飛田新地の目の前にある、なんともディープな食堂に立ち寄りました。
看板には大きく「めし」「豚汁」とあり、どこかあの有名なドラマを彷彿とさせる雰囲気。
その無骨な佇まいに直感をくすぐられ、吸い込まれるように入ってしまいました。

本当は一杯やりたいような空気感でしたが、この日は休肝日と決めていたため、
控えめに「かすうどん」と「豚汁」を注文しました。

店内では、隣のお客さんがご飯を食べ終わったあとも、ずっと水を飲み続けていたり、
チーマーともなんとも言えないような人たちが、
昼間から焼酎をやりながら笑っていたりと、なかなか他では味わえない“どローカル”な世界が広がっていました。
その風景を眺めているだけで、ちょっとした旅に出たような気持ちになります。

かすうどんの味は、正直に言えば普通です。
しかしこの「普通」というのが、妙に沁みる。
西成や飛田の空気感の中で啜るうどんは、味そのものよりも“時間”が美味しい。
こういう経験こそが男の嗜みであり、旅の引き出しを一つ増やしてくれる気がします。

豚汁もまた、どこにでもあるようで、どこにもない味でした。
おばあちゃんが台所で作ってくれたような、
ちょっと甘くて、やさしくて、懐かしい香りがする。
具材がごろっとしていて、湯気の向こうに“昭和”が見えるようでした。

食堂として特別な味ではないかもしれませんが、
文化を感じるという意味では、これ以上ない体験です。
きっと、ここでアルコールを交えたときには、また違う顔を見せてくれるのでしょう。
次は必ず、一杯やりに来ようと思います。











なかもずという地名が妙に気になって、ふらっと降り立ってみました。ところが意外にも「これぞローカルフード」みたいな分かりやすい名物の気配は薄く、代わりにラーメン屋さんが点々と並んでいて、街の胃袋を支えているのは麺なのだな…と勝手に納得しつつ、伺ったのがこちらです。
 
券売機の前で目に飛び込んできたのが、二郎系なのに醤油だけじゃなくポン酢が選べるという一文でした。そんなの、やってみないと分からないじゃないですか。ということで、迷わずポン酢を選択しました。
 
中に入ると接客がとても感じ良くて、さすが堺だなと思わされます。コールを聞かれる瞬間も、ジロリアンとしては逆に新鮮でした。ヤサイスクナメニンニクアブラマシでお願いすると、着丼した丼はしっかり迫力があり、視覚的には完全に“あの世界”です。
 
さて、肝心のポン酢。ひと口目で感じたのは、まろっとしてしまうということでした。角が取れて食べやすい、確かに優しい。しかし二郎系として欲しい「カエシの芯」が、どうしても薄まってしまいます。やはり醤油というのは、このジャンルにおける骨格なのだと、改めて思わされました。
 
とはいえ、これはこれで関西で需要がある味だとも感じました。二郎系のパワーを真正面から受け止めきれない人に刺さる、“入口としての二郎”みたいな立ち位置です。実際、ニンニクもアブラも質が良く、嫌な重さが出ませんでした。ごわっとした太麺も美味しく、ラーメンそのものの技術はきちんと感じます。だからこそ、もし醤油で頼んでいたら、たぶん自分の中の食べログポイントはもっと上がっていたと思います。
 
次はなかなか来られない距離ですが、醤油も試してみたい気持ちは強く残りました。とはいえ今回でひとつ分かったことがあります。私の“東京人の舌”には、ラーメンにポン酢は合いませんでした。こういうのは、やってみないと分からないので収穫です。
 
そしてなんだかんだ、普通に美味しかったです。ご馳走様でした。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の最も影響を受けたギタリストの1人はイングヴェイである。

そんなイングヴェイが最近苦言を呈している。




最近イングヴェイ人気の高い日本などでイングヴェイの元ボーカル達がイングヴェイのアルバムをそのまま再現するというツアーをやっている。

イングヴェイはその事に憤慨しているというわけだ。


ちなみに私の友達に堀さんというドラマーがいるのだが、マークボールズが来日した際にはバックを担当している。

私も生きる世界が変わったものだ。


私はビジネスとしてマークボールズ達が権利を守り、イングヴェイ側の権利や尊厳、利益が守られるのであればやってもいいと思っているが、


実はイングヴェイの真似をしても誰もイングヴェイにはならない、なりようもないというところだけ、皆さんに伝えたいと思う。


イングヴェイよりも速く、そして正確にイングヴェイを演奏できる人は日本も含めて五万といるし、

私も完璧ではないにせよ、イングヴェイの曲をいくつかコピーする事に成功している。


しかしイングヴェイの本当の凄みというのは速さでもクラシック風のフレーズをメタルに持ち込んだことでもないというのが私の持論だ。


イングヴェイは感情や熱、そういったものをギターを通して、伝える事ができる唯一無二のギタリストだ。

イングヴェイの音色はイングヴェイモデルのギターを買っても出ない。


私が実際にfenderjapanのイングヴェイモデルを購入しているが、自分の音しか出ない。(最高のギターではあるが)


