Order according to sense, balance, and timing | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥
   
 sub title:「…てな具合で期待すると、あとから、わずかにシクシクと揺れてた」という瞬間の俺…と、このブログについて。
   
   
俺は俺なりに、
そういう “気づき”の解決案、糸口、正常な気づきのキッカケ…を導き出すまで
この2年近く、自分が産まれる以前から自分の中に抱えてきた問題の
あらゆるものを吐き出してこのインターネット上に公開してきた
まだ公開していない、公開すべきではない体験の事実もあるよ。おたの隅に。
そこに、
Mind Resolve (…心の解決。魂のケジメ。精神の安定 = 肉体の安定。)
などと題して、
この時代に生きるか死ぬか。本来の自分自身、獲り戻してみようぜ。
というメッセージまでくっつけて。わざわざ。
そこには、戦後から今日までの日本の、あらゆる問題をとりあげ、ほりさげたつもりで
そのひとつひとつを俺という個人の中で つなぎあわせている。
それでも世の中には、俺が未だ知らないことも、死ぬまで…死んでからも知り得ないことも
まだまだ沢山ある。
であっても、
自分が何なのか? 
何者なのか?
この地球上で、どんな役割を持って創られ、産まれ、育ち、死に逝く人間なのか? 
己に気づくための第一歩としても、
いつ、どこで、なにが、何によって、
どのようにはじまって、どうなって、
この結果に至っているのか?  
   
はっきりいって暇かも知れない。
普通の人(?)は付き合いきれないかも知れない。
でもね、今はもう、この世に生きている人間一人一人に
その正確な答え、回答が必要になってきてしまった。
…それが、すべての人に必要かどうかは別としても。 ここも曖昧な部分だな。)
既に自分の人生を投げ出してるような人や開き直ってしまった人には
それはもう必要ないかも知れない。
自分の命を自分で守る力も失くしてしまった人も多い。
たとえば、ここ数日、俺の妻の母親であった者…今は惚け老人の婆さんは
起きあがると体中が痛いことを理由に、寝たきりになるつもりでいる。
自ら、生きることの怠慢さを演じて、他力本願にも自分の旦那や娘に
シモの世話をさせ始めた。努力は必要ないけど、やってできない状態ではないのに
「起きあがると体中が痛い」ということもすべて、
自分が自分で導いてやっていることなのに。ヒトの風上にも置けぬほど
生きることをナメて、怠けている。
「ああ、そうですか」と、家族がそれをほぼ全面的に受け入れてしまった瞬間にはもう遅い。
完全果たしてそうなのか?に堕落しきった精神がそのまま肉体に反映されて
残りの狂い死に期間の末に、くたばってからも自由にならない場所を彷徨うことになる。
この世で肉体を持っている間に、人間としても女としても、
その人生をまっとうしなかったために…。
でも、そういうヒト以外の人は
今日これほどまでに自然界が人知を超えて激しく変化して
自然界より先に人間の頭も肉体も、魂の落ち着く場所さえも
あらゆるものが破壊し尽くされつつある世の中では
自分が人間として、自分らしくちゃんと生きたいと望む人々にとっては
そのことが非常に重要な課題になってきている
   
そのこと 」というのは、
自分が何なのか? 
何者なのか?
この地球上で、どんな役割を持って創られ、産まれ、育ち、死に逝く人間なのか? 
己に気づくための第一歩としても、
いつ、どこで、なにが、何によって、
どのようにはじまって、どうなって、
この結果に至っているのか?
 
