『ヒストリエ』と海外の未翻訳文献について | 胙豆

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2022年10月号のアフタヌーンで、『ヒストリエ』の長期休載が決定したので書いていくことにする。

 

今月発売のアフタヌーンで『ヒストリエ』の12巻の単行本作業のために『ヒストリエ』が休載することが発表された。

 

 

僕はこれを読んで、次のように思った。

 

(岩明均『ヒストリエ』2巻p.147を改変)

 

なんというか、11巻の時も単行本作業のために休載していて、僕は先のお知らせを読む前から漠然と、今回も休載するだろうなと思っていて、思った通りに休載に入っただけなので、さもありなんという以上の事は思わなかった。

 

アフタヌーンに掲載される『ヒストリエ』、十数ページしか掲載されていない上に基本的に下書きだし、隔月でやってて下書きなら、そりゃ、単行本作業の時にも休載が必要だろうし、予見出来てた現状でしかない。

 

隔月でやってて十数ページなのに、12巻収録分で一回原稿を落としていたりする。

 

『ヒストリエ』は岩明先生が一人で描いているし、岩明先生は加齢によって色々体にガタが来ているらしくて、目も悪いし線を描くのにも非常に時間が掛かっている様子があって、作者コメントで他の漫画家の特集をテレビで見て、その作画の早さに驚いたという話をしていたりする。

 

『ヒストリエ』の進行速度が遅いのは、岩明先生の作画がめっちゃ遅いからであって、資料を読むのに時間が掛かっているから遅れているという話ではないらしい。

 

なんつーか、既に描かれている『ヒストリエ』の範疇でもう十分に文献は読んでいる様子が読み取れて、そうであるなら『ヒストリエ』の材料として必要な情報は既に得ているという話になって、その事は『ヒストリエ』の遅延の理由ではないと思う。

 

まぁその話はともかく、『ヒストリエ』と海外文献の話を書いていくことにする。

 

その休載に関連した話題の中で、以下のように言っている人が居た。

 

「(岩明先生は)やたら広い範囲で研究書を当たってるらしく、こんなキャラに元ネタおらんやろガハハ!って調べたら海外の文献がヒットするみたいな展開がしばしばあるらしい

ちな毒飲まされそうになった女騎士ことバルシネちゃんの姉妹のアルトニスちゃんがエウメネスの嫁(http://animesoku.com/archives/31348931.htmlより 冒頭()は引用者補足)」

 

この書き込みはそこまでは書いていないけれど、時々…ネット上の『ヒストリエ』に関連するようなそれを読んでいると、岩明先生が未翻訳の文献を手前で翻訳していて、それが故に『ヒストリエ』の連載が遅れているという話を目にすることがある。

 

今回はその話についてで、結論から先に言うと、おそらくその話はガセというか、勘違いだと思う。

 

まず、確かな出典付きで岩明先生が海外の文献を翻訳して読んでいるという話を聞いたことがないし、検索しても、5ch辺りに書き込まれた出典の明瞭ではないそれ以外で、そのような話は出てこなかった。

 

もっとも、アフタヌーンで20年近く連載していて、その全ての期間、僕はアフタヌーンを購読していたということはないのだから、20年の連載の内に、柱の部分の作者コメントとか、作者へのインタビューとか、アメゾという、雑誌の最後の方の作者への質問コーナーとかで、その話がされているという可能性は捨てきれない。

 

そうでなければ、アフタヌーン以外の雑誌でその話をしていて、僕がそのテキストに未だに辿り着けていないだけなのかもしれない。

 

ただ、そうと言えども、岩明先生はおそらく、未翻訳の海外の文献を手前で翻訳して読んだりはしていないだろうという推論はある。

 

どういう根拠でそういう話をしているかと言うと、岩明先生はかつて、自分が描いている漫画の参考文献一覧を提示したことがあって、そこに海外の文献は確認できず、よってそこから、岩明先生は基本的に日本語文献しか扱っていないということが分かるからになる。

 

『ヒストリエ』の前に、岩明先生が手掛けた『ヘウレーカ』には、参考資料の一覧が巻末に用意されている。

 

そこでは日本語の文献しか確認することが出来ない。

 

(岩明均『ヘウレーカ』p.259)

 

 

もし、岩明先生に未翻訳の海外の文献を読む能力があって、その事を漫画に反映させるということをしているのなら、この『ヘウレーカ』の参考資料の一覧の中に、そのような海外の文献が記載されていないのはおかしな話になる。

 

一応、『SICILICA』という、シチリアに関する本が記載されているけれども、見た感じシチリアの旅行関係の本で、『ヘウレーカ』の舞台になったシチリアの写真集のようなものを、背景の参考に使ったという話で、未翻訳の海外文献という話ではないと思う。

