「死は人生の終末ではない。生涯の完成である。」といったのはルターだったと思うが、自然死を迎えるまで生き続けるべきか、尊厳を持ってある安楽死を選ぶのかというのは、かなり意見が分かれるテーマである。オゾンよろしく、リアリスティックな描写で作り手の主義主張はなく、単に安楽死を望んだ男の成り行きを提示しているのみである。チープなカタルシスを求めているのであればお門違いである。
本作は、安楽死を選んだ主人公とその家族の物語である。主人公は、延命させられるのと生きることは違うといい、脳卒中で不自由なままで、好きなことも出来ずに生き続けることを拒む。しかし、突然の悲劇に動揺しているわけではなく、リハビリの効果が出てきても、安楽死の決断にブレはない。孫の音楽の演奏会を聴き、馴染みのレストランで美食に舌鼓を打ち着々と自分の”人生の完結”に向けて理性的に淡々と行動していく。
監督は安楽死をテーマにする上で、テーマの複雑性として、主人公一族にユダヤ人の設定を与えている。家族は、自らの民族や家族に起きた悲劇も踏まえて「なんとしても生きなければ」というが、主人公には関係ない。そして、スイスでの安楽死は費用がかかるので、まず金銭的に余裕がないと実行できない。裕福な主人公は、貧乏人は安楽死できず気の毒だという。死は誰しもに訪れるが、尊厳のある死は金持ちの特権なのだ。
人間という存在は、自己の身体について自己決定権を持っているが、一方で、社会的な動物でもあり、社会の一員でもある。安楽死を、自己決定権の問題として捉えれば安楽死は許容できるかもしれないが、人間を社会的な側面からみれば、民族や家族の一員としての責任も生じえる。死とはパーソナルなものであると同時に、社会的なものでもある。
私は本人の望む尊厳ある死への権利は認められてもいいと思う。孤独死を待つだけだったり、尊厳の無い人生を送るだけだったり、治癒しえない病気に苦しむ人に、尊厳のある生涯の完結の権利を与えることは何ら不合理なことではない。少なくとも本作の主人公は、自己の生涯の完結に満足だったはずだ。周囲の人がそれに同意しなくとも。
★ 3.9 / 5.0