   参照あとでゆっくり読んでね。)  http://ameblo.jp/badlife/entry-10026826079.html
   
たとえば、
アメーバブログにも導入されているブログパーツ
ボトルメール 」というのを つい先日まで俺も利用させてもらってた。
その中で、ある独りの性格的には根の明るそうな女子高生のブログから、
   
    貴方は誰ですか? 
    貴方はこの質問に答えられますか?
    私は答えることが出来ません

   
こういうメッセージが、インターネット上に流されていた。
瓶に詰めて海へ流す手紙の中に書かれていた。
俺にはこれが、どうしても、フザケタ内容には思えなかった。
すべての十代、二十代の人たちの考えではないにせよ、
今この国の大人よりも子供の方が
自分自身について、人間についてを真剣に考えている事実のひとつであると
俺はその、カミソリを握りしめたようなメッセージをひらいて見た瞬間に
そう受け取ったよ。 
 
    よし、わかったよ。
    今まで苦しかったよな。ごめんな。俺の出番が遅くて。
    いいよ、もう考えなくて。
    俺がそのすべての答えを出してやるから。
    待っててね。もうすぐだよ。

 
アホだけど。
そういう気持ちで、俺は書いてるよ。ブログの更新を。
それ以前にもまだあったよ。
俺がインターネットに顔を出して約一年後、昨年5月に
このブログの読者になってくれた人で、非公開ユーザーなんだけど
 
    初めまして。中学校2年生の、●●●●と申します。
    実は、アメーバブログを登録したのは、
    badlifeさんのブログを拝見させて頂きたかったからなんです……。
    応援してます。頑張って下さい!」
 
そのペンネーム?(非公開)からして、たぶん女の子と思うんだけど
俺は今もその子の命のために書いてる。
すべてのページがそうだとは云わないけど
決して忘れずにいようと思って書いてる。
そんなカッコつけたこと云っても、
実際は顔も判らないので、この勝手なヤツは
何様のつもりもなく大柄な態度で半ば勢いに任せ好き勝手なことを並べている。
普通に何かを検索した結果の中に見つけて
ここへ辿りついた人にしても
俺からのトラックバック送信やコメント記入をきっかけに読者として今に至っている方にとっても
なにげなくネットを徘徊中に拾ったような気分で読み始めた人にとっても
もしかすると時には嫌な気持ちにさせたり
薄気味のワルイ状態にさせたり、いからせたり、残念がらせたり…
そういうことを気にすると切りもないけど
ああ、こんなこと書いてしまって申し訳ないな…」
という気持ちもなくはない。ある。
それでも、彼女は、彼女以外にも最初は第一印象で何か興味を持った人も、
もう読んでないかも知れない。
生きてるかどうかも知らない。
どこでどういうふうに生きてる存在なのかは判らない。
でも視えてしまったんだ。
必死で生きてる姿が。
だから、 もう大人は読むな。
立ち寄ってもいいけど、黙ってろ。
何か云いたいのなら、自分のことをすべて曝け出して
ぜんぶ吐き出してからにしてくれ。
と、常にそういう気持ちで書いてる。
誰にどう思われようとも。
とくに世間の今のところはまだ権力者や財力者に対しては
指導者ヅラした連中の鼻持ちならない言動や生き様には
並々ならぬ憤りを感じてしまうので
最近ではもう狂気の沙汰に近く思われるほど
これまでも今でも再生不能な、人類の本来の魂の階級。
そこへ人間一人一人が、なんとかして到達できる日を夢見て
自然界の整理整頓地震や津波、ハリケーンや台風、
干ばつや日照り、砂漠化、火山噴火、自然火災などのエネルギーの変動を含む

