前回は斉藤ひとりさんについて書いた。

斉藤ひとりさんからは、物事の捉え方を明るくするのか暗くするのか

ネガティブをポジティブに変えるという影響を受けた。今回は苫米地英人さんについて書きたい。


苫米地英人さんからは「抽象度」という考え方で、ものすごく影響を受けた。


苫米地さんに出会ったのは、会社を辞めた2023年のことである。

前田日明さんのYouTubeに怪しいヨガの親父が出ていて、

その人が対談していた相手が苫米地さんだった。それで苫米地さんの本を読むようになった。
苫米地さんのイカレ方

今まで会ったことのないようなクレイジーな考え方をする人だなと思って興味を持って読み始めたのだが、

本当にすごいなと思ったのが抽象度の概念である。


視座と抽象度
経営者の世界では「視座」という言葉をよく使う。

どの位置から物を見るか、視座を高くすると低いところまでまとめて見える、というような使い方だ。

自分も経営者の人と話す時には視座という言葉を使う。

しかし実は腑に落ちきらないところがあった。先に苫米地さんに出会っているからである。
苫米地さんは視座を「抽象度」という言葉で説明している。
例えば「猫」。これは抽象度が高い概念である。

猫の中には、うちで飼っているタマちゃんもいるし、

タイにいるシャム猫もいる。「猫」はタマちゃんもシャム猫も同時に包括している。


しかし「猫」という高い位置からタマちゃんを見ると、タマちゃんのことは非常に浅くしか見えない。

タマちゃんの話をするなら、タマちゃんのところまで抽象度を落とさなければならない。

タマちゃんはうちの猫で、魚はカツオが好きで、チュールをあげるとカツオばかり食べてチュールを全然食べない

そういう具体的な説明ができるようになる。
逆にタマちゃんから抽象度をどんどん上げていくと、猫になり、その上が動物になり、さらに上が生き物になる。

生き物という抽象度まで上がると人間も包括できる。

人間を包括できるということは、

あなたも私もYOSHIKIも石原慎太郎も高市早苗さんもトランプ大統領も、全部包括できるわけである。
ただし、生き物という概念からトランプ大統領を見ると、あまりにも遠すぎてトランプ大統領の説明が難しい。

だから虫眼鏡で覗くように抽象度を下げていって、トランプ大統領は昔実業家でという話ができるようになる。
こうやって物の見方の視座をコントロールしていくということである。
抽象度の切り替えが仕事を変える
これが自分にとって非常に重要だった。


会社員をやっていると、ある程度の視座で固まった中でずっと生きてしまう。

気づけば自分が今コントロールできている頭の中、持っている知識

それが全てだと思ってしまう。全ての人がそう思っているのだと思ってしまう。


大間違いである。


自分よりも頭の良い人もいるし、そうでない人もいる。

自分と違う考え方をする人もいる。左に行く考えもあれば右に行く考えもある。

ポジティブな考えもあればネガティブな考えもある。AIを知っている人もいれば知らない人もいる。

音楽を知っている人もいれば知らない人もいる。

知っているといっても、その深さは人によって異なる。

人によって価値観も知識も考え方もまったく違うのである。


その物事の考え方、知見、今まで生きてきた価値観。

これを実はコントロールしてあげなければならない。

人と話すということは、この人がどういう人なのか

年齢もそうだし、生きてきた世代観や価値観にフォーカスするということである。
その観点を上下させたり左右させたりして、

相手というぶれないカメラに対して、きれいに映るようにレンズを調整してあげる。

それが抽象度という概念なのだと自分は理解している。


苫米地さんの理論には、ゴールの概念やバイオパワーの概念など、勉強しなければならないことがたくさんある。

しかし自分はこの抽象度という概念に最も影響を受けた。
特に仕事をしていると、抽象度の切り替えができないと仕事ができる相手が限られてしまう。これは非常に問題である。

独立すると本当にいろんな人がいる。自分のような音楽家業だと、みんなお客さんになる可能性がある。

お客さんにしなければならない可能性もある。
そうなると、その人の人間そのものにフォーカスする技術がすごく大事で、そこに抽象度という概念がとても役に立つのである。


苫米地さんはギターコレクターでもあるし、自分はすごく苫米地さんが好きだ。

ただ苫米地さんは視座が高すぎて理解できない人も多く、非難されることもある。

でもこの抽象度の切り替えについてだけは、本当に真理をついていると思う。

人生の転機というものがある。皆さんにとってもあるだろうし、テレビをつければいつだって誰かの人生の転機について何かしらの特集をやっていたりする。本当にすごい人の転機が、とても小さなことだったりして驚くこともある。自分の人生の転機も、大きく見えるものもあれば、他人から見たらちっちゃいものだなと思われるようなものもあるのだろう。


自分にとっての転機

おそらく他人から見たらとても小さな転機で、物理的に見たらただ生活している自分がそのままそこにいるようにしか見えないようなもの。でも確かにこれが転機だったなと思うものがある。
斉藤ひとりさんとの出会いである。


直接お話しできたり会食したりしたわけではない。とある日にたまたまYouTubeで斉藤ひとりさんの講演が自動再生で流れてきた。ただそれだけのことだった。
それまでの自分は、真面目な家庭で育ち、反抗もしたし親に迷惑もかけたが、基本的には真面目に生きてきた。ロックとの出会いでアウトローに行ったつもりが、気づけばまた真面目な世界に戻っていた。音楽をある程度安定してやっていける環境があったのに、それができなくなるようなことが人生に起きた。
よく「あいつ腐ったな」という話があるが、自分もまさにそうなった。酒ばかり飲んで、毎日のように飲み屋に通っていた。その時期にいろんなところで酒を飲む中で、今のグルメ道

食通としてのテクニックや知識を身につけたわけだが、本業の仕事には一切身が入らなかった。


そんな時期に出会ったのが斉藤ひとりさんだった。
それまでの人生は、恐怖を中心とした世界観で動いていた。これ以上の大学に行かないといい企業に入れないから人生が終わる、頑張りなさい。こういう会社に入れなかったら人生が大変だ、頑張りなさい。ネガティブシンキングでずっと来ていた。仕事もそう。みんなこれを真面目と呼ぶし、自分もそう思って生きてきた。


初めて大きな挫折をした時、なんだろうと思った。こんなに恐怖に従って生きてきたのに。サボることも逃げたこともあったけど、自分としては怖いものを避けるためにやってきたつもりだった。それなのに全然うまくいかない。

斉藤ひとりさんは「地球が天国になる話」という本の中で、こんなことを言っていた。

人間は一回何か悪いことが起きた時に、その悪いことを2度、3度、4度と、100回、200回、300回と、ずっと自分を責め続ける。償った罪をずっと裁いている悪徳裁判官が心の中にいる、と。


そういうものはなくした方がいい。悪い言葉は言わない。とにかくポジティブに。自分の機嫌は自分で取る。周りが暗いのはあいつのせいだと思うのではなく、自分が太陽になる。明るくポジティブな言葉を使い、愚痴や悪口は言わない。人に対して愛情を持って明るい言葉を使う。


