世間様の “ やっつけ仕事 ” について。         「其の蜩」用語解説 | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥
   
   
   
芸能界という特殊な世界に限らず、世の中は、
何かを志した場合、男よりも女のほうが過酷で、厳しい現実が待ち構えている…と思う。
誰がいつ、どこでどのようにカラダを売って生きてきたかは別として、
女優、アイドル、お笑いタレント芸人…に拘らず、
その裏側は、世間からすれば汚い世界かも知れないけど、
自分で選んだ限りは乗り越えなければならないこともある。
事実なのか? 単なる噂なのか? 
直接その現場を見てはいない者が、
最初に志したはずの歌手や役者では喰っていけないために
“突撃レポーター”や芸能情報番組のコメンテイターになったりしている人もいる。
追うほうも追われる方も、同じ枠の中にいるので、
それを茶の間で観る人にとっては、どちらも“価値ある今”なのかも知れない。
俺自身も一時期は、そういうドロドロした世界を踏み台に、
「カマを掘られてもいい」という覚悟で役者を志した。
そして目の前には、
まだ女優としての第一歩も はじまってもいないような演技力抜群の女性が、
そういう世界がどうしても許せず、自分に合わず、
清潔な舞台芝居や、それをウリモノにした真面目な養成所へ流れて行った。
そして彼女達の姿は今も決して、
世間に注目を浴びるテレビ画面の中や映画のワンシーンには登場してない。
どこへ行ったのか?
   
俺の大好きな女優の一人に、竹井みどりさんという何でもできる女優さんがいる。
お姫様でも女郎でも、現代劇の未亡人でも女社長、富豪夫人でも、
汚れ役だろうと何だろうと、何でもこなせる女優の一人だ。
1980年代以降、お笑いバラエティ番組が幅を利かせている時代なので
最近はあまり見かけなくなったけど、
各局製作で放送されていた時代劇ドラマ黄金期や、
それと平行したサスペンス・シリーズには何百本という出演実績がある(と思う)。
そして、常に“今の自分”で体当たり勝負の真剣な仕事ぶりは、
おそらく今も変わらないと思う。
   
芸能ブローカー の紹介で、ある2時間ドラマの通行人の仕事があった。
今から6年くらい前だったか…。
主演は、小林圭樹さんで、ロケ地は横浜の関内だった。
俺は街の通行人兼、キキコミの刑事さんに応対する酒屋の若造。そういう仕出し。
路上パーキングに停められたロケバスの中に、竹井みどりさんがいた。
衣装を着替え、与えられた役用のメイクと髪型をセットし、
そのときは、犯人の妻役だったか、
小林圭樹さん扮する刑事官と街を歩きながら話をするというシーンの撮影だった。
黄昏の芸能ブローカー ”とは日活時代からの顔見知り(以上)で、
ロケの合間には お互いに冗談を飛ばしあうほど面識があるらしく、
芝居のワンシーンを光らせる女性らしさそのもののどこかに、
女優業ん十年のキャリアを持つプロ根性が覗える雰囲気ある人だった。
俺もナマで見るのはそれがはじめてだったこともあり、自分自身が、
芝居で生きることを辞めた奴であっても、芝居の世界には興味があったので、
芸能ブローカー ”とはどういう仕事の関係にあったのかを
あとで色々と尋ねてはみたけど、その内容はここには書けない。
ただひとつ、どんな仕事も“やっつけ仕事”として演ってはこなかった役者の一人。
ということだけは云っておく。
んで、そういうベテランの女優が出演するドラマの主演が、
今はもう ご高齢となった小林圭樹さんだった。
   
最近は昼間の再放送のドラマ以外、あまり見かけなくなってしまったけど、
当時、2時間ドラマでは3本の主演作を持っていた。
番組そのものの中にも孫が登場するほどのお爺さんなので、
最近のゴールデンタイムを陣取る“今風ドラマ”
しか観ていない若者には馴染みがないかも知れないけど、
日本の俳優業界の中では、三國連太郎さんと共に現役の、
昭和日本映像芸術史の生き証人…の一人。
   