の時間を少しでも速めよう! 
という野望(?)まである。
普通の人には通じないけどね。解放運動やってる人も少ねぇし
 
幸い、かろうじて、俺の場合は
この自然界に生かされている人間の、
基本的な人間の創られ方。その根本。「ゼロ」の部分を
ある程度は知っているうちの一人なので
人間の心や精神と、肉体のつながりの問題にしても 
普通の人よりは話が進めやすい。
だから新興宗教の嘘も解る。大人の嘘が見える。
カッコつけてるだけの連中に嫌気も差す。
必要以上の知識で気取って、実はそれが何から逃げているのかを見抜く。
自然界に反抗的で、世の中には迷惑でしかない者。その存在の末路も視えてくる。
ときとして瞬間的に、克明に視えてしまう場合もある。
それは果たして俺なのか? 俺の力なのか? 
よく判らねぇけど、そういう瞬間の次に、どうすりゃいいのか? 
こっからがてぇへんだ。
自分と他人の区別をつけて、自分のことを棚にあげて
自分の周りのこと幾つか犠牲にして
深く考えなきゃならない。どうすりゃぁいいのか?を。
そして答えを導き出す。数日のうちに。勝手にも。
するってぇと、俺が「必ずこうなれ!」と思ったことに
ほぼ近い状態で整理整頓も進んでゆく場合もある。
そうじゃないことも時々はある。
それは俺の認識不足、買い被り…だったのかも知れない。
時間にもよるけど。
もっと簡単に云うと
「コイツは要らねぇな。」
そう決めると、近日中にそうなる。
 
何を云ってるのかがよく判らない人も
何か危険なことのように想えてしまう人も
まったく異常に考え捉えてしまう人も
俺の存在を否定したり、気に入らなく思うことで
翌日の朝に目が覚めた時から今まで通りでなくなってしまった人も

やっているのは俺ではない。でも決めたのは俺だ
そして、それが果たして、俺の力なのかどうかは判らない。
もっと始末におけないのは、これが中途半端ってことだ。
こんなことも書くべきことではないかも知れないけど
俺は隠さず書く。
俺が心の底から「要らねぇよ」と思ってしまった相手は
何かの力が働いて抹殺はされないけど、整理整頓される。いずれ必ず。
超能力とか神通力ではない。俺はエスパーやスキャナーズではない。
どこまでも自然界が俺の味方であることを信じてるだけだよ。
でも、それに気づくのも遅かったのか何なのか、
今未だ中途半端だ。
散漫な状態で何かを念じてしまうと、
望んではいなかった方向へ進む場合もあったりする。
思い過ごしかも知れない。いくつもの偶然が重なっただけかも知れない。
「病院、紹介しましょうか?」の世界かも知れない。
それでも俺の前から消え失せた連中は大勢いる。そして俺は生きている。
これが何なのか? どうしてなのか? 
ときどき恐いこともある。
そういうことを間違ってやってしまわないように
なるべく、そういうことは考えないようにしようとする俺もいる。
でもそれは俺の素直さではない。
いつからか? 物心ついたときから。
ある友達に「じゃぁね」と云って別れた瞬間からか? 
あまり具体的に検証したくはない。
今の俺にとってはあまりにも数が多すぎる。中途半端に。
そのためにどのために?、俺を殺そうと思った奴もいた。
お互いに死にはしない。そう簡単には。
だけど、そういう連中も消えて行った。
形になったあとではなにを云っても遅いので
形になる前、結果が出る前が、いいよな。
ほかのページでは、そういうことも幾つか書いてしまってもいるけど
ああああ、よそう。もうやめとこ。自分でも気味わるい。
これまでよくもまぁ、精神病院やクスリの世話にならなかったもんだ。
   
