何億光年も彼方に突き進む光りの如く ~ 成長しつづけるはずの魂が永遠である理由  | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥
   
   
昨日の佐渡は国際トライアスロン大会 で島中が賑わってた。
ただ、ニュースなどで知っている人もいると思うけど
大会そのもの1989年開催以来はじめてのことで
仙台の63歳の男性が朝からスタートしていた水泳競技中に亡くなられた。
ご冥福をお祈りします。
   
佐渡という島 は日本の国土としては沖縄に継いでデカイ。
もしもクルマで島の海岸線や沿線を回って一周しようとしても丸一日はかかる。
トライアスロンのコースは、その一部を使うわけだけど
朝6時からスタートして夜9時近くまでやってる。
泳いでから自転車に乗って、そのあとにアスファルトの上を走る…
自分との過酷な闘い。
佐渡の国際トライアスロンには、もちろん地元の参加者もいて
学校の先生とか中小企業の経営者とか様々に挑戦している。
俺も出てみようかと思ったこともあるけど
自転車(とは呼ばないのか? …バイク)にカネがかかるし 
陸上部だったので走るのは得意(だった)なんだけど
最近は水泳もやってないので
9月の朝の海をあんな何百メートルも泳ぐのは無理だな。
それ以前に、煙草を吸って怠けた体力では
絶対に完走はできない。
短いコースや種目を選べる参加の仕方もあるようだけど
もしもそういう種目別で参加を試みて
肉体的にも精神的にも現状の自分の限界を超えてまで
完走できたとしても
翌日、翌々日は寝込んでしまうかも知れない。
「参加すりゃぁいい」っていう地方の元日マラソンとは違う。
常日頃からのトレーニングの積み重ねが大事だよな。
アストロの人たちの仲には
早い人で大会の一ヶ月前くらいから佐渡へ停泊して
トレーニングをしている人もいて
国際大会なので、日本人ばかりではないけど
40代、50代の人たちが多い。
人によっては、トライアスロンを中心に世界中を回ってる方もいる。
年齢には関係なく、みんな超人みてぇなもんで
俺が働かせてもらってる蔵元へ大会が終ってから訪れる選手の方に逢ってみると
実際、脚の筋肉の太さとか、ハンパではない。
持久力というものは生まれ持った能力に磨きをかけないと養われないので
選手のみなさんは毎日の生活が心身ともに
自分との闘いなのかも知れない。
人間、生きている上で
自分の限界を知っているということは大切なことだ。
   
俺が独り暮らしをしていた18~27歳までの間、
トヨタのハイラックス白のWキャブ、ガソリン車に 
自分で組み立てた赤のスポーツ・サイクル(自転車)を乗せ 
適当な場所へクルマをとめてから 
よく、軽い沢とか桐生の街並みをサイクリングしていた。
夏の鬼石あたりとか、春の丘公園とかな。
旧中仙道には、過去の浅間山噴火の爪痕や
戦時中、利根川沿いの軍事基地と間違えて誤爆された場所のほか、
今も包み隠されてはいても、国内で捕虜を虐殺した民間人が存在した地域など
いろいろと暗い歴史はあっても 
その昔は、中山街道を使って多くの旅人が行き来して
古くから商業も産業も栄えた関東地方の歴史文化の遺産もある。
徒歩ではちょっとキツイけど、自転車であれば
クルマで走って見過ごしてしまうような処も
一日のうち何件も立ち寄ることができるし、簡単に入って行ける。
誰が建てたのか判らないような鳥居や祠にしても 
由緒正しそうもなく寂れていながら、実は由緒正しい神社仏閣にしても 
関東地方にしか存在しない物もある。
「ここの松は自動車が通るのに邪魔でも絶対に切り倒してはいけない」という場所もあれば 
「なんであんなところに塚があるんだろう?」という場所の周りでは
なぜか交通事故が耐えなく
毎年のように京都から位の高い坊さんを呼んで拝んでもらっているような場所もあって 
人間が道路を敷き詰めて、様々に開発した場所がどうあろうとも 
そこはそのままにされていた。 つい最近まではな。
俺が高校時代に住んでいた埼玉のとある市の近郊には
古い墓地や塚、小さな古墳が多かった。
あの辺りは古来から、拡い範囲に渡って人間を葬る地域だったんだろうな。
学校などの施設も大きな墓地があった跡地に建てられているところも多い。
そして、関東北部でも数々のダムが建設させる前までは
利根川近辺だけでなくても、かなりの数で水害もあったし 
大勢の者が死んで、そういう慰霊碑があちこちにあったりする。
それでも、道端の地蔵に手を合わせる者など今はもう、めったにいない。
そこにどうして、そういう物があるのか? みんな忘れてる。
そんな中山街道も朝晩、通勤通学のクルマでひしめきあってるわけだ。
   
