人生の迷いをクリアにし、
あなた本来のミッションを覚醒させる
ゲートキーパーの鼎ナオ(かなえなお)です。

過去の出来事と心の変化を
「自分探しの歩み」として表現しています。

 

だいたい毎日22時前後に更新しています!

 

前回の話の続きです。

 
左手の麻痺の後遺症は今でも残っていますが、
当時、日常では、問題なく動かせる範囲まで治癒しました。
 
そして、その会社さんにはあまりにも、迷惑をかけてきたので、
なんとなく居づらくなって、素敵なWEB会社を辞めました。
 
そして、
元々映像編集や写真撮影は好きだったのと、
WEBはずっとやっていたので、
少しの期間、フリーで、
写真撮影や、PV編集等をしたり、
WEB構築の仕事をありがたく、
知人や紹介の方から
頂くようになりました。
 
その頃は、
早起きして毎朝10kmジョギングを続け、
とにかくストイックに、近所の図書館で貪るように
心理学や自己啓発の本を読みました。
 
それと同時に、
20歳代後半に突入し、
焦っていた私は、
心配する親を安心させようと
「Yahoo!縁結び」という、
(現在の「Yahoo!パートナー」)
婚活マッチングサービスを始めました。
 
ちゃんと美容室で髪をセットして、
気合を入れてサイト用に写真を撮りました。
 
 
そして、いわゆる婚活パーティーにも3回出ましたが、
なかなかマッチングすることがなく、
しかも2分しかお話をしないのに、
全然相手のことが分からないという経験をしたので、
個別にメッセージする方を選びました。
 
そして、3-4人と食事をしましたが、
さーっぱり相手のことがわからず、
それでも1人、なんとなく趣味が合い、
1年違いで誕生日が一緒だった人と、
もう一度会えることになりました。
 
人間味が全くわからず、ただただスマート。
恋愛感情はわかなかったのですが、
大手企業の研究開発をされてらっしゃる方でした。
 
そういうスペック系にはあまり興味のない私でしたが、
お見合いってそういうものなのかなと思い、
2回お会いすることができました。
 
ただ、お付き合いとなると、
先方も
 
「わるくないし楽しい・・・けど、
 結婚までピンとこない」
 
・・・というところだったので、
そのままお付き合いすることなく、離れました。
 
しかし、その方の趣味で、
誘ってくれたビリヤードが面白くて、
これにはハマり、平日でもほぼ毎日、
ひとりでビリヤードの練習をしに行くようになりました。
(変わり者・・・^ ^;)
 
 
ビリヤード場にオーナーの
プロのおじいちゃんがいて、
たまにやり方を教えてくださって、
ちょっとできるようになって嬉しかったです。
 
心理学系や、自己啓発系の本を
自分事で真剣に読んで、
いろいろ試すなかで、なんとなく、
他人に依存するのはちがうな、
ひとりでもいいか、と思えるようになってきました。
 
婚活は自分に向いてないし、
短い時間で相手のことは分からない・・・。
 
「もう恋愛は諦めよう、
  一生一人でもいいか。」
 
・・・と、この時、
恋愛に対する執着を手放しました。

そして・・・

 

人生の迷いをクリアにし、
あなた本来のミッションを覚醒させる
ゲートキーパーの鼎ナオ(かなえなお)です。

過去の出来事と心の変化を
「自分探しの歩み」として表現しています。

 

だいたい毎日22時前後に更新しています!

 

