鬼才マーティン・マクドナーの最新作。マクドナーは、アメリカの片田舎を舞台にし、犯罪被害者の母親が引き起こす波乱を描いた「スリー・ビルボード」でベネチア国際映画祭脚本賞などを受賞している。もともと劇作家なだけあってストーリーの密度がすごいが、本作もアイルランドの孤島を舞台にした閉鎖的なコミュニティにおける濃密な人間ドラマであり、本作でもベネチア国際映画祭で脚本賞を受賞している。

相当際どいブラックユーモアにクスリとしたが、映画館でおそらく所々で笑っていたのは私だけか・・・。ちょっと血なまぐさいシーンもあるので、苦手な人には薦めない。本作の捉え方は様々なでこの主人公と友人の関係をアイルランド紛争のメタファーとしても捉えられる人もいるが、私は社会の新層と古層から捉えた。

興味深いのはタイトルにもある「精霊」である。これは島にいる精霊で死を予見するという。精霊の如く死を予見する老婆も出てくるが、どこか呪術的で、魔女のようである。一方でこの島にはキリスト教の教会があり、島民は礼拝に赴き懺悔する。ヨーロッパも昔は土着宗教があったが、徐々にキリスト教により淘汰されていったが、一部に土着宗教は残っており、本作の舞台でもそれがうかがえる。キリスト教は「赦し」を重視するが、本作には「赦し」はない。キリスト教は徐々に未開の地を”啓蒙”したはずだが、古くから続く、狭いコミュニティでは因縁と因習が幅を利かしていたのだ。表層は近代的でも、古層まで容易に変容することはできないのだ。

本作が皮肉めいて面白いのは、表向きは近代的な法の支配に従事する警察官が、映画でも最狂のクソ野郎で、さらにカトリックの司祭もなかなか不快な人物で、おまけにクラシック音楽に造詣がある文化的であると思われていたコルムすら、モーツァルトを17世紀の作曲家と勘違いする”にわか”である。一方で、古臭く愚鈍な主人公パードリックが途中までは素朴で良い人間だった。社会をアップデートしたはずの近代社会を構成する諸要素を皮肉りつつ、既存の旧社会の因習の間で生じる摩擦を、アイロニカルなタッチで描いている。ただ本作はどちらに与することもなくどこまでも中立的に皮肉る。

本作では最も知的でまともな主人公の妹は、いよいよ愛想を尽かして島を出ていってしまうが、アイルランドでの生活を満喫しているという。古い社会から人々は離脱していき、徐々に各地に残る古層は衰退していくというのが歴史の示すところであるが、まさにその過程を本作で垣間見える。まだ、古層が厚かった20世紀初頭にした、旧社会と新社会のはずまで揺れる人々を描いた興味深い人間ドラマだった。

(補足)なお、上記はストーリーを、社会の新層と古層の軋轢の狭間で生じる人間模様と単純化したが、本作では恋愛的要素も明らかに絡んでおり、さらにアイルランド紛争のメタファー的要素も加えられているので、変数が多いゆえにストーリーの捉え方は多様である。ここらへんのストーリーの複雑性はさすがである。コルムが指を切り落としてまで、なぜパードリックと離れたいのかといえば、神父との最初の告解室での会話がヒントだろう。それにしてもイニシェリン島のひきの映像でみる人間のちっぽけな存在よ。あれこれ思い悩むちっぽけな人間を、視聴者は神の視点、いや精霊の視点で眺められる、いや眺めさせられるのだ。

 

★ 3.9 / 5.0

 

「死は人生の終末ではない。生涯の完成である。」といったのはルターだったと思うが、自然死を迎えるまで生き続けるべきか、尊厳を持ってある安楽死を選ぶのかというのは、かなり意見が分かれるテーマである。オゾンよろしく、リアリスティックな描写で作り手の主義主張はなく、単に安楽死を望んだ男の成り行きを提示しているのみである。チープなカタルシスを求めているのであればお門違いである。

本作は、安楽死を選んだ主人公とその家族の物語である。主人公は、延命させられるのと生きることは違うといい、脳卒中で不自由なままで、好きなことも出来ずに生き続けることを拒む。しかし、突然の悲劇に動揺しているわけではなく、リハビリの効果が出てきても、安楽死の決断にブレはない。孫の音楽の演奏会を聴き、馴染みのレストランで美食に舌鼓を打ち着々と自分の”人生の完結”に向けて理性的に淡々と行動していく。

