「イシューからはじめよ」の著者安宅和人氏の最新刊だがこちらもベストセラーになっている。ファクトベース(というかファクトベースじゃない妄想ベース本が日本は多過ぎる)でAI時代に乗り遅れている日本の悲劇的な惨状を明らかにし、それでも落ち込む必要性はなく日本はまだ蘇られるという。本書は読みやすく的確で文章も良い。ちゃんと理解している頭の良い人の文章ということが伝わってくる。東大院からマッキンゼー、その後、イェール大で博士号を取得しマッキンゼーに復帰した。ヤフー株式会社のCSOを務め、慶応SFCで教鞭もとっている。本は分厚いので読む気がしない人はTEDの動画が分かりやすい。第1章~第4章の内容がコンパクトにまとまっているのでオススメしたい。

 

 

本の要点は、ハードなモノづくりではなく、AI×データ産業の時代になっており、そしてその産業は指数関数的に増えていく。日本はこの産業には完全に乗り遅れているし、研究体制も脆弱で、米国とは勝負にならないという。論文の数も質も低下を続けており、データサイエンティストの数では米国どころか中国・インドの後塵を拝するまでに落ちぶれている。そうというのも日本は文系が多過ぎるのだ。ドイツ・韓国では理系が6割だし、英国でも半数近くが理系だが、日本は2割しか理系がいない(データサイエンスの学位プログラムは米国では500を超すが、日本だと滋賀大がやっと学部が1つできただけという惨状である)。技術立国であった日本の理系の少なさは意外かもしれないが、高度成長期に国立大の規模を拡大せず、高等教育への需要を私立大が吸収したものの、私立大はコストのかからない文系を増強したためだ。結果的に大学時代は勉強しないで卒業し、終身雇用にかまけて自己研鑽しないガッツやゴマすりが取り柄の文系サラリーマンが大増殖し、技術者などは軽視され、バブル崩壊後に冷遇された日本の技術者はごっそり中国・韓国に持ってかれた。結果的に韓国メーカーは日本メーカーのシェアを次々と奪っている。これは国の教育政策の失敗に起因する。日本はIT系業界は人手不足で、文系学部出身者になんとか教え込んでSEとして働かせたりしているが、こんな学位と就職業界とのミスマッチが大きい国も珍しい。

 

しかし、日本はこれまでも外来の技術によって成長してきた。仏教が伝来したらあっという間に日本独自の仏教に昇華して仏教国になり、火縄銃が伝来したらすさまじい勢いで軍事国家になり(欧米列強の侵略を免れ)、黒船が来たら急速に近代化を成し遂げて覇権争いに食い込むまでになった。日本は外圧によって成長するのだ。日本は革新的な技術を発明し、洗練させて、普及させるまではできないが、洗練させて普及させる能力には長けている。日本人は幸いなことにアトム、ドラえもん、ガンダムなどを通して機械に対する柔軟な発想が自然と養われている。現在、AI技術はアメリカで発展しているが、その技術をうまく導入し、日本はさらに進んだAIを生み出すだろう。著者は、日本は妄想力では絶対に他国に負けないという。フェーズ1には遅れたが、フェーズ2・3で盛り返せるパワーが日本にはあるという。

 

とはいえ、現状は楽観視できない。アメリカの大学は巨額基金を運用し研究費を捻出しているが、それに比べると日本の科学技術の予算は雀の涙だ。ちなみに、科学技術予算は中国の約4分の1にまで低迷している。博士号取得者は減少傾向だし、論文も減っているし、教育投資も悲惨である。おまけに国内マーケットが大きかったので、内需で成長してきたこともあり日本のビジネスマン(というか研究者も)の大半は英語もろくにできない。本書はそうした日本の未来への道筋も示しており、また予算的にも高等教育への投資は荒唐無稽ではないという。日本は社会保障費などに莫大な予算を割いているが、これの極一部を若者への投資に振り向けるだけでいいのだ。著者は「スクラップ&ビルドでこの国はのし上がってきた」という映画「シン・ゴジラ」の台詞を引用している(本のタイトルも同映画へのオマージュらしい)。失われた30年は悲惨だったが、明るくご破算にしてやり直せばいいだけだ。現状が悲惨でも、未来まで悲観する必要はない。