前回の話の続きです。

 
大声や、金属音にはビビりながらも、

人込みは少しマシになり、

なんとか、WEBのPMのお仕事に復活しました。

 
そして、ある日の朝、
それは突然やってきました。
 
急に左手がマヒして上がらなくなりました。
 
いつも通りに左手でモノを取ろうとしても、
全然上がらず、痺れたまま、
だらーんと下に下がったままなのです。
 
痛みがあるわけではなく、
とにかく痺れていたので、
最初は1時間もしないうちに治るだろうと思っていたものの、
全く力が入らないままでした。
 
 
何度も脳から指令を送るのですが、
全く動かない。

これはヤバい、
脳の異常かもしれない、
またしても午前休をとり、
こわごわと総合病院に行きました。
 
そして、確かにその可能性はあると言われ、
検査したものの、異常は見られず、原因不明。
 
それでも今は写っていないだけで、
後で何か症状が出るかもしれないので、
症状が出たらすぐ来るようにと言われました。
 
釈然としないまま会社に行きました。
 
しかし、普段の生活で、諸々不便が出ました。
 
片手が不自由になるってこんなに不便なのかと
たった1日で思い知らされました。
 
手が洗えない、
顔も洗えない、
ファスナーであってもボタンであっても、
服が着れない、
髪を纏めることができない、
包丁で野菜を切れない、
財布からお金を払いにくい、
ノートPCを持ってミーティングに移動するにも
誰かにドアを開けて貰わないと移動できない・・・。
 
普段無意識で動作している何気ないことが
殆どできないのです。
 
これはマズいと思いました。
 
電車に乗りながら、
 
「この中にも、今の私と同じように、
 見た目は普通に健康なのに、
 体のどこかが不自由な人って絶対いるんだろうな・・・」
 
「普段、
  普通に過ごせてたことがとてもありがたい・・・」
 
「私の体はもう元には戻らないんだろうか・・・」
 
・・・なんて考えてたら、涙があふれてきて、
袖でさりげなく涙を拭いたりしました。
 
現実的に麻痺して動かないのに、
ひょっとしてまたメンタル的な病気?
私はこれからおかしくなってしまうのか?
それはそれでいやでした。
 
せめて麻痺の原因を知らないと
いきなり倒れたりしたら、怖すぎる・・・。
 
・・・とは言え、復活したばかりなのに、
連日休むのも気が引けるので、
1日あけて、何科に行けはいいのかわからず、
検索してみて、今度は整形病院に行ってみました。
 
すると、最初はやはり脳も疑われたものの、
総合病院で詳しい検査をした旨を告げると、
確かにそれだと一旦は大丈夫そうだということで、
検査をしたところ、
最終的に
橈骨神経麻痺
(とうこつしんけいまひ)
・・・であると診断されました。
 
原因は不明なものの、
腕の橈骨神経に傷がいってしまい、
腕から手がマヒするというものでした。
 
脳的なものでなく、
メンタル的なものでもなかったのでほっとした半面、
この麻痺とは一生付き合うのか?という
次の不安がよぎりました。
 
「治るんですか?」
 
「後遺症が残る可能性はありますが、
  ある程度まで治ります。
 ただ、できる限り今日この後からでも毎日、
 低周波治療を受けてもらって、
 半年ぐらいかかります。」
 
正直、ホッとしました。
 
低周波治療なんかで治るのかなとその時思いましたが、
本当に不自由で仕方なかったので、
診断書をもらい、毎日通うことにしました。
 
先日までの長期療養で、
その1か月後ぐらいだったので、
なんか嘘をついてるみたいでいやでしたが、
また会社には迷惑をかけるものの、
午前中少し遅れる日がある旨を伝え、
毎日通うことにしました。
 
今思えば、
潜在意識がもっと身体と心を休めたかったから
そういった麻痺を起こしたのかなと思います。
 
家庭用のものとは明らかに違い、強力で、
数日続けてみると、低周波治療をしている間は
少なくとも痺れがかなり消える体験があり、
少しだけ指先も動くような感覚が戻り、驚きました。
 
たしかに、
机の上に右手を使わずに左手を乗せられるぐらい、
最低限動かせるまでに
治るのに半年ぐらいかかりました。
 
そして、いい会社だったのですが、
あまりにも、迷惑をかけてきたので、
なんとなく会社には居づらくなって、
会社を辞めました。
 
今ではちゃんと日常生活には問題ないものの、
左手にはマヒが残っています。
 
そして・・・

 

人生の迷いをクリアにし、
あなた本来のミッションを覚醒させる
ゲートキーパーの鼎ナオ(かなえなお)です。

過去の出来事と心の変化を
「自分探しの歩み」として表現しています。

 

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前回の話の続きです。

 
この先生の言う通りにしていたら、
よくなるのではないかと思い、
会社には迷惑をかけるのですが、
籍は残したまま、家も残したまま、
勇気を出して、
2ヶ月ほど、実家に帰ることを決意し、
カッコ悪いのに、母に電話をかけ、
実家に帰ることにしました。
 