斉藤ひとりさんの言葉には、ものすごい説得力があった。実績もあった。人生って明るく考えていいんだ

そう思い始めた。

本を読み漁り、「この野郎、クソ野郎、ぶっ殺してやる」と思った時に、その言葉を否定してあげるような習慣を少しずつつけていった。


これが本当に人生の転機だった。事態が好転していったのである。

ポジティブに考えられるようになると、世界が変わった。
本当に音楽をやりたいんだよな、もう一回バンドをやってみようか、

友達と演奏してみようか、と思うようになった。

仕事も、目の前の人と向き合って酒でも飲んで本音を聞いて、つまらないと思っていた仕事でも面白くやってみようか、ワイワイ騒いでみようか、と。


開運にも興味が湧いた。いろんな本やホームページを見て、三峯神社に行き、秩父の三峯神社に行ったらここはすごいところだと感動した。いまだに毎年参拝している。


チャンスにしがみついてみようと思えるようになった。その先に、自分にとってのヒーローと呼べる人とのレッスンがあり、大きな仕事が生まれ、何よりもその人たちと親しい関係になれた。

ポジティブになってみたら、世の中の問題に対して自分に何ができるのか考えるようになったし、

目の前に困っている人がいたらなんとかしてあげられないだろうかと思えるようにもなった。
暗さを消していった時に、光明が見えてくるという経験をしたのである。

今でも大事な商談の前日には斉藤ひとりさんの本を読む。大体30分くらいで読める本が多いのだが、読むと底抜けに大丈夫だなと気持ちが軽くなる。

本を読んでカツカレーでも食べて、軽く楽しく遊びに行くような気持ちで商談に臨む。

もちろんスーツをしっかり着て、お菓子を持って行って、相手が喜ぶようなことを準備はする。

でも心は安らいでいる。サウナにいるような感覚で人と話ができる。

学生の時の面接で手に「人」の字を書いて飲んでいたのとは真逆である。不思議とうまくいく。


斉藤ひとりさんがよく言う「振動数が人生を変える」という話、10年以上意味がわからなかった。

振動数って何だよ、人生の中で振動なんかしないだろうと。

でも最近思うのは、振動数というのは、心がぶわっと広い感覚のことなのだと思う。

余裕に満ちあふれて、慈愛がある感覚。

自分の場合で言えば、何の不安もなく朝からホッピー通りに飲みに行くような感覚。人によってはディズニーランドに行くような気持ちかもしれない。


チェーンソーでぶった斬ってやりたいようなクソ野郎に会う時も、

ディズニーランドに行くような気持ちでいる。

するとクソ野郎がミッキーになっている。

ふざけたことを言うなと思われるかもしれないが、

実際そうなのである。これは物の見方の話なのだ。


斉藤ひとりさんは結局、物の見方で世界を変えるということを教えてくれた。今不幸だと思っている人も、辛いなと思う人もいるだろう。でも日本で普通に暮らしていて、味噌汁とご飯が食べられる。それを「ただの飯だ」と思って食べるのと、「美味しいな」「ありがたいな」と思って食べるのとでは全然違う。道に咲いている花を美しいと思う。

そういう日常の幸せの大事さを斉藤ひとりさんから学んだ。
こういう考え方になるまでに、10年くらいかかった。
シビアに、楽観的に


最近とあるアワードに行って、めちゃくちゃ明るい人とそうでない人を見た時に、

明るい人の方が成功しているということが明らかに見えた。物の見方を変えること、自分の過去や今置かれている状況に対して楽観的に、でもシビアに考える。シビアに楽観的に考えるということが大事なのだと、

100点でできているわけではないが、強く思っている。


自分に対する捉え方、自分の人生の捉え方。話を聞いたら涙が出るくらい辛い経験をしてきた人もいる。でもその人が生きてきたこと、辛い思いをしたことも含めて、とても価値があると思っている。
だったら、少しだけ明るく捉えてみませんか、と言いたい。


絶望があったかもしれない。愛し続けた人に裏切られたかもしれない。

騙されて地獄に落ちたと思ったかもしれない。

でもその時に出会った人に、あなたは優しくできたかもしれない。

その経験を持って。その優しくされた人が、すごく救われたかもしれない。

それはあなたの絶望があったからこそあった話なのである。
そんな絶望はなかった方がいいと思うだろう。

当然だ。

でもその人はあなたの優しさに救われたということがある。

それってすごくいいことなのではないかと思う。
誰かに怒られるかもしれないが、僕はそう思う。

前回は子供の頃のパワプロとの出会いから、大学時代までのロッテファン歴を振り返った。

今回はその続き、社会人になってからの話である。

ここからが、僕が本当の意味でロッテファンになっていく物語だ。


社会人、挫折、そしてロッテへの逃避


社会人になると、お金も入るようになったし、アルコールも一気に飲むようになった。

ストレスもあって、友達と野球を見に行く回数がかなり増えた。

確か岸投手にノーヒットノーランを決められた試合なんかも、この頃に見ている。


僕にとって大きかったのは、挫折経験とロッテの結びつきである。

ちょっとした挫折があった。その時の自分としては全てを失ったと思うぐらいのものだったが、

今から振り返れば大したことはないし、むしろ必要な経験だった。

ただ、その渦中にいた僕の逃げ場がプロ野球だったのである。


仕事そっちのけで、かなりロッテにのめり込んでいった。

ちょうど伊東監督の時代で、ドラフトで今の西武ライオンズで活躍している平沢大河選手が入ってきたばかりの頃だった。

涌井投手がエースで、石川投手や荻野貴司もいた。清田や大松も残っていて、成瀬はもういなかった。

伊東監督のロッテには「南」や「ロッテの大谷」と呼ばれた選手もいて、

誰も知らないような地味だけどいい選手がいた。

今は名球会入りしそうでずっとならない益田投手や、

井口もいた。サブローの引退試合も見た。


毎日ロッテの成績をチェックし、毎日のように試合を見ていた。

前職は社会人野球が強いところだったから、社会人野球も一緒に応援したりして、

野球そのものにどんどんのめり込んでいった。


野球本の海に溺れる


ちょうどKindleの読み放題にも入っていた時期で、Kindleにある野球本は全部読むくらいの勢いだった。

特にノムさんの本は本当に擦り切れるほど読んだ。

広岡達朗さん、落合さん、ああいう野球の名将たちの本を何度も何度も読み返した。


その頃はまだ自分の抽象度というか、自分自身の能力が低くて、読んでも十分には入ってこなかった。

だがかなり頭には入っていたようで、今になってみると「野球こそ人生」と言えるくらいになっている。

人生の問題や人生のあれこれは全て野球で例えられるし、

野球を参考にして何かを考えるという癖も、あの頃についたのだと思う。


若手選手たちへの親心


平沢もそうだが、安田、横浜で活躍している佐々木千隼投手、藤原、佐々木朗希。

それ以外にも種市や、もういなくなってしまったが成田投手、加藤翔平、田村、山口。

ドラフトで入ってきた選手たちはみんな、自分の子供のような感覚がずっとしている。

つい野球観戦をしていても声を出してしまい、売り子のお姉ちゃんに「汚い言葉で言わないでよ」と怒られたこともあった。


その頃、もう周知の事実だから言っても構わないと思うが、

黒木さんのお嬢さんがマリンスタジアムで酎ハイを売っていた。

僕はその時期、ビールを一切飲まなかった。

黒木さんのお嬢さん、メイさんは今はロッテ中心のタレントさんをやっていて、

お父さんがイケメンだからかすごくきれいな子なのだが、

その子の酎ハイを買うのが本当に僕の生きがいだったくらい好きだった。


伊東監督から井口政権へ


僕にとってのロッテの監督といったら、山本功児さん、ボビー・バレンタイン、伊東勤さんである。

特に伊東勤さんの時代は、本当に野球を見た。

そうこうしているうちに井口の引退試合があり、井口資仁が監督になった。


ロッテというのは、スーパースターが本当に現れないチームである。

球界を代表するような選手がなかなか出てこないのが特徴なのだが、

佐々木朗希が入ってきた時は本当に嬉しかった。

ロッテに松坂大輔のような存在がやってきたということが、信じられないくらいだった。

佐々木朗希が投げる日は何としてもマリンに行くという感じになっていたし、

クライマックスシリーズに進出した時はほぼ必ず一試合は観に行っていた。
ロッテを追いかけて、北は札幌ドームにエスコンフィールド、仙台、西武ドーム、大阪ドームまで足を運んだ。