なぜ僕がロックを聴くようになってギターを弾いているのか

それは初期衝動や胸の奥底の強烈な感情を煽られる

ホンモノのロックはそういうエネルギーがある。


イングヴェイのギターは美しさとその熱を、僕らの心のエネルギーをぶち上げるパワーがある

イングヴェイという漢のエネルギーをぶつけられてるそういう音に俺は惹かれてる




イングヴェイのギターには僕や他のロックファン達が人生を変えられたような衝動性がある

それはただイカれてるというようなものではなく、技術と信念に裏付けられたイングヴェイの自信


誰も到達できない次元にいる彼に今日も衝撃を受け、どうしたらあんなギターを弾いてお客さんをノックアウトできるのか私自身が探求している


今年は駆け込みで三峯神社に参拝してきた。

私の家の神棚には三峯神社の御眷属様がいらっしゃって、常に私や家族を守ってくださっている。


しかし今年は私が交流会と飲み会、営業を命懸けでやっていたため、参拝に行く機会がなく、

お祓いと御眷属様の交換ができずにいたので、平日に休みをとって行ってきた。


冬どきに行くのは何年ぶりだろう、7年8年ぶりかもしれない。

あそこには行った人にしかわからない荘厳さ、何なら神様というのは実在しているという感覚が理屈抜きでわかるような雰囲気がある。

ドラクエ11をやったことがある人なら聖地ラムダのような雰囲気だといったらわかるかもしれない。


私は人生の絶望を跳ね除けるために幾つかの事を試すのが三峯神社に訪れるきっかけだったのだが、

初めて三峯神社に訪れた際に、その強烈な感覚を感じ、それ以来日本の八百万の神様を大切にして今日まで生きてきたわけである。


三峯神社の参道を歩き、ご祈祷を受けている間に考えていた。

私は2015年くらいからビジネスや人生を好転させるために考えつくことをいくつか実践してきた。

その中で習慣的な神社参拝で神様に感謝の気持ちを申し上げ、自分の決意やお願いをしてきた。

そのことに対して神様は一体何をお返しくださったんだろうと考えた。


最近私はとある人のアドバイスを受けている時に、自分の場合は自力ではなく他力で生きなくてはならないことをなんとなく気づいた。


サラリーマンなどを10年以上経験していると自然に自分でやる、責任を持つ、弱みを見せない。その上で金銭や所有物で自分を飾り、さぞ人よりも勝っているかのように見せなければ生きてけないように思い込んでしまうものだ。


私もその通りで、独立した今でも自分の弱みは見せずに家族や仲間や知り合いがいてもこの心の底は常に孤独の戦いを行ってきた。


けれども人生の浮き沈みを考えて、自分がうまく行っているなという時は必ず他力が大きく作用していたことが振り返りでわかり、

その後の考えの中で実は飾り物を捨てて、他者の胸に飛び込める、自分の欺瞞や弱さを打ち明けられることこそ勇気なんだ。

自分のつまらないプライドを捨てて他人に頼れる、それが勇気なんだなって気づいたのだ。


松下幸之助や偉大な経営者の多くが共通していう事がある。

それは運というのは他人が運んでくるという事だ。


話が大きく逸れたが私の中でおそらく神様は他人を通し、私に運を運んできたのだと、それは金銭を通してだったり、人脈を通してだったり、美味しいものを通して私に数多くを与えてくれたのだ。

今年を振り返るだけでも、信じられないような出来事が多く起こり、それは全て他人によってもたらされたこともわかり、この他力や運というものについての自分なりの結論がわかってきた。


ちなみに三峯神社から帰る西武の特急の中で多額の入金があった、偶然が運んできた出会いに出会いが重なり出会ったお金持ちのお客様からだ。


結果が変わったというところで私が何か変わったということはなく、ギターが倍速で弾けるようになったわけでも、オフィススキルの粒度が極めて上がったわけではない、強いて言えばAIが人より少し使えて、数年前から比べると人としての認知が変わったくらいだろうか