そして、実家では、
特に母は、
ばつの悪そうな私を、
優しく受け入れてくれました。
 
当時、父は、私の少し前の考えと一緒で、
うつは、心の持ちようだ・・・という考えでした。
ただ、それでも、不器用なりに
受け入れてくれました。
 
祖母が、あまりにも表情が
変わってしまった私をみて、
 
「顔が変わってしもうた、
いなげな顔になった・・・。
かわいそうに・・・。」
 
・・・とても心配してくれました。
 
(この頃の写真が残ってないです。)
 
また、犬たちが全力で
優しく迎え入れてくれました。
 
↑当時いたムサシ君
 
仕事をせずに、犬と散歩をしたり、
田舎で過ごしたり、
厳島神社に連れていってもらったり・・・。
 
心理学や催眠等の上辺のテクニックでなく、
本質での愛の学びが大きく、
今現在に多大な影響を受けました。
 

心理学の小手先のテクニックだけでは、

人生はどうにもならないと課題と壁を感じ、

無理をして、テクニックを駆使しても、

本心とテクニックに矛盾が生じ、

自尊心がついていかず、

全てがぐちゃぐちゃになったんだと

後になってわかりました。

 

それでも、なんとか少しでも状態をよくしたくて、

様々な心理系、自己啓発系の本を読みまくったり、

DVDをみまくりました。

 

ますますあたまでっかちになりつつ、

不完全ながらも、

なんとか、東京に戻ることにしました。

 

東京に戻る日に、

母から車の中で封筒を渡されました。

 

「少なくてごめんよ。」

 

「えー、そんな、

 ずっと世話になってたから・・・いいよ・・・」

 

私は返そうとしました。

 

母と父が

「ええから!!」

 

入っていたのは7万円でした。

泣きそうでした・・・。

 

父母が必死に働いて

お金がないなかで捻出してくれた7万円。

 

大人になって、何をしてるんだ、私は・・・。

そう思い、必死で涙を堪えました。

 

そして、東京に戻り、

もうしばらく、クリニックに通うと同時に、

完全に元の状態に戻るよう、

様々な方法を必死で試しました。

 

なかでも、東京に戻ってからは、

心理学・催眠・セラピーに関して、

重点的に、他人事でなく、自分事として、

改めて必死で真剣に学びました。

 

そして、セロトニンを増やす為、

近所にあった砧公園まで毎日7-10kmは

早朝ジョギングをするようになりました。

 


そして、まだ大声や、金属音にはビビりながらも、

人込みは少しマシになり、

なんとか、WEBのPMのお仕事に復活しました。

 
そして・・・

 

人生の迷いをクリアにし、
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過去の出来事と心の変化を
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前回の話の続きです。

 
「それは薬が合ってない可能性があるから
 クリニックを変えてみては?・・・」
 
・・・と、最後に、とてもありがたいアドバイスを頂きました。
 
そして、さっそく、
帰ってから、ネット検索し、
比較的家から近いクリニックで、
評判のいいクリニックを見つけ、早速予約を入れました。
 
行くまでは少し緊張していましたが、
待合室はとてもよい香りのラベンダーアロマが焚かれ、
すごく心地よくリラックスできました。
 
すると、評判通り、とても良い先生で、
初回に行っていたクリニックと違い、
しっかりと話をきいてくださりました。
 
 
そして、
たまたま私がその日最後の患者で、
翌日定休日だったこともあり、
先生が、私の病状や、
行動について、丁寧に、丁寧に、
押し付けではないアドバイスを、
1時間半ぐらいかけて、
しっかりとお話をしてくれました。
 
めちゃくちゃ感動しました。
 
迷惑をかけてはいけない、
・・・そう思って、
何度か早く席を立とうとしたのですが、
それを制し、
彼氏とは別れたくないだろうけど、勇気を出して別れましょう。
それでもあなたには
価値があることには変わりない・・・等と、
愛ある言葉をたくさんかけてくださりました。
 
