会社をやってきて、もう間もなく2年になる。
本当にいろんなことがあった。そして、まさに今もいろんなことがある真っ最中だ。いいことと、解決しなくちゃいけない課題が次から次へと出てくる。毎日がその繰り返しで、終わりはない。
日々の判断、その重さ
経営をしていると、日々あらゆる判断を迫られる。
ここはうまくやらないと揉めるな、という場面での言葉遣いや対応の仕方。謝るべきなのか、それとも毅然とするべきか。押すべきか、引くべきか。投資するべきか、しないべきか。
どれも正解がない。というか、正解は後からしかわからない。その中で、毎回何かしらの答えを出し続けなければならない。これが経営というものの日常だ。
そしてこの2年でよくわかったことがある。判断の質を左右するのは、知識でも経験でもなく、結局のところ自分自身の心持ちだということだ。
心が受け止めきれないもの
プレッシャー、ストレス、不安、責任。経営者にはこれらが常につきまとう。
どうしても心が重くなる時がある。それは当然のことだと思う。自分一人で抱えるには大きすぎるものが、容赦なく押し寄せてくるのだから。
でもこれは、僕だけの話じゃない。世の中には、とんでもない状況の中で会社を回している経営者や、責任ある立場で踏ん張っている人たちがたくさんいる。みんな、それぞれの重さを抱えている。
問題は、心が受け止めきれないほどのものに対して、どうやって対処していくか。これに尽きる。
倫理法人会で聞いた言葉
最近、営業の兼ね合いもあって倫理法人会に参加している。
そこでよく言われるのが、「明朗——明るく朗らかに」「愛和の笑顔でいなさい」「ニコニコしていなさい」「喜んで働きなさい」ということだ。
正直、最初は精神論だなと思う部分もあった。でも、歴戦の経営者たちがその場に参加して、真面目にこういう話をしている姿を見ると、考えが変わってくる。何十年も荒波の中で生き残ってきた人たちが、口を揃えて「心のあり方」を語っている。それには、やはり理由がある。
荒波に船を出すということ
経営というのは、荒波の中に船を出すような行為だ。
穏やかな海だと思って出港しても、コロナのように一気にドーンと大波が来ることがある。リーマンショックもそうだった。そもそも日本の社会自体が30年近く停滞している中での航海なのだから、平穏な日のほうが珍しい。
その中で生き残ってきた会社、生き残ってきた人たちは、力技だけでは突破できない壁を経験している。資金力や戦略だけでは乗り越えられない局面が、必ず来る。
そういう時に何が残るかといえば、やっぱり心のあり方なのだと思う。
柳のメンタル
僕がよく自分に言い聞かせている言葉がある。「柳のメンタル」だ。
柳の木は、強風が吹いてもポキッと折れない。しなやかに揺れて、風をやり過ごす。風が止めば、またすっと元に戻る。
経営者のメンタルも、これと同じだと思っている。
硬く強くあろうとすると、いつか折れる。かといって何も感じないように心を閉ざしてしまったら、大事なものを見落とす。しなやかに受け止めて、揺れながらも折れずに立っている。それが理想だ。
明朗であること。朗らかでいること。笑顔でいること。喜んで働くこと。
言葉にすると簡単に聞こえるけれど、プレッシャーの中でこれを実践し続けるのは本当に難しい。でも、だからこそこれは真理なんだろうと思う。簡単にできることは、わざわざ何十年も語り継がれたりしない。
すべてに通ずるもの
2年やってきて、改めて思う。
心持ち、メンタルというものは、経営のすべてに通じている。判断の質も、人との関わり方も、チームの空気も、全部つながっている。自分の心が暗ければ、出てくる言葉も判断も暗くなる。自分の心が明るければ、不思議と周りも動き出す。
まだまだ道半ばだし、これからもいろんな波が来るだろう。でも、柳のメンタルで、明るく朗らかに、しなやかにやっていく。
そう決めている。
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やっぱり野球というのは面白い。
先日のWBC2026、韓国対オーストラリア戦。3月9日、東京ドーム。これは歴史に残る素晴らしい野球の試合だったと思う。
