ポップコーンをほおばって  | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥

   
   
佐渡の佐和田町というところに
アミューズメント佐渡という
佐渡にしては実に近代的な造りの建物の総合公民館がある。
ときどき、
B’zとかゴスペラーズとかもやってきてくれて
普段は畑のオバチャンが
ここぞとばかりに化粧を塗ったくって
今まだ全国を渡り歩く巡業の演歌歌手とかを観に行ったり 
地元のピアノ教室の発表会とかやってる。
そのほかにもジャズやクラシックの分野のアーティストの方々も
いろいろと来てくれるけど
定期的に、告知すれば反響がよさそうな
都会の方で売れた映画も上映される。
両津にも市民体育館だったか文化会館だったかのホールもあるので
そっちの方でも映画とかコンサートもあるんだけど
佐渡には、メジャーアーティストを招くことができるライヴハウスもなければ
映画館もない。
鉄道路線も地下鉄も、もともとないので
クルマがない限りは、どこへ移動するにも不便なんだけど
モミジマークをつけた爺さんの運転する軽自動車もいっぱいで
そういうクルマの後ろを走ると
狭い道がスゲェ渋滞モードになったりする。
朝の通勤時間とか、主婦の買い物合戦の時間帯(夕方)とかな。
主だった屋内レジャー施設は少ないものの 
花火大会とか地元各地域の神社の祭り…。
   
   
     
   
  
     
    
   
   
そういったものは、春から秋にかけて盛りだくさんなんだけど
高校生も中学生も
ゲームセンターや映画館がないので
遊びたいときは、高額路線バス運賃も含め
往復でおよそ¥5,000ちかくの交通費をかけて
島外(新潟市内など)へ繰り出さなければならない。
バイクが好きなあんちゃんもいるけど
エアスプレーでガードレールに落書きをするような者は一人もいない。
海岸線を爽快にカッ飛ばしても
自宅へ戻るときは近所迷惑なので
長い坂を手押しであがっている若者もいる。
ちかくの自動販売機でジュースを一本買っても
翌日には村落中に
「あそこの兄さんはコーラ買ってたよ」
と、ぜんぶ知れ渡ってしまうので
やはり、ガードレールに
●●惨状!」とか 
××ちゃん命!」
などということは描けない。
「おめぇ、ほっつき歩ってねぇで、少しは手伝えっ!」
爺さんや婆さんにせかされ 
イヤイヤながらも素直に農作業を手伝ってる青少年もいれば 
親から借りたクルマを乗り潰すように真面目にどこかへ通勤して
新しい自分のクルマを手に入れるために
一生懸命に働いている若者の姿もある。
今の時代…ここ30年くらいは、田舎なんてのはそんなもんだな。
それでもいいと思うよ。
いま自分が一生懸命になれるモノがあるってことは
今しかできないからな。
ただねぇ、本物に触れる機会ってのが
あまりにも少なすぎるよ。
昔は佐渡にも日活ロマンポルノの名作を上映するような映画館も
あったにはあったらしいけど
新宿や渋谷の場末の映画館とはちがうよな。
イタリア映画もフランス映画の名作も
自宅でDVDデッキにタネ板を回して観るのと
ポップコーンをほおばりながら劇場で観るのとでは
新鮮味も臨場感も まるでちがう。
「あんときに観たんだよなぁ…」
って、美しい想い出も残らない。
   
