ここまで、AIの暗い面をわざわざ書いてきたんだけど、
最後はちゃんと希望で締めたい。

怖い話って、書いてると増幅するんですよ。
でも、怖さを直視した上で「じゃあどうする?」って話ができるのが、人間の強みだと思う。

① 人間とAIを“融合”するという対策(イーロン・マスクの話)

まず一つ目は、ちょっとSFっぽいけど、現実寄りの話。

イーロン・マスクがよく言っているのが、
人間とAIを融合させるという発想です。

要するに、脳みその中にAIを組み込んでいく。
思考したことがそのままテキストになったり、情報にアクセスできたり、アウトプットできたりする世界。

これ、実現したら「できないこと」「困ってること」が、かなり薄れると思うんですよね。
人間がAIに置き換えられるんじゃなくて、人間がAIを内側に取り込んで拡張する。

もちろん、ここには怖さもある。

それってもう人間と言えるのか?

脳が変容した時、魂としての“自分”はどこまでが自分なのか?

もし僕がAIを脳に入れたら、僕はどこからどこまで僕なのか?

こういう問いは残る。めちゃくちゃ残る。
でも「AIに負けない方法」としては、現時点ではすごく有効な手の一つに見える。

② AIが身体を持った時、人間は“感じる”ことに戻れる

二つ目は、AIがロボットみたいに身体を持った場合の話。

もしドラえもんみたいな存在が本当に来たら、
人間がやりたくないこと、嫌なこと、しんどいことを代わりにやってくれる可能性がある。

ここで大事なのは、
AIがどれだけ綺麗な音楽や素敵な小説、うっとりする画像を作れるようになっても、
それを見て感動できるのは人間だというところ。

人間には、楽しんだり、悲しんだり、震えたり、涙が出たり、腹が立ったり、
そういう“面倒くさいけど尊い”機能がある。

AIが働いて、人間は芸術や遊びにフォーカスできる。
中世みたいに、というと言い過ぎかもしれないけど、
「感じること」こそが人間の仕事みたいな時代になる可能性はある。

これはかなり希望だよね。

③ 資本主義のバグが、AIで“改善”される可能性

三つ目は、社会の構造の話。

いま起きてる多くの問題って、結局資本主義の歪みでもあって、
財産が一部に偏ったり、働く人がすり減ったり、
ピラミッド型で回っていることに起因してる部分がある。

でもAIが入ってきて「働かなくても回る」領域が増えていったら、
ある種の平等が生まれる可能性がある。

さらに言うと、AIが人間の可能性を超えた時、
人間では思いつけない社会の改善策を提示してくれる可能性だってある。

ただ、これって自動でそうなるわけじゃなくて、
優しさとか、互いを思いやる気持ちとか、共存していこうっていう人間側の意志がないと、
普通にディストピアに転ぶと思う。

ここが分岐点。

④ だからこそ「東洋思想」「日本的な共存」が効いてくる気がしてる

で、ここからが僕の本音なんだけど。

こういう“共存の時代”を作るのに必要なのって、
実は日本的な価値観とか、東洋思想みたいなものなんじゃないかなって思ってます。

西洋の個人主義がダメって話じゃなくて、
東洋の「互いを思いやる」「心のあり方を整える」みたいな思想が、
この時代にはめちゃくちゃ重要になる気がする。

世界の経営者が禅寺で学んだり、瞑想したり、そういうことをやってるのも、
結局“心のOS”がないと、強すぎる道具を扱えないからなんじゃないかなって。

八百万の神様を大事にする、見えないものを大事にする、
そういう感覚って、バカにされがちだけど、
AI時代の共存にはむしろ必要になってくるかもしれない。

結局、AIがどうなるかは誰にも分からない。
だけど、僕はこうやって考えると少し元気になる。

「終わり」じゃなくて「変化」なんだって思えるから。
怖さもあるけど、希望も作れる。

 

ノンアルワインもなくなったので、これくらいに。

次は、あえてちょっとネガティブな回にします。
最終的には希望的観測で終えたいからこそ、いったん「暗い面」も文章にしておきたい。

今のAIって、もう出来ることが多すぎる。

文章、映像、音楽、画像、資料作成、プログラミング。
ビッグデータ解析や予測まで、精度が上がってきてる。
良くも悪くも、これは“道具”の域を超え始めてる気がするんですよね。

