ホロコーストを生き延びてアメリカへ渡ったハンガリー系ユダヤ人建築家ラースロー・トートの数奇な半生を描いた人間ドラマ。ベネチア国際映画祭銀獅子賞(最優秀監督賞)を受賞している。エイドリアン・ブロディが主演を務めているが、彼自身もハンガリー・チェコ・ポーランド系のユダヤ人である。ちなみに、トートの半生はリアリティがあるが、架空の人物である。

ブルータリズムは、1950年代に見られるようになった建築様式で、建築を機能面で考え合理的な設計に注力し、結果的に文化性を排除した無骨な意匠を建物の外観を有する。ただ無機質さや美観への批判などもあり、1980年代以降に装飾性・文化性などが復権したポストモダン建築の登場により勢いを失った。実際、本作で彼の代表作がつくられた時代はまさに70年代の設定である。

主人公とその奥さんはユダヤ人であり、ホロコーストの生き残りである。ユダヤ人としてのアイデンティティ、移民としての米国での生活、奥さんとの関係、彼に手を差し伸べくれた実業家ハリソンとの関係、シオニズムなどが描きこまれ、重層的な作品となっており、意味深な物語だった。

ただストーリー自体はわかるのだが、描かれている要素があまりにも多く、消化できなかった。率直に言うと、少々とっ散らかった印象だった。ユダヤ人として差別されるという側面も、主人公の性格的な問題も多分に描かれており、その点でいえばフェアであるが、結果的に何を言いたいのか焦点がブレてしまったように思う。

一方で、描いたのはあくまである男の半生であり、理解の必要はなく、男の半生をただ観て感じてくれればいいということなのかもしれない。その点で特に描かれる諸要素はファッションに過ぎず「エヴァンゲリオン」のような作品(あくまで興味深そうな要素を付加しただけで作り手に実はそこまでのメッセージ性はない)だったのかもしれない。

正直、少し映画好き程度であれば、215分もかけて本作を観なくてもいいと思う。

 

★ 3.8 / 5.0

 

2022年にヒジャブのつけ方を理由に道徳警察に暴行され亡くなったマフサ・アミニさんをきっかけにした抗議運動に揺れるイランを舞台に、ある家族が一丁の銃の紛失を巡って崩壊していく様を描く。本作でモハマド・ラスロフ監督は、カンヌ国際映画祭審査員特別賞を受賞している。

銃の紛失から家庭内に疑心暗鬼が広がり、徐々に人間の本性が明らかになっていくサスペンススリラー。167分となかなかの長編だが、緊迫感が続き全く飽きなかった。

主人公の家族はイラン社会のメタファーになっている。革命裁判所に勤務する父親が強権的で伝統的な政治・宗教的な権力、従順な妻はイランの伝統的価値観に従う女性、疑問を呈し反抗する娘は自由を求める新世代を意味している。銃はパワーであり、父親はその喪失に異常なまでの不快感を感じ、暴走し始め、家族を抑圧し始める。そして、それを最後にその暴走を止めるのは娘だった。これはまさに国家権力の暴走と、抑圧される無辜の市民の対立のメタファーであり、歴史ある遺跡での結末には、過去への決別という強いメッセージ性を感じた。

タイトルの無花果(イチジク)であるが、預言者ムハンマドがいちじくの木の下で啓示を受けたこともあり、イスラム教において重要な果物となっている。アダムとイブの知恵の木の実(禁断の果実)でもあり、その葉で体を隠したことから羞恥を意味する場合もある。また、映画冒頭でイチジクの説明(イチジクの種は鳥の糞に混ざって移動し、地に落ちて発芽すると地中に向けて根を伸ばす。そして宿主の木に枝を巻き付けて伸びていき最後には独り立ちする)が表記されていることからもイチジクが本物語の着想において重要な要素だったことがわかる。イチジクは本作で、女性の自立や権利拡大、ヒジャブなどのメタファーであり、映画のラストの示唆でもある。

本当に素晴らしい映画だった。ただ途中まで物語に入り込んで、その素晴らしさに感嘆していたのだが、途中から腑に落ちなくなった。娘の動機が少し曖昧だし、父親の言い分(いい暮らししてて何が不満なの?)もその通りだと思うし、父親も20年以上勤務して昇進目の前にして刑罰課されるかもしれないと思ったら怒りたくもなるものではないかと思った。イラン社会へのメッセージという点では父親の最期には納得がいくが、家族の物語として見ると、父親が気の毒に思えてならなかった。

