1972 年9⽉5⽇に起きたミュンヘン五輪における、パレスチナ武装組織「⿊い九⽉」によるイスラエル選⼿団のテロ事件をテーマに、事件発⽣から終結までを報道し続けたメディア内部を描く。

ミュンヘン五輪は、平和の祭典として、西ドイツの国連加盟の間近で、またイスラエルも参加することで和解の象徴となるはずだったが、その平和の願いはテロリストの弾丸によって砕かれた。和解や和平の困難さを示す事例である。この事件をイスラエルの報復劇というかたちで映画化したのは映画「ミュンヘン」であるが、本作はメディア側の視点から描写している。

現在ではライブ中継は当たり前だが、当時としては、衛星中継で、リアルタイムに事件の様子が報道されることは画期的だった。その一方で、テロリスト側にも警察の動きなどが筒抜けという弊害もあった。もしライブ映像中にショッキングな映像が流れたらどうするのだろうか?などのジャーナリズムの問題も内在していた。

実際にあったであろうメディア内部の混乱なども興味深く観れた。ことの顛末は悲劇だったが、教養として観ておきたく一本だ。映画「ミュンヘン」もあわせて視聴されたし。

 

 

★ 3.7 / 5.0

 

本日は山﨑亮汰さんのピアノリサイタルへ行ってきた。Youtubeで演奏を聴いて以来、一度生演奏を聴いてみたかったピアニストである。ジーナ・バッカウアー国際ジュニアピアノコンクール日本人初優勝、ピティナピアノコンペティションにおいて史上最年少タイの15歳で特級グランプリを受賞、その2年後にはクーパー国際コンクールで優勝を飾った早熟の天才である。その後、コンクールで名前を聞かなかったが、研鑽期間だったのだろう。徐々にコンクール出場を再開したようで、3年前にハワイのケアロヒ国際コンクール、2年前に名のあるブゾーニ国際ピアノコンクールで第3位入賞を果たしている。今年のヴァンクライバーンコンクールにも出場予定らしいが、ぜひ健闘してほしいものだ。彼の才能であれば、もっと若い時に著名なコンクールでも入賞できただろうにと、部外者ながらふと思ってしまうのだが、つくづく自分の浅ましい功名心が嫌になる。

 

[プログラム]

ショパン :ノクターン ハ短調 Op.48-1
ショパン :バラード第2番 ヘ長調 Op.38
シューマン :幻想曲 ハ長調 Op.17

 (休憩)
ショパン :幻想ポロネーズ 変イ長調 Op.61
リスト :ピアノソナタ ロ短調 S.178

 (アンコール)
ショパン:ノクターン 嬰ハ短調 遺作

 

演奏後のトークでも、「ヘビーなプログラム」と自身で話していたが、実際、かなりの重量級の曲が並ぶ。特にシューマンの幻想曲と、リストのロ短調ソナタはそれぞれ30分の長大な難曲である。それにしてもおっとりとして真面目そうで優しいお人柄がトークに出ている。演奏の感想だが、シンプルに上手いなと思う。ピアノを上手く鳴らせて音は明瞭、安定感があり、テンポもバランスが良く、技巧的なポートも難なく弾きこなす。ダイナミックさと、繊細な音の響きがバランスよく調和した素晴らしい音楽の造形である。

 

プログラムでみると、シューマンの「幻想曲」が前半で、後半にリストの「ロ短調ソナタ」を配しているのが興味深い。シューマンがリストに献呈したのが幻想曲で、その返礼としてリストがシューマンに献呈したのがソナタなのである。シューマンの幻想曲は3楽章から成り、もともとソナタだったが、結局、幻想曲と銘打たれた。当時、シューマンは、クララとの結婚を猛反対され、不安定だった時期である。転調が多さや曲調にそれが表れているが、一方で、夜に恋焦がれるかのような響きも感じ、その不安定な揺らぎに胸が締め付けられる。幻想曲はソナタだったといったが、標題に「フロレスタン」及び「オイゼビウス」が付けられていた。これはシューマンが自身にある二面性を表現した自身のペンネームで、フロレスタンは明るく外向的で積極的、オイゼビウスは優しく内向的でロマンティストを意味する。シューマンは双極性障害だったといわれているが、自身でも自覚があったのだろう。ちなみに、シューマンはリストから返礼のソナタを受け取る前に河に身を投げて精神病棟に入院し、その後亡くなったというから、この幻想曲とソナタは、シューマンの生と死にも絡む曲である。

 

シューマンの「幻想曲」も名曲として名高いが、リストのロ短調ソナタも画期的な曲である。リストのロ短調ソナタは、ソナタであるのに楽章に分かれておらず、単一楽章の構成なのだ。長大な曲ながらリストはソナタに標題を与えていない。当時としてはあまりにも斬新で、これを受け取ったシューマンの奥さんのクララ(当時としては珍しく作曲も行った女流ピアニスト)は、ソナタを酷評しており、評価は分かれていたようである。現在では様々な分析が加えられ、リストを代表する傑作として評されている。

 