福岡の屈辱
サラリーマン時代にすごく悔しかったのは、クライマックスシリーズでの出来事である。

コロナの時期に1位と2位の直接対決のようなシリーズがあり、福岡での試合のチケットを確保した。

1試合目と2試合目は取れなかったが、3試合目のチケットは手に入れた。

ワクワクして飛行機も取り、会社の休みも取った。
だがロッテが2連敗して、チケットが紙切れになってしまった。ちょっと泣いた。


それでも生まれて初めて一人で福岡に行き、屋台やグルメを味わって、福岡は本当にいいところだと思った。

ただ翌日、二日酔いで街を歩いていたら、ホークスの歌がどこに行っても流れていて、

本当に腹が立ったのを覚えている。


宿敵ソフトバンク
僕のじいちゃんはアンチ巨人だったし、弟もアンチ巨人、父も基本的にアンチ巨人である。

だが僕はアンチソフトバンクなのだ。
ずっとやりあってきた相手である。僕の悲願は「ロッテの勝率1位からの日本シリーズ制覇」で、

生きている間にそれが実現するかどうかわからないが、それを阻んできた宿敵がソフトバンクなのである。

南海ホークスの歴史は好きだが、ソフトバンクはどうしても好きになれない。
以前ロッテにオスナというピッチャーがいて、そのオスナがソフトバンクに強奪された時は、

契約したばかりのソフトバンクの携帯もネット関連も全部解約して、

違約金を払って別の携帯会社に乗り換えたくらい腹が立った。

我ながらなかなかの行動力だと思う。


ロッテは人生とイコール
ロッテというのは、僕にとって人生そのものである。
現時点でサブロー監督のチームはとても満足できるような野球はしていないし、

去年も本当に弱かったし今年も強くない。

でも伊東監督時代から井口政権、吉井政権と見ていくと、結構Aクラスにも入っているし、

クライマックスではいい思いもさせてもらった。


特に一番良かったのは、延長の裏で億千金の一打による逆転サヨナラを見た時だ。

ファンのみんなと抱き合って喜び、インフルエンザをもらった。あれが僕の見てきた試合の中ではベストゲームだったと思う。


現地では見ていないが、佐々木朗希の完全試合も忘れられない。

ロッテが本当に一面を飾るというか、世の中の中心に来るという経験で、あれは本当に気持ちよかった。

佐々木朗希とソフトバンクの千賀の投げ合いを見に行った時、

佐々木朗希のストレートを初めて現地で見てボールが消えるという体験をした。

あのスピードは、本当に得難い経験だったと今になって思う。


それでもロッテを愛し続ける理由
ロッテというチームは、応援していて報われることが少ない。

ここが優勝だという時ほど最下位になってしまうし、

編成やフロント、コーチの人事、佐々木朗希の移籍問題など、

傍から見ても組織としてどうなんだと思うことも多い。


だがやっぱり、子供の頃からずっと好きで、いろんな思い出がある。

球場で食べたもつ煮の味、マリンの空気、選手の涙、井上晴哉の引退セレモニー。

人生の酸いも甘いも、「ああ、あの時のロッテだな」と思い出とともに蘇ってくる。

結婚して新婚旅行に行くためのスーツケースを買っていたら伊東監督が辞任したニュースが飛び込んできて、

そっちで頭がいっぱいになったこともあった。


野球を通して前職の同僚とも仲良くなったし、家族との会話も野球があるから成り立っている部分がある。

野球好きな人がいれば、どんな球団のファンとでも話せる。

何人かのプロ野球選手にも会ったことがあるが、自分がどんな立場にいても、

ロックミュージシャンが僕にとって天上人であるのと同じように、プロ野球選手はやはり特別な存在である。


いくらソフトバンクが嫌いでも王貞治さんは偉大だと思うし、

長嶋茂雄さんも星野さんも落合さんもノムさんも神様だと思う。

連覇を成し遂げたV9の巨人、広岡・森の西武黄金時代、ダイエーを強くした王さんの時代。

いろんなプロ野球の歴史があって、それに対するリスペクトは深い。


やっぱり野球はいい。そう思う。
そんな感じで、野球大好きな私でした。

Facebookのお友達に向けて、自己紹介を兼ねたブログをいろいろ書いている。

ロックのこと、酒やグルメのこと、読書のこと。

長年付き合ってきた人たちにとっては「そんなの知ってるよ」という話ばかりだが、

最近お友達になった方々にとっては、僕がどういう人間なのかまだ何も知らない状態だろう。

だからこそ改めて、僕にとって欠かせない存在である千葉ロッテマリーンズのことを振り返ってみたいと思う。


スポーツが苦手な少年と、父親のパワプロ


僕は子供の頃から本当にスポーツが苦手だった。

今でもそうである。

運動神経が悪いというのはどういうことかというと、

カラオケに行けば理屈抜きでどうしても音が合わないという人がいるだろう。

僕の運動に関する感覚は、まさにあれと同じである。

自分からスポーツをやるということはなく、強制的に柔道をやらされていたくらいで、

それも大して上手くはならなかった。


そんな僕の父親というと、僕が覚えているのは接待でどこかに飲みに行っているか、

休日にスポーツニュースを見ているか、そんなイメージばかりである。

子供の頃は父親が見ている野球やサッカーを一緒に眺めていて、

親父が買ってきたのかはわからないが、ウイニングイレブンなんかのサッカーゲームもやっていた。

ワールドカップのときには日本だクロアチアだアルゼンチンだブラジルだと、見よう見まねで騒いでいた。


ところがある日、父親がNintendo 64のパワプロを買ってきたのである。


それで一緒に遊ぶようになった。

野球を一人で見ているのはなんとなく気まずいという思いもあったのかもしれないが、

僕自身はバットにボールが当たったら右に走るのか左に走るのかもわからないような状態だった。

パワプロを通じて、打ったら一塁に向かって右から走っていくんだとか、

ファールとかストライクとかボールの意味とか、野球のポジションとか、そういうことを一つずつ覚えていった。


なぜロッテだったのか
生まれは小平だから、本来は西武ライオンズのエリアにいた。

でも僕には昔から、誰かが用意してくれたような環境とは違うところに行きたがるようなところがある。

ロッテを好きになったきっかけは、多分あんまり強くないということと、

当時のマスコットが結構可愛かったということ。そんな素朴な理由から始まった。


パワプロをやるだけではなく、親と一緒に野球のニュースも見るようになった。

そのときに出会ったのが黒木知宏投手である。

今はロッテのピッチングコーチをしているが、

当時の黒木の投げる姿を見て、どんどんロッテが好きになっていった。


ちなみにプロ野球を初めて生で見に行ったのは、

物心がついてからの記憶では、亡くなった爺ちゃんにせがんで当日券で入った西武とオリックスの試合である。

これが僕にとってイチローを生で見た体験だった。本当に爺ちゃんには感謝しかない。


バンコク時代とマリンスタジアム