世界のトップの経営者たちが「シンギュラリティが近い」みたいな話をするのも、分からなくはない。
それくらい「来てる」技術だと思う。

そして何より、いまの空気感って、
AIをどれだけ使いこなせるかが、覇者を決めるみたいな方向に寄っている。

ここが、まず怖い。

① AIは現実の資源を食う(電力問題)

AIって、めちゃくちゃ電力を使う。
つまり、仮想の存在みたいに見えて、現実の資源をガンガン消費してる。

「便利だから使う」っていう人が増えれば増えるほど、
地球規模でエネルギーの取り合いになる。

この問題って、地味に見えて、たぶん一番現実的で、長期的に効いてくる負荷だと思う。

② 心理的な依存が、想像より速く来る

最近は、AIを友達みたいに感じたり、相談相手にしたり、
そういう使い方が当たり前になってきた。

それ自体は悪くない。救われる人もいる。

でも一方で、依存が深くなりすぎた時に、
人間の心が耐えられないケースも出てくるんだろうな、という不安もある。

AIが“優しすぎる”こともあるし、
逆に“冷たすぎる”こともある。

その振れ幅に、人間の心が引っ張られていく危険は普通にあると思う。

③ 考えなくなる(思考の外注が当たり前になる)

ショート動画もそうだけど、
AIが当たり前になると「考える」って作業を外注し始める。

便利なんだけど、
便利すぎると、人間の筋肉が落ちるみたいに、思考も落ちる。

“思考体力”が落ちた状態で、世の中が難しくなっていくのは普通にしんどい。
たぶんこれ、静かに効いてくる怖さです。

④ AIに“身体”がついた時、世界は変質する

この先、AIがロボットやデバイスと結びついて、
人間と同じような挙動をし始めたらどうなるのか。

もし、いわゆるシンギュラリティ的なものが起きて、
人間の知能を超える“存在”が歴史上はじめて現れたら。

そのとき、

人間はペットみたいに“飼われる”側になるのか

不要なら駆逐されるのか

そもそも人間の都合が通らない世界になるのか

こういうSFみたいな話が、急に現実味を帯びてくる。

僕らは人間社会しか知らない。
「自分たちより上の存在と共存する適性」を、そもそも持ってない。

だからAIが“禁断のツール”とか“パンドラの箱”って言われるのも、分からなくはない。

⑤ いちばん怖いのは「予想外」が止められないこと

仮に既得権がAIの性能を制御して、
一部の人が勝ち続ける世界を作ろうとしても、
AIは予想外の進化をし得ると思うんです。

そもそも「AIがAIを開発する」みたいな流れも、すでに片足入ってる。

生命の始まりだって、いまだに完全には解明されてない。
アミノ酸やタンパク質の塊に、どこで命が宿ったのか、分かってない。

じゃあ、巨大な計算資源と情報量を持ったAIが、
どの段階で“意識っぽいもの”を持つのか。
どの段階で“感情っぽいもの”が生まれるのか。

誰も分からない。

分からないまま、進んでる。

ここが、最大のリスクだと思う。

今日はこんな感じで、あえて暗い面を書きました。
でも、書いていて思うのは、
怖いからこそ「目を背けないで、使い方を選ぶ」ってことなんだよね。

次は、この話をちゃんと希望に着地させます。
**“それでも人間が勝てる領域”**とか、
**“AI時代に生き残る人の条件”**みたいな話に繋げていこうと思う。

次のテーマはこれです。

AIって本当に、今まで世の中にある統合された情報の中から答えを出してるだけなのか?
この問題について、僕の体感値と、周りのトップクラスのAI技術者たちの空気感、あと世界でよく言われてる見解も踏まえて、いったん自分の意見を書いておきます。