 

少なくともこの『ヘウレーカ』が発売された2002年頃の岩明先生は、そのように未翻訳の資料を扱っていないだろうということは確かで、『ヘウレーカ』を書いた頃の岩明先生は40過ぎで、その年齢から他国の文献を翻訳出来るような語学力を新たに獲得するなんてことは、普通に考えたらあまりないことだと僕は思う。

 

そういう風に『ヘウレーカ』の参考文献一覧の存在が、岩明先生が未翻訳の海外の文献を参考にしていないだろうという推論をもたらしてくれるのはそうだし、そもそも、『ヒストリエ』という物語に関しては、その登場人物から作中の描写まで、僕が把握している限り、全て日本語翻訳されているテキストでカバーできる内容になっている。

 

以前、僕は『ヒストリエ』の参考文献についての記事を二回書いていて(参考:一回目二回目)、その記事で言及したように、『ヒストリエ』は日本語で出版されているテキストの範疇で色々考えられている様子がある。

 

…なんつーか、11巻までの時点であれ程に文献を読んでいるのだから、『ヒストリエ』の進行の遅さと文献の確認は関係性がないと思う。

 

だって、あの記事に言及した文献は既に読んでいるということだし、新たに読むにしたって、その作業はそんな何年もかかるような話でもない。

 

だから『ヒストリエ』の進行が遅いのは、岩明先生の作画速度が低下しているからという話で良いと思う。

 

他には、日本語訳は出版されていないけれども、『ヒストリエ』にそれに由来するであろう描写が存在する『歴史叢書』に関しても、ネット上にその翻訳は存在しているし、学者が論文で『ヒストリエ』に関係がある所に関しては翻訳していて、その話はこのサイトで幾度かしてきたし、そうじゃなくても、『歴史叢書』の文章は、種々の解説書に引用の形で使用されていて、岩明先生はそういうのを読んでいるらしいということも分かっている。

 

だから、『ヒストリエ』は基本的に日本語さえできれば描ける内容だし、そもそも、『ヒストリエ』に関して、その材料に未翻訳の外国の資料を用いているという話に関して、その出典に当たる情報に未だに辿り着けていない。

 

ただ、どういう根拠でそういう話をしているのだろうということを調べたに際して、どうやら、同じように歴史の漫画の中で、未翻訳の海外の文献を翻訳して色々書いている漫画が存在するということが分かった。

 

なんだか、『チェーザレ』に関しては、そのように未翻訳の資料を翻訳して色々やっていたらしい。(参考)

 

『チェーザレ』、読んだことないからよう知らんけど。

 

そのような情報から勘案するに、おそらく、何処かの誰かが『ヒストリエ』と『チェーザレ』を"面白い歴史漫画"という枠組みから、その二つを取り違えて、『チェーザレ』の未翻訳の資料を翻訳して漫画を描いているという話を何かの機会で『ヒストリエ』の話として書き込んだり、人に話したりしてしまって、それが故に、『ヒストリエ』が未翻訳の資料を材料として用いているという話が生まれたのではないかと思う。

 

一つの作品を熱心に読んでいると気が付かないところだけれども、漫画なんてさらっと読まれるのが普通だし、人間の記憶なんて酷く曖昧で、その曖昧な記憶で色々語ると、いい加減な話が生まれるということは非常に多い。

 

実際、Twitterで「ヒストリエ ローマ」とかで検索をすると、『ヒストリエ』がローマの時代の物語だと思い込んでいる人が複数人見て取れたりする。

 

他には、僕らと違う世界線に生きているのでは、と思えるような認識をしている人もかつて見たことがある。

 

まぁ要するにこれらの事は、うろ覚えで『ヒストリエ』について色々語っているから起きていることであって、熱心な読者以外は大体そんなもんなのが普通だと思う。

 

…。

 

二番目のツイートの引用、何と勘違いしてるんですかね…?