また、お薬に関しても、
これにしたら2週間ぐらいで、
遅くとも1か月ぐらいで、
楽になっていくことが多いし、
依存度もそんなにないはずだから、
すぐ薬もやめれるはず・・・と、
希望も持たせてくださり、
本当に嬉しかったです。
 
実際に、その先生が処方してくださった薬で、
驚くほど状態が良くなり、
本当に聴いていたように、
2週間で、ほぼ普通の状態になりました。
 
そして、その先生から提案がありました。
 
「状態がよくなってきてるけど、
  ここで頑張ると、
  また元に戻る可能性もあるから、
  頼りにくい部分もあるだろうけど、
  実家でゆっくり過ごしてみて。」
 
好き勝手していたので、
なかなか実家に帰る勇気がありませんでした。
 
それに、また振られた自分を親に晒すのは
本当に情けないし、恥ずかしかったです。
 
でも、この先生の言う通りにしていたら、
よくなるのではないかと思い、
会社には迷惑をかけるのですが、
籍は残したまま、家も残したまま、
勇気を出して、
2ヶ月ほど、実家に帰ることを決意し、
カッコ悪いのに、母に電話をかけました。
 
この先生に会えたから、今の私があります。
私の人生を救ってくださりました。
 
自信を失っている人を、できるだけ救いたい、
過去の自分を救いたい、
そう思うきっかけとなった、大きな出来事でした。
 
そして・・・

 

人生の迷いをクリアにし、
あなた本来のミッションを覚醒させる
ゲートキーパーの鼎ナオ(かなえなお)です。

過去の出来事と心の変化を
「自分探しの歩み」として表現しています。

 

前回の話の続きです。

 
そしてある日、会議室に呼ばれ、
会社から宣告されたのです・・・
 
会議室には、
当時の上司と同僚と、
人事の人達がいました。
 
「中途半端に会社に出るのではなく、
 数日間しっかり休みましょう。
 神様からもらったプレゼントだと思って・・・」

「治ったらまた働けるように、
  籍は残しておくから・・・」
 
・・・とても、優しく言い渡されました。
 
情けなくて、涙が出ました。
 
大人なのに・・・、人前なのに・・・、泣きました。
 
そして、正直、
「終わった・・・」
・・・とも、思いました。
 
このまま、
私は社会人から離脱して、
一生働かないまま、
厄介者として生き、
誰からも相手にされず、
一人で朽ちていくんだろう・・・
本気でそう思いました。
 
 
今思えば、
会社の方々に迷惑ばかりかけて、
本当によくして頂いたなと思うのですが、
当時はまるで世界が終わったかのようでした・・・
 
 
人から言われた
私へのマイナスの言葉を
たくさん思い出し、
「そうだな、そうだな」・・・と思い、
走馬灯のように、
ぐるぐる頭の中を回りました。
 
 
あんなに心理学を学んだのに、
いざとなると全く役にたたない・・・
絶望でしかありませんでした。
 
(当時は表面の小手先テクニックしか
 分かっていませんので当然なのですが^^;)

また、過去うつになったことがある、
担当の方に状況を正直に話すと、
 
「それは薬が合ってない可能性があるから
 クリニックを変えてみては?・・・」
 
・・・と、最後に、
とてもありがたいアドバイスを頂きました。
 
そして、さっそく、
帰ってから、ネット検索し、
比較的家から近いクリニックで、
評判のいいクリニックを見つけ、早速予約を入れました。
 
すると・・・

 

人生の迷いをクリアにし、
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過去の出来事と心の変化を
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前回の話の続きです。