ヒットを飛ばし続ける米津玄師だが、彼の「カムパネルラ」が特に秀逸だ。MVは曲を見事に表現し、芸術的で美しい。彼の天才性がいかんなく発揮されている。カムパネルラは、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の登場人物だ。「銀河鉄道の夜」は未定稿のため様々な解釈の余地があるが、それがゆえに様々な作品に影響を与えている。孤独な少年ジョバンニが、友人カムパネルラと銀河鉄道の旅をする物語である。本曲は、自己犠牲で亡くなったカムパネルラへの思いが歌われている。ジョバンニ視点で書かれたかと思っていたが、カムパネルラに助けてもらった苛めっ子のザネリの視点で書かれていると米津自身がインタビューに答えている。歌詞は見事に「銀河鉄道の夜」とリンクしているが、小説をここまで華麗な歌詞の美しい楽曲に昇華するのは米津は天才である。特に歌詞は宮沢賢治や中原中也の詩を取り入れ素晴らしい情緒を生んでいる。

本当に歌詞が美しい。「咲いたリンドウの花」は銀河鉄道からジョバンニとカムパネルラが見た景色である。「この街は 変わり続ける 計らずも 君を残して」とは、亡くなったカムパネルラをおいてこの街は変化していくことを指している。「オルガンの音色で踊るスタチュー」とあるが、”オルガンの音色”とは、銀河鉄道の夜に出てくるドボルザークの交響曲「新世界」のことだろう;ドボルザークはオルガン学校に通っていた。

「わたしの手は汚れてゆくのでしょう」というのは、生きていく中で人は誰かに迷惑をかける可能性があり、ときにはザネリのように誰かの死の原因になることもある。それでも生きていかなければならない。そんな人生の苦悩がこめられているように感じられる。ザネリはカムパネルラの死の原因になったという十字架を背負って生きていかなければならない。それが「終わる日まで寄り添うように 君を憶えていたい」の歌詞で表現される。気になるのが「あの人のいう通り」という歌詞の「あの人」。断定要素はないが、ジョバンニだろうか。

「カムパネルラ そこは豊かか 君の目が 眩むくらいに」というのは、「自己犠牲で亡くなったけど、君は本当にそれでよかったのか?」というカムパネルラへの問いかけだろう。「タールの上で 陽炎が揺れる」という歌詞は、詩人の中原中也の詩「夏の日の歌」の「タールの光も清くなる」を若干想起させるとともに、銀河鉄道の夜に出てくる空の漆黒の孔”石炭袋”を意味しているように思われる。「爆ぜるような 夏の灯火」とは、銀河鉄道の夜に出てくる「赤く光る火(=さそりの火)」のことだろうか。そして奇しくも、さそりには次のようなエピソードが寄せられている。一匹のさそりがイタチに追われ、井戸に落ちてしまうが、さそりは井戸の中で、井戸でただ死ぬのならどうせならイタチに私の体をあげればよかったと後悔する。そうしたところ、さそりは自分の身体が真っ赤な美しい火になって燃え、夜の闇を照らすようになったという。さそり座の心臓のところを照らすアンタレスのことだ。赤く光る火とは、自己犠牲の象徴として小説では描かれているのだ。ちょうどMVの最初で米津さんの心臓が光っているが、歌詞への伏線だろうか。

「真白な鳥と歌う針葉樹」は、おそらくだが宮沢賢治の「白い鳥」と「永訣の朝」(詩に松が出てくる)からインスピレーションを得ていると思う。これは若くして亡くなった妹トシを思って書かれた。また、「波打ち際にボタンが一つ 君がくれた寂しさよ」という歌詞があるが、これも中原中也の詩「月夜の浜辺」の引用だろう。これは中原中也が子供を亡くした悲しみのなか書いた詩である。宮沢賢治や中原中也の悲しみへのオマージュに感じられる。