確か『日本沈没』という台本【ホン】では映画もテレビも両方で、
田所博士役を演じてたと思う。
間もなく日本は沈没するという、ある陽だまりの春、
あだやかな日本庭園で桜を見ながら、日本きっての財閥者に質問される。
「来年の桜は見れるかね?」
「…見れませんね」
そういうシーンがあった。
また、映画『寅さん』のシリーズでは、
恋のライバル役として登場し、
あの和菓子屋で、ダンゴとお茶とタバコを一度に呑む…という名演もあった。
NHKのドラマでタイトルは忘れたけど、
ある会社役員として生きていた男が、
スキャンダルに巻き込まれ、人生を台無しにしてしまう…という最期のシーンで、
老いぼれて薄汚れた背広のまま公園の鳩に囲まれる浮浪者になってしまう。
かつてその男を利用して経済界のトップにのしあがった女(糸井さんの奥さん)が、
ある日、通りがかりにその姿を見つける…というドラマがあった。
あの演技、役柄は、小林圭樹さんならでは。他の役者にはできない役だった…よな。(誰も覚えてない
   
さて、そういう“やっつけ仕事”ではないプロの姿を
俺も目の前で見たことがあった。(幸運にも
やはり小林圭樹さん主演の2時間ドラマで、“弁護士モノ”がある。
共演には、あの韓国通の女優、黒田福美さん。
とあるスタジオ。裁判所のセットが立て込まれた撮影現場。表は夜で、10時近くになっていた。
スタッフも役者陣も、都内ロケ先も回るスケジュールで朝早くから仕事をしていた一日だった。
俺は裁判所の中で被告人の手錠を管理する刑務官。他に、面会室に立ち会う別シーンもあった。
で、小林圭樹さん扮する敏腕弁護士の助手が黒田さん。
裁判のシーンというのは実に難しい法律用語の台詞も長いので、
中には、(別番組の)市原悦子さんのように台本を丸ごと全部、暗記してしまうような人もいるけど、
たいていは、台本を覗いてみても、
どこからどこまでが何のシーンなのかコンガラガッテしまうこともある。人間だからな。
その弁護士シリーズは、それ以降の番組が製作されたかどうかは知らないけど、
俺が自分の眼で見たその撮影現場では、 
当時の小林圭樹さんは一行の台詞を覚えるのも、かなり大変な様子だった。
奥さんが亡くなられてから一度、体調を崩され、好きな煙草もやめて、
現場には常に妹さんがマネージャーとして付き添っていた。
待ち時間、セットの外側の薄暗いスタジオ内で、パイプ椅子に座り、
同じ台詞を忘れないように神経を集中させ、何度も何度も繰り返す姿。
俺も同じパイプ椅子に座り、その横で待機していた。
「小林さん、よろしくお願いします」
出番が来てスタッフが側に呼びに来るまでは目を瞑ったまま台詞を練習してる。
立ち上がっても、「その身体ではこんな遅くまで働くのも大変でしょう…」
と云いたくなるほどの状態だった。
それでも小林さんは、自分の足でセットの中へ入り、
本番前のテストで何度、自分の台詞を間違えても、
本番は一発で決める意気込み。
俺はあの姿を見て涙をこらえたよ。
「この人はおそらく、死ぬまで役者でありつづけるんだろうな」と思った。
やはり、黒澤映画の出身者はちがう! 
現場の影で愚痴をこぼすようなスタッフも一人もいなかった。あの日は。
その場にいる人たちにとっては、もう視聴率なんてどうでもいいんだ。
帰りの電車があろうとなかろうと 
誰もが、「この人と一緒に仕事がしたい」
そういう一夜だった。
   
もう一度、元気な姿で、あの迫力ある田所博士の姿も観たいけど、
最近の俺はあまりテレビも観ないので、(佐渡は地上波が4チャンネルしかないし
ときどき5~6年前の東京に住んでた時期に観た色々な撮影現場を想い出しては、
“やっつけ仕事”ではない人達がいたことに安心している。(アホだな
   