韓国の執念、再び
韓国の野球は、こういう大きな舞台では、特に2006年から2009年にかけてのWBCがそうだったように、執念によって自分たちが持っている力以上のものを出す。
それによって多くの番狂わせやドラマチックな試合を演出してきた。
今回もまさにそうだった。
韓国が準々決勝に進むための条件は、5点差以上の勝利かつ2失点以内。
韓国メディアですら「果たしてオーストラリアを2点で抑えられるのか」と悲観的に報じていたほどの、ほとんど不可能に近いミッションだった。
結果は7対2。韓国の勝利。しかも見事に「5点差以上・2失点以内」という条件をクリアして、2009年以来17年ぶりのベスト8進出を決めた。
2回にムン・ボギョンの2ランで先制し、3回にはイ・ジョンフの適時二塁打で追加点。5回にもムン・ボギョンがタイムリーを放って5点目を奪い、まさに「取るべき時に取る」野球を見せた。
オーストラリアが5回にグレンディニングのソロホームラン、
8回にバザーナの適時打で反撃しても、韓国はすかさず取り返す。流れを絶対に渡さない。
3度の併殺で相手の攻撃の芽を摘み、7人の継投で走者11人を出しながらも粘り強くしのいだ。
特にイ・ジョンフ。主将としてチームを引っ張り、打っては適時打、守っては終盤のダイビングキャッチで流れを引き寄せた。
韓国のベテラン投手陣も、緩急を使い、ここは絶対に打たれないという気迫のボールを投げて抑えていった。
9回、アン・ヒョンミンの犠飛でダメ押しの7点目。東京ドームに韓国選手たちの涙があふれた。
昭和の野球漫画を見ているような
この試合を見ていて思ったのは、いわゆる昔の昭和の野球漫画で描かれていたような根性論、
「絶対に負けてはいけない、負けたら終わりだ」というあの執念が、
そのまま2026年のグラウンドに再現されていたということだ。
オーストラリアが点を取ったらすぐに取り返す。流れを一瞬たりとも相手に渡さない。
データでは測れない「心」の部分が、試合の行方を左右していた。
正直、かなり感動した。
一方、アメリカは
一方で、今大会のアメリカだ。
メジャーリーガーを大量に招集し、「宇宙レベルの野球チーム」と言われるほどの戦力を揃えた。ジャッジ、ヘンダーソン、クロウ・アームストロング
名前を並べるだけで震えるようなメンツだった。
ところが蓋を開けてみれば、イタリアに6対8で敗戦。
序盤に8点差をつけられ、終盤に追い上げたものの及ばず。
デローサ監督が試合前に「準々決勝への切符は手にしている」と発言していたことも批判を浴びた。
3勝1敗で全日程を終え、イタリア対メキシコの結果次第では予選敗退という、信じがたい状況に追い込まれている。
アメリカの野球は、今やデータがすべてだ。マイナーリーグでは数字が基準に達しなければ試合にも出さない。
ピッチクロック、牽制の回数制限、野球自体がどんどんシステマティックになっている。
それがメジャーリーグ主導で進められてきた。
でも、野球ってそういうものなのか。
データでは測れないもの
韓国の野球を見ていて、強く感じたことがある。
野球は、あまりにも力の差がありすぎれば結果は明白だ。
でも、ある程度以上のレベルに達したチーム同士がぶつかると、実は勝ち負けが本当にわからないスポーツになる。
そこには、心とか、流れとか、誰もがその存在をはっきり認識しているのにデータ化できないものが確かに作用していて、試合結果を左右する。今回の韓国の「奇跡」は、まさにそれだった。
もちろん、データに基づいたウェイトトレーニングやシステマティックな練習は必要だ。
ピッチャーとバッターの相性を踏まえて打線を組むのも大事だ
俺が野球を見始めた頃に比べて、明らかに球速も打球速度も平均的に上がっている。それはデータの恩恵だろう。
でも、もう少し気持ちとか、練習量とか、「絶対に勝つ」という意志の力を信じてもいいんじゃないか。
データで最適化された野球が、なぜ韓国の執念に負けるのか。
アメリカの宇宙レベルの戦力が、なぜイタリアに足元をすくわれるのか。
そこにこそ、野球というスポーツの本質がある気がする。
久しぶりに震えた
