↑のつづき。
さて、阿波徳島の古代に触れた翌々日、
またしても徳島駅に降り立つことが出来たことに喜びを隠せません。
仕事の都合上、午前中しか空き時間が取れなかったので、徳島駅周辺の神社を参拝することにした。
まずは、徳島駅から徒歩5分。

街中にひっそりと佇む『事代主神社』にやってきた。


手水舎。

拝殿。
『事代主神社』
鎮座地 徳島県徳島市通町
創建
祭神 事代主命 大國主命
通称 おいべっさん えべっさん
元々は名東郡下八万村(現在の八万町夷山)蛭子山の圓福寺に鎮座しており、蛭子神社という名であった。

この神紋を確認したかった。
徳島に鎮座する事代主神社の神紋は、
三つ柏の紋。
それはそうだろう。
こちらの記事でも書いたとおり、
事代主は、カシワ姫の配偶神だとされている。
だから、『柏』なのだ。
さらに、カシワ姫は『阿波咩命』という別名も併せ持つ。
奈良県奈良市本子守町に鎮座する
『率川神社』の摂社『率川阿波神社』。
祭神は事代主であり、奈良最古のヱビス社と言われているが、創祀は西暦770~780年頃とされている。
徳島県阿波市に鎮座する『事代主神社』や、
徳島県勝浦郡勝浦町のヱビスの生誕地とされる
『生夷神社』の創建は不詳。
「生夷」は「ヱビスが生まれた地」を意味し、
この地の旧町村名は「生比奈(いくひな)村」。
また、『八重事代主』の「八重」も地名が由来とする説があり、
勝浦川上流の高丸山の山下には、
『八重地(やえじ)』という集落があるのだ。
※「勝浦」の地名は全国にあるが、「勝浦」のいう姓のルーツは徳島県勝浦郡だとされている。
書籍『邪馬壹(やまと)国は阿波から始まる』から一部引用させて頂きます。
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社伝『大神神社史』に、「事代主が阿波にいます時には、布都主神共々祀られていたが、奈良に春日大社が創建され、布都主神はそこに勧請される事になった。その折り、えびすさんも一緒に鳴門の海を渡り、この地まで動向してこられたが、布都主神が春日におさまり、事代主神は、率川阿波神社に祀られた」と記録されている。
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さらに、
島根県松江市には、事代主神(えびす様)の総本宮と称されている『美保神社』が鎮座している。
祭神
右殿 事代主神
左殿 三穂津姫命
しかし、『出雲国風土記』には御穂須須美命の一柱のみ記載されており、事代主は祀られていなかったようだ。
また、御穂須須美命と三穂津姫命は、神名の響きは似ているが、本来は別の神だとする説もある。
どうやら、記紀などの影響により色々と変えられてしまっているらしい。
そして、事代主と言えば、国譲り神話である。
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葦原中国平定において、
タケミカヅチらが大国主神に対し国譲りを迫る。
大国主は、美保ヶ崎で漁をしている息子の事代主神が答えると言った。
そこでタケミカヅチは、美保ヶ崎に行き、
事代主に国譲りを迫ると、
事代主神は「承知した」と答え、
船を踏み傾け、天ノ逆手を打って青柴垣に変えて、その中に隠れてしまった。
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この「青柴垣」だが、ワタシは『阿波の青石』を連想してしまった。
また、「美保ヶ崎」は、徳島市のシンボル
『眉山(びざん)』の麓にあったという説があるのだ。
この事代主神社からも程近い眉山。
昔は山の麓までは海であり、岬だった。
眉山の麓の瑞巌寺に、『美保崎神』という神が祀られていたのだそうな。

