坂本花織が不調のなかで見せた『奇跡の演技』。『あまり自信がない』GPシリーズへの糧になった
10月8日、さいたまスーパーアリーナ。客席では各国の国旗がはためいていた。日本、北米、欧州と3地域対抗戦『ジャパンオープン』。各チーム男女2人ずつフリースケーティングでしのぎを削った
日本チーム応援席の坂本花織(シスメックス、22歳)は、立ち上がって体を目一杯揺らし、演技を終えた“チームメイト”の三浦佳生を迎え、隣に座ってタオルやマスクを甲斐甲斐しく手渡し、肩をたたいて健闘を称える。その時点で男子トップの高得点が出ると、放映テレビ局のマスコットを両手に握り、当人以上に喜んだ
『団体戦はけっこう好きですね。(フィギュアスケートは)個人競技だけど、みんなで頑張るのは好き。出られてうれしいです』
坂本はそう意気込んでいた。北京五輪銅メダル、世界女王というおごりはいっさい見せず、その発想すら匂わせない。『快活』『笑顔』『元気』。そのエネルギーに満ちた。自分の演技だけでなく、周りを盛り立てる気遣いと優しさがあり、その余裕が気品として映った
ケガのなかで見せた『女王のすごみ』
ただ、真の品格は肝心の演技に出た
『この演技ができたのは奇跡で』
坂本は大会後の記者会見で語ったが、息をのむ『女王のすごみ』があったーー
今年3月の世界選手権、坂本は日本人選手として浅田真央以来の世界女王に輝いている。自己ベストの236.09点は日本女子歴代1位。ひとつの時代をつくった
しかし女王への試練か、今シーズンはハンデをもってスタートしている。9月のロンバルディア杯(イタリア)に参戦したが、その1週間前、練習で右手小指を骨折していた。五輪シーズンを戦いきった代償もあったはずで......
『いまだに(調子が)戻りきったかわからないですけど、ジャパンオープンは最後まで全力で頑張りたいです』
大会前日、坂本は気丈に話していた。ようやく日常生活に支障がなくなってきたところ。『ジャンプが締めにくくて。思ったより小指を使っているのがわかりました』と冗談めかして明かしていたが、ケガを治しながら続けられるのもトップアスリートの証だ
女子の6番手で登場した坂本は力みが抜け、緊張から解き放たれていた。世界女王だけが知る境地に立っているのか。真っ赤な生地を基調に左胸から脇へ黒い小さなドットが光り輝く衣装で、それは『赤い惑星』を想起させた
『調子が悪かったので、集中力で持たせた感じで』
冒頭、ダブルアクセルは長い飛距離で安定していた。3回転ルッツ、3回転サルコウ、3回転フリップ+2回転トーループとアテンションや『q』はついたが、見事着氷。そして、最近の練習で鬼門になっていた3回転フリップ+3回転トーループを鮮やかに降りた
『骨折の影響ではなく、3・3(3回転コンビネーションジャンプ)が跳べなくなっちゃって』
実は、坂本は演技前にそう打ち明けていた
『(本拠地である)神戸の練習では、ミス止め(※失敗すると曲が止まり、順番が次の人へと移る練習)をしているんですが。いつも3・3で止まってしまって、なかなか先にいかない状況で。3・3はショート、フリーのどちらでも得点源として大事なんですが......』
鬼門を突破した後、彼女は勢いに乗った。スピンもレベル4で、ダブルアクセル+3回転トーループ+2回転トーループ、3回転ループを成功させ、最後はスタンディングオベーションを受けた
使用曲『Elastic Heart』はしなやかで容易に屈しないという意味で、その不屈さを歌い上げた曲だが、雄大で屈託のない演技はその世界観に迫っていた。彼女自身の人生とリンクするのか。とにかく世界を制した選手には見えざる引力があった。プログラムコンポーネンツ、スケーティングスキルでは10点満点中9.75点をつけたジャッジもいた
『練習では調子が悪かったので、集中力で持たせた感じでした』
坂本は言ったが、それができるステージに立つ世界でも稀有な選手だ
『練習では演技後半になってミスが出ていたんですが、この大会に集中してここまでできました。今後、集中すればノーミスができる、というきっかけになればと思っています。これから、自己ベストに近づけるようにしていきたいです』
スコアは146.66点で、女子では1位。2位のルナ・ヘンドリックス(ベルギー)を15点近く引き離し、日本チームの優勝に大きく貢献した
今月開幕するグランプリシリーズ、坂本はまず10月21日からのスケートアメリカに挑む。『ショート、フリーとどちらもまだまだあまり自信がなくて』と漏らしていたが、今や、滑りに気品を漂わせるようになった。世界女王の輝かしい称号が、彼女の技術を研ぎ澄ませているのかもしれない
2022-2023シーズン、坂本は新たな時代をつくり上げることになりそうだ