   
佐渡へ移り住んでまもなく、子供に買ってあげた木製の汽車の乗り物定価¥12,800/銀座博品館)で、
俺の子供はガンガンと襖や壁に体当たりしていた。
本人は真剣に遊んでいたので、戸が外れようが、壁や柱に傷が付こうが構うこたぁない。
うちの奥さんは穴の開いたフスマを見て、
「お爺ちゃんが建てた大事な家をどうしてそんなことするの!」
などと叱りつけてもいたけど、俺は、
「そんなことで子供に怒るな! 形ある物はいつか壊れるんだ。
もし怪我をしても自分がわりぃんだし、そのくらい建具ヤ呼んで直せばいいだろ!」
てなわけで、翌日、お爺さんが、知り合いの建具屋を呼んだ。
するってぇと、その建具屋は、8枚の襖を貼り替えるのに、
間に合わせなのかサービスなのか、バラバラのデザイン紙をあてがって直しやがった。
要するに、客の注文に応える以前に、“やっつけ仕事”なわけだ。
仕事から帰ってきた俺は、それを見たとたんに激怒。
「そんな奴にカネは一銭も払うな!
カネもらったら素人じゃねぇんだ。 なんだ、そのヤッツケ仕事は!?」
ちゅうことで、妻はその一言を聞いて笑っていた。
    
「ヤッツケシゴト? なぁに? それは?」
    

どうやら、東京の大手一流広告代理店で
顧客の注文以上の仕事をこなしてきたコピーライターの妻は、
“やっつけ仕事”の意味どころか、その言葉そのものさえも耳にしたことがなかったらしい。
   
   やっつけ仕事 : ①まにあわせにする、お粗末な仕事。
              ②手をぬいてする、いいかげんな仕事。

   
国語の辞書には載っている。金田一先生も知ってるらしい。
けど、日常の中では、肉体労働者や職人がよく口にするくらいなもんで、
一般の人の生活にはあまり馴染みがないのかも知れない。
そういう意味では、撮影現場でも、学校出の若いスタッフは使わないかも知れないし、
“やっつけ仕事”というのは、単にその仕事の有様だけではなく、
「今日のうちに これだけやっときゃぁ、今日使ったメシ代くらいにはなるだろう…」 あるいは、
「時間から時間まで居りゃぁカネになる。テキトーに言われたことだけやってりゃぁいい…」 
という感覚の、“その日暮らし”の仕事ぶりの姿勢を意味する。  ( 別名 : 其の蜩
無責任といえば無責任だけど、職種を問わず、今の世の中には、
そういう仕事の仕方しかできない人も大勢いる。
そして最近、遠藤憲一さんのサイト 、「えんくら」に入会してから読んだエッセイの中に、
その「やっつけ仕事」という言葉があった。
   
ご自身が書いた内容から察するところ、遠藤さんという俳優も、
その長いようで短き、価値ある下積み時代の中で、様々な仕事を経験してきているらしい。
だから自然に そういう言葉を使って、どんな仕事も絶対に手抜きは許されないという、
ご自身の“役者バカ”な人生を飾ることなく書き綴っている。 (こんな云い方してすみません
要は、カネを貰う貰わない以前に、どこまで自分が楽しんで仕事をできるか…。
あるいは、常に感謝をもって、生かされている自分を大切にできるか。
どんな仕事もそういう真剣さが大事だ。
目先鼻先の利益ばかりを気にしたり、 「仕事だから仕方ない」という考え方は、
人間としての成長を止めてしまう。俺はそう思う。
そして、遠藤憲一さんも決して、“やっつけ仕事”はできない性分の人だ。
また、伊丹哲也さんという歌手も、“やっつけ仕事”はしてない。
哲也さんの場合は、もしかすると、
そういう人と付き合うことも嫌…だったのかも知れない。 …大工さんとかにはそういう人が多い