個人的な話をすると、かつて大量失点差からの延長の裏でで藤岡選手のホームランで同点に追いつき、あっという間にサヨナラになったロッテとソフトバンクのクライマックス以来、ここまで感動した試合はなかった。
韓国対オーストラリア戦は、野球が持つ「何が起こるかわからない」という魅力を、これでもかと見せつけてくれた一戦だった。
データは大事だ。でもデータだけじゃない。
心が、流れが、執念が、試合を動かす。そのことを改めて思い出させてくれた韓国チームに、敬意を表したい。
やっぱり野球は面白い。
耳の下の脂肪腫を切除して、1週間ほど飲酒をしていないのもあるのかもしれないが
ここ数日時間があると、一度寝るとずーっと寝てしまうという。
変な症状が時折出てしまっている。
寝てしまうぐらいだったらやりたいことも多いし
向かい合わなくちゃいけない課題もある
耳の下の脂肪腫を切除して、1週間ほど飲酒をしていないのもあるのかもしれない。
いっぽう、朝の4時とかに起きて出かけることもあったりするので。
寝られるときは、寝ないとなというぐらいの、気持ちがあって
用事がなければ目覚ましはかけないぐらいにしているのだが、
そんな時にいつまでも起きられないという、それとかなり長い夢を見てしまうというね。
日中にかなり仕事をしているっていうのもあるかもしれないが、
たまに寝る以外でリラックスの時間を持つことも必要なのかもしれない。
とはいえ無理のない程度に目覚まし時計をかけて、
過剰に寝てしまうことがないようにしなくちゃな
私はロングスリーパーで6時間はどんなに少なくても睡眠は必要な方なのだが、
それでもどんなに寝ても8時間ぐらいで抑えたいところだ。
対策を打たないといけないな。
2026年3月11日。東日本大震災から、とうとう15年が経とうとしている。
あの日の記憶
2011年3月11日、俺は社会人1年目だった。ちょうど自分の部署がブラックだということに気づき始めた頃だ。
当時から今の家に住んでいて、一緒に暮らしていたおばのことが心配で、すぐに帰った。
帰ったら、瓦礫というか、倒れた棚や食器に埋もれたおばを救出した。あの光景は今でも覚えている。
それなのに、ブラックの極みみたいな野郎から「てめえ帰んじゃねえよ」としつこく連絡が来た。
家族が埋もれてるのに何を言ってるんだ、こいつは。そしてそいつも帰ってたのだ、俺より前に。
そして、そんな日なのに、いつもの飲み屋に行った。本当にバカな20代の自分。
1週間の休みが出たとき、正直に言えば、ブラック部署から解放されたことが嬉しかった。
東北にも行かず、テイルズの派生作品みたいなRPGをやっていた。今思えば、なんてことだろうと思う。
我欲と天罰
当時、石原慎太郎が「天罰」と発言して、すごい非難が起こった。
石原さんも謝罪をしたけれど、その後に『我欲と天罰』という本を出した。俺は時たまこの本を読み返す。
あの本が突きつけていたのは、日本社会のひどい官僚主義、ひどい既得権益の構造だった。
またモラルの低下が書かれており、亡くなった親の死を隠して、生活保護や年金をもらい続ける人間がいる。
象ですら仲間が死んだら埋葬するのに、人間が我欲のために、亡くなった人へのリスペクトすら失っている。
あの本はそういうことを問題視していた。
俺もまさにその通りだと思っていた。
15年経って、どうなった
15年経ってどうだろうか。
日本は本当に沈没しかけているような、かなりひどい状況になってきた。
昔はビール500円でも「結構高いな」と思っていたのに、今はビール500円で飲めたら「安いな」と思うくらい物価は上がった。
給料は上がるどころか下がっている。移民の問題、外国にお金を配る話、相変わらず根本的な問題には誰も触れようとしない。
既得権益を突き抜けて世の中を変えようとするトリックスターたちは、
すべて檻に叩き込まれるか、社会的信頼を失わせられる。そんな社会がずっと続いている。
能登の震災もあった。東北の復興だって、まだまだ傷跡が残っている。
本当に偉い人なんだったら何とかしてやれよ。何のためのルールなんだ、何のための権限なんだ。
