All The Way Down | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥

attack title : Into the Beautiful Socket .... What is Original Sin ?

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     仮題 : A L L  T H E  W A Y  D O W N

                                
 

ある河の街外れに、フーリーという名の娘が住んでいました。ある日、フーリーは、
腸詰の材料を買ってくるよう、父親に頼まれ、久々に街へ出掛けられることをとても
喜んで、独り、商店街へ向かいました。ですが彼女は街に着いた途端に右も左も判ら
なくなり、自分の力で肉屋を見つけることができませんでした。
 街までの道は一本だったので迷うことはありませんでしたが、沢山の車が行き交う
交差点や人通りの多い舗道へ出ると、自分の居場所さえ判らなくなってしまいました。
 その原因は、この世に産まれる前の状態と、産まれ出るときに問題がありました。 
産まれる以前、まだ母親のお腹の中にいたとき、彼女は胎児としても最初から最後
まで下子の状態で育ち、その上、病院でのお産のときは、のちのちに母子共に悪影響
を及ぼす“恐ろしい吸引分娩”を施されたため、たとえ産まれてからも生きるために
必要な全身の筋肉も頭の中身も、満足に成長できなかったのでした。
 彼女の顔やスタイルは父親と母親に似て、それほど不細工ではありませんでしたが、
そうして産まれてから十何年と育ってきて、今もって筋肉は変形したままでした。
まだ若かったので見た目では判りませんでしたが、そうした子宮下垂と“兇い医学”
の分娩方法の結果、首の骨や背中の骨も筋肉が変形することでバランスを崩していま
した。ですから、そのような自分の体を思い通りに動かそうとしても、変形した肉体
は、その心に着いて行けませんでした。
 先天的に筋肉が発育しないということは、どうしても彼女の人生を狂わせてしまい、
一見、他人から見ても、ただの若い娘としか思えませでしたが、お話をしてみたり、
つきあってみると、明かに脳味噌が足りない様子で、生きるための知恵も工夫もなく、
人の思いやりや愛情さえも自然に汲み取ることができないほど莫迦になっていました。
 もちろん、それを心配していた父親は、彼女が出掛けるときに、行き帰りの道順を
丁寧に描いた地図と買い物の内容を書いたメモを渡しておいたのですが、フーリーは、
自分が出来るフリ、解ったフリをして、「大丈夫!」と大声を張り上げ、親が持たせ
ようとしたメモを突っ撥ね、家を出てきたのでした。
 さて、そんな彼女が道に迷って街の教会の前をウロウロしていると、通り掛かりの
一人の宣教師が尋ねました。
「どうしたんだい? 道にでも迷ったのかね」
 するとフーリーは、
「腸詰の材料はどこで売っていますか?」と、挨拶もないままに聞き返しました。
「ああ、肉屋を探していたんだね。それなら、すぐ目の前にあるよ。ホラ、あの赤い
廂の店さ。もし良かったら、一緒に行ってあげようか?」
「結構です!」
こうして、肉屋が自分の目の前にあることにも気づかなかった彼女は、宣教師に礼を
云うこともなく、「独りで大丈夫だ!」と過信して、肉屋の方へ歩いて行きました。
ところが、彼女の足は突然、車の行き交う道の真ん中で止まりました。その後ろ姿を
見送っていた宣教師は疑問を感じましたが、彼女が無愛想だったので黙っていました。
 肉屋の隣にはブティックがありました。そのブティックの店前、ショーウインドの
ディスプレイが彼女の目に止まったのでした。
「なんだ、腸詰の材料を買いにくるなんて簡単じゃない。まだちょっと時間も早いし、
隣で洋服を見てから肉屋の買い物を済ませればいいわ」
フーリーは、素直に肉屋には立ち寄らず、そそくさとブティックへ駆け込みました。 
肉屋を探していたはずが、ブティックへ入って行った彼女の姿を目にした宣教師は、
「自分の案内に何か問題でもあったのか」とさえ思うほど、首を傾げながら教会の中
へ戻って行きました。