 
倒れた原因は、
心臓病ではなく、
単に落ち込んでいただけでもなく、
認めたくはないものの、
「うつ」「パニック障害」だったのです・・・。
 
それで、
処方された薬を飲みました・・・。
 
全く悲しい状態も治らず、
微熱も収まらず、
益々身体は重く、
だるくなるばかりでした・・・。
 
すると、小人のような存在から、
こんな声が聴こえはじめたのです・・・。
 
「フフフフ・・・あの人何もできないねw」
 
「またふられたねw」
 
「最低の女だねw」
 
「面白いねw」

後にも先にも、この時だけだったのですが、
初めての幻聴でした。
 
よくドラマであるようなアレです。
両手で耳を塞いで、ベッドで息をひそめました。
 
 
薬を飲むことで、
益々状態は悪化していったのです。
 
数日間、寝れない状態が続き、
部屋も散らかり放題、何もする気が起きず、
ただただ廃人モードになり、
DVDを借りて観る毎日。
 
ご飯も自炊する気が起きず、
ろくなものも食べず、
益々酷くなっていきました。
 
何もできなさすぎる自分に対し、
罪悪感も酷かったです。
 
そんな中でも、生活が大事だったので、
なんとか、平然を装って、会社に行きましたが、
人混みと金属音、狭いところがダメになっていて、
まさに自宅から渋谷迄はそれらだらけだったので、
会社をちらほら休むようになりました。
 
そしてある日、会議室に呼ばれ、
会社から宣告されたのです・・・

 

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前回の話の続きです。

 
思考停止し、精神的にも、
身体的にもボロボロになりながら、
もう少し余裕をもって過ごせるところがないかと、
次の会社を探し始めました。
 
そして、人生最大の、
究極のストレスを抱える
出来事が立て続けにあり、
彼とは別居することになりました。
 
ひとまず、完全に別れというわけではなく、
私の家は、前住んでいたところから1.5kmほど離れたところ。
彼の家は、私の家から2kmほど離れたところへ・・・。
 
悲しくて悲しくて、
胸が張り裂けそうで、辛かったです。

今考えると、家に帰るのが怖かった自分にも
大きく原因がありましたが、
当時はよくわかっていませんでした。
 
全く愛されてないと思っていました・・・。
 
幸せになれると思っていたのに・・・。
 
もう私には幸せはやってこないんだ・・・。
 
ある日、心拍数があがり、
冷や汗、震えが出てきて、
駅で倒れました。
 
 
気を失った時間が短かったので、
救急車を呼ぼうとされましたが、
大丈夫だと言って、
ひとまず会社に行きました。
 
てっきり心臓の病気だと思い、
翌日、こわごわと病院に行くと、
心臓には何の病気もありませんでした。
 
また、電車に乗ると、
気が遠くなるような感じに襲われました。
 
熱も続き、金属音が聴こえると震えました。
 
こんなことは今まで全くありませんでしたので、
貧血かと思い検査しましたが、異常なし。
 
そんななか、自宅からは少し離れるものの、
渋谷で、コアタイム11-16時のWEB系会社があり、
仕事内容も面白そうな会社を見つけました。
 
そこでPMとして、働き始めました。
とても自由な社風で、
シュッとした人ばかりが集まっている
お洒落な社屋でした。
 
なんとか、日々働き始め、
同僚も人柄の良い人たちに恵まれつつありました。
 
しかし、なぜか、駅に行くとクラクラする・・・
ノドが詰まったように苦しい・・・

ネットで症状を調べていると、
どうも「うつ」「パニック障害」の症状に
ぴったりと当てはまるようでした。
 
当時の私は、「うつ」なんて、
気の持ちようで
クリアできるものだと思い込んでたので、
自分では絶対的に認めたくなかったのですが、
究極のストレスを感じていた時で、
まさか、ひょっとしたら・・・と思い、
専門のクリニックに行きました。
 
すると、診断は「うつ」「パニック障害」でした。
すごくショックでした。
 
本当に症状があって痛いし
息苦しいのに・・・。
うつなんて、思い込みなのに・・・。
(↑本当は違います・・・。)
 
涙が毎日止まらなく、つらかったのは、
「うつ」ではなく、悲しいから
・・・そう思っていたのですが、
よく考えたら、「うつ」だったのです。
 
それで、処方された薬を飲みました・・・。
 
すると・・・

 

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前回の話の続きです。

 
 
その会社では、最初はそこそこ忙しいレベルで
7-8案件を回させて頂いてたのですが、
途中から上司や会社の方針も変わり、
かなり無茶な目標金額を出され、
PM的な立場で、最高、28案件を回しました。
 