15年経って今みたいな社会になって、今生まれてきた子供やこれから生まれてくる子供に、
一体何を引き継げばいいんだという状況だ。社会の一員として、本当に申し訳なく思う。
もちろん、自分なりにもがいてきたつもりではいるけれど。
作る側の人間
自分がまず既得権益の仕組みにぶら下がって、
その後に子供や家族をぶら下げて、誰かが血の滲むような思いで作ったものを食いつぶしていく。
そういう構図がこの国にはある。
でも、「作る側」の仕事が大事なんだよな、やっぱり。
コップに入れた水はいつか飲み干してなくなる。コップ自体も割れてしまったら、また新しく作らなくちゃいけない。
この「新しく作る」という意識を持っている人が、あまりにも少ない。
力のある人たち、能力を持っていると自負する人たちは、まず社会に貢献するべきだろう。社会に還元するべきだろう。
この国の良さを、忘れるなよ
コンビニに行けば、おにぎりが最高に美味しくて、安くて美味いお酒がいくらでも買えて、
ちょっとした時に入ったスナックのママがすごく優しくて、料理上手で。
東京から電車で1時間も乗れば田園が広がっていて、緑や花がこんなに綺麗で。
どこの街に行っても街があって、美味しいものがあって、泊まるところがあって、文化がある。
そういう国を、守らなくちゃいけないんじゃないのか。
失ってみて初めてわかるんじゃないのか。
みんな黙ってて、本当にこんなもんでいいわけがない。
悔しいよ。本当に優しい人が全然報われない。いい人が隅っこに追いやられていく。
実際に価値を作った人が、正当に評価されない。
15年経った今も、変わらないこの社会に対して、強い憤りを感じている。
大谷翔平があのドラマチックな三振を奪ってから、もう3年が経つ。
あの頃、僕はちょうど前職を辞めたばかりだった。
2月の9日か10日が最終出社日で、
あまりに人生が変わりすぎて、しばらくぼーっとしてしまった。
会社に行かない日々。今まで当たり前だったものが全部なくなる感覚。
1ヶ月くらいは、会社の人たちからの送別会やら、いろんな人との飲みやらで、気づいたら3月になっていた。
3月に入って、ふと思い立った。昔の会社の後輩に会いに、大阪へ行こう。
そこから各駅停車に乗って、広島、山口、福岡と西へ西へ。ホステルに泊まりながら、
福岡の屋台で酒を飲みながら、WBCをずっと見ていた。
見知らぬ街で、見知らぬ人と、酒を飲みながら野球を見る。あれはとても不思議でドラマチックな旅だった。
帰ってきた頃は、まだ先が何も見えていなかった。
会社を経営するなんてことは思いもよらなかったし、
でもどこかで、結局そういうことになるのかな、なんてぼんやり考えてもいた。
WBCの熱狂を見ながら、ふわふわしていた。あの頃の自分は、まだ何者でもなかった。
3年経った今、状況はまるで違う。
現実的な仕事のプレッシャー、会社経営の重さ。そういうものを日々背負いながら、またWBCが始まる。
今回は千葉ロッテの種市篤暉投手が侍ジャパンに選ばれた。
壮行試合では自己最速の156キロを叩き出し、1回を完全投球。ロッテからはたった一人の選出だ。
千賀滉大に師事しながらWBC球への対応を磨いてきたという話を聞くと、その覚悟の深さに胸が熱くなる。
ぜひとも世界にTANEICHIの名前を轟かせて、いずれはメジャーに旅立ってほしい。それが今回の僕の一番の見どころだ。
種市はドラフト6位かなんかで指名されて、すぐに頭角を現し始めた時、
球場で一緒に見ていた今は倒れてしまった義母にこの投手は日本を代表する一人になるよと言った私は
意外にも野球を見る目があると思う。
ちょっと前に書いたブログだが、その後圧倒的なパフォーマンスを見せている種市。
このままWBCを駆け抜け、今期ロッテで力をそのまま発揮すればメジャーだろう。
寂しい気持ちもあるが、是非夢を叶えてほしい、彼は十分にロッテに貢献したと思う。
WBCは本来力を発揮すべき近藤などが眠ってしまっているのと、
本来日本が得意とするスモールベースをオーストラリアにやられていたりするので、
井端監督は現役の時のような知的なスモールベースボールを実施して、日本を優勝に導いてほしい。
がんばれ!!
