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私の最も影響を受けたギタリストの1人はイングヴェイである。
そんなイングヴェイが最近苦言を呈している。
最近イングヴェイ人気の高い日本などでイングヴェイの元ボーカル達がイングヴェイのアルバムをそのまま再現するというツアーをやっている。
イングヴェイはその事に憤慨しているというわけだ。
ちなみに私の友達に堀さんというドラマーがいるのだが、マークボールズが来日した際にはバックを担当している。
私も生きる世界が変わったものだ。
私はビジネスとしてマークボールズ達が権利を守り、イングヴェイ側の権利や尊厳、利益が守られるのであればやってもいいと思っているが、
実はイングヴェイの真似をしても誰もイングヴェイにはならない、なりようもないというところだけ、皆さんに伝えたいと思う。
イングヴェイよりも速く、そして正確にイングヴェイを演奏できる人は日本も含めて五万といるし、
私も完璧ではないにせよ、イングヴェイの曲をいくつかコピーする事に成功している。
しかしイングヴェイの本当の凄みというのは速さでもクラシック風のフレーズをメタルに持ち込んだことでもないというのが私の持論だ。
イングヴェイは感情や熱、そういったものをギターを通して、伝える事ができる唯一無二のギタリストだ。
イングヴェイの音色はイングヴェイモデルのギターを買っても出ない。
私が実際にfenderjapanのイングヴェイモデルを購入しているが、自分の音しか出ない。(最高のギターではあるが)
なぜ僕がロックを聴くようになってギターを弾いているのか
それは初期衝動や胸の奥底の強烈な感情を煽られる
ホンモノのロックはそういうエネルギーがある。
イングヴェイのギターは美しさとその熱を、僕らの心のエネルギーをぶち上げるパワーがある
イングヴェイという漢のエネルギーをぶつけられてるそういう音に俺は惹かれてる
イングヴェイのギターには僕や他のロックファン達が人生を変えられたような衝動性がある
それはただイカれてるというようなものではなく、技術と信念に裏付けられたイングヴェイの自信
誰も到達できない次元にいる彼に今日も衝撃を受け、どうしたらあんなギターを弾いてお客さんをノックアウトできるのか私自身が探求している
今年は駆け込みで三峯神社に参拝してきた。
私の家の神棚には三峯神社の御眷属様がいらっしゃって、常に私や家族を守ってくださっている。
しかし今年は私が交流会と飲み会、営業を命懸けでやっていたため、参拝に行く機会がなく、
お祓いと御眷属様の交換ができずにいたので、平日に休みをとって行ってきた。
冬どきに行くのは何年ぶりだろう、7年8年ぶりかもしれない。
あそこには行った人にしかわからない荘厳さ、何なら神様というのは実在しているという感覚が理屈抜きでわかるような雰囲気がある。
ドラクエ11をやったことがある人なら聖地ラムダのような雰囲気だといったらわかるかもしれない。
私は人生の絶望を跳ね除けるために幾つかの事を試すのが三峯神社に訪れるきっかけだったのだが、
初めて三峯神社に訪れた際に、その強烈な感覚を感じ、それ以来日本の八百万の神様を大切にして今日まで生きてきたわけである。
三峯神社の参道を歩き、ご祈祷を受けている間に考えていた。
私は2015年くらいからビジネスや人生を好転させるために考えつくことをいくつか実践してきた。
その中で習慣的な神社参拝で神様に感謝の気持ちを申し上げ、自分の決意やお願いをしてきた。
そのことに対して神様は一体何をお返しくださったんだろうと考えた。
最近私はとある人のアドバイスを受けている時に、自分の場合は自力ではなく他力で生きなくてはならないことをなんとなく気づいた。
サラリーマンなどを10年以上経験していると自然に自分でやる、責任を持つ、弱みを見せない。その上で金銭や所有物で自分を飾り、さぞ人よりも勝っているかのように見せなければ生きてけないように思い込んでしまうものだ。