さて、次の神社に向かう前に、初代天皇のお話を。
事代主と言えば、その御子神の
『姫蹈鞴五十鈴姫命』であろう。
ご存知、初代天皇
『神武天皇(神倭伊波礼毘古命)』の皇后である。
そんな神武天皇は白檮原宮で即位したとされ、
即位の地に比定される奈良県橿原市には
『橿原神宮』が鎮座しているが、
その創建は明治時代のことである。
初代天皇ほど重要な神様のお宮が、
明治時代に初めて創建されたという違和感は、首をかしげて然るべきである。
そこで、衝撃の情報を。
勝手に敬愛する、awa-otokoさんのブログや、
すえドンさんのフォト日記↓
などを参考にさせて頂きますと、
徳島県阿波市土成町土成山ノ本に
『樫原(かしはら)神社』という神社が鎮座している。
祭神は『神倭伊波礼比古命』。
創建は不詳。
少なくとも、明治時代より昔から存在していたことは間違いない。
しかし、実は神倭伊波礼比古命が祭神と言われ出したのは、近世のことだとも云われているのだそうな。
そして、この神社は元々は山の上に鎮座しており、
式内社事代主神社だったとする説もある。
元々山の上にあった樫原神社、
実は…
奈良県に橿原神宮が建立された後、
この峯で謎の大爆発音とともに山崩れが起り、
この神社は、谷の中に埋もれてしまった。
村民が掘り出し再建されたのだが…
山崩れの起こるような地形とは言えないのだそうな…
善入寺島のことと言い…
どうなっているのだ💧
神武天皇と関係の深い神社はまだある。
『伊比良咩神社』
鎮座地 徳島県板野郡藍住町徳命前須西
創建 不詳
祭神
阿比良比咩命
大己貴命
素盞鳴命
全国唯一社であり、
阿比良比咩命は神武天皇の妃。
阿比良比咩命を祀る神社は全国でも少ない。
また、徳島市渋野町佐野に鎮座する
『佐野神社』。
「佐野(さの)」は神武天皇の幼名である
『狭野尊(さののみこと)』の「さの」なのだ。
さてさて、事代主と神武天皇には深い繋がりがあることを心得た上で、重要なキーワードがある。
それは『ワニ』である。
『ワニ』と言えば、因幡の白兎の話が有名だ。
和邇(ワニ)を騙したことで怒らせてしまったウサギが、毛皮を剥ぎとられ、オオナムチに救われる話。
この「和邇」は、「鰐」あるいは「鮫」のことだとする説があり、一方で「和邇族」つまり人間のことだとも云われている。
※ちなみに出雲風土記にはこの話はない。
徳島県の板野郡上板町神宅には
葦稲葉神社という神社があります。
阿南市の蒲生田岬も多いに関連している模様。
オオナムチは、皮を剥がされた白兎に
蒲の穂を塗るようアドバイスをした。
蒲生田の神社には、波の上を跳ぶ兎の彫刻がある。
神武天皇の祖母(叔母)である『豊玉姫』は、出産時に『八尋の大和邇(オオワニ)』となった。
豊玉姫は海神の娘。
『ワニ』とは海神族のことを表しているのだ。
『和邇』は大型の木造船のことだとする説もある。
そして、事代主は『八尋熊鰐』となって
三島溝樴姫(活玉依姫)の元に通った。
その時に生まれた子が、神武天皇の皇后である
姫蹈鞴五十鈴姫命なのだ。
三島溝樴姫は八咫烏の娘であり、海神族。
婿入りした事代主は
「ワニになった(海神族になった)」とも
解釈出来るのではなかろうか。
そういえば、同じく四国の香川県にも豊玉姫や玉依姫の伝承があった。
ひょっとしたら、『ワニ』に当てるべき漢字は
『倭丹』だったのでは(なんてね)。
さてさて、最後に『ワニ』について書きましたが、
次に参拝した神社にも大いに関係があります。
そこは、眉山の麓。
金刀比羅神社。
金比羅とは『クンビーラ』。
ガンジス川に住む『鰐』を神格化した神である。
つづく。
ではまた❗
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