野球はドラマチックだ。野球から学ぶことがあるし、心が動かされる瞬間がある。
だから本当に楽しみなのだけれど、正直に言うと、3年前とは見方が変わってしまった気がする。
今の自分の立場と、マウンド上の緊張感を、どうしても重ねてしまう。ピリピリしながら見てしまうのだろうと思う。3年前のように、ゆったりと、頑張っている人をどこか遠い世界の出来事のように眺める
あの見方は、もうできないのかもしれない。
でも、すごく楽しみだ。
もし決勝まで進んだら、その時はまた立ち飲み屋にでも行って、朝から観戦しようかな。
多分、時差の関係で朝からになるだろうけど、3年に一度のお祭りだ。それぐらいは許されるだろう。
人生を振り返りながら、また3年後の自分がどうなっているかを想像しながら、今年のWBCを見届けたい。
最近、今のロックにあまり心が響かない。代わりにHip-Hopやフォークを聴くと心を動かされることが多い。
今のロックの人たちは演奏がうまいし、楽曲もよくできている。でもどこかスマートすぎる。
機械のように超絶技巧の演奏をこなしていく。
僕自身もギターの精度を上げようとしているし、
仕事でもらった楽曲はなるべく精度の高い音楽に仕上げるということをやっている。
でも、心に響くのはやっぱりパッションなのだ。
バンドでライブをやるとき、いつも感じることがある。「ギターは熱だ」ということだ。
もちろん自分はそこまでギターがうまいわけではないから、ミストーンも出すし、
練習時間がなくて適当にギターソロを弾いたりもする。
でも「いいね」と言われるときは、決まって「音がいい」とか「熱いね」と言ってもらえる。
僕が憧れてきたギターヒーローたちも、精度という意味では今の若い世代の方がうまい。
でも彼らの魅力は、情熱や人柄がガーンと音に出ているところだった。
仕事でいろんな人に会ったとき、「この人、本気だな」というのが伝わってくると、心が動かされる。
この人のために何かできないかな、と自然に思える。
僕自身、人間だからかっこつけたい。つまらないカッコつけもする。
でもそれよりも、自分の汚いところや弱いところを出していくこと、思いを言葉にすることの方がずっと大事だと思っている。
今、動画制作の仕事に加えて、音楽をやりたい人を助けたり、音楽のコミュニティを運営するビジネスにも着手している。
営業に行く機会も増えた。そのとき、仕事に対する熱や、自分の生き様に対する熱をどう伝えるか。
プレゼンでもパッションをどこに出すかは、常に意識している。
パッションは、多分AIには出せないものだと思っている。
AIについて、僕はよくこのブログにも書いているが、
「AIは危険だから全く使うな」という派閥と「AIを使えば全て解決する」という派閥の0か100かの議論が多くて、
これは問題だと思う。
実は僕自身、AIで作られたコンテンツは大好きだ。ちょっと不謹慎かもしれないが、
山本太郎さんがラップで戦っているようなAI動画とか、つい見てしまう。
モラルの部分は置いておくとして、ああいうコンテンツには作った人の頭の中から出てきたユーモアやギャグ、
その人の馬鹿さや人間性がにじみ出ている。
面白さというのは、その人が生きてきたものから生まれるものだ。
AIが出てきたことで初めて動画を作る人たちもいるだろう。
でも、「動画を作ってみたい」とか「こうしたら面白いんじゃないか」というひらめき
それは、間違いなく人間のものだ。
結局のところ、テクノロジーがどれだけ進化しても、人の心を動かすのは人間の熱だ。
泥臭くても、不格好でも、そこにパッションがあるかどうか。
僕はこれからも、その熱を大事にしていきたい。