「いらっしゃいませ!」
他の客の応対で忙しいブティックの店員が。店に入ってきた彼女に微笑みかけました。
 店内には、黄色や桃色、水色のブラウスを始め、洗練された黒やベージュのスーツ
など、彼女の家のクロゼットの中身と同じような物が豊富に並んでいました。
「すいません、表のショーウインドでマネキンが着ているスーツ、試着できますか?」
彼女は、その忙しい店員に尋ねました。
「はい、あの赤いツーピースですね…」
「そうです、黒い方のマネキンが着ているスーツです」
「あ、少々お待ち下さい。…ハイ、こちらはお釣りです。ありがとうございました!」
 そのとき店員は一人だけだったのか、レジでの現金の出入れや買上げられた商品の
包装に忙しく追われていました。ですが、それを待てない、わがままで身勝手な娘、
フーリーは、繰り返し尋ねました。
「試着できますか?」
「少々お待ち下さい」
それでも親切な店員は、見た目に綺麗で裕福そうな彼女を「客として待たせてはいけ
ない」という様子でした。そのレジ前には目当てのスカートを持って並んでいる客が
二人と、店前に飾られていた物と同じ赤いツーピースのスーツを持った客もいて本当
に忙しそうでした。
「あ、すいません。これと同じ物です」
他の客が持っていた物であっても、自分の目当てのスーツと同じ物と悟ったフーリー
が云いました。
「実はお客様、今あの色はあれ一点なのですが、もしよろしかったら同じ仕様で作ら
れている臙脂の物なら直ぐにご試着できますが…。それでもあちらの方がお気に入り
でしたら、すぐに外してきますので、お待ちになって頂けますか?」
忙しくとも親切で丁寧な店員は彼女は勿論のこと、もう一つの赤いスーツを持った客
にも失礼のないよう、気遣いながら応えました。すると、フーリーは、
「えっ? 臙脂じゃないわよ、私が言っているのは。ほらっ、ここにあるでしょっ! 
これと同じ赤い奴よ!」
と、目の前にいた客を指差して、レジカウンターの前にしゃしゃり出ました。
「お客様、ごめんなさい。確かにこれは表に飾ってある物と同じ赤いツーピースです。
ですが、店内での最後の在庫で、先ほど、こちらのお客様がご試着なされて、見ての
通り、今お買い求めになられる所なんです。すみませんが、お待ち頂けますか?」
 すると、そのやり取りを聞いていた赤いスーツを持った客が云いました。
「いいわよ、私が待ってるから…」
 そしてその一言に感激した店員は、
「まぁ! すみません、でしたら助かるわ。お待たせしまても宜しいですか?」
「ええ、あなたが大変でなければ、外してきてあげて…」
と、その客と店員は、まったく自然な様子でした。ところが、その場にいて不自然な
雰囲気と不自然な態度の娘、フーリーは、気に入った物が直ぐに試着できないことと、
その客が自分よりも先に赤いスーツを手にしていたことに苛立っていました。
 他に周りにいた客でさえも、その身勝手な彼女の様子に気づいていました。そこで、
店の雰囲気を何とか和やかにしようと、店員は云いました。
「やっぱりあのデザインと色は今とても人気があるそうなんですよね。メーカーさん
でも製造に追われてるらしくて。本当は誰でも着て似合う物なんて滅多にないんです
けどネ。私もこの商売を始めて長いけど、そうねぇ十年に一着ぐらいかしら、こんな
に素敵なお洋服は…。お嬢さん、ちょっと待ってて下さいね。いま外してきますから」
 店員のその言葉に、「早くしろ!」と言わんばかりに、フーリーは持っていた自分
のハンドバッグの取っ手を強く握り絞め、不貞腐れた顔で突っ立っていました。
 まもなく、店員は彼女のお目当ての物をディスプレイのマネキンから外してくると、
額に汗して云いました。
「サイズは9号ですけど大丈夫ですか?」
「キュウゴオォ…。ええ、大丈夫です」
彼女はそう応えながらも『初めに表で見たときからそんなの判ってるんだよ、ババア!』
と、心の中でそう思っていました。
「はい、どうぞ。試着室はあちらです」
彼女の顔つきに、そんな様子を知ってか知らずか、店員は微笑んでいました。
 こうして素直でないフーリーは、ようやく赤いスーツを試着することになりました。 
試着室へ入って、まず鏡に自分の顔を近付けて化粧の乗り具合を確認したフーリーは、