私もその通りで、独立した今でも自分の弱みは見せずに家族や仲間や知り合いがいてもこの心の底は常に孤独の戦いを行ってきた。
けれども人生の浮き沈みを考えて、自分がうまく行っているなという時は必ず他力が大きく作用していたことが振り返りでわかり、
その後の考えの中で実は飾り物を捨てて、他者の胸に飛び込める、自分の欺瞞や弱さを打ち明けられることこそ勇気なんだ。
自分のつまらないプライドを捨てて他人に頼れる、それが勇気なんだなって気づいたのだ。
松下幸之助や偉大な経営者の多くが共通していう事がある。
それは運というのは他人が運んでくるという事だ。
話が大きく逸れたが私の中でおそらく神様は他人を通し、私に運を運んできたのだと、それは金銭を通してだったり、人脈を通してだったり、美味しいものを通して私に数多くを与えてくれたのだ。
今年を振り返るだけでも、信じられないような出来事が多く起こり、それは全て他人によってもたらされたこともわかり、この他力や運というものについての自分なりの結論がわかってきた。
ちなみに三峯神社から帰る西武の特急の中で多額の入金があった、偶然が運んできた出会いに出会いが重なり出会ったお金持ちのお客様からだ。
結果が変わったというところで私が何か変わったということはなく、ギターが倍速で弾けるようになったわけでも、オフィススキルの粒度が極めて上がったわけではない、強いて言えばAIが人より少し使えて、数年前から比べると人としての認知が変わったくらいだろうか
なので、表面ではなく心底納得してわかるということは大事だと思う。
来年の目標は勇気ある他力本願なのだが、
今年もまだ続くので引き続き感謝と行動を実践していこうと思う。
こんにちは。
最近、少しブログのネタに迷ってしまうことがありまして、今回はアメブロさんの投稿ネタをお借りすることにしました。
テーマは「1日中没頭できちゃうこと」。
これについて考えてみたのですが、僕にとっては間違いなく**「RPG(ロールプレイングゲーム)」**ですね。
振り返ってみると、ここ10年ほどはRPG以外のジャンルをほとんど遊んでいないかもしれません。それくらい、僕はRPGというジャンルを専門に愛好しています。
特に大切にしている作品群が3つあります。日本ファルコムの『軌跡シリーズ』、そして国民的RPGである『ドラゴンクエスト』と『ファイナルファンタジー』です。
まず、『ドラゴンクエスト』。
これはもう、僕の心の原点と言える作品です。
音楽家としても、すぎやまこういち先生の楽曲には多大な影響を受けていますし、鳥山明先生のキャラクターデザインは、僕にとっての心の原風景のような存在です。
いまだに『ドラクエ5』をプレイすると涙が出てしまいますし、『ドラクエ6』のムドー戦の音楽を聴くと、条件反射で鳥肌が立ってしまうほどです。
次に、『ファイナルファンタジー』。
正直なところを申し上げますと、個人的には『FF7』までの作品が特に好きなんです。それ以降の作品も素晴らしいのですが、キャラクターの雰囲気が少し自分には合わないかな、と感じることがありまして……。
中でも『FF3』と『FF5』は別格ですね。
音楽の素晴らしさで言えば『FF3』なのですが、ゲームとしてのめり込んでしまう中毒性で選ぶなら、やはり『FF5』かなと思っています。
そして、今僕が一番熱中しているのが、日本ファルコムの**『英雄伝説 軌跡シリーズ』**です。
このシリーズは同じ世界観の中で10作品以上も続いている、まさに「RPGの大河ドラマ」のような壮大な作品なんです。
キャラクターたちの長いスパンでの成長や、緻密な群像劇。そして、それまで分からなかった国の内情が明らかになっていくワクワク感など、長く続くシリーズ作品ならではの魅力が詰まっています。
というわけで、もし「家にこもっていなさい」と言われたら、僕は迷わずRPGを遊ぶと思います。
時間を忘れて没頭できる、僕にとっての大切な趣味のお話でした。




























