昨日、6月27日。哲也さんのサイト の“おれのたわ言”コーナーを読んで、そんなことを思った。
   
   
かつて、佐渡へ訪れたハリウッド・スターの一人に、ロバート・デ・ニーロ という超大物俳優がいる。
俺は役者を志していた時代に、メソードに被れ、デ・ニーロの出演作品をぜんぶ観た。
映画『レイジング・ブル』は何十回も観た。
デ・ニーロさんそのものは、たしかぁ基本的には、NYアクターズ・スタジオの出身ではないので
メソードなんてものは習ってもいない。習ってもいないのに、メソードをマスター(超越)しているし、
その役者根性はバケモノに近い。
誰が他に、あんな、ジェイク・ラモッタ などというボクサーを演じられるのか? 
演じる以上に「ボクサーとしても喰っていけるよ」と、
演出のサポートにあたったその道の人にも見込まれるほど、
過酷な減量にも過酷なスパーリングにも何の抵抗もないほど徹底して、役づくりを固める。
しかも実在人物のジェイク・ラモッタ本人とも面識があり、感謝されるほどの友好関係にあったという。
そうかと思えば、映画『ニューヨーク・ニューヨーク』では、
「どうした? このサキソフォンの使いこなしは?」 というほど。
ありゃぁ もう、お化けだ。
ライザ・ミネリのデカイ目も、あの時ばかりは2倍もでかくなってたかも知れない。驚きのあまり。
んで、
そういう怪優、ロバート・デ・ニーロをマネたわけではないんだろうけど、
映画『エンゼル・ハート』でデ・ニーロと共演した、
ミッキー・ローク という映画俳優は、『ホーム・ボーイ』という映画だったか、
実際にボクサーを演じて、その後、役者稼業と平行して本物のボクサーをやってたりもしていた。
なにを血迷ったか、役者は顔が命なのに、あの優美なマスクの鼻をへし折られても、
殴ることを商売とするボクサーとしてリングに立った経験がある。
して、そのミッキー・ロークの邸宅へ、ある日、ガッツ石松さんが訪ねて行ったコーナーが、
日本のクソなバラエティ番組の中にあった。
ご存知の通り、ガッツ石松さんも、元・世界チャンピオンのボクサーで、
今は俳優業を営んでいる。 
   
覚えている人がいるかどうか、俺がこのサイトに何か書いている中でも、ときどき、
映画『ブラック・レイン』の話がある。
別の日本映画で共演した志村けんさんも、
「あの人にはホント、手抜きってもんがないね」
というほどの名優 高倉健も、決して、 「よっ、健サン!」ではなく、
真面目な刑事役として、カーク・ダグラスの七光り俳優マイケル・Dと共演している。
で、単なる“くそマジメな刑事”ではなく、
なんと、健サンは、レイ・チャールズの“What'dI Say ”をブルース・ブラザーズ顔負けで熱唱してしまう。
新橋のガード下のオヤジ が歌うカラオケとはわけがちがうぞ! バックバンドつきだ。
それを観たアクターズ俳優、三代目ゴッド・ファーザーのアンディ・ガルシアの驚きの顔も必見!
あの映画の隅から角まで観たデ・ニーロさんは、亡くなる寸前の松田優作さんに 
共演依頼のオファーをかけていたほどだった。
やはり、“やっつけ仕事”ができない人たちは、夢と希望に満ちあふれている…。
   
こんなところで映画の解説はともかく、
封切られた当初、映画館で観て、それ以降は俺も、編集されたテレビで何度かしか観てないけど、
あの映画の中に、“俳優、ガッツ石松”の姿がある。
登場シーンこそ少なく、物語の筋にはあまり関係しない役柄だったけど、
刺青バリバリ、筋肉モリモリの、サラシを巻いた日本ヤクザの格好。それは、
おそらく、海外の人たちが、「あれが日本のヤクザだ」ということをハッキリと認識できるほど、
存在感のある演技をしていた。(と思う
ガッツ石松さんは、ご本人曰く、ボクサーを辞めてから、
「誰にどんなにバカにされてもオレは絶対に自分には負けない」
という気持ちで、どんな仕事も選ばずに引き受け、世界チャンピオンのプライドは隠しつつ、
涙を堪えて世間の笑い者にされることを受け入れてきたと云う。
お名前の通り、ガッツがあって、伊達にタイトルマッチを手にした人ではない。
幼少の頃は貧乏のどん底の家庭に育ち、通っていた学校では番長でありながら常に、
他校の不良グループにも目をつけられていたような、元祖ビーバップ・ハイスクールのような人で、
自分の腕力。腕一本で家族を喰わせてきた男の実績も持っている。
しかも、ボクサー崩れの喧嘩好きなタレントではなく、
ハリウッド映画『ブラック・レイン』に出演した映画俳優。  誰にもできることではない。
   