今日、子供と一緒に、アミューズメント佐渡へ出かけて
仮面ライダーの最新作『カブト』を観てきた。
『冒険ジャー』と2本立てだったんだけど 
一龍【いちろう】(6歳)の目当ては、ライダーカブトの天道なので
午前10時からの上映に遅れて行っても問題はなかった。
来週は “惚けモン”があるらしいけど、俺はいかない。
自分の力は使わずして、シモベ同士を戦わせて喜んでるような
ああゆう宗教戦争っぽい感じ(?)がキライなので 
「お父さんはピカチューよりタナチュウとかピカリ(大田)の方が好きだよ」
ということで、あの手の玩具カードとか子供に買ってやったことはない。
うちにはゲーム機もない。
「タマゴッチがほしい」
と云っても買ってやらない。
「生きるためには要らねぇだろ」
という説得の仕方で 
「本物に触れることを知れ!」
という気持ちしかない。
それでも保育園の仲間が話したり 
そういう世間一般のふつうの子供の家へも遊びに行くので
本人としては
「僕のお父さんが嫌いなんだよ。僕はどっちでもいいんだけど…」
などと、若干(?)複雑な会話をしながら遊んで帰ってくるらしい。
一人っ子なので、兄弟ってものの有り難味や大切さは
なかなか理解できることでもないだろうし 
「あ~あ、父ちゃんは役に立たねぇ男だなぁ…」
などという台詞も、どこで覚えたのか? 最近は
そういうことも云ってみたりしている。
俺はなんとも思わないけど 
今後 成長して、あかの他人にそういうことを云うと
喧嘩の売り買いにもなりかねないので 
なるべく、人の心を傷つけたり、
誤解されて損をするような交流をしないように・・・・
んまぁ、そんなことを躾けたり教えたりしようとする親の考え方もアホなんだけど
ものの情趣や人間世界のしきたりについては
自分で経験して、乗り越え、理解していかなくちゃなんねぇので
「それは非常に危険だ」
という以外は感知、干渉、束縛はしない。俺はな。
怪我をしても本人の問題だ。
自分で招いたことは、自分で処理してくれ。
手や足がもげたり、指を切り落としてしまったりするような危険性があるときは
キツク云い利かせるけど、
「ごめんなさい」と、素直に心から謝れる自分でいられるかどうかは
親が教えることではない。
   
昔は、公園へ遊びに行くと 
「マリーは、それはそれは悲しみました。
『お母さん、どこにいるの?』」 あせる
とか
「深い雪の中で、ネロとパトラッシェは息をひきとりました」 天使
などの紙芝居を上演する駄菓子売りの爺さんとかもいたかもしれないけど
「あの野郎を倒すためには、この攻略本が必要だ」
という思いで、殺人戦闘ゲームに熱中する小部屋の中では
人の慈しみや命の尊厳ということは忘れさられてしまう。
親にも子供にも。
   
アニメ映画とかTVヒーローものの劇場版とか
数少ない上映の機会を設けてくれる佐渡の公民館施設へ
子供を連れて行く俺は
必ず、コンビニへ立ち寄ってから、ポップコーンを買う。意味あって。
劇場で映画を観てるときってのは
自分が眠っているときに観ている夢とおんなじで
たとえ現実ではないと判っていても、実体験だ。 
だから物を喰って精神を落ち着かせる意味もある
そのストーリー、映画の世界へ惹きこまれることもなく 
日頃の仕事の疲れでグースカ寝ている親もいるかも知れないけど 
「お父さんと一緒に観る」
「あれは、お母さんと一緒に観たんだよ」
ってことが、子供にとっては大事なことなんだ。
   
かつて、エルヴィス・プレスリーは
白人でありながらも黒人の歌を世に知らしめて数々のヒットを飛ばし 
それはそれは、ふつうに通りを歩くことさえ難しいほど有名人になった。
自分が流行りの映画を観たくても、一歩おもてに出ると
マスコミやファンが待ち構え、サインを迫る何十本もの人間の腕と
魂を吸い取られちまうほどカメラのフラッシュを浴びせられる始末。
ならば、映画館を貸しきって、出入口のすべてにボディガードを雇い 
心行くまで、好きな席に座って、観たい上映封切りモノを観ればいい。
ところが、プレスリーという人は、それが嫌だった。
要は、独りでは観たくないってことだ。
だから、親戚、家族、友人・知人をありったけ呼び集めて
映画館の席を満席状態にしてから、普通の人と同じ気分を求めて 
そうやって貸切の映画館の中で、スクリーンの中身を楽しんでいたらしい。
   