さっそく着ていた服を脱ぎ始めました。ところが、狭い試着室の中で何を慌てたので
しょうか。見た目ほど余裕のない彼女は自分が脱ごうとしたスカートのジッパーを中途
半端に下ろしていたため、裾を踏んずけて転がってしまったのでした。
 試着室の中から、ドタッという大きな音が聞こえてきた次の瞬間、その不自然な音
に驚いた店員は、試着室のカーテンの向こうにいる彼女を心配して尋ねました。
「大丈夫ですか!?」
 しかし彼女は黙ったままでした。
 しばらくして、フーリーが何もなかったような顔をして、試着室から出てきました。
持っていた赤いスーツは、2ピースとも脱いだまま裏返しになっていました。そして、
履いていたストッキングは転んだ拍子にどこかへ引っ掛けたらしく、大きく伝染して
いました。彼女の足元のそれに気づいた店員は、
「お客様、大丈夫でした?」
と、心配して云いました。ところが、フーリーは、
「ええ、このスーツ、表示されてるサイズは9号で間違いないみたいだけど、なんか、
大きいみたい。それにどうも明るい赤だと私の顔には合わないし、やっぱり臙脂の方
がいいかしら? 今度はそっちも着てみるわ…」
と、持って出てきたスーツを無造作にレジカウンターに置きながら云いました。
 それでも、お客様を大切にする店員でしたが、同じ女性として、つい何か棘のある
口調を含むように彼女に云いました。
「そうですか。じゃぁ、そうしてみて。そこに掛かっていますから、どうぞ…」
と、冷めた云い方の応対に、案の定、ムッとしながらフーリーは云いました。
「どこですか?」
 同じデザインのスーツは、決して判りにくい場所にあったわけではなく、目の前の
壁にハンガーで掛けられていました。実は彼女は、臙脂色というのがどういう色なの
か知らなかったのでした。店員は彼女の試着した赤い方のスーツを綺麗に畳みかけて
いましたが、手を止めて、今度は親切に応えました。
「ああ、ごめんなさい。そこではなくて、こちらです…」
そう云いながら、決して誰の手にも届かない場所ではありませんでしたが、壁に掛け
られた臙脂のスーツを取ってあげると、表示を確認して云いました。
「良かったわ。今度は8号だけど、こちらはウエストの所をちょっと大きめに搾って
あるから、きっとピッタリに着れると思いますよ」
親切な店員は、そう云って両手でスーツを手渡しました。フーリーは、またも黙って
スーツを受け取ると、ツンとした態度で店の奥へ歩いて行きました。
 再び試着室に入った彼女は、鏡に映ったストッキングの伝染に気づきました。
「んっ、もぉ! 試着室がこんなに狭いからこんなことになるのよっ! それにあの店員
の態度! もうこんな店に絶対、来てやらないから。こっちのスーツだって、どうせ
似合わないのに薦めて…。最初っから判ってるんだから…」
フーリーがそんなことをブツブツと小声で云っているつもりでも、その声はレジの方
まで聞こえてきました。なぜなら、彼女の他には、もう客の姿はなく、店内は静まり
返ってたからです。呆れた店員は怒りを通り越して嗤っていました。
 まもなく彼女が試着室から出てきました。今度も、試着した物は裏返しのままです。
「試着室、狭かったでしょ、ごめんなさいね…」
皮肉ったわけではなく、あくまで客を気遣う様子で店員は云いました。すると、
「そうでもないけど、ただ鏡が汚れてるし、中の照明も暗いせいか、この色もさっき
の赤い色も着てみてパッとしなかったわ。でもただ見に来ただけだから、まぁいいわ。
隣のお肉屋さんで早く買い物を済ませないと遅くなるから、また今度にするわ…」
そう云ってフーリーは、ストッキングを伝染させたまま店から出て行きました。
「またどうぞ!」
店員はそんな彼女を明るく見送ると、一つ、レジカウンターの下に置いておいた高級
ストッキグを店頭に戻しました。それは、もし彼女がスーツを買い求めた場合、サービス
に付けてあげようと用意しておいたものでした。
 さて、ブティックを出てから隣の肉屋の廂を潜ったフーリーは、やはり、伝染した
ストッキングを気にしながら、肉屋の店主の顔を見ると云いました。
「腸詰の材料を下さい!」
「はい、いらっしゃい! 中身はマトンと牛肉とあるけど、どっちがいいかな?」
「え? マトンでも牛肉でもないわ、腸詰の材料よ! ココ、お肉屋さんでしょ! 