なので、表面ではなく心底納得してわかるということは大事だと思う。


来年の目標は勇気ある他力本願なのだが、

今年もまだ続くので引き続き感謝と行動を実践していこうと思う。






















年に一度の三峯神社参拝を終えると、胸の奥の埃が落ちたような気分になります。こういう節目の帰り道は、身体が勝手に“ご褒美”を欲しがるものです。秩父まで来たのなら、秩父ホルモンを攻めない理由がありません。昼からやっているこちらへ、西武秩父から歩いて向かいました。旅の終わりに、歩幅が少し軽くなるのはだいたいこういう時です。 

やはりホルモン焼肉をやるからには、アルコールもやらないといけません。まずはハイボールを作っていただき、喉を炭酸で洗ってスイッチを入れます。飲みながら待っていると、店員さんが説明とともにお肉を運んできてくれました。こちらは特殊な網(装置)を使っているそうで、煙が出にくいとのこと。焼肉で匂いがつくのが大嫌いな私には、これだけで好印象が一段上がります。

ホルモンは四種盛りで、ミノ、かしら、タン、生ホルモン。そこに豚バラとロースも追加して、今日の秩父を“豚で完結”させる布陣にしました。

まずはホルモンから焼いていきます。ミノはぷりぷりで、噛むたびに旨みが立ち上がります。盛りの豪快さと、この新鮮さ、そして安さ。こんなに美味いなら、秩父の人たちがみんなホルモンを食べるのも当然だと思ってしまいます。かしらはジューシーさが際立っていて、脂の押しつけではなく肉の力で美味い。生ホルモンはカリカリ寄りまで焼いて、卓上タレとたっぷり胡椒で。ここは思わず唸ってしまう美味しさで、ハイボールの氷が溶ける速度が追いつきません。タンは“こりぷり”という表現が一番しっくりきて、食感の良さにレモンタレと塩が生きます。

豚バラは、私が世界一好きなお肉です。脂が強すぎず、優しさと甘さを兼ね備えた味わいで、ただ焼いて頬張るだけで幸福度が上がります。ロースもまた、豚の美味しさがこれ以上なく出た素晴らしい逸品で、赤身の旨みが静かに伸びてくる感じがたまりません。

結論として、ここは私が食べた中でNo.1の豚焼肉のお店だと言っていいと思います。願うならば秩父に泊まって、時間も気にせず、とことんこちらでやりたいです。お値段も2人でだいたい4,000円くらいと破格で、参拝帰りの締めとしても完璧でした。ごちそうさまでした。































カウンターに腰を落ち着けると、火の気配と手元の所作が近くて、こちらの呼吸まで整っていく感じがします。造りとしては4人がけの丸テーブル個室もあり、少人数で落ち着いて…という使い方もできて予約も可能とのことですが、今回はあえてカウンターで。目の前で夜が進んでいくのが良いのです。

まずは天賦の純米大吟醸を一口。喉の奥のノイズが消えて、舌がまっさらに戻ります。花椿コースの口開けは、たぐりゆばと桜海老のたまじ蒸し。ゆばのふくよかさに桜海老の香ばしさがふわっと乗って、いきなり景色が明るくなります。じゃこサラダは胡麻ドレがきっちり香り、じゃこの塩気が輪郭を作ってくれます。合間の大根おろしがまた気が利いていて、次の皿へ向かう“余白”をつくってくれます。

ゆりねのポテトサラダは、ほくっとした甘みが優しくて、添えられたセロリの酢漬けがスッと引き締めます。カキフライは衣が軽く、酢漬け大根と芽ねぎが牡蠣のミルキーさを酸と青みで整えてくれて、箸が止まりません。ここでプレミアムモルツ マスターズドリームを挟み、泰明(麦)ソーダへ。泡と炭酸で口の中を軽くして、次へ進みます。

合鴨ロースは辛子で脂がすっと立ち上がり、蔵の師魂のオレンジお湯割りが香りで追いかけてきます。富乃宝山のお湯割りにバトンを渡す頃には、カウンター越しの空気も少し柔らかくなっている気がします。

そして焼き鳥です。せせりの弾力、やげんなんこつのコリッとした歯触り、レバータレの甘香ばしさ、つくねの肉感。そりは柚子胡椒が効いていて、脂の旨みが香りで切れます。ししとうが良い箸休めになり、のどみちはじんわりと旨い。ちょうちん(らんかん、卵になる前のやつ)の濃さは、口の中でふっと夜が深くなります。手羽先まで行くと、もう十分に満ちたはずなのに、まだ締めが控えているのが嬉しいところです。

