19世紀ウィーンでは科学・文化が爛熟し「世紀末ウィーン」と呼ばれ、1920年代のパリは「狂乱のパリ」と言われ繁栄を謳歌した。豊かな文化、経済発展、自由と平等と繁栄。そうした欧州理性が結局もたらしたのは「アウシュビッツ絶滅収容所」だった。

1942年にナチス政権の高官が、ユダヤ人問題の最終的解決について協議を行った「ヴァンゼー会議」を描いた映画である。

血なまぐさいシーンはなく、理性的な議論が続く。協議されいてる内容は想像を絶するほどおぞましい。倫理観が吹っ飛びそうになる内容だが、協議はいたって(ドイツ人らしく)冷静で論理的で、あくまでもユダヤ人問題の”最終的な解決”(要はユダヤ人の絶滅)に向け、法的問題、権限・管轄の問題、効率性などを求めた理性的な会議だった。アイヒマンの議事録によるので、彼の都合の良いように記述されている可能性は否めないが。

最初から虐殺ありきだったわけではなく、マダガスカルへの移送も考えられたが、英国に制海権があるので移送が困難であり、ドイツ人の生存圏外に追い出そうにも追い出す先がない。そこで結果的に絶滅させるという選択に至ったのだ。

しかし、絶滅させるにも混血児はどうするのか?混血児には少なくともユダヤ人ではない片親がいるが、どう説明するのか?血統の1/4がユダヤ人ならどう扱うのか?ナチスの親衛隊にもユダヤの血が流れている者がいるではないか?第一次世界大戦でドイツ軍として表彰されたユダヤ人を収容所に送ることはいかがなものか?熟練工のユダヤ人を処理するのは国益に反するのではないか?T4作戦(障害者の強制的安楽死)でも反発があったのに最終解決で世論はどうなるのか?法解釈の問題、各省庁の管轄の問題、世論への影響や経済への影響などが絡まり議論が進んでいく - 欠けているのはユダヤ人の人権と人命尊重である。

この会議に先立ち、バビ・ヤール渓谷では3.3万人のユダヤ人が処理されたが、その処理にかかった時間から計算するに、欧州ユダヤ人1100万人を最終解決するのには、昼夜問わず処理して1年以上を要し、さらには1100万発の弾丸を戦時中に消費することになり、おまけに実行するドイツ兵の精神的負荷も懸念される。

そこで収容所で、ガスにより効率的に処理することとなったのである。ドイツ人は工程管理のみで、処理はユダヤ人に行わせ、そのユダヤ人も定期的に処理していけば、ドイツ人の精神的負荷も軽減される。あり得る選択肢の中では現実的で、(形容矛盾であるが)人道的な解決方法だったという。

前提がおかしいと(人権や生命への尊重がない)、いくら正しく論理展開しても誤った結論になるという好例である。結果的にこの会議はアイヒマンの極めて合理的な処理方法が採用された。アイヒマンは本当に役人としては有能だったのだろう。映画でも弁が立つ小役人という感じだが、これが「悪の凡庸さ」というものだろうか。

さて、極悪人で非理性的な悪魔がこの絶滅計画を立案したのであれば、批判は容易だが、恐ろしいのは彼らは理性的だし悪魔でもない点だ。ナチズムを過去の歴史の事象として議論することは容易だが、我々が自覚すべきは、そうした手段の効率性の追求が、果たして望ましい結果となるのか、その結果は人道的で倫理的なものかという点である。本作は歴史的事実を描き出すとともに、現代の我々への警告ともなろう。

 

★ 3.8 / 5.0

ネルソン・ゲルナーのピアノコンサートに行ってきた。ゲルナーは2021年に開催されたショパンピアノコンクールで審査員を務められていた。あまりゲルナーの知名度は日本では高いとは言えないが、1986年フランツ・リスト・コンクール(ブエノスアイレス)で優勝、1990年のジュネーヴ国際音楽コンクールでも優勝している実力者である。

 

曲目は次のとおりである。

ショパン:4つのバラード
リスト:ピアノ・ソナタ ロ短調

 