余談だけど… 
そういうサイクリングと、芝居の世界が好きな俺が20代後半のときの話。
あるホテルのフロントで深夜のアルバイトをしてたときのことだった。
1990年、グリーンドーム前橋のオープンの際、競輪とは別に 
世界選手権自転車競技大会 の日本大会が前橋と宇都宮 (共にケイリン場がある)で開催され 
ツールド・フランスの有名選手も含め、世界各国から自転車レーサーが
栃木県ばかりではなく、群馬県の前橋と高崎、藤岡等のホテルへ長期停泊していた。
俺がいたホテルもそのうちのひとつで
高崎市内でも かなりの部屋数を保持していたこともあり 
イタリア人やベルギー人、スペイン人、オーストリア人、オランダ人、カナダ、フィリピン、中国...etc.
でゴッタがえしてた。
通訳を間に入れない限りは英語なんてほとんど通じない。
フロントには国際電話も頻繁にかかってきて、
そこにも英語が通じない問い合わせが多かった。
大会に参加した選手の家族や友人だったとは思うんだけど
あとで確認して判ったことは 
その多国語の電話の嵐のほとんどは、お土産品の要望の件ばかりだった。
日本製のビデオデッキやステレオといった優秀な精密機器、家電製品が
他国の人々にはとても貴重品で
そういう物を少しでも安く売っている家電センターで手に入れることが
選手はおろか、母国の友人知人にも非常に重要なことだったらしい。
その辺りは今でも、都内、秋葉原などへ行くと判ると思うけど
ああゆう日本の電気製品に目を丸くしている外国人が 
その一時期、群馬県に何百人も集中して
自分たちのトレーニングや体長管理も含めての長期滞在があったわけだ。
それでも自転車レースのことなんて、そっちのけだ。
買ってきたばかりのラジカセに
ツーリング最中に立ち寄ったTATSUYA のレンタルCDをぶち込んで
自分が借りているホテルの一室のドアを開け放ち 
大音響でマドンナだのプリンスだのをかけまくってた人もいた。
他の客の迷惑なんて知ったこっちゃない。
全館ほぼ、同じような態度の自転車レーサーだったしな。
さすがに、館内の通路にゴミを散らかすようなことはなかったけど 
選手一人一人の部屋の中は凄まじかったぜ。
夜はパントリーや掃除屋のパートのオバサン連中もいないし 
客の面倒はすべてフロント管理になる。
「シーツを取り替えろ」だの「ポットでお湯を持って来い」だの
いろいろと注文もあって忙しい中、
あるイタリア人の部屋へシーツを取替えに行くと
「ココのベッドは どこへ行ったんだ?」
ベッドがない。
どうやら、別の知人選手の部屋へ勝手に移動したらしい。
要は、自分たちの自転車を分解して修理や調節をするためには
日本のホテルルームは狭いということらしい。
また、時差ぼけの調節も含め、肉体的・精神的な基本管理もあるためか 
喰いたい時に喰って、寝たい時に寝て、リラックスの仕方も
国柄や自分の育った風習によって様々なんだろうな。ああゆう国際選手というのは。

でもって、
「ヘイ、カモン、カモン」というので別の部屋へ行くと
ベッドが積み上げられている。
して、シーツはそこへ置いて元の部屋まで呼び返すので
行ってみると、ラジカセのボリュームはそのまんま、
日中に、どこかの酒屋で買い込んだ数本のワインの瓶は既に飲み干していて 
部屋の中へ転がっている、そこで、
ロベルト・ベニーニ が早口になったような話ぶりで 
「もっと飲みたいので、自分の自転車で買いにゆくから、売ってるところを教えてくれ」
という様子。俺にチップを渡そうとする。
そのホテル は基本的にチップを受け取らない主義と教えられていた俺は
深夜もやっていた地元の酒屋を知っていたので 
(1990年当時、酒を置いているコンビニがほとんどない時期だった)
その客の要望に仕方なく 
無料奉仕で
自分のクルマを街外れまで飛ばし、手頃なワインを買ってきてやった。 仕事だからな
   