焼き鳥の余韻を抱えたまま、締めのパイタンスープ炊きご飯が登場します。いくらまで添えてくるのは反則級で、白湯のコクが米を抱いて、いくらの塩気が一点で全体を締めます。さらに親子丼で追い締め。満腹というより、きちんと“完結”した気分になります。お酒は途中にはっかいさん濁り梅酒の甘酸っぱさを挟むと良い休符になり、不二才ソーダで整えてから、不二才のお湯割りで静かに着地しました。

最後は塩羊羹です。甘さの角を塩が削って、余韻だけが残ります。抹茶をひと口含むと、熱と苦みで口の中がすっと掃除されて、今日のページが綺麗に閉じられました。ごちそうさまでした。

































一日中没頭できること

 

 こんにちは。

最近、少しブログのネタに迷ってしまうことがありまして、今回はアメブロさんの投稿ネタをお借りすることにしました。


テーマは「1日中没頭できちゃうこと」。

これについて考えてみたのですが、僕にとっては間違いなく**「RPG(ロールプレイングゲーム)」**ですね。


振り返ってみると、ここ10年ほどはRPG以外のジャンルをほとんど遊んでいないかもしれません。それくらい、僕はRPGというジャンルを専門に愛好しています。


特に大切にしている作品群が3つあります。日本ファルコムの『軌跡シリーズ』、そして国民的RPGである『ドラゴンクエスト』と『ファイナルファンタジー』です。


まず、『ドラゴンクエスト』。

これはもう、僕の心の原点と言える作品です。

音楽家としても、すぎやまこういち先生の楽曲には多大な影響を受けていますし、鳥山明先生のキャラクターデザインは、僕にとっての心の原風景のような存在です。


いまだに『ドラクエ5』をプレイすると涙が出てしまいますし、『ドラクエ6』のムドー戦の音楽を聴くと、条件反射で鳥肌が立ってしまうほどです。


次に、『ファイナルファンタジー』。

正直なところを申し上げますと、個人的には『FF7』までの作品が特に好きなんです。それ以降の作品も素晴らしいのですが、キャラクターの雰囲気が少し自分には合わないかな、と感じることがありまして……。


中でも『FF3』と『FF5』は別格ですね。

音楽の素晴らしさで言えば『FF3』なのですが、ゲームとしてのめり込んでしまう中毒性で選ぶなら、やはり『FF5』かなと思っています。


そして、今僕が一番熱中しているのが、日本ファルコムの**『英雄伝説 軌跡シリーズ』**です。

このシリーズは同じ世界観の中で10作品以上も続いている、まさに「RPGの大河ドラマ」のような壮大な作品なんです。


キャラクターたちの長いスパンでの成長や、緻密な群像劇。そして、それまで分からなかった国の内情が明らかになっていくワクワク感など、長く続くシリーズ作品ならではの魅力が詰まっています。


というわけで、もし「家にこもっていなさい」と言われたら、僕は迷わずRPGを遊ぶと思います。

時間を忘れて没頭できる、僕にとっての大切な趣味のお話でした。


 

 

 

同じネタで投稿する

 

他の投稿ネタを確認する

 

 

最近の私のブログを見返してみると、驚くほどAIのことばかり書いてしまっていますね。
毎日のように新しい技術が発表されるので、それがあまりにも衝撃的で……ついつい夢中になって筆を走らせてしまうのです。

例えるなら、初めてイタリアへ旅行に行った時のような感覚に近いかもしれません。
目の前に広がる景色すべてが新鮮で、夢中でシャッターを切っているような。私たちは今、まさに「未来」という異国の地を観光している最中なのかもしれません。「ああ、これからの世界はこうなっていくのか」と、現在にいながらにして未来を体験しているような、不思議な高揚感があります。

正直に申し上げますと、私自身、この急激な進化のスピードに少し酔ってしまっているところがあると思います。周囲の方々の熱量も凄まじいですし、その雰囲気に当てられているのかもしれません。

ただ、ふと冷静になって「AI以外の話題は?」と自分に問いかけてみると、これがなかなか見当たらなくて困ってしまいます(笑)。買っておいたゲームも手つかずのままですし、日常といえば仕事をして、交流会に参加して、お酒を飲んで……という繰り返して、お恥ずかしい限りです。