当時タイのバンコクに住んでいたから、

日本に一時帰国するたびにロッテのマリンスタジアムに連れて行ってもらっていた。

親戚のおばちゃんに連れられて行ったマリンスタジアムは、当時ガラガラだった。

今のサブロー監督とかが練習していて、ボーリック選手のような外国人選手もいた。

ボーリック選手に手を振ったら、サブローもボーリックも手を振り返してくれた。

そんな些細なことが、子供の心にはものすごく残るものである。


マリンで中村紀洋が大きなホームランを打ったのを見たこともあった。

パワプロで調べていった選手たちが、実際に目の前で動いている。

それがたまらなく楽しくて、どんどん野球が好きになっていった。


OBへの興味と図書館通い


パワプロにはOB選手というのがいて、とっくに引退した選手たちがゲームの中に登場する。

長嶋茂雄さん、王さん、星野さん、落合さん。ロッテだったら村田兆治さん。

こんなすごい人たちが昔いたんだと知ると、興味が止まらなくなった。

学校の図書館でOBが書いた本を借りてきては何度も読み、

返してはまたしばらくして借りて読むということを繰り返していた。


プロ野球の現在進行形も好きだが、その歴史の部分にもとても惹かれるようになった。

現役選手を追いかけるだけではなく、プロ野球という文化そのものの奥深さに触れていった時期だったと思う。


転校生との出会いと、ロッテファン確定の瞬間


中学に入ったとき、幕張から転校生がやってきた。

そいつとめちゃくちゃ仲良くなった。運動神経のいいやつで、野球少年で、

幕張から来ているから子供の頃からロッテの試合を見まくっていた。

選手のサインなんかもあっちの子供は当たり前に持っていて、

サイン帳みたいなものをくれたのである。

これで一気にロッテファンになることが決定づけられた。


僕がすごく思い入れのある人物に、山本功児監督がいる。

だいぶ前に亡くなられてしまったが、

あの時代にいた黒木さん、サブロー、「サンデー晋吾」こと小野晋吾投手、清水直行さん、初芝さん、堀さん、小坂さん。ああいう選手たちには、今でも敬意と郷愁を感じるところがある。


ロックに夢中だった2005年
実はその頃にロックに出会ってしまい、ロッテが一番輝いた2005年のボビーマジックの時期は、ロックに夢中だった。

高校1年のとき、学校の行事で伊豆大島に行って、旅館のテレビでマリーンズが阪神をボコボコにしているのを見ていた。

いわゆる「33-4」である。

どこかロッテらしくないなと思いながら眺めていたら、

周りのみんなに「バンちゃんの好きな珍しいロッテがこんなに勝ってすごいね」と言われた。

あの瞬間のことは今でもよく覚えている。


高校から大学、野球場での青春
高校から大学へと進むにつれて、一人でもロッテの試合を見に行くようになった。

小学校からの親友も大学くらいからロッテファンになり、一緒に観に行ったりもした。

大学になると背伸びをして里崎のユニフォームを買い、

渡辺俊介投手のユニフォームを買い、野球場でアルコールを飲むという楽しさも覚えた。


弟が中日ファンだったから、神宮に行ったり横浜スタジアムに行ったりもした。

もっと小さい頃には、神宮で星野仙一監督がすごい形相で歩いているのを見たこともある。

リアルタイムで野村克也さんが楽天の監督になったりして、

ノムさんのような野球のレジェンドの本を読み漁ったりもした。

野球というものが、どんどん自分の心の中に入り込んでいった時期である。


ノムさんに関して一つ言うと、大学の就職課の職員さんが親父の友達だったということがわかり、

その人にいろいろとよくしてもらっていた時期があった。

あるときホテルニューオータニの喫茶店でコーヒーを飲んでいたら、ノムさんとサッチーがいたのである。

ノムさんが大好きだったから話しかけたかったのだが、結局話しかけられなかった。今でも後悔している。


本当のロッテファンになるのは、まだ先の話
ここまで振り返ってみて、ロッテのファン歴としてはまだ浅い時期の話である。

小学校5年生か6年生くらいからロッテのファンではあったが、

僕が本当に心の底からロッテファンになるのは、実は社会人になってからの話なのだ。
この辺りを書くと長くなるから、続きは次回に。

ブログではこれまで自己紹介として、グルメの話や心の世界の話、スターになりたいという気づきの話などを書いてきた。

でもさすがにそろそろロックの話もしなければならないだろう。


子供の頃の自分は、大人しさと衝動性を両方兼ね備えたような子供だった。

ドラクエやファイナルファンタジーをおとなしくやっている一方で、変な正義感を発揮して急にいじめっ子を殴ったり、

そのまま学校から帰ってきてしまったりする。ぼーっとしているところもある、まあかわいい子供だったと思う。


ただ、自分の中にはどうしようもない衝動があった。自分の思いを言語化できない、ふつふつとした何か。

ちょっとした破壊衝動のようなもの。それを晴らしてくれるものが、ロックだった。


最初に聴き始めたのはB'zだったと思う。

ラルク、LUNA SEA、GLAYあたりはほぼリアルタイムで直撃した世代で

、音楽をやっている人たちがかっこいい、曲がかっこいいと素直に思っていた。


決定的だったのは、やはりX JAPANである。
Silent Jealousyを聴いたとき、脳に直撃した。

「殺す」という言葉を歌詞に入れているのに、

曲は聴いたことがないくらい激しくて美しい。

これをやるしかないと思った。
当時、タイのバンコクに住んでいた。

同じマンションに結構お金持ちの不動産屋さんがいて、

その人がヤングギターというメタル寄りのギター雑誌をギターごと譲ってくれた。

さらにリッチー・ブラックモアズ・レインボーの「ファイナル・カット」というDVDもつけてくれて、

リッチーのかっこよさに触れ、よりギターにのめり込んでいった。


本当に弾けないのに、

音源もなく、ヤングギターに載っているタブ譜をひたすらなぞり続けるということをやっていた。


中学から高校にかけて、いろんなアルバムを買ったり借りたりした。

伊藤政則さんが書いているメタルやハードロックのCDレビューを読んで、

こんなアーティストがいるのかと一つ一つ確認していった。


そして運命的な出会いがあった。当時BLUELANDというバンドでメジャーデビューした北原さんという人が、

近所のハードオフで働いていたのである。

金髪の店員さんで、ギターのチェックをするときにイングヴェイ・マルムスティーンのようなギターをバリバリ弾く。

話しかけてみたら、すごくかわいがってもらえた。


「これ買え」とラウドネスやジューダス・プリーストを勧めてくれたり、

トニー・マカパインのCDを聴かせてくれたり。

北原さんはお酒を飲まない人で、日産スカイラインに乗せてくれて、

デニーズでドリンクバーを飲みながらロックの話をしたりした。

 