 

ただ少なくとも違う漫画と勘違いしてるだろうというのはおそらくそうで、そのように『ヒストリエ』と違う漫画を取り違えるということは実際あり得る話になる。

 

とにかく、熱を入れていない漫画についての知識なんて適当なもので、その話が『ヒストリエ』の話題なのか、『チェーザレ』の話題なのかをうろ覚えの状態でアウトプットした結果が、『ヒストリエ』は未翻訳の資料を手前で翻訳しているという、出典が分からない情報なのではないかと思う。

 

まぁ僕が知らないだけで、岩明先生がインタビューとかでそういう話をしていたりするのかもしれないけれども。

 

…ていうか多分、さっきの二番目のツイートの人が勘違いしてるの、『チェーザレ』だな。

 

『チェーザレ』は何かスッゲーあっさりと物語の途中で終わったと聞いたことがあるし、時期的にあのツイートは『チェーザレ』が終わった直後だし。

 

そういう話なのだから、先の人の方が一人おそらくそうしたように、歴史漫画だからという理由で何処かの誰かが『ヒストリエ』と『チェーザレ』を取り違えたというのが、岩明先生が未翻訳の文献を翻訳して云々の話の元なのではないかと思う。

 

まぁ『ヘウレーカ』の参考文献の中に外国語の文献とかありませんし。

 

…少し話は逸れる話題で、そのことはヒエロニュモスの解説の時にも言及したけれども、『ヒストリエ』の原作である岩波文庫の『英雄伝』が先の『ヘウレーカ』の参考文献一覧の一番上に記載されてるんだよな。

 

 

この情報さえあれば、日本に存在して、『ヒストリエ』の連載開始より前に日本語で読める史料の中で、エウメネスについての言及がある全てのテキストを検証するという苦行めいた作業はしなくて済んだのになぁと思う。(参考:『ヒストリエ』の原作について)

 

『ヘウレーカ』に関しても、『ヒストリエ』同様に、基本的なベースはそのプルタルコスの『英雄伝』だということは分かっていて、岩波文庫の『プルターク英雄伝』の4巻にある、マルケルス伝が『ヘウレーカ』という漫画の元だということは既に分かっている。

 

 

まぁベースと言ったところで、該当のシチリア島での戦いの記述は2~3ページの量でしかないけれども。

 

話を『ヒストリエ』に戻すと、『ヒストリエ』の中で、先の言及にあったように、海外の文献にしか名前がない可能性がある人物は非常に少ない。

 

大体の名前は、そのプルタルコスの『英雄伝』にあるし、そうでなければ『地中海世界史』とかに名前が出てきている。

 

 

ペルディッカスの父親であるオロンテスも『アレクサンドロス大王東征記 付インド誌』という、岩波文庫から出ている日本語の本に言及がある。

 

(岩明均『ヒストリエ』11巻p.43 以下は簡略な表記とする)

 

「オレスティス出身者としてはアレクサンドロスの子クラテロスとオロンテスの子ペルディッカス。エオルダイア人としてはラゴスの子プトレマイオスにペイサイオスの子アリストヌウス。ピュドナ出身者としてはエピカルモスの子メトロンとシモスの子ニカルキデス。それにアンドロメネスの子でテュンパイア人のアッタロス、アレクサンドロスの子でミエザ人のペウケスタス、クラテウアスの子でアルコメナイ人のペイトン、アンティパトロスの子でアイガイ人のレオンナトス、ニコラオスの子でアロロス人のパンタウコスおよびゾイロスの子でベロイア人のムッレアスといった面面だ。これらはすべてマケドニア人である。(フラウィオス・アッリアノス『アレクサンドロス東征記およびインド誌 本文編』 大牟田章訳 東海大学出版 1996年 p.977 下線部引用者)」」

 

 

『アレクサンドロス大王東征記 付インド誌』に関しては、岩波文庫で比較的廉価で発売されているけれども、これは元になった定価38000円の本があって、この本には注釈がついていて、そこにおそらく、レオンナトスの父親であるアンテアスの話があるだろうというのは以前言及した通りになる。

 

(11巻p.64)

 

 

だから、出典が分からないような登場人物自体が非常に少なくて、史書に登場する人物である可能性があるキャラクターの中で、僕が出典を把握していないのは、ポルモス、ビアノール、プロトマコス、ディアデス、アルケノルくらいになる。

 

ポルモスは1巻で出てきている。

 

(1巻p.84)

 

ビアノールとプロトマコスは5巻に登場する。


(5巻pp.142-143)

 

そして、ディアデスはまぁ、ディアデスさんです。

 

(6巻p.16)

 

最後のアルケノルに関しては、4巻で出てくるキモいおっさんの事で、12巻収録分で彼の名前が明らかになっている。

 

(4巻 p.165)

 

話の流れの問題で、ディアデスさんの話からすると、ディアデスさんは『ヒストリエ』のWikipediaの記事で実在の人物であるという書き方がされていて、この人物はおそらくは実在のそれなのだと思う。

 

ディアデスのスペルさえ分かれば出典を調べる事も出来たのだけれど、スペルが分からないから調べられなくて、ただ、一つでもマケドニアの工学部門に携わった人物の名前として、ディアデスの名前が書かれている資料が日本語で存在していればいいから、おそらく、何らかの日本語の資料に彼の名前があるのだと思う。