僕は音楽制作をしていて、最近は人前で話す機会も増えてきた。
そんな中で、ずっと感じていることがある。人の心を動かすのは、結局「パッション」なんだということだ。
この前、動画制作の仕事で、コストをあまりかけられない案件があった。
ナレーターを使わずにAIナレーションで済ませようと思って作ってみたのだが、どうにも心が動かされない。
声は綺麗だし、抑揚も人っぽい。冷静に話している人間のような声も出せる。でも、何かが足りない。
動画というのは、商品を素晴らしく見せたり、会社の埋もれた価値を引き出して社会的意義を伝えたりするためのものだ。
自社サービスの動画を作っていたのだが、AIの声ではそれが全然気持ちよく伝わらなかった。
思い切って発声練習をして、自分で声を張ってナレーションを入れてみた。
自分の声というのはむちゃくちゃ気持ち悪い。歌を歌うときもコーラスをするときもそうだ。
音程が極端にオンチなわけでもないし、人前でよく通る声だとは思う。
でも、プロの歌手も言っていることだが、みんな自分の声が嫌いなのだ。
だから抵抗はあった。
でも、自分の声に気持ちを込めて、抑揚をつけて話したら、動画にものすごく熱さが出た。
その翌日くらいに、ビジネスコミュニティの仲間のプレゼンを見る機会があった。
すごくクオリティが高かった。
AIで自己紹介動画を作り、会社の資料を渡すとそのまま説明動画にしてくれるというサービスだ。
僕もそのサービスはすでに買うことにしている。
でも、まさにあの違和感を覚えた。内容はしっかりしている。
見栄えもいい。だけど、パッションが見えない。
仲間に伝えたいのは、「どうやってパッション出す?」ということだ。
人の心を動かすとか、人の行動を喚起するというのは、僕の中ではかっこよさやスマートさではない。
泥臭さ、パッション、情熱だ。
続きます。
最近、一番トレンディーだと言われているAIが「Claude」というやつだ。
ChatGPTやGoogleのAI、Geminiあたりから今どんどん人が流れてきている。
その理由は多分、AIエージェントという領域に片足を突っ込んでいるところと、
コードを書く機能がものすごく充実しているところにあるんだと思う。
このブログも実験的にClaudeを使って書いているんだけど、文章の精度は結構高い。
実際に使ってみて「精度の高いAIだな」と素直に感じた。
人に送るメッセージみたいなものを自動でブラウザを動かして書かせたこともある。
ただ、まだまだ確認が必要だったり精度の問題もあって、
正直なところ自分の業務にその自動化のシステムをそのまま組み込むのはちょっと難しい。
でも、これが発展していけばどんどん使えるようになっていくだろうなという確信はある。
一人で仕事をしているからこそ、自動化の波には乗りたい
この自動化の波に乗らないと、乗り遅れる部分も出てくるなと思っている。
特に一人で仕事をしている身だから、できるところは効率化して、
自分は確認だけをやっていく——そういう仕事の作り方をしていかなきゃいけないなと感じている。
ゆくゆくはアルバイトさんに教えて、単純作業やちょっとした書類の整理、
デジタルデータの管理、定型的な事務業務みたいなものを外に出せるようにしたい。
そのための下地作りとしても、AIの活用は避けて通れない。
Claudeは文章がすごくナチュラルなので、しばらくブログを書くのに使おうかなと思っている。
とはいえ、予定ではAIを使ってブログを書くのは3月まで。
だから3月中に、Claudeがどういう文章を生成するのか、どういう癖があるのかを掴むためにもガンガン使っていきたい。