(アンコール曲)

パデレフスキ:ミセラネア op.16より 夜想曲
リスト:3つの演奏会用練習曲 S.144より 第2曲 軽やかさ
カルロス・グァスタヴィーノ:バイレシート
エヴラー:ヨハン・シュトラウスの《美しく青きドナウ》に基づく演奏会用アラベスク

 

初めて生の演奏を聴いたが、あっぱれである。非常に知的にコントロールされた演奏で、均整が取れ美しくも格調高い。一音の一音の揺らぎから奏でられる絶妙の詩情も素晴らしい。高音部の響きが本当に煌びやかで美しく、低音部の鳴りも良く、素晴らしい音響バランス。そして難曲を軽々と演奏する高度な演奏技術にも目を見張る。音色の変化も顕著だったように思うが、タッチに加えてソフトペダルなども使用したペダリングが絶妙なのだろう。卓越した音楽性と高度な技術による大変に素晴らしい演奏だった。

 

また、アンコール曲も日本ではあまり演奏機会のない、パデレフスキー、カルロス、エヴラーを取り上げており、とても勉強になった。パデレフスキーは、ポーランドの作曲家・ピアニスト・政治家である。ポーランド第二共和国の首相を務めた。カルロス・グアスタビーノはアルゼンチンの作曲家、アドルフ・シュルツ=エヴラーはポーランドの作曲家・ピアニストである。定番の作曲家にばかり目がいくが、そこまで名前は知られていない名作曲家も多いのだ。

 

さて、演奏には大満足した帰り、そういえば浜離宮恩賜庭園が近くにあったので訪問。前から行こうと思っていて訪問できていなかった。江戸時代に甲府藩下屋敷の庭園として造成され、その後、徳川将軍家の別邸浜御殿や、宮内省管理の離宮を経て、東京都に下賜され都立公園として開放されている。もともと園内には「延遼館」という迎賓施設もあり、各国要人を迎えたが、老朽化で解体された。復元の話もあるそうだが、具体的には復元は進んでいないようだ。

 

この伝統的な日本庭園と後背の汐留の高層ビル群が興味深い対比となっている。

 

水面に反射する高層ビルに都会的な情緒を感じる。

 

こちらは樹齢300年の黒松で、三百年の松という。東京では最大の黒松だそうだ。大変に立派。

 

ヘンリー王子の暴露本の「スペア」が話題になっているが、先行してリリースされているNetflixのドキュメンタリー「ハリー&メーガン」を観終わった。このヘンリー&メーガンはNetflixとの契約で約200億円の報酬を得ており、暴露本についても30億円近い契約金だったとされている。

 

さて、「ハリー&メーガン」の中身だが、一部で無関係の映像の借用なども明らかになっているが、思ったよりは出来栄え自体は悪くないと思った。それにしても、ほんとこのドキュメンタリーを撮るために撮りためていたようで、その動画を一挙放出という感じで、彼らの狡猾さが窺えた。ドキュメンタリーでいいたいのは、要するに、ハリー&メーガンはとても善良であり、良い活動をし、世間からも支持されているが、保守的な英国王室が彼らを攻撃していたし、メディアの取材攻勢に疲弊していたということだ。メーガンのお母さんも登場したりしているし、友達などサポートしてくれる友人も多いようだし、家族団欒のシーンは大変微笑ましく、それらは好感をもって見られた(セレブ自慢感がないわけでもないが・・・)。

 

であれば、さっさと英国貴族の爵位なども捨てて、英王室との関係も断てばいいといいのではないかと思う。公務は行わず自由に活動したいが、公費で警備はしてほしいし、爵位も放棄しないからアメリカ在住でも英国貴族でいたいというのはただのワガママだと思う。少なくとも王族として英国民の税金で生活し、現在の地位も獲得したにも拘わらず、嫌なことがあったからと米国に移住して、英王室を誹謗中傷しておいて、「私たちは被害者です」というのは英国民は納得しないだろう。ただ褒められてチヤホヤされたかったのに、そうならないから駄々をこねているようにしか見えなかった。よく指摘されているが、王族とただのお金持ちのセレブリティを勘違いしていたように見えた。英国民は、王子の悠々自適で快適な生活を維持するために税金を支払って王制を維持しているわけではない。