んで、別の日。
TATSUYA からホテルへ問い合わせがあった。
「南くん、そういうことなんで、
このお客様が外出先からお戻り次第、対応してね」
「?」
夜8時前から出勤の深夜アルバイトの俺にとっては
いきなり何のことか判らなかったけど
フロントのカウンターに立つ従業員に判るようにポストイットが貼り付けてあって
そこには
「そちらにお泊りの外国のお客様が
期限を過ぎてもCDをご返却くださらない」
TATSUYAの店員から電話があったという伝言メッセージだった。
当然だ。レンタルCD屋なんてのは、世界中にあるわけじゃない。
そんなこと まったく知らねぇとこに住んでる外国人もいる。
本人は、ほとんど言葉も通じない状態で
店員の言われるままに会員になっても 
カネを払った限りは、自分の目当てのCDを買ったつもりでいた。
通訳が「返せ!」と言っても 
「これはオレのだ!」 (イタリア語)
ほとんど喧嘩状態。
一日がかりで、ようやく、レンタルのシステムを理解したイタリア人は
渋々とお気に入りCDを手放してたけど
フロントにいた従業員も勝手だ。
翌日の夜、
「南くん、わるいけど、コレ返してきてくれる? 
君、TATSUYAの近くに住んでたよね?」

なんで俺が? 
「まぁいい、客の世話も仕事のうちだ」
そう思って、なぜか俺が返却に行った覚えがあるけど 
あれが普通の客だったら俺も断ってたかもな。
もっとも、普通の宿泊客にそんな人もいねぇけどな。
   
   
元横綱の千代乃富士と歌手の松山千春さんと仲良しの中野浩一 さんは
1955年の11月14日生まれのさそり座の人で 
あの人の精神力もハンパではないな。普通の人とはちがう。
最初から生まれ持った能力が並大抵の努力家ともちがう。
それはスポーツの世界ばかりでなく 
音楽家にしても画家にしても彫刻家にしても 
何を創造して、どんなことを表現する芸術家にしても 
様々な事業所の様々な企業の中で働く、どんな人にしてもそうだ。
生前の“カツオ爺さん ”が
「栴檀は双葉より芳し」 せんだんはふたばよりかんばし
という言葉を遣って
   「人間の持って生まれた能力は
   その創られ方によって最初からちがう。
   受胎の瞬間から決められている。
   猫も杓子も長島やイチローのようにはなれない。
   社長は生まれながらにして社長の器があり 
   平社員の器しかない者には
   どんなに頑張っても本来の社長の器の人には適わない。
   利口は生まれながらにして利巧で 
   百人、千人あつまっても馬鹿は馬鹿。利口にはなれない。
   男は男。女は一生かかっても男にはなれない」

…という事実を
男女年齢を問わず、いろいろな人に気づかせていたけど
最近の教育の中には、そういうことがハッキリとせず
次郎も太郎も「頑張ればできる」「お前にもやればできる」という
狭い枠の中で生きてる人も非常に多い。
一生懸命なのはいいけど
己の力量、己の限界、己の原点…
ていうものは、自分なりに弁えて生きた方が楽だよな。
できない人はできない。できる人はできる。
何かひとつのものを一度 見ただけで解る人もいれば 
どんなに丁寧に見ても訊いても、教えてもらってみても 
どんなに努力して頑張ってみても 
解らない人には絶対に解らないこともあるし、できないこともある。
できないのに、解らないのに 
自分にはまったく合わないことなのに
無理をして、させるから おかしくなるし 
人間が生きる上での努力と工夫は別問題だよな。 
「アイツよりオレの方がマシだ」とか、「おれはアイツとは違う」とか、
ちがって当たり前だ。
自分と他人には区別がある。同じ肉体を共有して生きてるわけでもない。
「あの人は こんなにも優れたものを持っていて
こんなにもスゴイことをやってのけるのに
自分には何があるんだろう?」
何もない。そんなつまんねぇこと比べても仕方ない。
何もないなら、ないなりに、何か持っている人とつきあって 
それを利用して生きればいい。
それが社長かも知れないし、何かの指導者かも知れない。
自分が生まれ持った能力は最初からちがう。 
そういうことも踏まえた上で、俺は 
   http://ameblo.jp/badlife/entry-10003358652.html
この物語を書いて
初版の『人間の設計図 』という本の著者直筆の黒の題字を切り貼りして
BAD LIFE 』という赤字のタイトルを表紙に
誰もが持ち運べる大きさの文庫本サイズの本(の25頁~30頁)へ載せた。
俺にとっては非常に意味があった。
あの一冊の中には、俺が自殺願望 を捨てるまで生きた自分のすべてが書いてある。
自費出版で、カネがないので500冊だけ印刷してもらった。
売れはしない。
売れても一冊につき数十円、一龍【いちろう】名義の通帳へ振り込まれる。
そんなことはどうだっていい。
売れる売れない以前に
この世に、この時代に、ある命が生かされた証が 
2百ページほどの紙の中で羅列した文字に現され 
それが何十年かの間だけでも形として現世に残されて在るなら
それ以上の価値も、それ以下の価値もない。 
いつか自分の子供も、その中を覗いてみて 
「お父さんは、こういうバカなヤツだったのか…」
と思うかも知れないし 
その中に書いてある何かを探り当ててみて  
「ああ、やっぱり、お父さんはバカだったんだ」
と気づくかも知れない。
おそらく、今のこの日本では、そういうことをやってる者は
あまりいないかも知れない。
   