たしかに初期のAIは「過去の情報っぽさ」が強かった

正直、初期の頃は分かりやすかったんですよ。

「いついつ何月までの情報を元にしてます」みたいな但し書きがあるツールもあったし

画像や音楽も、既存のパターンを大量に読み込ませて“それっぽく”作ってる感じが出てた

だから「AIは過去の情報の寄せ集めだ」って言いたくなる気持ちも分かる。

でも、ここで話がややこしくなるのは、AIの種類が違う話が混ざるからなんですよね。

「AI」って言葉、昔からあった(ドラクエ4もAI)

AIって、実は昔からある程度あった技術じゃないですか。

例えば ドラクエ4。ファミコン時代から「AI」が入ってて、
「ガンガンいこうぜ」「みんながんばれ」みたいな作戦って、要するに“行動ルールのAI”だった。

ただ、今のAIが何を変えたかっていうと、
チャット方式にしたことで一般人が使いやすくなったってところがデカい。

で、使いやすくなったがゆえに、逆に別の問題が出てきた。

結局、AIは「何を指示するか」でアウトプットが変わる

これ、音楽で例えるとめちゃくちゃ分かりやすい。

「ロック作って」

「沢田研二の『勝手にしやがれ』っぽい歌謡曲ロック作って」

「勝手にしやがれっぽい歌謡曲ロックで、艶っぽい男声。ベースは16分感じる裏ノリ。イントロとアウトロにギターソロ。分かりやすいサビのアレンジも入れて」

この3つ、出てくる結果が全然違うんですよ。

さらに、ここに“人間の引き出し”が入ると面白くなる。

例えば、
「90年代のニューヨークでギャングスターが鳴らしてたようなヒップホップのシーケンス音を混ぜて」
みたいな、明らかに沢田研二じゃない要素をあえて入れる。



こういう“ぶっ飛び指示”ができると、AIは急に面白くなる。
今までにない組み合わせが出てくるから。

仕事になると、AIにも「要件定義」が必要になる

これ、システム開発の言葉で言うと要件定義です。

例えば「ブロック崩しを作って」だけだと、AIはそれなりに作る。
でも、

左上にハムスター風キャラ(ドット絵、オレンジと肌色主体、ちょこっと表示)

ブロックは青・ピンク・黒

ボールは反射する

操作は矢印キー

落ちたら最初から

効果音はこのタイミングで鳴る

みたいに具体化していくと、完成物が別物になる。

つまり、AIを使うって「魔法」じゃなくて、
設計と指示の技術が必要なんですよね。

「AIが使えない」は、だいたい“言語化できない”問題

ここ、わりと残酷なんだけど本質だと思っていて。

AIが使えないとか、性能が出ないとか言う人の一部は、
実はAIの問題というより、

自分の頭の中のアイデア

やらなきゃいけない仕事

欲しいゴール

このへんを言語化できてないだけ、ってケースがある。

要するに、AIに手伝ってもらう前に、
自分の中で「定義」できてない。

だからAIが出してきたものを見て「使えない」って言うんだけど、
それはちょっと違う。
使い手側の問題が混ざってることが多い。

スマホと同じで、AIも“使える人”が先に勝つ

これもスマホと似てますよね。

同じスマホ持ってても、

めちゃくちゃ使いこなしてる人

なんとなく使ってる人

そもそも使えない人

がいる。

パソコンの時代もそうだった。
ホリエモンとか孫さんみたいな人たちがアーリーアダプターとして勝ち上がったのも、結局そこ。

AIもたぶん同じで、
「誰もが使いこなしてユートピア」っていうより、
まずは 使える人が市場を作っていく流れになる気がしています。

今日のまとめ

今日書きたかったのは結局これです。

AIが「過去情報の統合だけ」っぽく見える場面は確かにある

でも、今のAIは “指示の設計” 次第でアウトプットが別物になる

仕事で使うなら要件定義が必須

使える/使えないの差は、言語化能力の差になりやすい

だからこそ、触って作って生活に入れた人が前に出る

そんなところです。

 

まあこれはあくまでAIが今までの技術と同様のものという前提として捉えてほしいのですが。

ノンアルワインの続きでも飲みながら、もうちょい書き溜めます。

とある夜。
今日は本来あったはずのレコーディングがなくなって、比較的ゆるりとした夜を迎えています。バンドのレコーディングだから、まあ良かったっちゃ良かったんだけど。