ピアノ史に並ぶ大曲を前半・後半に持ってくるとは、その勇気も素晴らしいが、これを勇猛に演奏しきった技量と才能も恐れ入る。山﨑亮汰さんはおそらく着実に円熟を重ねて名演奏家になるのだろうなと思う。安定感ある演奏で聴衆を魅了してほしい。結果は水物ではあるが、ヴァンクライバーンコンクールは良い結果だといいなと思う。

 

 

著者の平芳裕子氏は、神戸大学院のほうで教鞭をとっており、表象文化論・ファッション文化論を専門としている。ファッションは学問足りえない浅いと考えられることが多かったが、最近になりファッション研究が進み、徐々に学問として体系だってきたように思われる。博物館や美術館においても、服飾部門を設け、ファッションをテーマにした展示を行っている美術館なども珍しくはなく、ファッションがアパレル企業の生み出す単なる商品から、展示される主体へと昇華してきている。

 

そんな最近のファッションスタディーズについて、著者の平芳氏が、東大の吉田寛先生に招かれてファッションの集中講義を行った内容を書籍化したのが本書である。12のテーマを通じ、文化・芸術・消費行動などの切り口でファッションを分析し、歴史と未来に問うている。新書にしても250頁超で、少々ボリュームがあるが、とても読みやすい。導入本として読むのには最適だ。ただ出典や参考書籍があるとなおよかった。

 

「ファッションがなぜ学問に?」と疑問に思うかもしれないが、ファッションという現象は面白いものだ。体を保護するのが目的であれば、衣服はここまで多様なデザインである必要はない。中世では服装とは階級を示すものであり、貴族は貴族らしい服装、農民は農民らしい服装をしていた。富裕層であっても平民が貴族と同じ服装をすることは法令で禁止されたこともしばしばである。現代のように好きな恰好をできるようになったのは、革命によって階級社会が打破されたことに起因する。我々日本人が洋服を着替え始めたのは、明治時代頃からだが、和服から洋装に着替えたのは近代化と国体変更のメルクマールだった。この点ではファッションとは歴史や社会情勢とも相関がある。

 

現代では人々は好きな服装を楽しめるが、ある人はナチュラリストだから自然に優しい衣服を手に取り、一方で、ある人はこれ見よがしなブランド品を身に着けるかもしれない。前者は、自然派のものを購入することがアイデンティティに関係しており、消費によってアイデンティティ形成に一役買っている。後者は、ウェブレンのいう「見せびらかし的消費(顕示的消費)」であり、例えば、自分の経済的地位を示すものとして服装を用い、つまり、衣服を”経済的な成功”の記号として使用している。ファッションとは現代において消費行動の面からも分析が可能である。

 

ファッションといっても多様な社会現象であり、研究しがいがあるテーマである。本書ではそこまで言及されていないが、例えば、LVMHの創業者のアルノー氏は企業を次々に買収しラグジュアリーブランドの帝国を築いたが、これはマーケティングや企業戦略からも分析が可能であろう。一方で、ファッションデザイナーに着目して分析することも興味深い。すでに女性の身体の解放という点などで、シャネルを論じる識者は多い。

 

教養として本書を読んでおいて損はない。ファッションの奥深さを知れる良本である。

吉本所属の芸人のたかまつなな氏が、SNSで年金改革を擁護する発信をし、大炎上となっている。

 

なお、過激な誹謗中傷が相次ぎ、法的措置も検討するとしている(LINK)。

議論は歓迎すべきだが、誹謗中傷は許されない。

 

■ 炎上を受けて作成されたたかまつなな氏のnote

 

それにしてもたかまつなな氏は、年金制度のおかしさに注目を集めた点で、非常に良いアジェンダ設定をしてくれたと思う。というか、そもそも炎上を狙い、年金制度の歪さを世に知らしめるために、あえて嫌われ役を買って出て炎上させたのではないかとすら思ってしまう。

 

現在の年金制度は、賦課方式だが、現役世代から高齢者への上納システムである。現役世代から社会保険料と称してお金を取り立て、高齢者に莫大な所得移転を行っているのが現状である。結果的に現役世代はお金がないので消費も低迷しており、また、現在不安から結婚・出産に踏み切る人が減り、猛烈な少子化をまねている。

 

賦課方式は現役世代のほうが多ければ成り立つが、日本のような超高齢化社会では、支える側のほうが少ないので、制度がもたない。1990年生まれは127万人いたが、去年の出生数は70万人割れで、34年で出生数はほぼ半減近く回復の見込みもない。現役世代が高齢者を支えるのは日本の人口構成では維持が不可能である。年金額も今後は減額されていくだろう。要は払い損である。

 

さらにたかまつなな氏の功績は年金は「労使折半」でお得と指摘したことだ。社会保険料は労使折半なので、労働者からみればお得な制度といいたかったようであるが、会社からみれば人件費には違いがなく、会社は、会社負担の社会保険料を踏まえて労働者の賃金を決めているのだから、お得とは言えない。

 