 
そのうち、部署の方針が変わり、部長や上司が変わりました。
 
その時、出てきた上司がスネオです。
部長にはヘコヘコ、部下には威張り散らす、
とんでもない野郎でした。
 
結局、前の会社でジャイアンから
逃げてきた因果なのでしょう。
 
深夜2時に
「明朝の6時迄にこれやっといて!」
と、キャリア別モバイルの
新規公式サイトの遷移設計図をふられたり、
仕上げたら仕上げたで、
ガチで自分が作った風に、部長に提出したり、
(↑上司が代表として・・・という立場でなく・・・)
 
3か月前から有給休暇を1日取得したいと思っていて
口頭で申請していて、1か月前に実際に申請を出すと
「私用での休暇は認められません」
・・・と2回突き返されました。
 
結局、2週間前にどうしたらいいか
部長に相談すると「何言ってんだアイツ」
・・・と、一瞬でハンコをついて承認されました。
 
また、その会社は土日祝出勤当たり前の
「みなし残業」だったので、
近所に住んでた人たちは終電逃しても
いるのが当たり前の空気でした。
 
(後日、会社を辞めた後に時給換算したら
 107円でしたw)
 
もし、終電ぐらいに帰ると、
夜中に、いやがらせのように、
山のように仕事がふられていました。
 
自分の扱っている案件的には、
1~5万通毎日メールがきていました。
 
・・・なので、もうわけがわからん量です。
 
毎日、
朝9時迄に出勤し、
朝7時に帰る・・・
 
家にはシャワーを浴びに帰る・・・
運良ければ1時間仮眠ができる・・・
 
そんな日々が続きました。
 
酷い時は5日間完全徹夜をしました。
さすがに6日目にフッと意識飛んで
机でカタッとなり、家に帰って仮眠をとりました。
 
そして、帯状疱疹、血尿と熱、体力の限界でした。
 
当然、家庭はますます崩壊寸前になります。
 
今冷静に考えれば、その環境から逃げたらいいだけなのに、
完全に思考停止、ロボット状態です。
 
当時、私の心と体は限界でした。
 
そして・・・

 

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前回の話の続きです。

 
それから、他にも今も人気の
ダンス&ボーカルグループの担当になったり、
子供向け朝番組や、有名写真家、料理教室、
昭和40年代を舞台にした長寿アニメ番組の
担当になったりしましたが、
その大物ロックスターのサイト担当も、
期が変わっても担当させて頂きました。
 
そして、インタビューの機会が増えてきて、
北海道からはじまるツアーのリハに参加させて頂き、
とても衝撃をうけたのが、
かなり大物の方なので、サクサクっと、
ハミングをしたり、適度に力を抜いて、
曲の中を飛ばしたりされるかとイメージしていたら、
とんでもない、めちゃくちゃ几帳面に、
全て丁寧に歌詞を最初から最後まで歌ってらっしゃいました。
 
声の出し方も本番さながらに、です。
 
音のピッチや響き、入り方等、本当に細やかなところまで
チェックされていて、たまにはゲキを飛ばしたり、
優しい声をかけたりと、本当に真剣そのもので、
張り詰めた空気感で、驚きました。
 
 
一流の方って、仕事が丁寧なんだなと、
改めて勉強になりました。
 
そして、リハ後や、コンサート本番後に、
インタビューをさせて頂きました。
 
 
本番後はさすがに気が引けましたが、
スタッフの方には厳しくされてましたが、
私には
「おぉ・・・!わざわざこんなところまで・・・!」と、
汗だくのなか、自ら椅子を用意してくれて、
とても優しく接してくれました。
 
また、ある日は、世界中のアーティストが集うイベントがあり、
そこでもインタビュー依頼があったので、大阪に出張に行かせて頂きました。
 
その時のセキュリティの凄さにも、面食らいました。
 
いつもその方には、ローディーと言われる、
ツアー手配などを任されている、
いわゆるお付きの男性が居たのですが、
その人だけ、ここぞという時、
本人と電話等の直接やりとりが許されていて、
事務所の人も、その人を通さないと
連絡できないようになっていました。
 
どうしてもファンの人が
宿泊しているホテルを特定したり、
部屋を特定してくる危険性があるため、
その事務所の担当者と、お付きの方が、
万一、盗聴されてもいいように
〇時~〇時までは
〇〇という名前でやりとりをする等、
15分毎ぐらいに名前を変えて
電話でやりとりをしてました。
 