監督は安楽死をテーマにする上で、テーマの複雑性として、主人公一族にユダヤ人の設定を与えている。家族は、自らの民族や家族に起きた悲劇も踏まえて「なんとしても生きなければ」というが、主人公には関係ない。そして、スイスでの安楽死は費用がかかるので、まず金銭的に余裕がないと実行できない。裕福な主人公は、貧乏人は安楽死できず気の毒だという。死は誰しもに訪れるが、尊厳のある死は金持ちの特権なのだ。

人間という存在は、自己の身体について自己決定権を持っているが、一方で、社会的な動物でもあり、社会の一員でもある。安楽死を、自己決定権の問題として捉えれば安楽死は許容できるかもしれないが、人間を社会的な側面からみれば、民族や家族の一員としての責任も生じえる。死とはパーソナルなものであると同時に、社会的なものでもある。

私は本人の望む尊厳ある死への権利は認められてもいいと思う。孤独死を待つだけだったり、尊厳の無い人生を送るだけだったり、治癒しえない病気に苦しむ人に、尊厳のある生涯の完結の権利を与えることは何ら不合理なことではない。少なくとも本作の主人公は、自己の生涯の完結に満足だったはずだ。周囲の人がそれに同意しなくとも。

 

★ 3.9 / 5.0

OpenAIという米国法人が公開したAIである。チャット形式で入力すると、AIが回答を返してくれるというものである。このChatGPTは、米国の全州共通の選択式司法試験で2科目で平均を超えたらしく、また、スタンフォード大学では期末試験でこのAIを使用している学生も一定数いるという。ちなみに、名門ペンシルベニア大学ウォートンビジネススクールのMBA課程の卒業試験でBB-評価も得たというから驚きである。検索大手のGoogleはこのAIの登場に驚愕し、緊急事態に陥っているそうだ(LINK)。

 

メディアでも取り上げられており、かなり話題になっている。

 

私も試しに使ってみたのだが、これはすごい(๑°ㅁ°๑)!!(と最初は思った)。

 

まず、「~について教えて」というQ&Aはもちろんだが、条件を指定した上でエッセイの執筆もできるし、文法問題について選択問題をつくってほしいといえば問題を作成するし、文章を入力して文法ミスを教えてといえば教えてくれるし、翻訳もできてしまう。おまけに日本語にも対応している。下手なライターや翻訳家は、現実問題としてAIによって駆逐されそうである。

 

例えば、「AIで人間は仕事がなくなりますか?」という問いの答えは、「人工知能(AI)は、特定のタスクを自動化することができますが、人間の仕事を完全に取り替えることはありません。代わりに、人間がより高度なタスクに集中することができます。AIが可能なタスクに対する需要が増加する一方で、人間のスキルを要するタスクもますます増加しています。人工知能は、ビジネスの変革をもたらす可能性がありますが、人間とともに使用することが重要であり、人間の仕事を補完することが期待されています。」であり、正論が返ってきた。単純な質問などはそれなりに精度が高いと思う。

 

ただ一方で、出てきた回答はあくまでネットの情報をうまく組み合わせただけのようで、難しい問いかけについてはおかしな回答もあるので、使用者の真贋を見極める力も必要だ

 

例えば、「韓国の出生率の低下の要因を教えて」と質問したら、回答の一部に「不妊治療の進歩: 韓国では不妊治療のレベルが高く、不妊治療を受けることで、妊娠・出産が遅れることが少なくなっています。」(抜粋)とあったが、不妊治療の進展は、出生率を上昇させる要因だろう。おそらく「不妊治療があることで女性が安心し、妊娠・出産を遅らせる人が増えたが、結果的には不妊治療が実らない人も多く、これも出生率低下の要因となっている」というのであれば理解できるが、先の文は意味が通らない

 

また、映画監督兼俳優のグザヴィエ・ドランについて質問したら代表作が「エレファント」に「それでも夜は明ける」と書かれていたが、どちらも彼の代表作ではないので誤りである(「エレファント・ソング」なら正しいが)。また、刑法の「生理機能障害説」について質問したが、回答はそれっぽいのだが、的外れだった。回答の一部に「暴行罪は、人を負傷させることが目的である行為を指します」とあったが、負傷の意図がなくとも、例えば、威嚇のために石を相手の目の前にたたきつけたり、相手を畏怖させるために殴る仕草をして目の前で寸止めするなども暴行罪に該当するので、回答は間違いである。また、アジア人初のショパンピアノコンクール優勝は?と質問したが、チョソンジンと返ってきたが、誤りである。正解はベトナム人のダンタイソンである。