 

★ 3.8 / 5.0

 

 

カナダ人ピアニストのケヴィン・チェンのピアノリサイタルへ行ってきた。ちょっと予定の問題で名古屋の電気文化会館で聴いてきた。

 

あまり日本では知名度がないが、ケヴィン・チェンは、大注目されているピアニストである。2020年にルガーノのモーツァルト国際ピアノコンクールで優勝、翌年にはブダペストのフランツ・リスト国際ピアノ・コンクール優勝。そして、2022 年には有力コンクールで、アルゲリッチやポリーニを輩出したジュネーヴ国際音楽コンクールのピアノ部門で優勝、そして名のあるアルトゥール・ルービンシュタイン国際ピアノコンクールでも2023年に優勝を飾った。話題沸騰のピアニストだ。驚くべきはリストコンクールは15歳、ルービンシュタインコンクールを16歳、ジュネーブコンクールは17歳で優勝を成し遂げた点だ。十代の巨星。驚愕の才能だ。


ショパン:バラード 第4番 ヘ短調 op.52
ショパン:幻想ポロネーズ op.61
ショパン: モーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」の「お手をどうぞ」の主題による変奏曲 変ロ長調 op.2

(休憩)
リスト:バラード 第2番 ロ短調 S.171
シューベルト/リスト:魔王 S.558, No. 4
リスト:巡礼の年 第2年 「イタリア」より ペトラルカのソネット 第104番
リスト:ドン・ジョヴァンニの回想 S.418

(アンコール)

シューベルト/リスト:水に寄せて歌う S.558

ショパン:マズルカ イ短調 op.17-4

シューマン/リスト:春の夜 op.39-12/S.568

 

全体的には彼の才能は驚嘆すべきだが、ただ正直言うと、ショパンは個人的に微妙だった。いかんせん音の線が太過ぎる。ショパン的ロマンティズムにある儚さがなく、まるで筋骨隆々とした歌舞伎の女型(と言って伝わるか分からないが)、そんな違和感を感じる。快活な演奏だが、ショパンとの取り合わせはどうだろうか。

 

ただ一転して後半のリストは圧巻の一言。ここまでの超絶技巧と密度の高い演奏は稀有だ。天が授けた才能に他ならない。小柄ながら音はとにかくダイナミックで、パワフルで、大きな演奏。冷静に曲を構築していくが、演奏に込められる熱量に驚きを禁じ得ない。一音一音にエネルギーが凝縮し、それが連なって奏でられると巨大な音響となって鳴り響く。これだけのスピードと熱量で演奏できたならどれだけ快感なのだろうか。誰も彼のヴィルトゥオーゾぶりは否定できないだろう。バロメーターを振り切っており、思わず「ワーオ」と声に出そうになった。

 

それにしてもプログラム構成も面白い。ちょうどショパンとリストの対比になっており、バラードとさらにモーツァルトのドンジョバンニをモチーフにした作品が配されている。ショパンはさらに晩年の傑作の幻想ポロネーズ。リストはシューベルトの歌曲「魔王」のピアノ版(リスト編)と、リストの巡礼の年 第2年 「イタリア」より ペトラルカのソネット 第104番があるが、歌心あふれる名曲だ。アンコールでもリストとショパンの曲が奏でられた。シューマン/リストの「春の夜 op.39-12/S.568」は私の好きな曲なので、リサイタルの締めくくりが同曲で個人的には大満足。彼が十代なのがいまだに信じられない。

 

それにしても将棋の藤井聡太さんに似ているなと思ったが、演奏後のサイン会でも「藤井聡太さんに似ている!」と言っている人が、ままいたので、やはり似ていると思う。物腰が柔らかいのに、驚嘆する才能という点でも共通している。ここまで吹っ切れた天才をみると、いかに自分が凡人なのかと思い知らされる。はぁ、、人生とは自身の限界を思い知らされる旅路だ。

 