そんな日々の中で、心から「楽しい」と感じられる数少ない瞬間が、ライブでの演奏です。
ハードロックの温かみ、とでも言うのでしょうか。私の楽曲制作では、ドラムやベースといったリズム隊にはコンピュータ(打ち込み)を使うことが多いのですが、そこに自分のギターと生身の歌声を重ねていく工程も好きなんです。

正確無比なデジタルの音と、人間ならではの揺らぎや熱量を持ったアナログな音。
その二つがぶつかり合った時に生まれる「うねり」や「迫力」は、やはり代えがたいものがあります。この身体的な感覚を知ってしまうと、音楽はやめられませんね。

そしてもっと良いのは人間の音だけでできあがるバンドサウンドです。

とりとめのない話になってしまいましたが、デジタルな未来にワクワクしつつも、やはり泥臭いロックの魂も大切にしていきたい、そんなことを思う今日この頃です。

みなさん、RPGはお好きでしょうか。

私は昔からRPGが大好きで、特に心に残っている名作が『英雄伝説 白き魔女』です。あの作品から受けた感動は、今でも色褪せることがありません。

中でも、名曲「愛はきらめきの中で」を聴くたびに、クリスとジュリオの純粋な旅路が胸に蘇ってきます。

そんな大切な曲を、ただ懐かしむだけでなく、現代の新しい形で表現できないかとずっと考えていました。「この名曲を、今の時代に合わせて、最高に輝く形で蘇らせてみたい」。そんな強い思いが、今回の挑戦のきっかけになりました。

そこで、最新のAI技術の力を借りることにしました。
私の音楽に対する思いと、AIが持つ無限の可能性を掛け合わせることで、どのような新しい表現が生まれるのか。想像するだけで、とてもワクワクしました。

目指したジャンルは、『Euphoric Progressive House(ユーフォリック・プログレッシブ・ハウス)』です。

なぜこのジャンルを選んだかと言いますと、原曲が持つ「愛」や「希望」といった温かいパワーを、クラブミュージック特有の高揚感(Euphoric)で、より深く表現したいと思ったからです。

単調な繰り返しではなく、物語のように徐々に熱を帯び、進化(Progressive)していくような、心揺さぶるダンスミュージックを目指しました。

そして今回は、音楽だけでなくビジュアル制作にもこだわってみました。

その進化の過程を、少しご覧いただけますでしょうか。
原作は90年代の雰囲気のするのほほんとしたアニメ調です



しかし、制作を進めるうちに「もっとリアルな表現で、楽曲のエネルギーを伝えたい」という思いが強くなり、AIと試行錯誤を重ねました。その結果、このようなビジュアルが完成しました。



いかがでしょうか。
まるで令和のクラブに、リアルなクリスとジュリオが降り立ったかのような雰囲気になりました。二人の溢れるような幸福感やエネルギーが、画面から伝われば嬉しいです。

これが、AIと共に創り出した、新しい「愛はきらめきの中で」の姿です。懐かしさと新しさが融合した、心解き放たれるような空間を目指しました。
百聞は一見に如かずと申しますが、ぜひ一度、音と映像で体感していただければ幸いです。

完成した動画をYouTubeで公開しております。お時間のある時に、下のリンクからぜひご覧ください。皆様の心にも、きっと何かが響くのではないかと思っております。




ちなみに原曲はこちらです



もしよろしければ、ご感想などもいただけますと大変励みになります。
皆様と一緒に、この新しい表現を楽しめたら幸いです。


山梨・甲府の経営者交流会に知り合いを連れて行くため、日帰りで行ってきました。しかも新宿を14時に出るという、なかなか荒くれなスケジュールでのバトル実行であります。

僕は甲府に行くなら、本当にバス一択だと思っています。

バスを降りて、まず見つけた酒場がこちら。
せっかく甲府に来たからには、何か足跡を残して帰りたいではないですか。

その「足跡」は、馬刺しにすることにしました。

こちらは甲府の名物が食べられる、地方のターミナルステーションにはよくあるタイプの酒場なのですが、
お通しのキャベツからして非常に旨いですし、馬刺しは時を刻むような美味しさです。

ニンニクはこの後の予定を考えて控えめにしてみましたが、やっぱり美味しいです。
馬刺しはしっとりとした美味しさなのです。

東京で食べる馬刺しよりも新鮮な気もしますし、とても美味しいのですが、正直、ぶっ飛ぶような感動まではいかなかったかな、という印象です。

それでも、1時間程度、山梨の酒場で楽しむというのは、とても楽しい時間でした。

次はモツ煮を食べようと思います。

駅から近いので、これは必ず「次」があるお店だと思う