なんだかんだ言って、Googleの課金はやめてClaudeに乗り換えた。
本当に日進月歩のすごさで、ちょっと驚くようなことをしている人たちも出てきている。
たとえばFacebookのいいね稼ぎ、自動でF5を連発してアクセス数を水増ししたり、
定型文の仕事紹介や営業メールを大量に作ってLINEで自動送信したり。
確かにビジネスとしては短期的に効果があるのかもしれないけど、信頼を下げるリスクもあるよなと思う。
実際、周りにもそういう使い方をしてアカウントを凍結されたり、
LINEやFacebookメッセンジャーが使えなくなって困っている仲間が結構いる。
AIを使うにもモラルが必要な時代になったんだなと改めて思う。
僕もAIは割と使うほうだけど、大事なのは「なんでAIを使うのか」「AIを使って人の役に立てないか」という視点だと思っている。
倫理的な安全感というか、そこはとても大事にして使っていったほうがいい。
便利なツールだからこそ、使い方を間違えると自分にも周りにも跳ね返ってくる。
AIとの付き合い方、これからもっと考えていかないといけないな。
やばいやばい。今日のブログ書いてなかった。
最近、深夜に一人で仕事をしていることが多い。夜中にお客さんから連絡が来て、それに答えてたり、電話でお話を聞いてたり、LINEしてたら「あーもうこんな時間かー」なんてことがしょっちゅうで。夜分遅くまでずっと働いてるっていうのは、自分の人生の中では結構初めてのことだったりする。
もちろん、趣味で音楽制作をしたりとか、人から頼まれたことをちょくちょくやるみたいなことはあったんだけど、こうどっぷり仕事に浸かるっていうのは、なんか不思議な感覚だよね。
で、夜に一人でいると、なんとも言えない気分になる。
仲間がいる感覚もあるし、実際本当にいろんな人に助けてもらってる。それは間違いない。でもやっぱりね、一人の孤独みたいなものが、夜はやたらとしみる。この感覚は、一人で仕事するようになって初めて味わうタイプのものだと思う。
でも、むしろ求めていたものでもあるんだよね。組織の中にいて、その歯車として働いているジレンマみたいなものはもうないし。仕事は本当に面白いなと思ってる。
最近、龍が如く7を始めたんだけど、あれ、会社経営でお金を稼ぐパートがあるじゃない。あれに非常に共感して、サバイバルなところもそうだし、社会の矛盾と戦っていくみたいなストーリーもすごくわかるなと思って。ただ、途中から忙しくなっちゃって手が止まってる。
というか、ここまでリアルだと、現実で働いてる方が楽しいなっていう。なんかゲームやってるみたいなんだよね、現実が。
僕は人生がドラゴンクエストだと思っていて。山あり谷あり、レベルアップしたりとか、お金が入ってきたりとか。その中で入ってきたお金で、武器を買うのか、防具を買うのか、薬草を買うのか、あとはぱふぱふしてもらうのか。いろいろ考えなくちゃいけない。
で、一人で旅をしながら、仲間を探してる感じなんだよね。
今ね、すごく力強い業務委託の方がいて、その人が女性なんだけど、僕にとってはムーンブルクの王女みたいな存在で。僕が剣一本持って前線で戦ってるところ、後ろから魔法を使って助けてくれるみたいな。ああ、一人旅の孤独がちょっと解消されたなって、泣きそうになるくらいありがたいなって思ったりする。
まあなんか、人生ってのは面白いよね。
いろんな人がいて、いろんな人とお話をしたり、遊んだり、励まされたり。時には「違うよ」って怒られたりとか、いろんなことを急かされたりとか。そういう中でやってるんだけど、毎日そういう成長の機会があって刺激的だなって思う。