 

もちろん、メディアの取材方法に問題がある点や、英王室の人種への見方の偏見は問題だが、それはここまで壮大なドキュメンタリーを作成して攻撃しないといけないほどのことだろうか?米国での新生活に向けていろいろとお金が必要だから暴露をしているのかもしれないが、十分に稼いだだろう。責任も義務も放棄するが、異国の地で、英国貴族の爵位は放棄せずに贅沢三昧に暮らしたいし、賞賛もされたいというのはさすがに無理がある。テレビ出演などの報酬も考えると250~300億円ぐらいの資産は軽くあるはずであり、あとは贅沢にアメリカで暮らせばいいと思う。父親も兄も取り戻したいと話しているようだが、何を寝ぼけたことを言っているのだろうか。さんざん挑発して誹謗中傷したのはハリー&メーガンのほうなのに、どの口が関係改善といえるのだろうか。ハリー王子の好感度は英国で暴落しているそうだが、同情を買う作戦は失敗だったようだ。

高IQ者認定支援機構なる組織が2019年に結成され、その機構は高域知能検査「CAMS」を実施しているそうだ。お正月に暇な時間にネットサーフィンで偶然発見したのだが、どうやらハイレンジIQテストの一種のようだ。ハイレンジIQテストというのは、一般的なIQテストと異なり、より高域のIQを測定できるとされているものである。ただそれらは標準化などはされているか不明で私は受けたことはない。

 

そもそも高IQ者認定支援機構なる組織であるが、次の事業を掲げている(以下、青字箇所は引用部部分)。

  • 高域IQ検査の研究開発および実施
  • 高IQ者の認定および支援
  • 高IQ者の育成ならびに活用環境の整備

「当機構は人材の発掘にとどまらず、​社会で活躍できるまでの一連の環境づくりに取り組みます。​「発掘」と「活用」の両方が、​わが国の成長のために、また、国際社会での競争激化への対応のために、必要だと考えています。」公式HPに記載されており、大変意欲的で結構なことである。

設立の趣旨を読むと、AIなどの分野で日本は後れを取っているが、こうした状況を打破するには、特異な頭脳をもった一個人の飛躍した発想が重要だそうで、「特異な頭脳」とは、要言すれば、無秩序に集積された情報の中から「一定の隠された法則性」を見つけ出す「推論能力」であり、また、一見無関係にみえる事象群の中から「問題の解決に繋がる組合せ」を見つけ出す「閃きの能力」である、とのこと。高IQの人にはそのような能力が備わっている可能性が高いので、当財団を設立し、科学的な手法で頭の良い人を探してデータベース化して、最終的には頭の良い人を適材適所に紹介するという工程まで描きたいとのことである。そのために高域知能検査「CAMS」を実施しているようである。

 

正直、高知能を持つ人を適材適所に割り当てて、才能をいかんなく発揮して活躍して、日本に貢献してもらえるのであれば、それは大変に結構なことであり、ぜひ応援したい。一方で、黎明期であって手探り状態であるというのは理解するものの、高域知能検査「CAMS」なる試験で、そうした人材を発掘できるのかはいまのところ謎と言わざるをえないのが正直なところである(もちろん、だからこそやってみなければ分からないし、取り組んでいるのであろうが)。

 

そもそも論なのだが、”特異な頭脳”として、高度な推論能力だったり閃きの能力を挙げているが、これらが学術や経済にインパクトを与えるほどの高度な発明・発見・アイディアや事業の創出を行えるというエビデンスはない。米国でもかつて天才児ブームがあったが、特に目立った業績は聞かない。早熟さと革新的だったり、卓越した実績を生み出せるのかは別問題と想像される。日本でも、日本初の千葉大に飛び級入学の佐藤さんはバスの運転手である。

 