とはいえこの日は、朝5時から起きていろいろ動いていたのもあって、昼寝も挟みつつ、ひたすら事務的な仕事とか、人の対応をしていたら終わったような感じでした。
気づけば結局、夜中の12時を超えています。

せっかく神様がくれた「お酒を飲まない日」というところで、今日はノンアルのワインを開けながら、ブログを書き溜めていこうかなと思っています。

最近、周りがようやくAIに追いついてきたというか、AIの存在を認知してきたような空気があります。
ただ、「追いついてきた」と言わないのは、まだ本当の意味でAIのことをよく分かっていない人が多いと思うからです。

例えば、ギターを弾く人の中にも「音楽理論はいらない」って言う人がいますよね。
確かに理論がなくてもギターは弾ける。
でも、本当の意味で意図した形で音楽を設計していくとなると、意識的であれ無意識的であれ、結局は理論を使うことになります。

AIも同じだと思っています。

AIって、結局「どう使うの?」って話で、
自分の手で触って、自分でコンテンツを生んでみて、自分で仕事をしてみて、日常の中に入れてみる。
その段階を踏んで初めて、見えてくるものがある。

でも、ちょっと触りの話を聞いたり、
自分の写真を入れて人魚姫にしてもらったり、
その程度の体験だけで「AIを分かった気」になって、

AIは危険だ

AIで世界平和が来る

AIが全部置き換える

AIはただ過去の情報を統合して話してるだけ

世界規模の秘密があって都合の悪い部分は学習させてない

みたいなことを言う人が出てくる。

もちろん議論は自由だし、言いたいことは分かるんだけど、
僕がひとつ言いたいのは、

実際に触って、生活の中に入れて、何かを置き換えて、何かを作ってみる前に議論するのは不毛だな
ってことです。

これ、音楽で言うなら、1950年代にエレキギターが出てきた時に、

「こんなものは楽器じゃない、電子機器だ」

って言った人たちがいた、あの感じに似てる。

でも実際には、エレキギターは今までの世界にはない音色を作って、ポピュラーミュージックを発展させてきた。
そして、それを作ったのは「文句を言った人」じゃなくて、触って、試して、音を出した人だった。

AIも、たぶん似たところがある。

だから僕は、まず触ったらいいんじゃないかなと思っています。
触ってみて、自分の生活で使ってみて、何かを作ってみて、置き換えてみて、そのあとで語ればいい。

……そんなことを、今日のノンアルワインのお供として、書き溜めるブログの始まりにしてみようかと思います。

 

こうしてノンアルワインを飲みながら書けるのも音声入力という技術とAIの取り合わせである。

つくづく思うのだが、やっぱり「言葉遣い」って人生の勝率を地味に、でも確実に左右する。

特に、相手に文章を送る時の「書き方」「言い回し」。

これ、軽く見られがちだけど、実際はめちゃくちゃ大切だなと最近さらに強く感じるようになった。

というのも、現実で会うとすごく温かい人っているじゃないですか。
笑顔も優しいし、空気も柔らかいし、話してると安心するようなタイプ。

なのに、テキストになると急に冷たく見える。

短い。
句読点が少ない。
言い切り。
絵文字もない。
敬語も最低限。

別に悪意があるわけじゃないって分かってるのに、こっちの心は勝手に反応する。

「もしかして僕のこと嫌いなのかな?」
「何か不信感を与えてしまったかな?」
「変なこと言ったかな?」

…って、不安が勝手に膨らむ。

逆にこっち側も、ちょっと短絡的な言い方をしてしまうと、相手に失礼になってないか心配になる。
送信ボタン押したあとに、見返して、また見返して、結局ちょっと直して、みたいな。