多分そのつてと思うが、エリア51というヘビーメタルバンドと知り合って、打ち上げに参加し、

若気の至りでいろいろやったりもした。ロックを体と脳みそで覚えていった時期である。


高校は、みんなが名前を聞くとおーっというような学校に通っていた。

でも実際は本当にロックのことしか考えていなかった。

ロックのことしか考えていないくせに、当時はギターの弾き方もコードの作り方も、

自分がかっこいいと思うものの定義すら、本質が全然わかっていなかった。

今振り返れば、当時の自分に1年間くらい伴走してロックを教えてあげたいと思うくらいである。


でも、とにかく純粋だった。好きなものにはバイト代を全部つぎ込んだし、

ひたすらMDに入れて聴いた。

攻撃的で、ネガティブで、それでも好きだった


当時の自分は、自分の価値観と違うものや違う人に対して折り合うことができなかった。

相手のことを理解してあげることもできず、すごく攻撃的だったし、ネガティブだった。

当然、女の子にもモテなかった。


それでも、すごく好きだったのである。ロックが。
今もそうだ。特に日本の90年代のJロック、ヴィジュアル系から2000年代にかけての音楽、

80年代のハードロック、70年代のハードロック、80年代から90年代のヘビーメタル。

ドラクエやファイナルファンタジー、ファルコムの英雄伝説の音楽もルーツではあるが、やはりロックが中心にある。


今ではかなりフラットに音楽を判断するようになった。

若い人が聴いているもの、流行っているもの、他のジャンルの音楽もちゃんと分け隔てなく聴いて、

いいところを探そうとしている。でも、あの頃に聴いたものよりかっこいい音楽は見つからない。


これは学術的にも言われていることで、思春期や若い頃に触れた芸術に対する感性というのは、

やはり年齢とともに鈍っていくものらしい。

だから自分がシンセサイザーVが出てくるまでボーカロイドを認められなかったのも無理はないし、

逆にボーカロイドのあの声じゃないと歌じゃないと思っている後ろの世代がいるのも理解できる。

今、生成AIで曲を作るのもいいと思うが、B'zのFireballとAIで作った曲を比べたら、

自分はFireballの方がずっとかっこいいと思ってしまう。

でも今10代でAIに出会って衝撃を受けた人にとっては、B'zやXよりそっちがクールなのだろう。

いつ生まれて、いつ何にぶつかったかということなのだと思う。


ロックやメタル、ハードロック、ヴィジュアル系の何がそんなに好きなのか。

やはり人間が生きている熱さである。グワーッと出てくるような音の衝撃。


筋肉少女帯のような忌憚のない表現。ギタリスト橘高文彦さんの、生きづらさがギターに出ているような、

熱さと苦しさが素直に表現されたもの。

ZIGGYの底抜けの明るさ、メロディの美しさが熱いビートと一緒にくるあの感じ。

亡くなってしまったBUCK-TICKの櫻井敦司さんの、この世のものではないような格好よさとミステリアスな雰囲気

ああいうものはSNSの時代ではもうアーティストに感じることができないのかもしれない。

イングヴェイ・マルムスティーンのように、ギターと音楽と音色と生き方が全部一つのフォーマットとして成立している人。


そういうものの眩いばかりのエネルギーが、自分の人生を今の形にしたのだと思う。

たびたび書いていることだが、日本にはすごく細かいカースト性のようなものがあると思っている。

サラリーマンの息子はサラリーマンになるし、会計士の息子が会計士になるということも珍しくない。

その引力の力はすさまじい。
自分も典型的なサラリーマン家系に生まれた。中の上くらいの家庭で、不自由なく育った。

ロックが好きだと言いながら、気づけば普通にサラリーマンを13年もやっていた。

カーストの引力に見事に巻き込まれたわけである。
それが今、一人でロックを中心にして、音楽の仕事をしている。

ロックをやるために社長業までやっている。

これは自分が憧れたロッカーたちのパワーがいかに強かったかということの証明なのだと思う。


本当に大好きだ。ロックが。

「目の前の現実は、自分の心が映し出したものだ」

宗教やスピ系の世界でよく言われるこの言葉。正直、ロジカルに考えると意味不明です。心がどうやって物理的な現実をいじっているのか、まったく説明がつかない。私自身、ずっと半信半疑でした。

でも最近、「ああ、そういうことかもしれないな」と腑に落ちる瞬間が増えてきたので、今日はその話を書きます。

人生のどん底で出会った斉藤一人さん
私が「心」というものを意識し始めたきっかけは、斉藤一人さんでした。

それまでの私はネガティブな環境・習慣・人間関係の中にいて、

「ネガティブでいないと不真面目なんじゃないか」くらいに思い込んでいました。

深刻な顔をしていることが、誠実さの証だと勘違いしていた。

そんな時に斉藤一人さんに出会って、「ポジティブでいいんだ」と肩の力が抜けた。

そこから人生がじわじわと明るくなり始めて、食レポライターの仕事を始めたのもちょうどその頃です。

正直、ポジティブに切り替えただけで現実が変わり始めたのは、自分でも驚きでした。

独立して気づいた「本物のスピ系」の存在


私はもともと、16歳くらいの頃から大槻ケンヂさんのオカルト本や都市伝説、

ムー、レプテリアン、レムリア、アトランティス

ああいうものが大好きで、完全に趣味として消費していました。

ところが独立して会社を経営するようになると、

不思議とそういう世界の「当事者」たちに出会うようになる。

占い師、神様を降ろせると言う方、霊能者、メンタルやスピ領域まで扱うコーチ。

独立した経営者なら、結構な人が同じことを言うと思います。

私は俯瞰でロジカルに人を見るタイプなので、「あ、この人うさん臭いな」というのは割とすぐ分かる。

ただ、その中に明らかに「本物っぽい」人たちも混ざっている。これも事実です。

「努力より先に、心を治しなさい」と言われた日
ある日、めちゃくちゃ努力で頑張ろうとしていた時期に、

心の専門家のような方とお話する機会がありました。その人にこう言われたんです。

「努力はもちろん大事だけど、それ以前に心を大事にしてください。

腕を切ったら傷口にバンドエイドを貼って治すでしょう。

でも心の場合、みんな生傷を放置している。心にもちゃんと向き合って治療してあげると、波動が上がるんですよ」

なるほど、と思って家に帰り、目を閉じて自分の中の「心の傷」と向き合ってみた。

そうしたら——「あれ?これ、もう治ってるじゃん。傷ですらないじゃん」って気づいたんです。

ただ気づいただけ。それだけなのに、心が軽くなって、パソコンを開いたら商談が3つ決まっていた。

ブラックボックスです。論理的には説明できない。でも、起きた。

ロジカルに言い換えると、たぶんこういうこと
「心の投影が現実」と言われると形而上学になって受け入れにくいけど、

私なりにロジカルに言い換えるとこうなります。

1. 選択的注意が変わる
心がポジティブなら、同じ景色からチャンス・好意・余白を拾う。

ネガティブなら、同じ景色から脅威・欠点・拒絶を拾う。

現実そのものは変わらなくても、心が拾うピクセルが変わるので、体験する「現実」は別物になる。

2. 微細な振る舞いが変わる
心が整うと、声のトーン・視線・姿勢・レスポンスの速度・語尾・笑顔の量がわずかに変わる。

商談が3つ決まったのも、おそらく心の変化が態度や文面ににじんで、相手のYesの閾値を超えたんだと思う。

「波動」と呼ぶか「態度」と呼ぶかの違いだけ。

3. 意思決定のノイズが減る
心の生傷を抱えていると、判断に「自己防衛」や「過剰反応」のノイズが乗る。

澄んだ心でいると、単純に意思決定の品質が上がる。逆境や試練に強くなるのも、

プレゼンの精度が上がるのも、ここが効いている。

つまり、

心の状態は、現実から拾うものと、現実に出すものを大きく変える。

これなら、ロジカルにも100%成立する話。

ポジティブシンキングは「マナーに近い義務」だと思う
最後に少し強めの主張を。

私は、ポジティブシンキングは義務に近いと思っています。マナーと言ってもいい。

なぜか。ネガティブの放出は、周りに迷惑をかけるからです。

顔が暗い、しょんぼりしている、ため息が多い

これは周りに余計な心配と気疲れを払わせている。

自分の機嫌くらい自分で取るのは、大人として最低限のスペックだと思っています。

特にSNSで愚痴を撒き散らすのは、私の中では言語道断。

あれは公共空間に生ゴミを投げているのと同じです。

ただし、内側ではネガを否定しないこと
ここは大事なバランスなので付け加えておきます。

「常にポジティブでいなきゃ」を自分に課しすぎると、ネガティブを処理せずに蓋をする方向に行きがち。

蓋をしたネガは結局「心の生傷」として残り続けて、波動を下げる。これでは本末転倒です。

なので私の整理はこう。

外向き(顔・言葉・SNS) → ポジティブはマナー
内向き(自分との対話) → ネガを否定せず、見て、認めて、流す
この内外の使い分けがある人ほど、長期で強い。これは独立してから本当にそう思います。