仮に特異な頭脳を持つ人材はそうした高度な発明・発見・アイディアや事業の創出を行える確率が高いとして、彼らを高域知能検査「CAMS」で識別できるエビデンスは存在しない;高域知能検査「CAMS」の統計学的な不十分さについては後述。同機構の設立の趣旨には、多くの天才型の人材を「ホワイトハッカー」として育成することなどAIやIT人材として特異な頭脳を持つ人を活かそうと考えているようであるが、高度な推論能力だったり閃きの能力が、AIやらIT人材として適するのかのエビデンスも存在しない(だったらIQを絡めずに、最初からAIやITのプログラミングにかかる適性検査でも開発すればいいと思うのだが。。)加えて、高IQ者認定支援機構は、高域知能テスト「CAMS」においてIQ146.4 sd15以上であれば入会可能(LINK)なようであるが、そのスコアで切るのかの合理性がよく分からない。なお、繰り返しになるが、同機構が試行錯誤中と思われるので、あくまで現時点での取り組みとしてみた場合である。

 

さて、高域知能検査「CAMS」であるが、「CAMS の尺度構成について」という題で東工大名誉教授の前川氏が検証している。ただ読んだところ、結局のところ、高域知能検査「CAMS」は標準化された偏差IQではなく、また、Cattell-CFIT Scale3との相関係数は0.45程度で中程度の相関しか示していないようだ。前川氏は、「Cattell-CFIT Scale3の得点分布は頭打ちとなっており、高得点者の被検者のCattell-CFIT Scale3の情報があれば、より相関係数は高まるものと予想される。」と書いているが、それはあくまで希望的観測であって、現時点では相関性は中程度でしかないというのが結論で、サンプルを増やしたら逆に相関性が下がりましたという可能性は排除できない。加えて、「Cattell-CFIT Scale3の成績を持つ 63 名分のデータを用い、算出されたθを CFIT の 尺度へ線形等化法を用いて変換した。」とあるのだが、これは得点の分布形状が同一という前提等がないと成立しないが、果たしてその前提を満たすのか、前川氏の論稿ではその言及が明確になくよく分からなかった。ゆえに、「CAMS」のスコアをIQ相当といえるかは微妙だと思われる。例えば、英語のTOEIC 500ならIQ 100ということは計算上は可能だが、TOEICのスコアとIQは測定している能力が異なるのでこの等化は意味ないものである。WAISなどは、因子分析の結果、特定されたそれぞれの知能因子から全検査IQを測定するが、知能因子を測定しているわけではないテストのスコアとIQを等化してもそれは意味のないものとなる。

  • (補足)さらにいうと、Cattell-CFIT Scale3についてもいつ標準化されたのかは不明ときている(標準化が不適切な場合、測定されるIQは信頼できないものとなる;参考 村上宣寛著「IQってホントは何なんだ?」)。「フリン効果」があるので、IQテストは定期的に標準化しなおす必要性がある。そもそもCattell-CFIT Scale3の結果すら正確性に欠ける可能性がある。実際、Cattell CFITはNNATに比べると、平均17.8も高くIQを算定してしまっているエビデンスが存在し(LINK)、レーヴン漸進的マトリックステストでの英国の児童の平均スコアは、1942年から2008年にかけて14ほど上昇しているエビデンスがある(LINK)。例えば、あるIQ団体が標準化しなおしていない50年前のIQテストを使いまわしている場合、それでIQ 130といわれても、実際にはIQ112-116程度にとどまる可能性があるということである。
  • (補足)なお、「CAMS」について、同機構側も不備を一部認めているようである(LINK)。

そして、仮にCattell-CFIT Scale3と「CAMS」のスコアとの相関性が高くなった場合、だったら初めからCattell-CFIT Scale3のスコアを使えばよくて、わざわざ新しい標準化もされてないテストを実施しなくていいのではないかと思う。。一般的なIQテストは、高IQ認定のためのものではないといって「CAMS」の実施の理由を主張されているが、IQ146(sd15)は、医療機関でも採用されているWAIS Ⅳでも測定可能域であり、その点でもなぜ「CAMS」を実施するのかよく分からない。「CAMS」が高IQ域を測定できているというのであれば、WAIS Ⅳとの相関性を示せれば良いだろう(おそらく緩やかな相関はあるのではないかと想像する)。仮に「CAMS」が特異な頭脳を測定する数値だったとして、信頼性のあるWAIS Ⅳで測定している全検査IQとの相関性がない場合、もはや「CAMS」のスコアはIQでもなんでもなく、ただ「CAMS」なるテストが得意でしたという指標になってしまう可能性がある。