「黄昏を振り返り その度 過ちを知るでしょう」という歌詞も美しい。「黄昏」の語源は「誰 (た) そ彼 (かれ) は」。薄暗くて人の顔が見えない時間帯を指している。この歌詞で秀逸なのは「黄昏"に"」ではなく「黄昏"を"」としている点。黄昏とは、生の世界と死の世界が混在する時間帯と考えられていた。黄昏時に振り返るという意味かと思ったが、そうした生と死のはざまの揺れ動く不安定な状態(つまり、自分が死にかけたこと)を振り返るのだ。日本語は難しいが、素晴らしい。1文字で意味を全く変えてしまう。日本語の表現の豊かさと深遠さを感じる。ちなみに、ちょうどMVで薄暗くて曲を歌う米津の顔が見えにくいが、見事に黄昏時を表現している。

しかし、人生は悲観ばかりしていられない。傷を負いながらも生き続けなければならない。米津は「光を受け止めて 跳ね返り輝くクリスタル 君がつけた傷も 輝きのその一つ」と書く。カンパネルラの死を悔やんで生きていくが、その過ちすらも人生の一部として光り輝く。宝石は原石から削られて(傷つけられて)輝くのだ。様々な苦悩があるからこそ人生は素晴らしいのではないか。そんなメッセージに感じられる。

そして、最初は「わたしはまだ生きてゆけるでしょう」と断定を避ける表現だったのが、最後には「わたしはまだ生きてゆける」と確信に変わる。曲は「終わる日まで寄り添うように 君を憶えていたい カムパネルラ」と、人生が終わる日までカムパネルラへの追憶を忘れぬようにと決意し曲は閉じられる。

なんでこんなに歌詞に引き込まれて不思議な感覚になるんだろうと思ったが、これは五感を刺激されるからだろう。「咲いたリンドウの花」や「光を受け止めて 跳ね返り輝くクリスタル」では、目の前に咲き誇る花々や光り輝くクリスタルなどの美しい情景を想起させてくれる。「オルガンの音色」でオルガンの音色が響き、また「追い風に翻り」で風を感じ、「爆ぜるような 夏の灯火」で蒸しかえるような暑さを感じ、意味深な灯火が目に浮かぶ。本当に日本語が美しい。また、この曲がきっかけで宮沢賢治や中原中也とかが注目されるといいと思う。日本の文学や詩は信じられないほど豊か。文化の蓄積なくしてこの曲は生まれていない。日本文化の重層性をも感じさせてくれる名曲だ。

 

 

「新・観光立国論」で山本七平賞を受賞したデービッド・アトキンソン氏の新刊だ。アトキンソン氏は、オックスフォード大学で日本学を修め、アクセンチュアやソロモン・ブラザーズを経てゴールドマンサックスでアナリストをし、現在は日本の文化財などを修復する企業の代表をしている。やはり一流外資系のアナリストだけあって学術論文をエビデンスとして示しており説得力がある。労働生産性がやたら低い日本企業の現状を見事に描写している良書だ。

 

彼によると日本の労働者の質は高いし、技術力もあるのに生産性ではスペイン・ギリシャなどと下位争いを繰り広げてしまっている。その理由は中小企業が多過ぎることだという。日本は労働賃金が安いのに加えて中小企業を保護する税制などがあり競争力がない中小企業が大増殖してしまった。これは中小企業庁が出来た「1964年体制」に起因するという。当然、「規模の経済」が効くので大企業のほうが遥かに生産性は高いのに、大量にあるしょうもない中小企業が足を引っ張り日本は低生産性国に堕してしまった。ちなみに、日本にある外資系企業は世界で最も生産性が高い。アメリカ型の経営と、日本の素晴らしいビジネスマンが組めば最強であるのだ。アメリカはビッグビジネスを好むので生産性が高く、スキルに応じて見合った高い報酬を出すが、日本は中小企業だらけで素晴らしい労働力を低賃金で酷使し、挙句に生産性が低いという地獄絵図になっている。若者は低賃金で酷使されているので結婚して子供を産む環境になく少子化が進み国家が崩壊していっている。