 

事業を日々やっていると、当然ながら営業活動や出資の依頼、誰かを説得して仕事をいただくということが出てくる。自分の会社の業務の中から絞り込んで提案していくわけだが、その中で最近すごく大事だと感じていることがある。


「自分は何のためにこの仕事をやっているのか」ということである。
元々は会社員だった。なぜ安定を捨てて困難な状況に飛び込んだのか。実は意外とそこが核心だったりする。何のために自分はやっているのか、どう生きていくのか

それがないと、結局誰かに話したときに説得力がない。


自分の場合も、何のために生きているのか、何のために人生の決断をしてきたのかを突き詰めて考えたら、コンフォートゾーンの外にあるものに向き合わざるを得なかった。

子供の時からずっと心の奥底にあったもの。


こんなことを周りの前で言うのはとても恥ずかしいのだが、自分はスターになりたかったのである。


自分がスターだとイメージする人たち。矢沢永吉さん、イチローさん、前職の創業者、フレディ・マーキュリー、オジー・オズボーン、森重樹一さん、YOSHIKIさん、HIDEさん。この人たちはもう間違いなくスターだと思っている。


幼少期の経験に基づくのだと思う。何かに認めてもらいたい、誰かにすごいと思ってもらいたい

その延長線上にある存在を、テレビに映る人たちに無意識に求めていた。幼稚園や小学生の頃から。
今、世の中的にスターといえば大谷翔平さんだと思う。世間のスターだとは思う。

しかし自分にとってはスターではない。

なぜかというと、一人の観測者として「この人はスターだ」と感じる基準が自分の中にあって、それを夜中に思いついてからかなり考えた。


【スターの条件】
第一に、圧倒的な実績。観測者である自分が見て明らかに圧倒的で、本当に憧れるようなものであること。
第二に、高い経済力を持っていて、それをいい方向に使っていること。少なくともそう見えること。
第三に、ぶれない唯一無二の個性。その人としか言いようがない存在感を持っていること。
第四に、生き様がぶれないこと。
第五に、自分から見てかっこいいこと。大変抽象的ではあるが、これが外せない。


実は大谷さんはこの五番目あたりで自分の中では外れている。イチローさんとの違いがわかりやすいと思うが、イチローさんと大谷さんは実績や野球史における偉大さでは並び立つものがある。

しかし自分はイチローさんをスターだと感じる。長嶋茂雄さんもスターだと思う。なぜかといえば、感受性が強い時期

子供の頃や思春期にリアルタイムで見ていたからである。


石原慎太郎さんも好きだ。ぶれない芯があるし、

どこからどう見ても石原慎太郎にしか見えない。

石原慎太郎は石原慎太郎であって他の誰でもないという個性がある。

見た目の部分も含めて、そういう存在感が大事だと思っている。


音楽を心から愛しているからこそ、逆に「俺は音楽をやりたいから生きているのかな」とずっと思い込んでいた。しかし幼少の頃まで遡って考えると、多分違う。

中田英寿さんやイチローさんに憧れたこともあった。その中で自分とマッチしたのが音楽だったというだけで、実は音楽のさらに上に、より高い抽象度の目的があった。

それが最近明確に腑に落ちた。


なので自分がスターと定義しているものに近づいていくことが、人生の目標なのである。だから会社を辞めたし、人生のいろんな決断をしてきた。

無意識のうちに、ずっとそこに向かっていたのだと思う。

今の自分は、音楽を作って人を助けたり、音楽をやりたい人を支援したり、それに付随して動画制作をしたり、場合によっては生成AIの活用を人に教えたりしている。
これは多分、誰かに何かを与えていかなくてはいけないということなのだと思う。自分の持っているものを与えて世の中に貢献する

スターと呼ばれる人たちがやっていることはまさにそれである。

イチローさんは野球を通して、思春期の自分に人間の限界を超える姿を見せてくれた。YOSHIKIさんも常識を超えていった。

 

スターは実は社会に対してのギバーとも言える。


常識を超えたり、大きな価値を与えるために、自分は何ができるのか。

自分なりに考えて実践してきたものが音楽であり、コアスキルになっているものである。そしてそこで能力を発揮するための環境として、リスクを踏んで今の場所に至った。


だからこそ、自分の中で定義しているスター像に忠実でなければならない。

世間がスターだと思っているものではなく、

自分がスターだと思っているものに向かうということである。
こうしたことを説明できること、自分の真の部分として持っておくことが、

今何よりも大事で、かなり優先度の高い概念の一つなのではないかと思う。


これは言語化しておかないと危険で、なぜ音楽をやっているのか、

なぜ社長をやっているのか、なぜ今の商品を売っているのか、

わからなくなってしまう。


そしてこれは多分、自分だけのものではない。

皆それぞれ持っているものだと思う。

自分はたまたま突き詰めた結果「スター」という言葉になっただけで、

他の人にとっては「愛」かもしれないし、

「弱い人が強いものに虐げられるのが許せない」かもしれないし、

「ただ単にエンジョイしたい」かもしれない。

何でもいい。でもできれば言語化するということが大事なのではないかと、

最近強く思っている。

最近、本当にいい人との出会いが多い。人に対しての愛情や配慮があって、他人がそれぞれ持っている技術や知識にリスペクトを感じる。そういう人が増えてきた実感がある。
一方で 特に僕みたいな音楽家から見ると 音楽の技術に対してのリスペクトがあまりにも低い人がいる。悪口を言いたいわけじゃない。ただ、「なめたらあかんで」という話はしておきたい。


最近よく出くわすのが、特にAIに詳しい人 

AIエージェント、例えばClaudeなんかを使いこなしていると思い込んでいるような人間が、他者に対してのリスペクトを忘れているケースだ。


私なりに分析しているのだが、AIエージェントというものを手にした瞬間に、周りの人間がクズに見えてしまうのだと思う。

それで平気な顔をして言ってくるわけだ。


「音楽なんて全部作れるから価値ないですよね」
「クオリティとかっていう言葉もよくわかんないし、作れちゃったらみんな同じになっちゃうじゃないですか」
「声も動画もありふれてAIっぽくなっちゃって、ミュージシャンも価値がないじゃないですか」
これに対して、本当にすごく思うことがある。