ところが、ブログっていうのもあるじゃねぇか。
たとえば、さーちゃん という人のすべてのページも http://junkdad.jugem.jp/
三宅ブログ という人の過去のページ も http://blog.goo.ne.jp/nbsa-inushiki
タイトルそのまんまの、ありのままの自分を綴る、
http://ameblo.jp/bigkenken/
このお父さんのブログにしても 
assimilate さん の 
http://blog.livedoor.jp/assimilate/archives/50608542.html
こういうページにしても 
自分のスグ身近にいる次の世代の存在を常に見つめながら 
自分の命の一部を文字に現して、インターネット上に公開している。 たとえばね
こりゃ スゲェ記録だ。
これまでの日本の戦争体験者である多くのご高齢者、
ご長寿のみなさんはやってない。 (やってないどころか、サボらされてきた。)
   
確かに他人と自分は、親と子であってもちがう。区別がある。
親の人生と自分の人生は、まったくちがう。
なぞる必要もなければ、真似る心配も必要ない。
でも、いつかあるとき 
自分がどうして生きてゆけばいいのか解らなくなったとき 
まず、いちばん最初に参考にするのは 
自分の親という人生の先輩ではないのか? 
その人が生きた証の言葉のひとつひとつが 
ある時は どんなに断片的であったとしても 
何かの励みになるかも知れないし 
もしも自分が何か間違った方向へ行っちまってるとき 
いくつかの言葉の裏側に自分の間違いを発見するかも知れない。
親の間違いを見つけてくれるかも知れない。
そしてその間違いを一緒に笑って酒を飲むとき 
その酒は生涯で いちばん旨い酒かも知れない。
(…酒が飲めない人は別としても。…ごめんなさい
   
だから、生きているうちに自分のできることはやっておくべきだ。
できないことを無理にやって時間を無駄にするのはもったいない。
そういう意味もあってか、
ピート・タウンゼントという人も一度は引退したようなところから
遣り残したことがある 」として、まだ演ってる。 
キース・リチャーズ もステージの上で死ぬつもりでいる。(たぶん
今日この日、この時間、この瞬間は 
ただの一度だけだし、二度として同じ時間の記録は不可能だ。
一人の人間の、生身の人生は、重ね録り可能な3本¥980の磁気テープではない。
ただ、本人の記憶とは別に
生きた証の事実だけは、次の世代が断片的に知ることで 
また次の世代へ脈々と受け継がれてゆく。
その魂の成長は永遠につづいてゆく。
懐中電灯の光りを夜空へ向けたとき 
あの光りの線が、どこまでも、
何億光年も果てしなく遠い彼方へ延びてゆくように 
その命の光りは、永遠に真っ直ぐに突き進む。
   