 

日本はICTなどの技術も優れているのに普及率が低いが、これは中小企業が多すぎてなかなか導入が進まないからだ。先進的な技術もある程度の投資が必要であるが、中小企業には最新技術を導入するほどの体力もない。優れた経営者は限られているのに、日本には中小企業が多過ぎるため、優秀ではない人が中小企業を経営し、その結果、生産性が低い。日本のブラック企業問題などもここらへんに起因するのだろう。

 

特に日本のサービス業は低生産性の権化だが(アメリカのサービス業は決して生産性は低くない)、これは製造業などは設備投資が必要な一方で、飲食店などは低い投資でビジネスを始められる。日本は低賃金ゆえに嫌気がさしてビジネスを始めることが多いが、彼らは初期投資をあまり必要としないサービス業へと向かう。しかし、有能な経営資質を持った人は限られるので、多くのベンチャー企業はそのまま低生産性のままとどまり日本経済を引っ張る。日本だとベンチャー企業といえば、スティーブジョブズのように大学中退したようなヒッピー的な人がガレージではじめた会社みたいなイメージが強いかもしれないが、欧米主要国の場合、ベンチャー企業の経営者の半数は大学院で修士号以上の学位を取得している。ブラックの中小企業が蔓延し、逃避的に起業せざるを得ない人が続出する日本とはわけが違うのだ。日本の中小企業経営者は最新の経営に関する知識もノウハウもなく、ICTを導入できるほどの資金力も規模もないので、人力に頼るしかなく根性主義がはびこり職場はブラック化していく。

 

日本は有休消化率をみるとまるで奴隷のようだが、一方で日本大企業はそれなりに有休消化率は高い。これも原因は中小企業だ。中小企業は一人で多くの業務をこなすので休みにくいのだ。中小企業が減れば有休消化率も高まる。日本人は勤労意欲が高いから有休消化率が低いのではなく、しょうもない中小企業が多過ぎるのだ。中小企業は雇用を支えているのも事実だが、雇用を生み出すのは成長している中小企業のみで、大半の中小企業は雇用創出にも役に立たず単に日本経済の足を引っ張るだけだ。

 

本書はなぜこんなことになったのかまで分析していないが、これは自民党のせいだろう。自民党は地方の企業経営者なども多いので中小企業優遇する傾向がある。自民党は「下町ボブスレー」など下町工場などをもてはやしたが、そんな三丁目の夕日的な郷愁ではグローバル競争には勝てない。いまや日本は5GやAIなどの分野では劣等生である。日本の農作物は高品質だが、大規模化を嫌ったため日本の農業は崩壊し、跡取りもいない農業放棄地が激増している。

 

日本経済の復活は簡単だ。単に競争力のない中小企業優遇をやめて、成長性ある企業に投資して大企業化を促進し、優秀な人材に適切な賃金を払うだけだ。個人的にこれはかなり正しい意見だと思う。現在、在宅ワークが進んでいるが、中小企業ほど在宅が進まない。なぜなら中小企業は、在宅ワークを可能とするツールの導入する資金もなければ、経営者のレベルが低く最新技術に疎いのでそもそも導入する意欲が低いからだ。コロナで中小企業が経営体力がない企業から倒産していくが、これは競争力のない中小企業を淘汰して、日本の生産性を底上げするかもしれない。日本経済は新陳代謝が必要だ。

 

 