AIの音楽は、今本当にすごい。Suno AIやUdio Studioといったアプリケーションが出てきて、

アマチュアの人が当たり前に曲を作れるようになったし、

プロフェッショナル向けのツールもいろいろ登場している。


特に今流行っているのは、AIの専門家を名乗る人がAIにAIを使わせて作業を自動化するというやり方だ。

確かに僕もやっていて便利だなとは思う。


ただ、例えばこういうことが起こる。AIがAIを使ってとある仕事の音楽を作った時に、

キング・クリムゾンの「エピタフ」みたいな曲が出てきたとする。

それを「エピタフっぽい曲だな」と気づけないというのは、まず著作権的にかなりアウトだと思っている。

そして何より、自分自身がその仕事に対するジャッジを出していないということは、

AIに使われているのと一緒なんじゃないかと思うわけだ。


結局、音楽でも映像でも絵でも、

あらゆる表現というのは膨大な勉強によって培われてきた引き出しがあって、初めて狙えるものだと思っている。


例えば「ジャズ」と言っても、コルトレーンなのかマイルス・デイヴィスなのか、

それともジャンゴ・ラインハルトなのかで全然違う。合う映像も変わってくる。


「コーポレートミュージックを作りたい」と言えば、確かにAIを駆使すればそれっぽいものは出てくる。

商品として成り立つかもしれない。でも、本当にマーケティング的に狙っている違和感とか

お金を払ってくれる人の琴線に触れるとか、そういうことは専門家の知見が必要と僕は思っている。

今の段階で、プロが作る本物の手作りの音楽とAIの音楽で一番違うのは何か。

僕が耳で聞いて思うのは、まず音色。そしてミックスという整音の作業とマスタリングという音をプロ仕様に、業界基準に仕上げていく技術。ここが一番差があると感じる。


あとは各楽器のイントネーションだ。

例えばエレキギターで言うと、弦をチョーキングして音程を上げる時に、いろんな弦を触ってしまったり、

あえて触ったりすることで迫力を出す。

こういう「手の痕跡」みたいなものは、まだまだAIにはできていない。
でも、これはできるようになってくるだろう。早い段階に、

どんどんクオリティの高いAI音楽ができてくるし、僕らの耳でもAIなのか手作りなのか分からなくなってくる。

AIの音楽と手作りの音楽が聴き分けられなくなった時、何が起こるか。

僕はアナログへの回帰が起こると思っている。
生楽器だけで、生演奏だけで、シンセサイザーすら使わず、

メトロノームすら使わず、バンドの感覚によるリズムで録音されたもの。そういう音楽に価値が出てくる。


ギターで言えば、僕自身も予算やライブの都合でデジタルな機材を使っているけれど、

これを全てアナログの機材でやる。真空管アンプだけで音を作る。

エフェクターを使うとしてもアナログのディレイ。

小さなエフェクターの中にもデジタル技術は入っているから、それを全部アナログに戻す。

そういう方向に振り切ることが、一つの価値になっていくんじゃないかと思う。


音楽だけじゃない。絵に関しても、現代アートで手で描いたもの、

自分の手で金属を加工して作ったもの、そういう手作りのものに価値が出てくるだろう。

一瞬であらゆるアウトプットができて、遊ぶような感覚で作曲も絵も動画もSNS投稿も商品も作れてしまう時代が来る。

その一方で、高級品として、嗜好品として、生演奏の価値や生演奏の録音の価値、

自分自身が下手でも楽器をやってみて、それを録ったもの

そういうものに人間は価値を感じていくようになるのではないか。


自動運転が当たり前になって、もう手では運転しちゃいけないという時代が来た時に、

娯楽として限られた区域だけで運転する。そういうことが嗜好品になる。音楽もきっと同じことが起こる。

僕自身、音楽で培ってきたものをバカにされて傷ついている。

他のミュージシャンも飲み会で「本当にそのことは心から傷ついている」と言っていた。

これはどんな業種でも同じだと思う。

自分が誇りに思ってきたものを軽んじられた時に、何をもって心を癒すか。
やっぱり昔に回帰して、アナログの世界に浸ることだと僕は思う。

自分自身の手でやること。そこに立ち返ることで、技術者としての誇りを取り戻せるのだと思っている。

AIはここ一、二年で本当にみんなの仕事を淘汰してしまうだろう。

ベーシックインカムのような社会システムが必要になってくるかもしれないし、

働かない人は働かない、働く人はAIをどれだけ使いこなせるかという既得権の中で生きていく

そういう社会が来るのかもしれない。


音楽シーンで言えば、二極化していくと僕は予測している。
一方では、生成AIが実は全て作っているんだけど、可愛い女の子を一人立てて 

その女の子自体もAIだったりして、すごいアイドルのヒット曲が出る。


もう一方では、例えば泉谷しげるみたいな人が社会の前面に出てきて、

アナログに振り切った音楽で大ヒットを出す。
映像制作の音楽も同じだ。量産されるテレビ番組やアニメの音楽はAIが置き換えていくだろう。

その一方で、名だたる映画監督は「この映画は全部手作りの音楽で作りました」

「映像もAIは一切使っていません」ということをブランディングの一つにしていくのだろうと思う。

ちょっとまとまりがないかもしれないけれど、AIと音楽のことで思っていることを書いてみた。

音楽の技術に対するリスペクトだけは、忘れないでほしい。

前回のブログでは、ちょっと酔っ払って竹ノ塚という街に行った時のことを書いた。実はそういう酒場と文化、街と文化、食事と文化みたいなことが自分のライフワークみたいになっていて、ついついブログのネタも追いつかずに、酔っ払って書いたものをそのまま出したっていう感じになった。


ただ、どうしてそんなに飯が好きなのか 

そのことをちゃんと書いておきたいなと思って、今日は筆を取っている。


グルメ道のルーツ ― タイ・バンコクの幼少期
元々僕は子供の時、タイのバンコクにいた。実は父よりも母がすごくグルメで、本当に好奇心のままに「食べてみたい」といろんなものを食べる人だった。
今でこそインドカレーやネパール料理なんて当たり前になっているが、僕は幼稚園の時からインド料理を食べていたし、タイ料理も食べていた。

和食、特に大衆的な和食はもちろん大好きなのだが、それ以前にタイのバンコクにいた時は接待の機会がよくあってね。父親が毎日接待していて。

去年の僕が毎日のように交流会に行って飲んでいたとか、

お客さんと飲んでいたことを考えると、同じようなことをしているなと思う。


当時は日本の経済も今よりも発展していて、しかもタイとの物価の価格差があるから、

いい刺身や天ぷら、そういったものを当たり前のように口にしていたと思う。

僕自身、舌が大変肥えたと思っている。


横浜・三ツ橋の町中華と、カオパッドの記憶
一方で、物心ついた時から日本の横浜で食べていた出前の町中華のチャーハンは、本当に忘れられない味でね。
それこそタイのチャーハン ― カオパッドと言うんだけど ― パラパラのお米のチャーハンの美味しさと、日本風のしっとりチャーハンの美味しさ。この二つは全く別の料理で、無意識のうちに食べ分けていた。それが僕のグルメ道のルーツになったのかなと思っている。

 

 

「こころ食堂」って言ったんだよ。

当時、横浜の三ツ橋という所にあった古い大衆中華。最近調べたらもうなくて、あったら行こうかと思ったんだけど。そこの真ん丸いチャーハンが美味しくてね。


日本に帰ってからの衝撃 ― 横浜家系ラーメン
グルメを武道だと思うようになったのは、この頃からかもしれない。

柔道や空手のように、自分なりにこだわって飯を食い、こだわって酒を飲み、こだわって酒場を開拓してきた。


タイで食べる日本風のラーメンは、僕が子供の時はまだまだ美味しくなくて、ラーメンはそんなに好きじゃなかった。

ところが日本に帰ってきて、町田で食べた横浜家系ラーメンが人生を変えるような衝撃だった。


それから家系ラーメンの店を小遣いで通ううちに、二郎系とも出会い、伝説のすた丼とも出会った。

若い日の食欲に任せて食べ歩くことが、音楽と並んで僕の人生のすごく大事なものになっていった。


すぎやまこういちさんのホームページから、食べログへ
子供の時から、すぎやまこういちさんが好きで、好きな人のホームページをずっと見ちゃう癖が今に至るまである。

 