 

最初はすごい!と思ったが、やはり出てきた内容をみてみると、あくまでネットに転がってる情報をうまく集めているだけで、複数の情報を集約したり、推論したり、抽象的な思考とかまでは難しいのだと思う。とはいえ、機械翻訳すら10年前は大したことなかったが、現在では相当な精度である。Chat AIも2023年でこの精度だと10年後を想像すると恐ろしい

 

産業革命以後、単純な肉体労働は機械で代替されたが、単純な知的作業はどんどんAIに置き換わっていくのだろう。これからAIが進んだ世界は、おそらく高度な知的作業ができる人のみがホワイトカラーとして労働できて、それ以外はAIに代替されるのだと思う。さて、代替された労働者はどうなるのだろうか?そうした心配は産業革命後もあったが、結局、新しい仕事が創出されたので、失業者だらけということにはなっていない。新技術は既存の単純な仕事を奪うが、あくまで補助ツールであり、SF映画が描くような、AIが人間社会を駆逐するようなことはないと思われるが、私の見方は楽観的過ぎるだろうか?私は思うも、科学技術の進展は社会の上位層で急速に進展するが、大多数の人類には無関係に進展し、”知的格差社会”がより顕著になるのだと思うが、ただその大多数は大多数で安穏と生活はしていくのだと思う。どの時代も多勢こそ正義なのだ。

経済産業省のキャリア官僚が去年のクリスマスの夜に知り合いの女性(20代)に睡眠薬入りの飲み物を飲ませ、わいせつな行為をした疑いで逮捕されました。 経済産業省の職員・佐藤大容疑者(32)は去年12月25日の夜、東京・足立区のインターネットカフェで知り合いの20代の女性に飲み物に睡眠薬を混ぜて飲ませ、わいせつな行為をした準強制わいせつの疑いが持たれています。- テレ朝 news

 

ちょっと前のニュースだが、経産省のキャリア官僚がまた逮捕されたそうだ。佐藤容疑者は、UCLAに入学し、(おそらく)編入で慶應大に入って卒業し、北京大学院で修士号を取得し、北京大博士課程を中退して経済産業省にキャリアで入省。32歳で課長補佐だから順調すぎるほどのエリートである。年収も残業代によるが、霞が関は激務なので、想像するに額面で1000万近くはあっただろう(ノンキャリの友人(33)は膨大な残業して年収800万ちょっとだったそうなので)。

 

経歴的にも年収的にも容姿的にも、ネットカフェでわいせつ行為をしなければならないような事由は見受けられないが(おまけにクリスマスの日にである)、どうしてこんなことになったのだろう。冤罪の可能性もあるが(犯罪はどこまでも「推定無罪」である)、逮捕に踏み切っているので、おそらく確たる証拠があるのだろう。いまいち犯行に及ぶ合理性が理解できないのだが、もしかしたら米国や中国への留学費用でかなり奨学金がかさんでおり、お金に困っていたのかもしれない。

 

それにしても経済産業省は逮捕者が目立つ(気がする)。去年は経産省のキャリア官僚2名(櫻井眞(28)・新井雄太郎(28))が給付金詐欺で実刑判決と執行猶予判決を受けている。ちなみに、2名とも慶應高校卒で、一方はそのまま慶應卒で、もう一人は慶応中退後に東大に入って司法試験にも合格している。さらに、2019年には西田哲也(28歳)(東大工卒)が省庁内で覚醒剤を使用して逮捕され、その後、有罪判決となっている。この西田氏は、激務で鬱病になってしまったので気の毒なような気もする(ほんと官僚って割に合わないなと部外者ながら思います。知的エリートの”ノブレス・オブリージュ”なんでしょうか。)。櫻井氏や新井氏は、自信の穴埋めだったり贅沢のためだったようで、同情の余地はないのですが。

 

そしてどうでもいいが、今回の佐藤容疑者も足立区で犯行に及んでおり(住所は葛飾区;なお、綾瀬駅の南側は葛飾区)、西田氏は足立区綾瀬に区分所有のマンションを所有していたそうだ。キャリア官僚の年収だともっといいところに住めそうだが、なぜ綾瀬なんだろうかと思ったら、綾瀬駅は東京メトロ千代田線の始発・終点なので、座って通勤できるからのようだ(と勝手に合点した)。電車の中で寝ていたいぐらい激務ということである。