三大投資家とも呼ばれるジム・ロジャーズの最新刊を読んでみた。といっても、彼のインタビューをまとめたので、彼が執筆したわけではない。バフェットやソロスに並ぶとは言われているが、資産400億弱のロジャーズ(超金持ちなんだけどさ)を、世界第4位の大富豪の資産9兆円のバフェットに並べるには無理があると個人的に思っている。ソロスとファンド設立したのでソロスの威を借るなんとやらという印象。それに彼の韓国楽観論には私はかなり否定的だった(LINK)。とはいえ、話題の彼の本なので一応目を通したというところ。

 

本書は示唆に富む見解もあるが、一般的な内容が多く見新しい内容はない印象。そもそもコロナ前のインタビュー内容に、追加インタビューして無理やりコロナ危機を受けて発売したようなタイトルに浅ましさを感じる。売れるから出版社としては彼の名前で売りたいのだろうけど、ロジャーズはこんな本の印税で小遣い稼ぎしてないで本業の投資に精を出したほうがいいんじゃないの?

 

その通りだなという内容としては、歴史は大切ということと一方的な視点だけではなく様々なメディアを読んで物事は多面的に把握しないと真相は分からないということ。一方、田舎町で育ってイェール・オックスフォードで学んでインターンがきっかけでウォール街入りという話は今更感がある。日本はバブル崩壊のときにつぶすべき企業を救済してしまったとか、次の覇権国になりうるのは中国ぐらいだという類の話はもはや一般教養レベルの話で書く必要ある?

 

危機の予兆はあってそれを私は予測していたという風に彼は言っているが、北朝鮮と韓国の統一で朝鮮半島にバブルが来るという的外れな予測をしていたことは見事にスルーしているどころか、まだ朝鮮半島に未来があると書いている。北朝鮮は南北共同連絡事務所を爆破して、文大統領とジム・ロジャーズの夢見た南北統一は木端微塵になった。NO JAPAN運動とコロナで、ロジャーズが伸びるといっていた韓国航空業界は壊滅的である。日本は少子化で明るい未来はないというが、日本よりさらに低く世界最低の出生率の韓国には明るい未来があるという彼の主張は意味不明だが、ただのポジショントークだろうか?

 

彼はロシアも評価しているらしい。資源があるし、米国の制裁で農業が強くなっているといっているが、資源のせいでロシアは「資源の呪い」にかかっているのではないか。そして農業でロシア経済が復活するわけがない。かつて覇権をアメリカと争ったロシアの一人当たりGDPはいまや中国と同水準である。経済制裁で疲弊しているロシアが復活するとは到底思えない。

 

移民を受け入れない国は衰えるとも主張しており、日本は移民受け入れに消極的でよくないという見立てだが、日本はいまや外国人労働者の受け入れ数は世界4位で、日本の人口の2%は外国人になっている。ジム・ロジャーズはあえてこの事実を無視しているか、本当に知らないかだが、後者の可能性すら高い。インタビューをただまとめただけなのでデータの裏付けにも乏しくて読みながら頭の上に疑問符が飛び交った。

 

ウォール街の投資家の投資も、サルがテキトーに銘柄選んで投資したのと投資リターンは変わらない。一部の投資家は成功するが、それは単に確率の問題に過ぎず「生存バイアス」による錯覚である。人間はその勝利に一定の法則性を見出そうとするが、それは存在せず、ランダムに過ぎないというのがいままで得られている知見である。たまたまソロス・ロジャーズは博打に勝ち続けた確率の産物に過ぎない。

 

ゴールドマンサックスのトレーダーもかつては500~600人いたが、いまや取引はAIが行っている。いまだに本屋にいくと薄っぺらな投資法などが流布されているが、大半は無意味な内容だ。詐欺的な金融商品に騙されないという意味で金融リテラシーは重要だ。一方、大きく儲けるという意味での投機的投資の無意味さにそろそろ気が付くべきだろう。ジム・ロジャーズのこんなペラペラの本を出し続ける出版社もどうかしているが、買うほうも買う方である(私含め)。私はジム・ロジャーズを銘打った本はもう二度と買わない。

 