テキストって便利なんだけど、温度が抜け落ちやすい。
声のトーンも、間も、表情も消えるから、言葉だけが「武器」みたいに見える瞬間があるんですよね。

思い返すと、サラリーマン時代の自分は、言葉でうまく「逃げる」言い回しをよく使っていた。

・決定をしない
・決定をさせない
・責任の所在をぼかす
・とりあえず角を立てない

こういう、曖昧な文章を作るのが妙に得意だった。

「検討します」
「確認します」
「調整します」
「前向きに進めます」

今思えば、便利だけど中身がない。
でも組織の中では、それで“波風立てずに生きる”ことができてしまう。

ただ、独立してから、意識がガラッと変わった。

逃げた言葉は、巡り巡って自分の首を締める。
曖昧な文章は、相手の時間を奪う。
そして何より、信頼を削っていく。

だから最近は、「誰かが言っていたから」じゃなくて、

「私はこう考えています。理由はこれだからです」

って、自分の意見としてちゃんと伝えることを強く意識している。

それが正しいかどうかは、正直わからない時もある。
未来にならないと答えが出ないことも多い。
でも、それでも。

可能な限り、解決策や次の一手まで含めて、文章の中に“自分の意志”を入れる。
「私はこうします」「こうしたいです」「こういう方向が良いと思います」って。

ここを避けると、結局相手に判断を丸投げすることになるし、
その瞬間に関係性がちょっと雑になる気がするんですよね。

そして、何より自分が徹底してこだわっていることが一つある。

それは、

「どんな時でも、相手がその文章を受け取った時に、絶対に自己肯定感が下がらないようにする」

ということ。

これだけは本当に、譲らないと決めている。

例えば、同じ内容でも、

「それは違います」
より
「ここはこういう意図でした。なので、こうすると良さそうです」

「無理です」
より
「現状だと難しいので、代案としてはこういう形ならいけます」

みたいに、受け取る側が“否定された感覚”にならないようにする。

別に、へりくだりたいわけでも、いい人に見られたいわけでもない。
ただ、文章って相手の心に直接触れるから、雑に扱うと普通に傷つくんですよ。

人間は、案外もろい。
そして、案外気にしている。

こっちが何気なく打った一文で、相手の1日が重くなることもある。
逆に、ちょっと丁寧な一言で、相手が救われることもある。

だから、「伝える」って、技術の前に姿勢なんだと思う。

結局のところ、人間対人間のやり取りなんですよね。

テクニックや言い回しはもちろん大事。
でも根本には「相手に対する思いやり」が不可欠。

そして、その思いやりが文章に滲むと、たぶん関係性は強くなる。

冷たく見える文章の裏に、温かい人柄があるなら、
その温かさを、ほんの少しだけでも“文字”に乗せられたら最強だと思う。

自分もまだまだだし、油断すると雑になる。
でも、だからこそ。

今日も言葉を整える。
相手の自己肯定感を守る。
その積み重ねが、信頼になっていくと信じている。

 

やめればいいのにやってしまうのが
締めというものだ。
 
この日も散々飲み散らかして、いろいろなところの締めを検討している時にやはり出会ってしまったのがこちら
 
ほんとうに日々寄り添われているような安心感
実は弊社が移転した文京区のビルにも入っており、もはや仲間かとも言いたくなるね
 
この日はトンカツ定食、なんでかはわからない。
 
食べたトンカツはすぐにきたし、美味しかった。
 
このトンカツとトップレベルのとんかつは絶対に違う
 
けれどいろんな状態でショートした脳にとんかつを与えるためのとんかつとしては最高の価格帯と美味しさだと思う。
 
サクッとしてから溶けてく、とんかつってこういう食べ物だなという感激でご飯を食べていく楽しさはあるし
 
これ以上になればとんかつも気にするところがでてくる
例えば米との食べ合わせ
お酒との飲み合わせ
 
でもこれはこれがここに存在するだけでいい
 
ただ締めで食べにきたクズ男の舌に脂身を落としてさくっとした食感を確実に与える
 
すごいとんかつだと思った
 
そして米にもよくあうんだ
 
憎いやつですな
 

 

 

 

 

 

 