世の中には、人の心を瞬時に元気にするパワーを持った人もいる。
病気を治す係りの人は減ったかも知れないけど
他人の顔を見て、「あんた、そこを治した方がいいよ」ということが瞬時に解る人もいる。
解るので治せるのか? というと、治す係りではないので
治す係りの人を紹介する人もいる。
その人たちをまとめる人もいる。また、コーディネーターのような人もいる。
握手を交わすだけで、相手が元気になっちまう人もいる。
…ここで重要な点は、
そういうことができてしまう人と、できるように思い込んでいる人の違い。
そして俺はその中間にいる。
中途半端なので、後者の部類に近い…かも知れない。今は、そういうことにしといてやるよ。
現代の医学や科学でやっているような遠回りとは別に
世の中は進歩・発展しているはず…という気持ちも
…今は、常識に合わせて信じたいので
俺の命が終わってからも、しばらくは途中経過にある段階がつづく中で
なるべく、進歩・発展…、それもなんかヘンな言葉だけど
そういうことが最短で、本来あったはずの状態へ
人の世界も自然界も整えられるといいと思う。
それは日頃、ここ最近はとくに、常々そう感じるようになってきた。
平和? 平和ってなに? 
言葉ではない。
「魂」とか「天国」とか、「あの世」とか、それも最近の人間が言ってるだけの言葉に過ぎない。
目に見える物だけ、自分が何か勉強したりして知りえたような、
(本来の自分として生きるためには必要以上の)知識や、人の常識は
なにごとにおいても遠回りになるだけだ。
自分が今まで間に合わせに勉強したことや費やした時間を
無駄にしたり捨てたりすることが惜しいとか、
それを自分で否定してしまうことが恐いのか何なのか? 
そういうことも考えたり恐れることも、あんまり必要なことじゃないんだよ。
成長を止めてしまう。人間の。魂の。人類の。
哲学者や科学者とか世間の学者連中のうち、その程度でしかない人は
もっと自分に対して、強くなるべきだよ。素直さを取り戻してな。できる限り。
努力は要らない。ちょっとだけスイッチを切り替えりゃぁ済む問題だ。
それも難しいのかも知んないけど、そういう場合は身体がダメなの。
心身ともに健全ではない。だから、センス、バランス、タイミングも悪くなる。
逃げても無駄だよ。もうこの行を読んでしまった限り、
必ず、その問題解決を迫られる。俺は、そういう時間を速めてるの。わりぃけど。
人間が創られ、創られたあとで、産まれ、産まれたあとで
呼吸をして、陽の光りを浴びて、澄んだ水を飲んだり、きれいな空気を吸ったり、
自分の力で、なにか食べたり、各々の臓器の職責職能に従ってそれを消化したり、
消化したものを排泄したり、そういう、産まれたあとで育つ中で
セックスをしたり、子孫を繁栄して、その子供が音楽を聴いたり、
何かのメロディを楽しんだり、リズムに合わせて身体を動かし、時には踊ってみたり、
楽しいので、楽しかったので、それを誰かに伝えて、お話してみたり、
お喋り、会話の中から、なにか別の感動や気づきを得てみたり…
やがて、思う存分、堂々と生きて、心身ともに健やかに成長して健全に死に逝く。寿命を迎える。
理想ではない。肉体を持って生きる魂の在り方にある、道理の断片についてを云っている。
そうやって、そのように、人間が創られ、産まれ、育ち、死にゆく。
この自然界の取り決めにある事実。人類の道理からは、誰も何者も逃れられないの。わりぃけど。
その途中経過の幾つかが、中途半端なだけだ。
不便だったり、不条理や理不尽を感じてみたり。
死んだ人と今自分が生きてる者や自分自身についても
そこに区別・判別・識別のへったくれもないほど、ゴッチャになった人間の常識。
それは嘘じゃん。
「嘘じゃん」って、俺は本来の人間の世の中ではないと思ってんだけど
ほかの人は、そういうことにしても、人間が形になって出来あがった後の宗教とか、
教育による社会常識とか何かの学問の知識や
特定の思想範囲内に周囲を閉鎖された中で自由を失っている。
それはもう、目や鼻や耳や口を塞がれた状態なんてもんじゃねぇずら。
手足の自由さえも奪われている。そのいい例が、…またこんな云い方も申し訳ないけど
そのイイ例、いい見本が惚け老人とか寝たきり老人だ。
人間は生きているうちに、生かされているうちに、途中で人間を辞められない。
会社を辞めたり、離婚したり、家出をしたり、登校拒否をしたりすることは自由でも
生きている間に、勝手に独りだけ命を投げ出したり、
生きる義務を放棄したりすることは許されない。
結果的に、寝たきりや、アルツハイマーなどという他人の名前をくっつけられてまで
目が醒めないほど肉体も脳味噌も腐りかけて惚けてしまう状態も
実際は、そうなる以前の何年も前に、何百週間か前に、
自分自身の魂で肉体に命じるように
自分を自分で兇い方向へ導いた決断があった。惚け老人にはな。
それを現代医学や科学は、遺伝子を解析してみたり、脳味噌の構造を
事細かに部分的に切り開いて覗いてみたり、人間とマウスはちがうのに
幾つかの実験を繰り返して、浅墓にも幼稚に、そういう比較とか統計データを大切に考えて
その果てしなく遠回りな途中経過の段階で
「アルツハイマー痴呆認知不全症という病気の原因であるβナントカのどーしたこーしたは
統計的に見て、そのような結果に陥った人の、
およそ20年前から進行し始めていることが、
ここ最近、解って(解ったフリになって)来たので
その初期の段階で、適切な処置を施すための…」
予防医療だのナンタラ・ケアーだの、
世間の学者とかは、そういうことを云っている。
彼らは人間について、とくにアルツハイマーという博士が発見した手柄のような、
ほぼ医原病の原因の一部を100年以上もかけて、ようやく、やっとその程度までは判ってきた。
俺は、都会に限らず郊外地域の沿道をトラックで廻っている業者のうち、
20年前のお値段です!
の本当の意味をネット上では公開できないことを知りながらも、 (「ご苦労様です!の世界なため。)
日本人に特に多いとされる、アルツハイマー痴呆認知不全症道楽ボケ人生に陥ってしまった人々は
既に20年近く前に、自分の人生を放棄する構えになった心が入っている肉体の、
膝を曲げて猫背になって、呼吸を浅くして、全身の筋肉に流れる血液の循環や
すべての細胞内に行き届かせるはずの酸素供給がおかしくなったために
自ら望んで 
   