腸詰の材料は置いてないわけ?!」
「…だから、うちは、腸詰の中身にマトンと牛肉を用意しているんですよ」
肉屋の店主は優しく応えました。
「そう、じゃぁ両方…。お幾ら?」
「何グラムかな?」
「へ? …さっきから腸詰の材料って、云ってるでしょ!」
「やれやれ…。じゃ、お宅、何人家族なの?」
「うちは三人だけど、どうして?」
すっかり父親の言伝を忘れていたフーリーは、肉屋の店主の言葉一つ一つに不思議な
顔をしていましたが、開き直って云いました。
「とにかく、腸詰の材料を頂戴!」
「ハーイ、ちょっと待っててね。…えーと、税込みで4ドル79セント」
肉屋の店主がそう云って目の前に包みを置くと、フーリーは、相変わらず何の返事を
することもなく、包みを受け取りました。彼女は、代金を支払うどころか、まだ伝染
させたストッキングのことばかり気にしていたのでした。
「4ドル79セントだよ」
何の反応もない彼女を目前に、何だか心配になった肉屋の店主は自分自身も確認する
意味で繰り返しました。
「大丈夫? お金を払うってことは判るんだろ?」
「ああ、お金ね…。はい、お幾ら?」
「4ドル79セント」
ようやく彼女は、ハンドバッグの中の財布を取り出そうとしました。ですが、財布が
見当たりません。
「あれ? ない…」
「どうしたのかな?」
「ここに入れておいた財布がないの、どうしよう…」
「そりゃ困ったねぇ。どこかで落としたのかな?」
「分からない。でも確かに、ここに入れておいたはずなんだけど…」
 このように、フーリーは、自分が財布を忘れたことも判らないほどでした。やはり、
全身の筋肉が変形しているために日常生活に支障がありました。
 人間の筋肉は全身、どこも血液によって動きます。
 そのことは『人間の設計図』にも記されてある通り、自然界に生かされている人類の
道理です。しかも筋肉が動くために、筋肉に流れる血液と一緒に“気”というものも、
生きている人間の全身に廻っているのです。
 ですが、変形して硬くなったり冷たくなっている筋肉には血液の循環がとても悪く、
同時に“気”の流れも滞ってしまいます。すると人間は気が利かない状態になります。
 昔からよく云われるように、人は、気が利けば利口。気が利かなければバカです。
 では、自分が財布を忘れたことも判らないほど気
の利かない娘、フーリーは、このあと、どうなるのでしょう? 
              
 肉屋の店主とフーリーの二人が困って、そうこうしている所へ、丁度、あの宣教師
がやってきました。
「どうしたんだい? 今度はまた随分と困った様子だが…」
「ああこんにちは、宣教師さん。いい所に来てくだすった。いやなに実は、このお嬢
ちゃん、腸詰の材料を買おうとしたんだが、財布を失くしちまったらしくてね」
「ほぉ、それはまた大変だね。で、結局、財布は見付からないのかい?」
 宣教師が優しく尋ねても、娘は何もなかったように黙っているだけでした。ですが、
彼女は莫迦な娘でしたが、中身に似合わず、その外見は若さに比例して、それなりの
美貌があると自惚れていたためか、目の前の人物が宣教師といえども、やはり伝染した
ストッキングの脚を覗く男の視線を気にしていました。そして、このときの彼女の考え方
の中にあった、この“必要以上の美貌”への拘りも、後に彼女の人生に大きく波紋を
与える危険性も秘めていました。世の中にはそれを非難する宗教も数多くありましたが…
「ところで、腸詰の材料というのはそれかね? 幾らだい?」
と、宣教師の男は肉屋の主人に尋ねました。
「4ドル79セントでやす」
「そうかね、よかったら今日の所は立て替えておこうか?」
「いいんですかい?」
「ああ。いつも牛肉の美味い所をサービスしてもらってるしね。…それに、少しでも
困った人の力になることも主のお導きだからね」
「お嬢ちゃん、聞いたかい? あんた、宣教師さんに感謝しときなよ」
と、肉屋の主人は教え諭すように云いました。それでも娘は何の礼すら口にすること
もなく、そうして貰うことが当然のことのように黙っていました。そして彼女は腸詰
の材料が入った包みを手渡されると、そそくさと来た道を戻って行きました。
 その様子をまったく変に思った肉屋の主人は、宣教師に尋ねました。
「宣教師さん、あんな娘でも報われるのかね?」
「主のみこころは、どんな方にも平等です」
「だといいがね。見なよ、あのお嬢ちゃん、きっと自分の家へ返る道も判らないんだよ。
道の真ん中でキョロキョロして…」