 

それにしても官僚の地位低下、東大生の官僚離れなど叫ばれるが、このままで国家行政は良いのだろうかとふと心配になる今日この頃である。

米中に次ぎ世界第3位の日本の名目国内総生産(GDP)が、経済の長期停滞などを受けて早ければ2023年にもドイツに抜かれ、4位に転落する可能性が出てきた。近年の円安に伴うドルベースの経済規模の縮小に加え、「日本病」とも揶揄(やゆ)される低成長が経済をむしばんだ結果だ。専門家は企業の労働生産性や国際競争力を高める政策をテコ入れしなければ、遅くとも5年以内には抜かれる可能性が高いと警鐘を鳴らす。ー 産経新聞

 

2010年に中国にGDPで追い抜かれたが、世界第3位の経済大国としての地位は維持してきたが、ここにきて、まさか人口が日本よりも4000万人も少ないドイツにGDPで追い抜かれそうな情勢だという。一人当たりのGDPでみると、ドイツは日本の1.5倍ということになる。もちろん、GDPは米ドル計算なので円安になれば減り、円高になれば増えるので、あまり一喜一憂しても仕方がないが、ただ国力が僅差の国同士においての順位の入れ替わりは理解できるが、人口1憶2500万の国と、8300万の国の経済力順位の入れ替わりはなかなか衝撃的である。もともと”欧州の病人”と揶揄されたドイツ経済だが、シュレーダー政権の改革以後によって息を吹き返した。

 

また、ドイツ経済が強いのはユーロ導入の影響も大きい。つまり、経済力が強くなれば、通貨高になりやすいが、欧州は単一通貨なのでドイツがいくら経済好調でも、ユーロ圏でドイツ以外が低迷してくれれば、ドイツにとっては通貨安となり、輸出において有利なのである。結果、もともと輸出産業の強かったドイツに追い風となった。もともとドイツの影響力拡大を抑えるために通貨統合をフランスを推進したが、結果的にはドイツ一人勝ちの状態となった。日本は自力で円安誘導する必要があるが、ドイツは通貨統合により通貨安の恩恵に与れたのだ。

 

とはいえ、通貨安がいいのか、通貨高が良いのかという議論は、経済学者等でも意見が分かれており、難しいところである。アベノミクスによって金融緩和を行い、結果的に失業率は下がり歴史的な低水準となった。経済成長率も上向き、株価も上昇したことは事実であるが、コロナによって番狂わせとなった。一方で、円安誘導した結果、旅行先として人気になりインバウンド需要を喚起した。しかし、”日本は安い国”という印象付けることとなった。とはいいつつも、円安批判もあるが、民主党政権下で円高だったときは円高不況といわれ株価も1万円を割り込む水準だった。ちなみに、円高不況と言われいた当時は、一人当たりGDPは上昇し、2012年のときは世界第10位で、ドイツ・イギリスよりも上だった。

 

というわけで、経済規模は為替の影響が大きいので、そこまで騒ぐ必要はない。記事で参照しているのは名目GDPであるが、インフレを加味する実質GDPでは数値は異なる。名目で比較されると、インフレしている国のほうが伸びが大きく見えるが、単に物価が上がっただけで、賃金が上がっていないとそれは国民は貧しくなったということである;例えば、物の値段が1.5倍になると、企業の売上高は増え、GDPも増えるが、賃金が上がらないと、消費者は生活が苦しくなる。また、当然ながら為替の影響も大きいので、今後、円高に振れた場合、日本のGDPは米ドル換算だと増加する。いま日本政府は円安誘導しているので米ドル換算で目減りするのはいわば必然であり、米ドル換算のGDPで一喜一憂してもあまり仕方がないのだ。

 

それに欧米諸国はインフレがかなり激しいが、日本のインフレは欧米に比して、だいぶ穏やかなものである。アメリカは利上げして景気を犠牲にしてもインフレを止めようとしているが、なかなか止まらない。日本のメディアはいたずらに煽り立てるが、日本は治安も良く、失業率も低いし、容易に解雇もされないし、インフレも穏やか。日本は成長もしていないが、衰退もしていない。あまり悲観的なメディアの扇動的な記事で落胆する必要はないということだ。