すぎやまさんのホームページには「僕の好きな店」というコラムみたいなのがあって、

ご自身の好きな店がガーッと並んでいる。

あれを見て、僕も同じものを作りたいなと思っていた時に、ちょうど食べログが登場した。
食べログに自分の好きな店を書いているうちに、全国各地のものを食べたいなとか、

吉田類さんが行った酒場を飲み歩きたいなという欲が出てきた。

会社員時代の挫折の時期に、それがものすごく強烈にのめり込んでいった。
当時はアルコールにも相当依存していたから、酒場を歩いては飲み、歩いては飲みであった。

 

昔はB級グルメ系が主体で、塩辛をどれだけ美味しく食べるかとか、

天ぷらで飲むにははどうしたらいいのかとか、ポテトサラダはどこが美味しいのか そんなことを狂気的に考えていた。


今、思うこと ― B級グルメも「本当に美味しいもの」を
今でもラーメン、寿司、うどん、酒場も大好きだ。

マニアックな食べ物も一通り食べたし、全国を回ってご当地グルメや酒場とも出会ってきた。


ただ、今心から思うのは B級グルメに関しては、本当に美味しいものが食べたい、ということ。
本当に美味しいものというのは、純度が高い。

例えばラーメンは色々と具が入っているけれど、僕の中ではスープと肉と麺で決まっている。

博多豚骨のようなものが好きだし、二郎で言っても絶対にもやしは少なくしてほしい。

純度が高いものが、僕の中では好きなんだ。


酒場に求めるもの ― 人の息遣いと店主の温かみ
酒場に関しては、自分が住んでいるエリア以外の場所がいい 

もちろん自分が住んでいるところでもいいのだが ― 人の息遣いを感じる店。

特にその街に住んでいる人たちの息遣いや、お店の人のキャラクターがあって、それでいて冷たくない店。

店主の温かみ、そういうものが好きだ。
グルメとはあまり関係ないスナックのような場所が、本当に心を落ち着かせてくれる。

お酒と、そして孤独の解消を酒場に求めているところがあるのだろう。
それでいて、つまみが美味しく、酒が安ければ言うことはない。


酒との付き合い方の変化
パーティーや大人数の場ではハイボールをグイッとあげたりもする。

ただ最近、炭酸系の酒が体に、自分には合わないということが分かってきた。

可能であれば、芋焼酎の水割りをじっくり飲む。こういう飲み方だと長く楽しめるし、体にも優しい気がしている。
本当にフラッと入って、心の底からホッとできる店が二店舗ほどある。ああいう店はたまらないよね。


大衆店への愛着
ご飯も酒場も、実はそんなに肩肘張った高級店ばかりを求めているわけではない。

もちろん高級な寿司、焼肉、焼き鳥をいただく機会もあるし、そういう店も大歓迎だ。

しばらくご無沙汰の店には「行かせてください」とお願いしたくなる。


ただ、個人的には大衆が好きなのだ。
僕は割と落ち着きのない性格をしている。高級店のあの縛られる感じというのが、どうも肌に合わない部分がある。気楽に、自分のペースで、好きなように食べて飲みたい。


変容していく味覚、変容していく自分
昔は、焼肉を外で食べることが個人的にあり得ないと思っていた時期がある。

理由は「外食をしているのに、なぜ自分が作業をしなくちゃいけないんだ」という感覚があったからだ。

焼くという工程が外食に組み込まれていることが、どうにも納得できなかった。
けれど今は、そういうことも楽しめる人間になってきた。
味覚も人も変わっていく。今まで意味嫌っていたものや、「こんなことはあり得ない」と思っていたものが、

ある日ふと美味しく感じられる。

これは本当に、僕がエレキギターの演奏や音作りで学んできたことと同じだと思う。

こだわりは大事だが、固執は成長を止める。飲食においても、同じことが言えるのだ。


今そんなに食べない蕎麦も、そのうち大好きになってしまうかもしれない。

この先何が起こるんだろうという楽しみが、

グルメ道という武道を歩んできた人間にとっての、また別の醍醐味なのだと思う。


武道家としてのグルメ、そしてピッチングの比喩
十二分の変容、その土地土地の風俗との出会い、そういったものがこれからも続いていくのだろう。

昔を知って「青かったな」と振り返ることも、また楽しみの一つである。
武道絡みで言えば これはスポーツと一緒で、できなくなることもあるんですね。

油との付き合い方、アルコールとの付き合い方、年齢とともに確実に変わってくる。


野球選手がいつまでも155キロを投げられないように。


それでも、その中で味のあるピッチングというものがある。

衰えていく中での工夫、省き方、磨き方。そういうピッチングへと、僕もシフトしていくのだろう。
グルメにおけるこだわりも、きっとそういうものなのだ。

 

たまたま飲みに行ったというか飲みにいかざるを得ない街で

竹の塚があった。


竹の塚は前情報ではフィリピンパブの巣窟とか

荒くれ者の集まりみたいな感じがあって

わたしはそういう街こそ攻め甲斐があると機会をうかがっていた。


ワイン会などというおしゃれな席を竹の塚でやると聞き、これはまあワイン会も楽しみだけど、一人市民の声を聞くような酒を飲みたいと裏テーマとしては考えていた。


案の定、ワイン会は最高だった。

本当に美味しいパスタやカルパッチョでワインを飲みたい方は連絡をしてほしい、7000円程度で味わえる、破格だと思う。


ただ私は土地に行きたくローカル酒場を見に行った。


どうだろう

素晴らしいという言葉を超えていた

地元の大衆酒場に入ると子供たちがいた

子供たちは今は酒場にいる時代ではない、喫煙の煙の中、元気一杯に大騒ぎをして

私も空手パンチを二、三発くらいながら

純粋な子供のエネルギーを感じてた


そしてトラクターを運転するお父さんとかヤンキーのお母さんと煙草を吸いながらずっと飲んだ。

それはまず彼らが受け入れてくれたのが大きい


大きいハマグリを余ってるからとくれたのもあったし

よそ者が入ってきた瞬間、受け入れて仲間として飲ませてくれたのもある

嬉しかったね


そのままいろいろありながらも俺は終電まで竹の塚で飲んだ。

とても心地よかった

ここには孤独がなく、優しく、そして平等があった。


子供が一人お父さんに怒られた、俺のところにきた


俺は何を言おうかと思ったけど

さっきテレビで流れていた自分の息子をぶっ殺したやつをどう思うと聞いた


くだらないニュースが飲み屋に流れて殺人事件の報道が流れたから小1の彼に言ったのだ


というのもよくわからずその事件を使って遊んでいるので、彼に聞いてみたのだ。


彼は言った


少年を殺した親父をぶっ殺してやりたい


偉いな、おまえは、正義感が溢れている


すごく褒めてやったよ


空手キッズの彼が前を向いて絶対許しちゃいけないと言っていて、私も正義感をあらたにした。


あとは親たちに巻き込まれてすごく飲んだ。


とても楽しい夜、エイリアンの僕を受け入れる度量のある竹の塚

もし住む場所を失ったら僕は竹の塚にいくだろう。


人の優しさが群を抜いている。

人を受け入れる度量が違う。


この優しさは僕の孤独を埋めるものだ。


ヤンキーというが、

その愛の深さをみなさんは知っているだろうか?

知らないなら竹の塚にいくといい

僕はいざとなったらここだなと思えたよ


俺がホームレスだろうとサラリーマンだろうと経営者だろうと受け入れるような度量があるというか

気にしないというかね


こういう街は今少ないもんね