red&blue2006

   
こういう体型で生きることに甘んじて来た、
生きることを怠け、その怠慢さの結果、人間の素直さを失った結果が
脳味噌に廻るべくしてある血液循環も涸らせ、酸素も廻らない状態をつくり、
脳を萎縮させ、薄汚く白く干からびさせたことを云っている。
そのために、わざわざ、
明日の介護、昨日の福祉  
こういうテーマまで設けて、次の世代が、そういう人生やダメ人間を繰り返さないための認識事項や
気づくためのキッカケについてを書いている。
その内容の云い方や云い回し、解釈はどうあれ。
…あのねぇ、普通に堅苦しく学者言葉を並べたりして、何か人間について書いてみたところで
そんなモノは、もう誰も読まねぇの。とくに若者や未来に生きる希望のある子供は。
『本』が売れない。「活字バナレ」、「学力の低下」…。
当りめぇだ、そんなことは。嘘なんだもん。生きるためにはもう必要じゃねぇんだからな。
今まで通りではない。『時代は変わるよ
ああ、文句は蛇足だ。
俺が書いていることには余分な脱線が多すぎる。
自由であるために。
んで、どんな惚け老人も、アルツが這いマワって、やがて寝たきりか植物人間になっちまう連中も
車イスの生活をよぎなくされて迄も、
「自分の身体は最期まで他人の手を借りずに自分の力で運び動かしたい」と考える人も望む気持ちも
「シモの世話も、風呂へ入るにも、周りの人や家族に迷惑をかけたくない」
と、今ならまだ、20年前のお値段です! 
人間として、いま未だ、かろうじて、前向きに生きたいと望む正常な人にとってみても
この高齢化社会と呼ばれる我が国の御老体の健康維持、現状維持…
日々遣って、その心で死ぬまでお付き合いのあるはずの、その、
肉体の管理と保管において重要なことは、
基本的には、両方の足首周辺の筋肉に流れる血液循環が、ほぼ直接的に
人間の頭部や脳細胞の活性化、正常化に関係している事実と、
それをある程度、本来の状態へ近づけようとするなら、
まず、人間の両足の付け根にある、上半身と下半身をつなぐバイパス、
その太い動脈と静脈にじゅうぶんな血液循環を促すことが大切で、
その方法や対応策の詳細や手順、万人において最も適切な手段が何かを要求する以前に、
そんな健康法があるのかないのか? どんな健康機具や医療器具などを応用すりゃぁいいのか? 
あさはかにも、そういうことを間に合わせに探ったりする以前に、
大切なのは、その2点のポイント(足首の周りの筋肉が脳細胞の活性化に関わっている事実と
両足の付け根、男女共に陰部の両脇の筋肉の中の大切な血液循環の正常化。)