 肉屋の主人の察しの通り、フーリーはまた道に迷っていました。そのうちに彼女は、
ちょっと疲れてしまったのか、教会の前のベンチへ腰掛けました。ですがそのベンチ
はペンキが塗り立てられたばかりでした。側にはちゃんと断わり書きまでありました。
「あ~あ、こりゃ大変だ。…宣教師さん、行って教えてあげなよ」
「そうだね」
 その哀れな姿を見た宣教師は、同じように心配する肉屋の主を後にすると、彼女に
声をかけました。
「お嬢さん」
「何ですか? まだ何か用ですか? お金はあなたが払ってくれたんでしょ! 肉屋の
オジサンも喜んでたからいいじゃない!」
「いや、もうそれはいいんだよ。誰でもそういうことはあるさ。ただね…」
「じゃぁ、もう関係ないじゃない、疲れてるんだから放っておいてよっ!」
 見た目よりも全身の筋肉が発育不全の彼女は、本当に疲れていました。そのように
肉体が苦しいために、どこか苛々してしまい、そういう口調になってしまうのでした。
 無論、戒律を守りながら生きてきた宣教師には、そんなことは解りませんでしたが、
どうしても彼女が気の毒に思えたので、素直でない彼女に遮られた言葉を続けました。
「あのね、今お嬢さんが座っているベンチ、そこはペンキ塗りたてなんだよ」
 フーリーは、宣教師の親切な言葉の意味を理解しようともせず、最初は腹を立てて
いるだけでしたが、次第に自分の座っている場所に何か違和感を感じていました。
 そして宣教師は、もう一度、彼女に云ってあげました。
「大丈夫なの?」
「何よっ!」
「自分の座っている場所をよく見てごらんなさい」
 するとフーリーは、
「キャアァァッ! 何よコレッ?! どうして?」
と、大声で叫びながら、その場から飛び上がり、慌てふためきました。
 塗り立ての茶色いペンキは、そのままベンチの模様をして、彼女の腰や背中にまで
ベットリと付いていました。買って貰ったばかりの肉の包みも自分のハンドバッグも、
脇に置いておいたので、見事に茶色い縞模様が付いていました。
 その惨状の愚かさにやっと気づいたフーリーは、今度は泣き出して、その場にしゃがみ
込んでしまいました。宣教師は、そんな彼女を抱き抱えるように云いました。
「お嬢さん、その衣服はもう駄目だから私が新しい物を用意してあげることにしよう。
だからもう、そんなに泣かないでおくれ」
 それでもフーリーは黙って泣いていました。
「良かったらさっきのブティックに連れて行ってあげよう!」
今度は、その宣教師の言葉に顔を上げて云いました。
「ホント?」
「ああ。…ただね。その代わりと云っては何だが、ちょっと教会で手伝って貰いたい
ことがあるんだがね。…なに、お嬢さんでも簡単な仕事だよ」
 フーリーは、宣教師の交換条件の内容を確認することもなく、無料で新しい衣服が
与えられることだけで頭がいっぱいでした。そして再び、ブティックのドアを開くと、
馬鹿な娘は宣教師の背後に隠れるように店内を覗きました。
「いらっしゃいませ!」
「こんにちは」
「あら、こんにちは! 宣教師さんじゃないですか。今日はまたどうして…あらっ?」
「いや、このお嬢さんがね、衣服を汚して困っていてね。もし手が空いていたら彼女に
良く似合うものを見てやって欲しいんだが…。お金は後で教会から届けます」
「そうなんですかぁ。…良かったわね、お嬢さん。でも宣教師サン?」
「ん? 何だね?」
「彼女このままじゃ可哀相よ。まずはお風呂に入れてちゃんと綺麗にしあげて、それから
新しいお洋服にしてあげないと。それにうちの店も、今このままの状態で着替えてもらって、
もし余計な所にペンキがたかったりしたら大変ですよ」
「それもそうだな。じゃ、まずは教会へ行こう! 幸い、うちは外来の神父さん用に
宿舎もあるから、そこのお風呂に入ればいい」
「そうですよ、その間に幾つかお洋服をご用意して、後から伺いますから…」
「ホントかね?」
「ええ、もちろんですとも、でないと罰が当たりますわ」
「それはご親切に、すまないな。…いいかね? お嬢さん、それで?」
 フーリーは、このときだけは素直に彼等の云うことに頷きました。親切な店員は先程の
高級ストッキングも用意しながら、幾つかのワンピースを選び始めました。
「じゃ、頼んだよ」
 こうして始めに交換条件を仄めかした宣教師と、ただ云われるままのフーリーは、ブティック
を後に教会へ行きました。
 丁度その頃、懺悔にきた一人の中年男が教会の中にいました。項垂た様子で、懺悔室へ
踏み込もうとしたそこへ、教会の扉が開き、フーリーと宣教師が入ってきました。男は、