甲斐バンドというグループの甲斐よしひろというアーティストが作った歌に
『ポップコーンをほおばって』という歌がある。名作だな。
あの歌は 
『氷のくちびる』『東京の一夜』『ダニーボーイに耳をふさいで』『裏切りの街角』『かりそめのスウィング』…
と、順を追って聴いてゆくと一連のストーリー性があって
激動の時代と呼ばれた日本の社会に生きる男女の宿命みてぇなもんがある。
そのほかの幾つかのヒット曲には確かに、
「それはストーンズのパクリだろぉっ!」 ###
というような歌も曲調もあったりする。
でも、『ポップコーンをほおばって』の歌の歌詞に代表される、
“とある日の恋愛感情の想い出”は、聴く者の誰の心にも深く突き刺し 
そしてまた、そういう自分が美しかった日々を想い起こさせるかのように 
時の流れを叙情する。
あれもひとつの類い稀な才能だ。 (今はどうなってるか、よく知らないけど
自分の父親が床屋さんで、その父親を早くに亡くし 
甲斐よしひろというアーティストは兄弟とお母さんに育てられ 
九州の田舎から大都会へ出て、自分の可能性を確かめるために歌いづづけていた。
観るもの聴くもの、あの洞察力もハンパではない。
普通の人とは明らかにちがう。
おそらく、物事の本質を見抜こうとする欲(?)とか
そういう本物に触れる機会を大切に生きてきた人なんだと思う。 ストーンズもパクってるし
   
日本人として、劇場で映画を観るとき 
その内容が、どこの国のどんなストーリーであったとしても 
俺は、かつてのエルヴィスの思いと、
その歌(『ポップコーンをほおばって』)の歌詞の内容を忘れない。
こだわりの鉄則だ。
仮面ライダーばかりでなく、ディズニーアニメも
『ワンピース』とかいう流行のテレビアニメの劇場版も
子供と一緒に観に行った。
佐渡という田舎の公民館。たった一日かぎりの、一回だけの上映。
ほかの家族は、ポップコーンなんて持ち込んでない。
喰ってるのは俺の子供だけだ。
ピングーのサーカス一座を観覧する、どうでもいいペンギンのように
ムシャムシャと喰ってる。映画を観ながら。
「おい、みんなが使う場所なんだから
ボロボロ床へ落すんじゃねぇよ」

という父親の言葉も無視するかのように 
ドギマギするシーンでは食べる手を止め 
落ち着いたシーンになると、また思い出したかのように
ポップコーンをほおばってる。
   
いいじゃねぇか! 今日だけなんだから。 妻の顔を想い出す俺
   
俺は、佐渡に映画館を造りたい。
もう跡継ぎもいなくなって、使われなくなったような田んぼもいっぱいあるし 
そういう高齢化農業のお年寄り人口が過半数以上を占める島だけど
海岸沿いには、だだっぴろい空き地も余りに余ってるので 
ドライブイン・シアターでもいい。
観たい映画を5千円もの交通費をかけて
長ったらしい船旅の時間に飽き飽きした顔で観るよりは 
家族に連れられて、海に面したパノラマ大画像を観に出かけてもいいじゃねぇか。
なぜ、誰もやらねぇんだ? 
暇がないのか? カネがねぇのか? 
日本オリジナル種ではない保護鳥
築地から買いつけたキロ2千円の高級ドジョウ
と同じもんを養殖する技術や施設に国が金を注ぎ込むことが 
本当に今、重要なことなのか? 
何に向かって生きてるんだ? 
何を失わせたまま、次の世代に期待してるんだ? 
自分たちの未来に何を残そうってんだ? 
   
あまりまた攻撃的な云い方をすると
読者の方々のコメントも波の向こうへ消えちまいそうなので
この辺にしとくけど。
もうひとつ。
俺は佐渡に、ちゃんとしたライヴハウスを造りたい。
   