実質ゼロベースなどと言っておきながら
いざ、選挙で勝ったら、早速高市首相は特定技能2号について受け入り人数の上限なしと発言をしたとのこと
特定技能2号は下記を満たす必要があり、現状では一定の難しさをクリアできて仕事のできる外国人だと認定しても良いと思う。
①ビジネス・キャリア検定3級取得
②製造分野特定技能2号評価試験の合格
③日本国内に拠点を持つ企業の製造業の現場における3年以上の実務経験を有すること
しかしいくつもの問題があり、私はこれを移民政策の名前を変えただけの制度と考え、強く政府を非難する。
①家族の呼び寄せが可能であること
中国人などが家族と称し関係のない人を大量に呼び寄せ、その人達が実質移民のような存在になる危険性がある。
その人達は日本語も喋れない、文化も違う。
犯罪やトラブルの温床になる。また自治体によっては生活保護の不正受給の恐れもある。
小学校などに日本語の喋れない児童が入ってきており、日本人の児童の学習の妨げになる可能性がある。
②特定技能2号のレベルを落とす可能性
民間の資格も徐々に簡単になったり、難しくなるということがあったときに、合格率が上がり、能力のない外国人が資格を得てしまう、または大量に制限なく入ってきてしまい、その結果①でいったような実質の移民である家族も入ってくる。
また日本国内の製造業で働いた経験3年というのもグレーな業者は出てくるのではないか?
私は死んでもやらないが、会社の定款に製造業と記載して、何か適当な作業でも与えるか、実質業務をしたことにして、3年間の実務経験を外国人に認可するような不逞企業が絶対に出てくると考えている。
実際に経営者としていろいろな場所に出入りすれば、
補助金、外国人関連、その他諸々、
グレーな領域に踏み込む事業者ははいて捨てるほど見聞きするものだ。
③日本人の賃金が下がる可能性があること
自民党が保守に傾いても頑なに移民を推進するのは、大企業の労働力の問題がある。
私自身も会社をやっていて、安い労働力は喉から手が出るほど欲しいものだ。
そこで外国人を雇い、人件費を削減したい気持ちもわかるが、私はそれは日本を売ることだと思う。
度々このブログでも話しているが、ヨーロッパなど移民を受け入れ治安が地に落ちた国々は多いし
日本の最大の売りである平和や安定した社会が担保できなくなる。
また倫理的に言えば日本は日本人の国であり、まず優先して助けるのは日本人である。
そして言語や慣習の問題から日本人が働いた方が日本の企業にとっては楽であり、仕事の質も高いはずだ。
それであれば社会保険料や消費税を見直し日本人を雇用しやすくする方が先ではないか。
従業員だったころはこれっぽちの給料しか上がらんのに、社長はあんなにお金をもらってと思ったものだが、実際は上記の理由で社員さんに高い給料を出してあげるのは本当に大変なことなのだ。
日本の働く世代を元気にするには日本人の手取りを増やし、お金を使ってもらうことだ。
そういう調整をするのが政府だというのに困ったものだ。
日本人の人口がカーブのように減り、移民がカーブのように増えれば、必ず日本人が平和に暮らせる社会も文化そのものも壊れる。
日本人の数を増やす子供を産むための施策や補助金の徹底をやったらどうか?
財源は生活保護の廃止、外国人留学生の奨学金の廃止、
あとは私はそこまで詳しくはないが国債の発行。あとはアメリカ債の中長期的な売却など段階的であればやるべきだと思う。
外資系企業や外国人の土地からはかなり高い税金を取るべきと思う。
日本企業でも外国系の株主の割合によって法人税を定義して取っていく必要もある。
自民党はどこまでいっても腐った政党である。