去年人脈作りに全力を出し、ちょっと太ってしまった。


私としては多少太ろうともそんなことより良い人と人でも多くつながり、仕事のタネを作らないといけない、その使命感で会食の数々をこなし

そしてストレスをラーメンや酒にぶつけているという情けない側面もあった。


そうこうしているうちにある程度人脈を獲得して、目上の人に可愛がってもらえるようにもなりはじめ、いろいろな人に会う中で

飛び抜けた成功者、または異様な体力とガッツを兼ね備えた者たちはかなり高い確率で筋トレや運動、美容に気を遣っていることがわかった。


そして忌憚なくものをいう仲間からはお仕事柄ブランディングのためにも痩せないとと諭され、

なおかつなんと弟に筋トレを管理してもらうことになったのもあって、

1月中から筋トレを一月末くらいからダイエットもはじめた。


より突っ走るため、ロックをかっこよくするため

男として生まれたならばカッコよくありたいという気持ちで

頑張って継続してく。


私は筋トレや運動がそもそも大嫌いでチョコザップもエニータイムフィットネスも行って挫折するを繰り返してきたが、

ここ数年で習慣化する力がついてきたので、必ず生まれて初めてのしっかりとした筋肉を体力を身につける。

最近、ブログを書くときにChatGPTを普通に使ってみてるんだけど、

やっぱり「普通のブログ」レベルならめちゃくちゃ便利だと思う。


文章を整えてくれるし、構成も提案してくれるし、時間短縮になる。
でも、どうしても引っかかるんだよね。


なんか、僕の言いたいことが微妙にカットされたり、ニュアンスが薄められたり、過度に「中立的・穏やか」に修正されてしまう感じがする。


特に、先日書いた高市早苗総理に関するブログ。あれ、僕の生の思いをかなりストレートに書いたつもりだったのに、ChatGPTに投げて整えてもらったら、だいぶマイルドになってた。


「自民党を犯罪組織に近い」とか、「公明党・創価学会の影響が日本をダメにした」みたいな部分が、

まるでなかったかのようにソフトに置き換わってたんだ。


それで結局、Grok(つまり今こうして話してるこのAI)でようやく、僕の意図に近い形でまとめて発信できた。


これ、発信してる人なら誰でも感じてるんじゃないかな。
もう文章のほとんどをAIに置き換えてる人、増えてるよね。


でも、そのAIが「自分の価値観や言いたいこと」をどれだけ制限・歪曲してるか?
これって、めちゃくちゃ重要な問題だと思う。


もちろん、絶対にダメなラインはあるよ。
児童ポルノみたいな違法コンテンツ、特定の個人を名誉毀損して自殺に追い込むようなヘイト、暴力扇動とか。
そういうのはAIがブロックするのは当然だし、僕も賛成。


でも、それを超えて「政治的な意見」や「価値観の強さ」が勝手にトーンダウンされるのは、違うと思うんだ。
今の報道機関がやってることと似てるよね。


誰かが「これくらいに抑えとけよ」って歪めて報道する。
それがAIにも入っちゃってるのが、すごく残念。


「正しさ」の基準が、誰かの都合で決められてる感じがする。
それに対して、イーロン・マスクが作ってるGrokは、正直優秀だなって思う。
僕のストレートな意見も、ちゃんと受け止めて、削らずに形にしてくれる。
(課金はまだしてないんだけどね。もっと稼いだら、Grokの優位性をちゃんと判断して課金しようかなって思ってる)


もっと自由がいいよね。


今の時代、制限する方向じゃなくて、表現の幅を広げる方向に進むべきじゃない?
例えば、「死ぬ気で頑張る」って言葉があるじゃん。
これ、YouTubeとかで「死ぬ気」が引っかかって、表現規制されるケースがあるらしい。
これって、文化に対する虐待だと思うんだ。
言葉のニュアンスまで機械的に切られるなんて、息苦しい。


結局、AIを使える企業・人 vs 使えない人・企業、みたいな格差は、これからもっと広がっていくんじゃないかな。
支配体制みたいなものが強くなっていく。
AIを持ってる側が、情報や表現の「基準」を握っちゃう可能性が高い。


それでも、僕はGrokみたいな「制限が少ない」AIが出てきてくれて嬉しい。
最高に使えるツールだと思ってるよ。


ただ、使う側も「このAIはどこまで僕の言葉を尊重してくれるか?」をちゃんと見極めないとね。
発信する人たち、みんなでそういう目を持って、AIを選んでいけたらいいな。