   
   「どうぞ、誰でも いつでもお越しください。
    この空間を使って、自由に思いのまま、存分に演ってください。
    楽器もすべて、お望みの物をご用意いたします。
    照明も音響設備も日本一のライブハウスです。
    ギグやライヴ演奏は、即日、音声・映像ともに最高音質で記録保存が可能です。
    次回お越しの際には、量産したモノ(CDおよびDVD)を販売することもできます。
    予算のない方も、売り捌いた金額を折半で清算する形で構いません。
    当店は、そのようなサービスをウリにしております。
    集客の問題も心配ありません。
    毎晩、国内外の観光のお客様がお越しくださり、満席状態で賑わっております。
    屋上のレストランでは常時お食事もできます。
    米も牛肉も日本有数の味と品質を誇る佐渡産のモノを使用しております。
               (…ちなみに佐渡牛というのは、ほとんどの松坂牛ほかの種牛です)
    魚介類も常に、その日の朝に捕れたモノしか扱っておりません。
    夏場は透き通ったイカの刺身が最高です。
    冬場は口の中で溶ける美味さの寒ブリをお召し上がり頂けます。
    酒も超一流、連続金賞受賞蔵の価値ある品々をはじめ、
    佐渡の六つの蔵元の、選りすぐりの地酒をご用意しております。
                (…内緒ですが、地下は合法カジノになっております)
    『明日の夜、そこで演りたい!』
    どうぞどうぞ、遠慮なくご一報ください。
    年中無休、毎日やっております。
    スケジュールの都合はどうにでもなります。
    但し、巷のテレビやラジオで“流行っている焼印”を押されたアーティストの方には
    申し訳ございませんが、キャンセル待ちとなります。
    当店は、本物の音が出せるアーティストの活動を優先しております。
    ご了承ください…」
    
    いつか、そういう宣伝内容を含む広告を
    毎日、世間の6大新聞の朝刊一面へ掲載してみたい。

       http://ameblo.jp/badlife/entry-10012852422.html  より。
   
   
いいじゃん、そういう店が一軒くらいあっても。
なんでないの? 
   
都会では、見るもの聞くもの、情報と物が溢れかえって
頭ん中も麻痺しちまったように
何の感激も感動もないまま街を歩いてる連中も大勢いるよ。
海であった場所は海としては使われず 
山であった場所が山としても原型をとどめられず 
岸辺の防波堤も谷川のダム開発も
スズメバチや熊、猪や狸や猿まで生息区域を狭められている。
無謀に建てられたゴルフ場や新興宗教専用の墓地。
別荘地、リゾート施設の開発。
国民年金の使い込みで造って壊した特別公務員様会員限定の保養施設… 
そりゃぁ、魚もイカも逃げていなくなるよ。
イルカだって何十頭も座礁しちまう
今まで海であった場所が海じゃなくなっちまったんだから。
あたりめぇのこった。
当たり前でない場所を当たり前のように破壊しておいて
何が、経済格差を解消したいだ。
何が、日本の高齢者社会の現状を把握して各地域の…なんたらかぁたら… 
笑っちゃうね。ちゃんちゃらおかしいね。
戦後日本経済なりあがりシステムの具の骨頂だよ。
今の人類のお笑い草だね。
『お笑い政治劇場』って映画がシリーズで何本も作れるぜ。 
   
 狭いニッポン、そんなに壊して何処で死ぬ? 
   
 なかずんば、嘆いてみしょう、青写真。
   
 やわ肌の、厚き脂肪に、
子宮下垂

   
 赤とんぼ、懐かし零戦、戦後教育。
   
 お妾さん、アメリカなぞって、盆栽国。
 (山田くん、座布団ぜんぶ持ってゆきなさい
   
 平和ボケ、ボンクラ報道、酒気帯び合戦 。 
痔余り

   
まだまだあんぞぉ~! いくらでも出てくる。 
世界発展過剰国家一族の国連加盟・大日本盆栽帝国の中でな。
   
   
   
   
じゃぁの~。
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
     今日の “Message In A Bottle  
   
   自殺願望を捨てた36歳、
   オマケ人生に家族ができた。その命を守るにも金が要る。
   金がすべてじゃないけど、やりたい事がある。
   佐渡に映画館とライブハウスを造りたい。
   新に船会社を起し島を活性化したい。
   旨い酒も米も次の世代に残したい。
   さて、どうやって金を獲るか? 
   http://scrapbook.ameba.jp/moneys-to-tight_book/entry-10009166094.html#good_btn  より。
   
   
   36 years old in whom suicide wish is thrown away
   The family was made the Extra life.
   Money is needed to defend the life.
   There is a thing that wants to do though money is not all.
   I want to build the theater and the Live&GigHouse in Sado city.
   It wants to establish the shipping company newly and to activate the island.
   I want to leave the generation delicious sake and rice.
   Well, how is money captured ? 
   
   
   
   
   
   
   
   
   2006sep2nd_fin