この会社負担は給与明細には基本的に載っていないが、大和財託では会社負担分の社会保険料も給与明細に載せているそうである;社長が給与明細の事例を掲載している。労働者が目にする通常の給与明細だと、支給48.5万円で手取りが35.1万だが、実際には、会社負担分を含めると、支給56.4万円で、手取りはたった35.1万円である。要は4割近くが税金と社会保険料とさっぴかれているのが実態なのだ。労使折半にしているのは、負担感をごまかす官僚の悪知恵である。全企業が会社負担分の社会保険料も給与明細に載せれば、労働者の意識は変わるだろう。

 

そもそも国民年金は破綻した制度である。未納率は半分近くになっている。この財源の不足を補うために、厚生年金の財源から国民年金に流用しているが、こんなのは財産権の侵害である。これから氷河期世代が高齢者になると無年金者が大量に出るが、無年金の人は、財産がない限り、生活保護を受給するしかない。生活保護の受給額は国民年金の2倍もあり医療費なども無料などの特典付きである。低賃金層はだったら保険料などは払わず、生活保護制度に「ただ乗り」したほうが経済合理的になってしまっている。今後、合理的選択をする人が増えると社会保障制が破綻してしまうし、生活保護世帯が急増すれば財政がもたない。

 

このソリューションは簡単で、最低保障年金制度にすればいい(LINK)。最低保障年金は、基礎年金はすべて税金(消費税)でまかなう制度である。ただ過去に何度か提案されては廃案に追い込まれてきた。社会保険料の負担は減り、現役世帯は助かるが、消費増税になるので、負担が増える高齢者は反対するので、政治的には推進が難しい。いまの高齢者からすれば、現役世帯から上納金が入るのに、そんなおいしい制度をやめるうまみがない。いまの高齢者からすれば、今の制度のまま逃げ切るのが正解なのだ。

 

というわけで、ソリューションはあるが、政治的には無理ということで、今の制度をだらだら続け、現役世帯の負担は増え、少子化は加速し、消費はさらに冷え込むというのがほぼ確定路線である。日本はまさに「茹でガエル」なのだ。

厚生労働省は、2027年9月をめどに高所得会社員の厚生年金保険料の上限を引き上げる調整に入った。賞与を除く年収798万円以上の人が対象で、保険料収入を増やし年金財政を改善する狙いがある。働く高齢者が年金を満額受け取りやすくする見直しも26年4月で調整する。ー 日経新聞

 

SNSが大荒れだったが、賞与を除く年収798万円以上の社会保険料の負担が増える。老後に受け取る厚生年金も上限引き上げ後の納付年数に応じて増えるが、しかし、支払った分を下回るので完全に払い損の詐欺的な制度である。賞与を除く年収798万円以上の人は月1万〜3万円ほど本人負担の保険料が増えるが、年間にすると12~36万円の負担増である。

 

高所得者を狙い撃ちと言いたいところだが、子供を2人も育てていたら、賞与を除くとはいえ、年収798万円は経済的に余裕がある世帯ではない。ついでにいうと、賞与を除くという点についてだ。外資系企業やコンサル業界などでは年俸制(年間の報酬が決まっており、それを12分割して支払う)が多いため、20台の若手でも年収798万円以上の年俸の人は多く、負担増の対象となる。あえて賞与を除き年収798万円以上としたのは、公務員の多くは、賞与の割合が大きいので、大半の公務員は賞与を除くと年収798万円に達しないためだろうと邪推してしまう。自己保身しつつ年金財政を改善する妙案ということだ。

 

負担増のニュースだらけで忘れられているが、2024年度からは森林環境税もスタートしている。年間1000円であるが、今後、増税されない保証はない。加えて「子ども・子育て支援金」も2026年度からスタートする。「子ども・子育て支援金」というと聞こえはいいが、要は増税である。公務員やサラリーマンは、年間1万円以上の負担増である。2026~2027年度にかけて次々と負担増になるため、年収がそのままの場合、手取りが減っていく。消費は冷え込むだろうし、さらなる増税不安から若年層はますます結婚や出産を控えるだろう。

 

負担増のほかにも衝撃的なニュースが別にある。国民年金(基礎年金)は破綻しているが、財源として会社員が入る厚生年金保険料の一部を国民年金の給付に流用する方針だという(LINK)。簡単にいうとサラリーマン(厚生年金加入者)から取り立てたお金を、国民年金しか支払っていない人にばらまくということだ。これは財産権の侵害である。賦課方式は人口構成が全く異なる時代につくられた制度で、少子高齢化社会では維持困難であり、闇雲に現役世帯の負担増というかたちで維持されているおぞましいシステムである。

 

さらに個人的に気になっているのが、金利である。金融政策の変更で、変動金利が上昇する可能性が高い。例えば、5000万円のローンの場合、0.65%上がっただけで月の負担は15000円上昇する(例えば35年間変動型(元利均等返済))。ペアローンでカツカツでタワマンなどを購入している世帯など、金利上昇のダメージは大きい。

 

増税もローンの支払いなどもそれそれは数千円程度でも、いくつも重なると数万円程度の負担増となる。ボディブローのように効いてくる。短期でどうこうなるものではないが、日本経済は2030年にかけて消費の冷え込みで徐々に活気を失っていくように思われる。