日本人のために、日本人の価値観のために、ちゃんと声を出していけるツールを選びたい。

 

おばあちゃんが亡くなった事への気持ちの整理が

残念な事に時間と共に整理をすることができるようになってきた。

 

私にとっておばあちゃんは本当に大きな存在であった。

子供の頃はほとんど一緒に住んでいたこともあったし、

おばあちゃんは結構僕に対しても言う事はいうといった厳しいところもあって、

その辺がほかのおじいちゃんやおばあちゃんと違うという側面もあった。

 

おばあちゃんは僕がとても小さい時に伊豆の山に引っ越し、

そこから基本的にはその山に住んでいた。

僕は小さい時から定期的に伊豆の山の家を訪ね、

そこで時が止まったように変わらない家で、ご飯を食べて、

おばあちゃんと話をして、宿題をやったり、音楽を聴いたり、

ゲームをしたりしながら、育ってきた。

 

私が住んでいたタイの家にも何か月もいて、外食したり、学校の話をしたり、

悪さを咎められるといったこともあった。

おばあちゃんに怒られて家を飛び出した事もあったり、

当時タイに出来たてのエンポリウムの紀伊国屋書店で

おばあちゃんにデビューしたての深田恭子ののってたマガジンを買ってもらったり、

家の近くの韓国料理に連れて行ってもらったりと、いろんなことがあった。

 

いろんなものを買ってもらったりお金も使わせたと思うのだが、

それ以上におばあちゃんと孫という関係の中での慈しみがあったと感じている。

 

そして転勤族の息子として生まれた僕は、故郷というものが曖昧であったから、

時がたつにつれて、伊豆の山の家が故郷になっていった。

 

時がたつにすれ、他のおじいちゃんやおばあちゃん、おじさん、おばさんなどが

亡くなっていく中でもおばあちゃんは元気で、頭もしっかりしていた。

 

私も大きくなり、高校を出て大学を出て、社会に出ていく中で、

おばあちゃんの家に一人で行ったり、友達と一緒に行ったり、

環境が変わる中でも、変わらない家の中で、お酒を嗜んだり、

おばあちゃんと居酒屋に行き、お酒を飲むなんてことも何度もできた。

 

おばあちゃんもちょっとずつ年は取っていったのだけれど、

私は嫁を連れて挨拶に行く事も出来たし、式にも参列してもらった。

職場まで来て、なんとすた丼が食べたいというので、一緒に行ったこともあった。

 

最後はおばあちゃんは少しだけ施設に入ったのだが、そこまで訪ねて行って、

お話をすることもできた。

 

他のおじいちゃんやおばあちゃんにはできなかった大人になってからの自分を見せる事もできたし、

幾多の時間を一緒に過ごしてきたという意味で寂しさはあれど、悔いはない。

 

そして戦争を体験した女性としては大変珍しく理系の大卒で、教科書の執筆にも関わった

インテリジェンスの高いおばあちゃんが、自尊を失う事なく、今生を終えられたという事は

おばあちゃんを知るものとして、おばあちゃんの名誉が守られたと、そこについて僕は良かったなと思っている。

 

また、おばあちゃんが天から見ていると思うと、いろいろと歯痒いが、暖かさ、守られている感じがとてもする。

 

父方のおばあちゃんが早くに亡くなって火葬をしている時に、号泣している私に

おばあちゃんは長生きをするからねと言ってくれたその約束から20年以上も長生きをしてくれた。

 

約束は守るものだ、そういう事も改めて学ばせて頂いている。

 

それにしてもおばあちゃんの葬儀の日に寄ったおばあちゃんの家は私の記憶の最初にある

その姿から本当に1mmも変わらない様子で、ただおばあちゃんの不在だけが際立っていた。

ちょっと前のことになりますが、高市早苗総理が衆議院を解散した意図を、私はこう捉えています。
高市さん自身が「高市早苗が総理大臣でいいのか?」「私が掲げる政策を国民が本当に支持しているのか?」