18世紀のデンマークを舞台に、貴族の称号を懸け、荒野の開拓に名乗りを上げた実在の退役軍人ルドヴィ・ケーレン大尉を描く。演じるのは北欧の名優マッツ・ミケルセン。極めて上質な映画だった。重厚な開拓の歴史映画。

荒涼とした大地の開拓に挑み、また、その土地の有力者のデ・シンケルからの妨害に耐えながらも、ひた向きに開拓に励む様に胸を打たれる。原題は「Bastarden」だが、庶子という、当時虐げられていた階層を象徴している。

本作ではケーレンを妨害するフレデリック・デ・シンケルが登場するが、これが稀にみるトンデモない奴だ。大富豪ながら父親が平民からの成り上がりなことは自分でも気が付いており、貴族を示す「デ」も自称で、他の地主との会話では「デ」をつけてもらえず、「デ・シンケルだ」と言い返すありさま。彼の異様な虚栄心は、現在の地位と家柄のギャップにある。

ただ幸いなことにシンケル氏は創作の人物なようだ(モデルはいたのかもしれないが)。なお、アン・バーバラも創作であり、タタール人の女の子も創作だ。あくまで本作は実在の人物にインスパイアされたフィクションである。ケーレンがその土地を去るのも、実際は8年ほど努力したが、収穫がなく撤退したのが実際である。現在ではケーレンが建てた家の場所もわかっていない。

それにしてもやはり北欧は極寒の大地であり、農作には向いていないことがよくわかる。北欧は5か国を合計しても2700万人程度で、日本の首都圏の人口にも満たない。それは農作物が取れなかったことも影響している。日本でも東北は人口が少なく西日本が栄えていたのは気候の影響だ。本作ではジャガイモを植えるわけだが、日本でも北海道でジャガイモも植える理由は、霜以外の天候に強いからだ。映画の本筋と関係ないが、やはり繁栄には地理的な制約があるのだなと感じた。

当時の北欧の社会情勢や開拓の困難さなどの要素を含みながら、そこに実在の人物をテーマに、重厚な物語が紡がれているデンマーク映画の傑作。

 

★ 4.2 / 5.0

 

英国の暴君ヘンリー8 世の 6 番目にして最後の妻であるキャサリン・パーに焦点を当てた作品。思ったより「宗教改革」や「信仰」がテーマであり、興味深く観れた。

ヘンリー8世は、離婚がしたいがために離婚を禁じているカトリックと絶縁して、英国国教会を設立した国王である。最初の奥さんのキャサリン・オブ・アラゴンとは離縁(このキャサリンの子供が映画にも登場しているが後の”メアリー1世”である。プロテスタント弾圧で”ブラディメアリー”と呼ばれる。)。二番目の奥さんはアン・ブーリンであるが、不義密通等の疑いで処刑(この子供が後の”エリザベス1世”である)。三番目の奥さんはジェーン・シーモアだが難産の末に亡くなっている(子供が”エドワード6世”で劇中に出てくる王子である)。四番目の奥さんはアン・オブ・クレーヴズで離縁(理由は容姿が微妙だったとか、出産歴があったからなど諸説有り)。五番目がキャサリン・ハワードで、二番目と三番目の親戚にあたるが、こちらも不倫疑惑で処刑されている。

六番目の奥さんが本作で主人公のキャサリン・パーである。実はメアリー(後のメアリー1世)とエリザベス(後のエリザベス1世)は、母親がヘンリー8世によって離縁または処刑されていたので庶子の身分に落とされていたが、キャサリン・パーの嘆願もあり、身分を回復され宮廷に戻った経緯がある。本作で描かれるように聡明で、また、メアリーなどの子供たちからも慕われていたようだ。

映画は淡々としているが、とてもリアルである。絵画的構図のシーンなどとにかく美しいが、暴君ヘンリー8世の横柄さには辟易する。ちなみに、ヘンリー8世は、馬上槍試合で落馬して脳が損傷し、人格が変わってしまったとする説がある。

英国史に興味がある人は必見だが、教養としても観ておきたい。前後の時代を描いた「ブーリン家の姉妹」、「エリザベス」、「エリザベス:ゴールデン・エイジ」、「ふたりの女王 メアリーとエリザベス」なども併せて視聴されたし。

 

★ 3.8 / 5.0