そんな映画俳優であり、元・世界チャンピオンのボクサーが、
日本のチンケな番組のテレビカメラと一緒に訪ねてきて、
ミッキー・ロークはとても喜び、笑顔でガッツ石松さんを招き入れ、
テラスでお茶をご馳走しながら、気さくに番組づくりに対応していた。
ところが最期に・・・・日本のテレビ番組というモノは、
どうして、あんなモノを映して茶の間に流してしまったのか? 
   
90年代はじめ、映画『ハーレー・ダビッドソン&マルボロマン』 や 『ラスト・アウトロー』 などで
注目を浴びた以降の90年代後半は、あまり仕事がなかった時期だったらしく、
その時に泣いて鼻水を垂らしながら、チャンプ・ガッツ石松の手を握り、
「仕事がない。辛い。」
そう云っていたミッキー・ロークの姿があった。
一瞬、言葉を失っていたガッツさんは、ミッキー・ロークの肩を叩いて励ましていたけど、
あの男泣きの意味を本当に判る者が、
果たして、この日本の社会に何人いたのか? 
番組進行係の徳光さんは、そのVTRを観て、いつもの如く、
「あぁ、やっぱり辛いんだねぇ」などと言っていたが、
俺は、あのシーンだけは編集でカットすべき部分だと思った。
おそらく、実際にその場にいた男、ガッツ石松さんにしか判らないことだし、
“やっつけ仕事”が蔓延るテレビ業界では、“やっつけ仕事”をできない人の気持ちは解らない。
   
“やっつけ仕事”というものは、人間の魂を堕落させる姿勢、
人間として真面目な生き方でしかない。(と思うよ
   
という俺は、実に厭味なヤツなんだけど、
7月から再び、蔵元で働かせてもらえることになりそうな、この2006年6月下旬。
この時期は、まだ稲刈りも終わってないので、酒づくりではなく、 (本番は10月から
そういう一年中、同じ均一の味で
機械的に作られたような酒をつくっている蔵元ではない場所で、 (これもイヤミだ
主に製品づくりをする予定。
瓶に詰められた一本一本の酒にラベルを貼り、決められたカートンへ収め、出荷する。
6年も連続で金賞を受賞していると、
「忙しい」という言葉もあてはまらないほどの戦争状態になってるらしいけど、
俺の勤めさせてもらっている蔵元には、紙パックの酒はない。一本も造ってない。
すべてがすべて“手造り”を大事にして、春夏秋冬の自然の流れ、
稲作の時期にあわせた酒づくりでしかない。 
   
まぁ、それはそれで、そういう紙パックの酒を旨いと思って呑んでいる人も世の中には大勢いるので、
「旦那が呑む酒は千円以下、料理に使う酒は一升瓶。」 パンチ!
というような買い物をして、なんでも既製品で間に合わせる主婦の方…もいるかも知れないけど、
精力減退気味の旦那も旦那で、
一日の“やっつけ仕事”を追えて、
酒で自分の人生をごまかすかのように、テレビを見ながら酔っ払うのは、
やはり、カッコイイ人生ではない。
   
   
そういう意味で、“やっつけ仕事”はできないし、しない。
そして、いつどこで買っても同じ味の酒は飲めない。俺はな。     …当たりめぇだろ。
   
   
   
   ということで、今日の一曲。
   
   
   伊丹哲也さんのサイト から、 
http://home.p02.itscom.net/fighting/
   
    
     時代爺  (じだいや) ~ 明治時代の最後に生まれた爺さんの唄 ~
   
   
   ちなみに、伊丹哲也というアーティストは一流演歌歌手ではありません。(ご参考まで 
   
   
   
   
   
   
   
   
           じゃぁね。