東京はもう秋の風で肌寒さも感じる。秋といえば芸術の秋ということで、久しぶりに早稲田松竹で映画を観てきた。1300円で2本立てでお得。学生時代によく来たが、社会人になってもちょいちょい上映作品をチェックしては来ている。9/2~9/8のテーマは「隣りの人に手を差し伸べること」で2作品やっていた。
ベルリン国際映画祭金熊賞受賞作。「海は燃えている~イタリア最南端の小さな島~」は、イタリアで最もアフリカ大陸に近いランペドゥーサ島を舞台にしたドキュメンタリー。ランペドゥーサ島は人口5500人の島だが、毎年10倍の難民がわたってくる。島民はいつも通りの日常を送り、田舎の島の平凡な風景が広がる。しかし、一方、島の海上では、ボートに乗った大量の難民が命からがら島にやってくる。脱水症状で瀕死の人、舟の中には遺体の山。
こうした2つの世界は交わることがない。日常のすぐそばにある非日常の対比は、ランペドゥーサ島特有の問題ではなく、ヨーロッパ各地で起きている現実である。この2つの世界をつないでいるのは医師である。彼は難民の遺体の検死も行う一方、島民の診療も行う。同僚に「たくさん検死したから慣れただろう」ときかれることもあるが、医師はそんなことはないという。舟の中で出産し、まだへその緒で繋がれたまま亡くなっていた母子、ボートの燃料を浴びて化学薬品で全身やけどの青年、そんな人々の死に立ち会うことに慣れるわけがない。
ドキュメンタリーであるのに一種の物語性を与えることに成功しているのは、偶然かこの監督の力量か。島に住む少年は左眼が弱視なので、右眼に眼帯し、左眼の機能を取り戻そうとする。徐々に視力も回復していき、見えていなかったものが見えていく・・・。これは視聴者に向けたメッセージだろうか。
「わたしは、ダニエル・ブレイク」は、英国の巨匠ケン・ローチの作品。監督は本作の前に引退を表明していたが、引退を撤回し本作を撮ったが、監督は本作で二度目のパルムドール賞に輝いた。ケンローチがカメラを向けるのは移民・貧困層など社会的な弱者である。リアリズムに徹し、俳優陣の自然な演技を引き出している。本作は社会問題の告発ではなく、社会問題のリアルレポートである。紛うことなき傑作である。
長年大工で働いてきたダニエル・ブレイクは心臓発作で、ドクターストップがかかり職を失う。福祉制度を利用とするが理由も分からず拒絶され、不服申し立てをしようとするも複雑な制度と無愛想でぞんざいな職員に阻まれる。職員からぞんざいな扱いを受けていたシングルマザーのケイティとその子供を助けたことから、ダニエルは彼らとの交流が生まれる。しかし、彼らを徐々に現実が追い詰めていく・・・。
イギリスは移民が多いため、移民の貧困問題を耳にするが、イギリス人においてもここまで貧困が広がっているとは知らなかった。本作では役所の杓子定規な対応に怒りを覚えるが、一方で、市民間の助け合いや優しさにホッとする。福祉の申請はネットで行うが、ダニエルはPCが使えない。ダニエルが、図書館で隣りの女性や近くの黒人に「教えてくれ」と頼むと、みな快く教えてくれる。しかし、ダニエルにPCの使い方を教えてくれた福祉の職員は、職務上の規定で教えていけないらしく、前例を作るのは困ると上司に怒られてしまう。役所は貧困層に温情的に手を貸してやる意識だが、市民間の連帯は自発的なつながりであり、社会を根本的に支えるのは、こうした草の根の強さなのだ。
映画のラストはとても切ない。ラストでケイティがダニエルが読むはずだったスピーチを読み上げるが、社会福祉制度の問題を浮き彫りにする。人の尊厳を無視され、まるで物のように扱い処理していく社会福祉に対する強いメッセージである。
「私は、お客様や、顧客や、サービス利用者ではない。怠け者でも、タカリ屋でもないし、乞食でも、泥棒でもない。国民保険番号でもなく、もちろんパソコンのエラー音でもない。今まできちんと税金を納めてきたし、それが誇りだ。身分の高いものには媚びないが、隣人は助ける。私は、ダニエルブレイク。人間である。犬ではない。一人の市民だ。それ以上でも、以下でもない。」
本作は英国でだいぶ議論となったらしい。現状が改善されることを期待している。それにしても、本作は我が国の文科省の特別選定作品となっているが、これは文科省が映画を観ていないのか、はたまた厚生労働省に対する皮肉だろうか。もし後者であれば文科省はとてもセンスが良い。