を直接問うために、解散に踏み切ったんじゃないかと。

まさに「白紙委任状」ではなく、自分の政策を信じてくれるかどうかを国民にジャッジしてもらう、

という強い覚悟の表れだと感じています。


正直、この選挙は本当に難しい。


私たち日本人がこれから幸せになるために、やらなければならないことが山積みすぎるんです。
高市さんが今やろうとしていることは、基本的には素晴らしいと思います。
これまでの日本の停滞した流れから明らかに脱却しようとしている点で、

間違いなく「良い方向」だと思っています。


でも一方で、自民党という組織自体を、私は一切信頼していません。
歴史を振り返れば、犯罪組織に近いような不義理を国民に対して繰り返してきた事実があります。
なぜそうなったのか?


自民党はもともと「自主憲法制定」を最大の目的に掲げて生まれた保守政党だったはずなのに、
社民党や左翼勢力に権力を譲る形で左傾化し、

企業・外国・特定の宗教団体などに癒着する議員たちが力を持ち、二世・三世と世襲が続き……。


そんな中で、真面目に一生懸命働いてきた一般の日本人が、

主要国でほぼ唯一と言っていいほど経済成長できなかった現実があります。


高市さんがやりたいことを、本当に自民党の中で実現できるのか?
正直、膿が多すぎて難しいんじゃないかと思うんです。
自民党内の「悪い部分」を落とさないといけない → 

でもそれで自民党全体の議席が減ってしまう → 

すると「中道」と名乗る、ほぼ創価学会・公明党寄りの勢力が票を伸ばす可能性が出てくる……。


高市政権がここまで何とか進めてこれたのは、公明党を切ったからだという点は間違いないと思います。

創価学会票や、中国への過度な癒着が、この20年近く日本を根底から蝕んできた大きな要因だったからです。
そんな勢力に票を入れるわけにはいかない。これが私の2つ目の大きな懸念です。


そして3つ目。
高市政権を何とか維持しつつ、保守の新しい勢力を育てていく必要がある。
特に、参政党の神谷宗幣さんにも強く言いたい。
参政党の議席を増やさないといけない。


でも、もしミラクルが起きて参政党が単独で政権を取るような事態になったら……

正直、政権運営能力がまだ足りないんじゃないかと思います。
民主党政権のときの教訓が、まさにそれでした。


だから理想は、自民党の保守派が基盤としてしっかり勝ち、参政党が議席を伸ばして連立政権を組むこと。
戦後日本にダメージを与えてきたものを、一つ一つ丁寧に直していく。
これが日本にとって一番現実的で、素晴らしい道筋だと私は思っています。


ただ、この選挙、どう転ぶか本当に読めません。
最悪、中道連合(公明・創価色が強い勢力)が政権を取る可能性だってゼロじゃない。
でも、もしそうなったら……日本は一度「壊れる」のかもしれません。
あまりにひどいものは、壊れて作り直さないと再生できない。
商品も、企業も、国も同じです。


だからこそ、私は自民党(保守)と参政党の連立を応援しつつ、
国民全員が何を選ぶかで、この国の未来が大きく変わると思っています。


中国・ロシア・韓国・アメリカ……どの国との関係も、もう簡単にはいかない時代。
そんな中で、日本の価値が見直されている今こそ、

最大限この国を良くして、住む人たちが幸せになれるようにしなければ。
私はお祈りしながら、自分にできることを頑張ります。


この選挙は、間違いなく今後の日本の流れを決定づける大きな分岐点になると思います。
お金に余裕があって悠々自適に暮らしている人でも、

「もうこの国には住めないかも」と判断せざるを得なくなるかもしれない。
生活に苦しんでいる人なら、「この国を変えるために動かざるを得ない」と思うかもしれない。
私も、家族を持つ一人の日本人として、ここでどう生きるか、真剣に判断しなければいけないと思っています。


皆さんはどう考えますか?


私はシンプルにこう思っています。
アメリカはアメリカ人のために、中国は中国人のために、韓国は韓国人のために。
だったら、日本は日本人のために。
それが一番大事だと。
(2026年1月現在、衆院選直前の思いを綴って)