フーリーを見るなり、宣教師に云いました。
「宣教師さん、その娘を私に下さい」
「随分と唐突に何だね、君は?」
「実は先日、仕事で航海の途中、隣の国へ売り飛ばす筈の娘を運悪く死なせてしまった
のです。ですがね、宣教師さん」
「?」
「今お二人が入ってきて、その娘さんを一目見たら、私が死なせた娘にそっくりだった
もんで…。一時、自分の目を疑いましたが、私は諭ったんです。これはきっと何かの
巡り合わせで、神の思し召しだと…。それに……」
 何か云い掛けた中年男は、鼻を鳴らしながら蝋燭の炎を見つめていました。すると
宣教師は、恐ろしく落ち着いた様子で男に尋ねました。
「それに? 何だね?」
「少しばかり申し上げにくいことですが…」
「この際だ、云ってみなさい」
「はい。これは私の雇主から聞いたことなんですが、噂では、この教会では身寄りの
ない娘を手頃な額で裏の世界に譲り渡していると聞きまして…」
 その言葉に、宣教師はしばらく黙っていましたが、男に云いました。
「ほぉ、そうかね。…だがその前に、私が先に、このお嬢さんに用があってね」
「はい、判っております。どうぞごゆっくり…」
 そうして宣教師は、フーリーを優しく、教会の奥の部屋へ連れ込みました。懺悔の
必要がなくなった男は、黙って礼拝堂の座席に腰掛け、宣教師が戻るのを待ちました。
やがて、ブティックの店員が彼女の気に入りそうな洋服を持ってやってきました。
 頃合を見計らって、フーリーを連れて出てきた宣教師は、顔の汗を拭きながら徐ろ
に云いました。
「待たせたかね?」
「いいえ、ちょうど今し方きたところです」
「そうかね。じゃ、洋服の代金はそこにいる男から貰ってくれ。…いいね、君?」
「はい、お易い御用で…」
「では、お嬢さん。その服に着替えなさい。あとはその人に着いて行けば大丈夫だよ」
「はい」
 こうして、フーリーは他国へ売り飛ばされてしまいました。そして、結局そのまま
家へ帰ることも忘れた彼女は、数年の間、見知らぬ国で余勢を過ごしました。
 ですがフーリーは、決してそういう道に堕落してしまったわけではありません。
 産まれながらに肉体に問題のあった彼女は、一人の女としてしっかりとした生活を
送ることで、自分の内臓の位置をそれなりに整えることもできるようになり、とても
健やかで、優しく利口な女になりました。
 大人に成った彼女は、いつしか自分が変わるきっかけとなった宣教師のことを想い
出し、旅行先からちょっと寄り道をして、彼と出会った教会のある町を訪ねました。
「宣教師さん、何十年振りになるでしょうか? 私のことを覚えていますか?」
 宣教師は、その後も変わらず教会にいましたが、最初、尋ねてきた彼女を見たとき
は、それが誰だか判りませんでした。
「そうだね、どことなく見覚えはあるが、誰だったかな…」
 彼は、ちょっと年老いていたせいもあったのか想い出すのに少し時間が掛りそうな
様子でした。彼女は、そんな宣教師に近付き、そっと彼の手を取ると自分の胸を触ら
せました。
「これで想い出してもらえますか?」
 すると、その声と手の感触に宣教師は驚きました。
「ああ、あのときのお嬢さんだね。想い出したよ。…でもどうして?」
 その言葉に彼女は目を瞑り黙っていました。
 二人はしばらくの間、自分自分のこれまでの人生を振り返るかのように、その場に
立ち尽くしていました。
 その後、宣教師は教会を離れ、彼女と一緒に暮らすことになりました。こうして、
二人は結婚し、子供を造り、明るく楽しい幸せな生涯を過ごすことができました。
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世界中の宗教が、いかに男女両性の結合を規制し、どのような形で大勢の人を束縛
しようとも、女は初めから女として創られ、産まれ、男は男らしく堂々と生きられる
ように創られていることは否定できない事実。そしてそのように自然界に生かされて
いる人間にとっても、地球上に自分達の世継をつくり、子孫繁栄の目的で与えられ、
備えられた神聖な行為は、生きることへの感謝の証、義務の遂行にほかならない。
          
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E N D

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The Rolling Stones
Undercover

"All The Way Down" は9曲目です。