に、現在の厚生労働省も含め、アホな現代医学のシガラミの中にいる誰かが気づくことが
とってもとってもとっても重要なことなんだけど…。
ヒントはそこまでだ。あとは自分で探せ。まずは己に気づけ
そのために、[ 明日の介護、昨日の福祉 ] 
このテーマを作ってやった。そこから探れ、キッカケを摑んでくれ。素直に。
今の俺には、それしかできない。そして、そのテーマの更新をつづけてゆく。
俺は治す係りではないんだ。
浮かばれない霊とか彷徨える魂を除霊したり鎮める係りでもない。
そういうのは、俺の管轄外。
坊さんでも霊能者でも、和紙に何か書いて並べて、それを正常に分解や浄化ができなくても
一生懸命に世の中をクリーンにしようと頑張ってる人も、
俺がやっている整理整頓とは別な役割だ。勝手にやっててくれ。
世の中の、人間の社会の、自然界の、陰陽のバランス。「燥と湿」と躁鬱の関係。
そういうものまで狂わせているのが、教育や枝別れ宗教。
今やどこの寺に、一家庭にある仏壇の前へ座らされて
そこにある位牌の周辺にマトモに先祖霊のすべてを透視できる坊さんがいるのか? 
仏教を極めるのに必要なことは荒行や滝行、断食に耐えることではない。
誰が何の目的で最終解脱を試み、それをやったつもりになって失敗していようとも
今の時代、最早、神と仏もヒトを救わないし、救えない。
現に、救ってねぇじゃん。誰の何も。カネの回し方に支配されるばっかりで。
どこにある? マトモな心が? 
他人と自分がシルバーラインで繋がってるわけじゃねぇだろ。
めるへんチックに「赤い糸で結ばれてMass!、マッスルズ!」なんてこたぁ、嘘なんだ。
素直さを失って、そんなとこへ見え隠れすんな。
もう逃げられはしねぇだろ。今まで通りじゃない世の中からは。
   
この自然界には、整然として育まれ、営まれるべくしてある魂の階級ってもんが
本来はどこにおいてもバランスよく整えられてあるべきであって、
(最近の日本人にはとくに、
この、「階級」だの「支配」というコトバに抵抗がある連中もいるようだけど、
コトバに執着して、自分の頭にあることだけに囚われるのもよせ!
そんじょそこいらの捏造・精神世界オタク連中のアタマでは
腹の中に嘘も糞も詰ったまま、脳味噌に毒素がまわる頭痛・歯痛・生理通になっちまう。)

ええっと、…もうよそぉか? マトモに読める人も少なくなってきた。
いや、一応はある程度まで書いておかなくちゃな。
んで、魂の階級問題については、あとまわしにしよう! 
いずれまた別な解釈を見つけて書く。そのうちな。
でも今日は、そういうことを書いている。把握できないかも知れないけど。すまん。
なにごとも初心者には、今後、自分自身をゼロから改めて人生をやり直したい感じで
本来の自分自身を前向きに獲り戻したいと考える人にとっては
丁寧な説明が必要なんだ。
   
