急須を もう一方の手で支えて、
そこから静かにゆっくりと注いで、
それを その湯呑を また両手で持って 飲んでから
「ああ、おいしい」という人もいる。
それが人の心であり、人の心、考え方というのは様々である。
そして、人間の肉体は心の容器である。
心が悩めば肉体は病んでくるし、肉体が病めば心も苦しくなる。
だから、下垂した子宮をあげるという簡単な問題であっても、そこに絶対に必要なことを 
その心で受け入れられない人もいれば、その肉体では決して、受け入れようにも、
それを今の今、「どうにもできない!」という人もいる。
   
それでも、本書には、自然と人間の関係について書いてあり、今これを読んでいる人が、
「どうして?」というほど不思議に思ったり、自分自身について言われているように感じているかもしれない。
それは今までになかったことであり、そして、過去も、現在も、未来においても、
人間の創られ方は絶対に変わらないという事実について書いてあるからである。 
私は常に、人間が自然の産物であり、この自然界に、この世に、
人間が創られ、産まれ、育ち、死にゆく…という、その、
何人【なんびと】も決して否定することができない事実を書いている。 
   
 
 
 
   以下、参考資料: 
 
人類の道理 ~ 『政治革命』序説より  
http://ameblo.jp/badlife/entry-10026826079.html
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                 つづく ☞ #05  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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