よく、「永遠のものなどありはしない」という人もいる。
あれは嘘だ。
魂だけは永遠だ。
肉体という物体を失っても 
ちゃんと語り継がれているなら、誰かの心の中で生きつづけるし 
たとえ独りで どこかを彷徨ったとしても 
肉体を持って生きていた時間の記録は 
いつかまた遣えるように蘇ることが許され
その再生が役立つ者の中へ巡り寄せられるまでは 
その魂の中に成長した記録(生きた証)は必ず残されているはずだ。
この辺りは難しいので、あまり考える必要もないんだけど
どこの何の宗教の話とは別に 
神の姿に似せて創られたという人間の事実 のうち 
本来の自由へ解放されるための重要な点は、まずそこにある。
この世に産まれ出でて
既に形になってしまったあとになってから 
学校や社会で勉強や学習、訓練、鍛錬、修行すること以外に
最初から持っている能力の違いについても 
そういうところにミソがあるわけ。
   
なのに、今の日本という極めて透明感のない人間社会において 
「こんなもんでいいや」とか、
「ああ、ああ、もうどうでもいいや、いいや」などと、
大本営に騙されていた人たちの世代の多くは
意味も判らず玉音放送を聞かされた翌日から 
自分の人生を半ば投げやりに過ごしてきてしまった。 全部の人が…じゃないよ 。)
魂の記録には何も刻まれないほどにまで 
肉体に流れる血の巡りを狂わせ 、肉体を変形させ 
その肉体を動かす魂、心、精神を
何に売り捌いたわけではないと思うけど 
威張りながら惚けてるような勝手気ままな人生を送ってる老人もいる。
俺の妻の母親なんてのも、そのいい(ワルイ)見本みてぇなもんだ。
自分のことは何も言わない。
判らないことを周囲の者に尋ねようともしない。
ただ喰って飲んで糞と小便を垂れて 
生きることに何の違和感も引き締まりもなく生きている。
どうした? その人生は? 
自分が生きた証は、誰にどこまで語り継がれる? 
騙り疲れるだけだろ。
「おばあちゃんはね、こういう人だったんだよ」 (コソコソ…)
そんなもんは明日にも途絶えちまうぜ。
道端の地蔵に赤いマエカケを付け替える若者なんていやしない。
誰も覚えてやしない。
それじゃぁ、誰の何にも参考になんねぇじゃん。
勝手にこの世に産まれて、勝手に死んで逝くわけではないでしょ。
必ずあるんですよ、生きた証が。魂に刻まれた記録ってもんが。
だから、生きろ。そして吐き出せ。
ぜんぶ、ぶちまけろ! 
涸れて白く萎縮した脳味噌の中だけにしまっておいてどうする? 
   http://ameblo.jp/badlife/entry-10014887424.html
まだ生きてるじゃん。死んで腐敗したわけじゃねぇじゃん。
人生までも腐らせるな! 
   
と、こういうことは常日頃、俺は妻の母に直接 云っている。
なぜなら、俺の子供のおばあちゃんだし 
俺の三人目の母親でもあるからな。
(実の母親のほかに、もう独りいたんだ。1998年の3月17日までは  
   
   
さて、そういう俺は先日、子供を連れて、TATSUYA という店へ出かけた。
ストーンズの最新シングル (インポート盤)あるかも知れない
と思って行ったわけなんだけど 
いくら最新流行モノを扱っているらしき
佐渡においては唯一、最先端のチェーン店だったとしても 
佐渡にあるわけがない。 (なんか文句あっか! あるなら仕入れて置いとけ!
仕方なく、音楽雑誌のコーナーへ足を運んでいると 
店の中央にある、どうでもいいワゴンセールのコーナーに、ふと目がとまった。
そこに、ジャポニカ学習帳の『絵日記』と『えにっき』の2種類が99円で売っていた。
「おお、安いじゃねぇかよ。でも一冊でいいな
一龍に買ってやった。
以来、本人は毎日、真剣に楽しみに
その『絵日記』に、覚えたての平仮名の文字と
それを表現するための絵を書き込んでいる。
書くネタにしても、いろいろと探しまわり 
本人にしてみると、何でも書けばいいという問題でもないらしい。
「あ~あ、今日はどこへも出かけなかったし 
いいこともなかったから書くことがないなぁ…」
などと云ってたりすると 
「朝おきて、横を見ると、お父さんが寝言を云ってましたって書けばいいじゃん」 父親のアドバイス
「…そんなことは書かないよ。それは馬鹿なことだよ。書けるわけないじゃん!」 
と、かなり不機嫌そうな顔をしている。
やはり、今日を生きた自分の記録というものは大事なことなんだろうな。
   
   
   
   
       bycicle2005