また、事務所側から連絡してはいけない
というルールになっていました。
 
最初通されたホテルの部屋で、
事務所の人もそこでインタビューするのかと思っていたら、
そこは待機部屋でした。
 
暫くすると、次の部屋に移る指示があり、
そこかと思っていたら、そこも待機部屋でした。
 
いつ、呼び出しされるかわからないので、
事務所の方とドア前に中腰で座り、
すごくドキドキしてました。
 
最終的に、事務所の方はそこで待つように指示があり、
私だけ、本人宿泊の広めの豪華な部屋に通され、
そこでインタビューになりました。
 
 
あの体験はなかなか貴重でした。
 
(後日、ファンクラブの進行役にもなって欲しいとリクエストされ、
 会社を辞めてからも、個人契約は数年間続きました。)
 
そして・・・

 

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前回の話の続きです。

 
新しい会社での仕事では、超大物ロックスターの頂点としての
地位を磐石にされている
某男性アーティストの担当にもなりました。
 
 
現在も、車や飲料のCMにも出られたりしています。
 
正直言うと、
元々私はそこまで興味を持ってなかったのですが、
彼が大ファンで、この方を目指していたところもあり、
少しでも近づいてほしいという希望があり、
彼の希望であればと、近づく動きをしていきました。
 
そして、その大物ロックスターの
オフィシャルサイトの新企画をチームで話し合っている時、
前の会社で、ゲームの元になる声優さんや
歌手たちにインタビューをしたら
ファンにすごく喜ばれた旨を話し、
私のインタビュー案が採用されました。
 
当時、飲料のCMで、
彼の名言が一大ブームになっていたので、
「(名言の)音声をもらってきて!
  着メロにしよう!」と、
取締役兼部長に、冗談半分で依頼されました。
 
後日、事務所でOKが出て、
私の大好きな砧公園のある建屋で、
取材をさせて頂くことになりました。
 
 
事務所の方に声をかけられて、
順番にインタビューをするという流れでした。

私より前の方は
音楽雑誌の担当の方で
業界人っぽい眼鏡のお兄さんで、
彼のトークを和やかな空気を出し、
引き出すことができていました。
(慣れてる感がありました。)
 
当日は、ひとりで、
カメラを持って臨んでいたので、
作戦は考えていたものの、
さすがに過去、歌手や声優さん等にインタビューしたことはあっても、
超大物と直接対話は、初めてだったので、
自分の番になるとちょっとドキドキしました。
 
さらに追い打ちをかけたのは、
自分のインタビュー開始直前に
「オイ〇〇、次、2分ね!」
・・・と言われました。
 
事務所の担当者から、
「・・・らしいです・・・^ ^;」
・・・と声をかけられました。
 
(えっ・・・2分・・・まいっか、できるだけやろう・・・)
 
 
三脚を立てて、
自前のカメラをサッと設置し、はじめました。
 
「はじめまして!
  広島県出身の者です!
  〇〇公式担当です。」
 
「おおー広島出身!?イイネー!!」
 
「ええじゃろ!
 ・・・ってすみません、よろしくお願いします。」
 
「おもしろいね、君!」
 
よし、掴みはOK!
それで、数年前に手に入れた心理学なども駆使し、
彼がこだわってそうなポイントなどをほめたりすると
 
「おっ、わかってるねー!」
 
などとドンドン上機嫌になっていき、
そのなかで質問をしていきました。
 
そうすると、
2分どころか、
どんどん時間は過ぎていき、
寧ろ前のお兄さんよりも
ロングインタビューになりました。
 
本人にも気に入ってくださった感が分かりました。
 
そして、冗談半分のミッションだった、
彼の一言音声も無事、録画して帰ることができ、
部長から「でかした!」と褒められました。
 
それから、事務所から、
あんなに機嫌よく、
長く話してくれたのはあまりないし、
女性から訊かれることはあまりないので、
事あるごとにインタビューをお願いしたいと依頼され、
自分の担当ではないものも質問を渡され、
インタビューすることが増えてきました。
 
そして・・・