 

存命ピアニストとして最も評価が高い人物を挙げればアルゲリッチとポリー二は外せない。両社の共通点はショパンコンクールの優勝者という点だ。世代も似ている。しかし、ポリーニは冷静でスコアに忠実で硬質の音を持つが、アルゲリッチは情熱的で自由奔放でパワフル。方向性は逆である。しかし、この二名のピアニストが、20世紀のピアノ界において二大潮流となったことは疑いがあるまい。

ちなみに、この著者だと「ユダヤ人とクラシック音楽」を読んだ。軽いタッチで読みやすかったが、本書も二大ピアニストを軽快なタッチでまとめている。日本人のピアノ好きから論を出発し、ポリーニとアルゲリッチの足跡を追いながら世界のピアノコンクールや両名の名盤を紹介している。

 

アルゲリッチはドキュメンタリーを観て、なんとなく経歴を知っているが、改めて読むと父は外交官に持つアルゲリッチは生まれながらの天才であるが、どうやら娘を大成させようとしたパワフルパワフルマザーの存在は大きそうだ。アルゲリッチは父親違いで子供が3人いる。アルゲリッチは天才だが、家族関係は複雑で、それゆえどこか演奏にも影あるのではないかと思う。一方でショパンコンクールで優勝した際にアルトゥール・ルービンシュタインに「誰よりも上手」と褒めたたえられたポリーニは、祖父は彫刻家、ポリーニは父親も著名な建築家という家に生まれ、ショパンコンクールで優勝後はミラノ大で物理を学んだインテリである。なんとなく彼の大理石のような硬質の音には理系的な素養があると思う。

 

こんな方向性の違う2名だが日本にゆかりがあり、別府ではアルゲリッチを冠した音楽祭も開かれている。ポリーニは黒澤明・紫式部などに興味があるらしく、また日本建築が堪能できる奈良・京都などにも何度も訪れているが、建築家ゆえだろうか。

 

話は変わるが、ショパンコンクールでは日本を代表とするYAMAHA・KAWAIがコンクール用ピアノに採用されており、あとはスタインウェイである。上原彩子はチャイコフスキーコンクールで、アヴデーエワはショパンコンクールでYAMAHAを弾いて優勝を果たし、日本メーカーが二大コンクールを制覇した。実のことショパンコンクールは日本人が常連だが、優勝者はいない。ピアノ大国としてはショパンコンクールで優勝を出したいところだ。最高位は第2位に入賞した内田光子で、第3位には横山・山本・関などがおり、第4位には小山・中村などがいるが、優勝はいない。ちょうど今年はショパンコンクールイヤーになるはずだったが、残念ながらコロナの影響で延期になってしまった。実のことベトナム人ではダン・タイ・ソン、中国人ではユンディ・リ、韓国人ではチョ・ソンジンが優勝しているから、なんとなく日本人が優勝しても良さそうだが、日本人の場合は出場者が多すぎて審査員が日本的な演奏に飽きてしまうという採点上の問題もありそうだ。

 

個人的には延期されたショパンコンクールに出場すれば上位争いすると予想されるのは牛田智大・藤田真央だろう。牛田は中村紘子に見込まれており、またショパンコンクール in ASIAでは何度も優勝し、難関コンクールの前哨戦の浜松国際ピアノコンクールでは第2位だった。藤田真央ははクララハスキル国際ピアノコンクールで優勝し、チャイコフスキーコンクールで第2位に入賞した。両名ともにショパンコンクール上位入賞できる実力派である。もちろん、コンクールになんか入賞しなくても活躍できる実力はすでにある。ただもし出場するなら応援したいものだ。コンクールで様々なコンテスタントを聴いて成熟したりする場合もあろう。

 

なかなかコロナでピアノコンサートも行きにくいが、Youtubeなどで聴く音楽はやはり味気ない。生で聴くのとはやはり違う。コロナが沈静化したらまたピアノコンサートを聴きに行きたいものだ。