して、この広い世の中には、様々な人がいて、様々な場所がある。
どこそこの川上、その上流で、
その流れがはじまる最初の位置から涌き出る清水や泉の水を
手で掬って飲むと元気になったとか、「身体がラクになった!」とか、
そういう場所がある。地域限定で。この地球上のあちこちに。
それは水とか川に限らず、とある丘や
毎日の日の出が、それはそれは素晴らしい山の麓山頂ではないとか、
誰が経てたのかは不明な神社の鳥居を潜った先の、とある一区画とか、
見るからに可笑しな格好をした石が並べられていたりする場所とか、
樹木の並び方が誰が植えたわけでもなく、かわった状態に見えても、
そこが墓場や古墳とか塚などとは別に、決して薄気味ワルイ雰囲気ではなく、
誰が訪れても気持ちがスッキリしたり安らいだり、心が晴れ晴れとするような場所とか…
まぁ、不思議なんだけど、世の中にはそういう場所もいっぱいある。今でも。
んで、そういう場所とか、どこかの木の下でもなく、
人間にも、そういうヒトがいる。
近くに寄っただけで、なんだか急に疲れが取れて
それまでの身体の重みや辛さが、どっかへ飛んで行っちまったように感じる存在とか、
何かわずかに会話を交わしただけで清々して
その日はなぜか、空を見上げてみても必ず、世界が穏やかに思える日だったとか…
そういうヒトも、生身の人間の肉体を持った姿で、確かに存在している。
この地球上に。決して、神様ではない。仙人でもない。天狗様でもない。
ネズミ小僧でもない。ありゃ、泥棒だ。盗っ人はぬすっと。強人は強人。
優しさは素直さ。素直さは健康だ。
そういう人…ちょっとだけでも近くに寄ると、こちら側の身体がラクになる人ってのは
まずもってして健康な人。健康であることを実践的に生きてる。意識せずに。
かつては、そういう人が世の中には今よりも多かった。
「しゅうきょう?」ではない。
自然界の中で用意されたひとつひとつの役割分担だった。
俺の仕事は、そういう人の情報を集めることだった。
魂の情報処理? そんなたいそうなことではないけど、
今はもう、その“名残り”のようなもんだな。
インターネットの片隅で。
不思議なんて、ちっともない。
でも、俺には当りめぇなことでも、世の中の常識には通用しない部分が多い。
とくに俺がここ最近 書いている内容には
人間の醜さそのものが多いので、俺が様々に
ヒトがコトバにはできなかった事実を書き記すことが恐い人も中にはいた…かも知れない。
隠すことができない。
誰かがどこかですべてをオープンにしないと、
あらゆる人の心や未来がオーブンで焼きすぎた真っクロ焦げのパンみてぇになっちまう。
喰えないだろ、もう。そんなもんは。
世の中の常識や教育ってもんは、そんなもんでしかない。癌の素だ。
発癌物質とは、すべての教育。人間が造っただけのあらゆる常識。
医学も、宗教も、経済も、政治も。
だからまず、人間が人間として“育つ場所が本来とはちがう”ということに
教育によって破壊された母体…
この「母体」というのは、母親とか現代女性だけを指し示しているわけではない。
人間が自然の産物である限りは、この地球という場所も母体だよ。
その、今はもう、“育つ場所がちがう”という事実が、
すべてにおいて、「教育によって破壊された母体」ということになる。
そういうことを含めた意味での今まで通りの常識ではなくなってきたことの認識を踏まえた上で
人間は一人一人が「自分自身が何なのか?」ということに気づかなくてはならない。
俺はそのために、誰かがどこかで気づくためのキッカケを用意しなきゃならない。
丁寧に。克明に。誰の何に遠慮することもなく。
   
でもそれは今、カネ儲けにはつながらない。
神や仏さえもカネの力を借りないと人間を救えないのなら
俺は人間が人間を救う手段を自ら導き出す。
まずは、今まで通りの努力も学習も捨てて
自分の命は自分で守ることから実践してゆく。
他人は何もしない。
やっているのはすべて自分でしかない。
ここが重要だ。
俺の場合はね。