 

もちろん、「CAMS」のスコアが、例えば、AI・ITの開発力等の能力と相関している場合、「CAMS」はそのような能力を測定するのに有用なツールとなるわけですが、現在ではエビデンスが無さ過ぎて、何の能力を測定しているのかは不明と言わざるを得ないというのが、誠実なところだろう。すでに「CAMS」の信憑性についての指摘は私人のブログでも散見されます。まぁ、これまでの知能論を踏まえないテストなので、知能論などに見識がある人は、「ん・・・?」と思うのは自然だろう。

(参考)ギフテッドにすり寄るIQテストビジネスにご用心(1/3)

 

最近は、高IQの人に注目が集まっているのは大いに結構なのだが、メディアのIQについてのリテラシーが低過ぎて、IQが高いと何がメリットで何がデメリットなのか、適切に報道されていないように思う。そして、眉唾のIQ論が流布され過ぎである。IQは統計学的エビデンスに基づく数値であり、個人が勝手に問題をつくってこれがIQですといえるものではない。一方で、「CAMS」は現時点においてエビデンスがないだけで、何らかの特異な能力を示すのに適したテストであるという可能性も排除はできない点は付言する。

 

その点については「CAMS」でハイスコアだった人の追跡調査や様々なスコアとの相関性を測定することで明らかになるだろう。まだまだ黎明期なので、今後、どのような知見の蓄積が行われるのかは未知数である。ただアメリカの先行研究を踏まえると、高IQと実績に有益な相関が出るとはあまり期待できないと個人的には思うのだが・・・。

 

とはいえ、新しい取り組みを行う場合はやってみなければ分からないところもあるのも事実で、チャレンジ無くして発展はない。強固なエビデンスがなければ実施しないなんて言っていたら、iPhoneなんて存在し得なかった。それを成し得たのはジョブズの直観である。というわけで、「CAMS」がなんの能力を測定しているかはいまのところは不明であるが、ぜひ同機構にはどんどんと新しい取り組みを実施していってほしいものだ。それが呼び水となって次々と新しい活動が創出されれば、それは同機構にとっても本望だろうし、日本の経済社会にとっても有益であろう。

京橋エリアにあるアーティゾン美術館にて開催中の「パリ・オペラ座−響き合う芸術の殿堂」へ行ってきました。パリ・オペラ座の歴史を17世紀から現在までたどり、建築、舞台芸術、バレエなど各分野の芸術との関連性を示し、総合芸術としてのパリ・オペラ座の有り様を展示している。アーティゾン美術館はもともとブリヂストン美術館だったが改称されている。とても機能的ながらスタイリッシュで上質な美術館なので個人的にかなり好きな美術館である。

 

パリ・オペラ座は学生時代に一度訪問したことがあるが、改めてパリ・オペラ座を概観できて勉強になった。ただ劇場の天井に描かれたシャガールの絵だが、リハーサルが始まるからと追い出されて一瞬しか見れなかったのでもう一度パリに行って見てみたいと思っている。

 

個人的に興味深い展示だったのが、日本のジャポニスムのコーナー。オペレッタの「ミカド」、オペラ「蝶々夫人」、バレエ「イエッダ」や「ル・レーヴ」などが代表的な日本趣味の作品である。ただ当然、そこにリアルな日本が描写されているわけもなく、ただの異国趣味としての神秘的な国として描かれているそうだ。

 

私はオペラもバレエにもそこまで明るくないので少し勉強してみようかな。

ただオペラはいかんせん聞くとなぜか爆睡してしまうのでハードルが高い( ̄▽ ̄;)

 

 

 

※写真は撮影可のもののみ。一部のみ撮影が許可されていた。