 

…無い脳みそを絞って、ディアデスさんのスペルを、お手元のヘロドトスの『歴史』の索引にある他の人物名のスペルを参考に絞り出して検索したところ、英語のWikipediaのディアデスさんの記事を発見した。(参考)

 

何かしらの史料に彼に関する記述があるのだろうし、岩明先生は何か紀元前の発明品の本を読んでいるらしいと『ヘウレーカ』の参考資料の一覧から読み取れるので、そこに彼についての記述があるのかもしれない。

 

 

ここに『図解古代・中世の超技術』という本の名前があって、おそらくこれに古代世界の超技術、例えばアルキメデスの兵器とかの記述があって、ここにディアデスさんの話もある可能性がある。

 

 

加えて、色々調べたら英語のサイトで、フィリッポスのビザンティオン攻囲戦の時の攻城兵器の話で、ディアデスの名前を出しているそれを見つけた。(参考)

 

岩明先生がビザンティオン攻囲に関連して、フィリッポスの動向について書かれた本を読んでいるのだろうという話は以前したと思うけれども、もしかしたらそのような本に、ディアデスの名前があったりするのかもしれない。

 

他にも、どうやら史料ではアテナエウスという人物の著作の中で、「フィリッポスのビザンティオン攻囲戦の時の兵器はテッサリアのポリュエイドスの手によるものであって、アレクサンドロスの遠征にはその弟子であるディアデスとカリアスが従った」と書かれているそれがあるらしい。(参考)

 

『ヒストリエ』でもディアデスはポリュエイドスの工房に居て、岩明先生はその辺りについて書かれた資料を読んでいると判断して良いと思う。

 

(5巻p.106)

 

結局の所、その話が書かれた日本語の資料が一つでもあって、岩明先生がそれを読んでいればいいという話で、日本語で読める資料の中にディアデスに関する言及のあるそれが存在する可能性は高いと思う。

 

次に、ビアノールとプロトマコスに関しては、以前調べた時にビアノールは分からなかった一方で、プロトマコスに関しては、イッソスの戦いに関する記述に言及があることを確認している。

 

…この記事を書く直前まではイッソスの戦いにプロトマコスが参戦しているという程度の情報しか持ってなかったのだけれど、いや、そこまで分かってるんなら『アレクサンドロス大王東征記』確かめろよと自分に思って、確かめたら普通に名前を見つけることに成功した。

 

この間アレクサンドロスは、ペルシア軍の騎兵隊がほとんど全部、我が方の左翼側、海寄りに移動してしまっているのに気づき、しかも我が方としてはその方面には、ペロポネソス人およびその他同盟軍の騎兵隊だけしか配備されていないことを見てとると、テッサリア人騎兵隊にたいし、部署の移動が敵側にさとられないよう、全軍部隊の前方正面を騎馬で横ぎることは避けて、密集歩兵部隊の背後をこっそり通り抜けよと指示したうえ、彼らを大至急で左翼側に派遣した。一方彼は右翼騎兵隊の前面にプロトマコスのひきいるプロドロモイ〔前哨〕騎兵隊とアリストン指揮のパイオネス人部隊とを配し、また歩兵部隊の前面にはアンティオコスが指揮する弓兵隊を配置した。(フラウィオス・アッリアノス『アレクサンドロス東征記 付インド誌 上』 第二巻 大牟田章訳 岩波文庫 2001年 p.139)」

 

こういう風にイッソスの戦いにプロトマコスは参加していて、そのプロトマコスと一緒に『ヒストリエ』に出てくるビアノールに関しても、おそらくは東征の時に将軍として名前が出てきていて、そういう所から『ヒストリエ』のあの描写があるのではと僕は考えている。

 

(同上)

 

…と思って『アレクサンドロス大王東征記』を調べてたら出てきていた。

 

「一方ダレイオスはわずかばかりの従者とともに、夜を徹して逃走をつづけたが、翌日になると合戦の場から無事に落ちのびてきたペルシア人やギリシア人傭兵たちを道々拾いあつめ、総勢およそ四千の兵をひきいてタプサコス市へ、またエウプラテス川へと全速力で急行した。一刻も早くエウプラテス川を、自分自身とアレクサンドロスとのあいだの隔てとするためであった。アンティオコスの子アミュンタス、メントルの子テュモンダスおよびペライのアリストメデスとアカルナニアのビアノル、これらはいずれもダレイオスの側に奔った脱走者だったが、彼らは合戦後麾下の兵士およそ八千人をひきいて、整然と組まれた隊伍を崩すことなく、戦場からただちに山地へと退却し、次いでポイニキアのトリポリスに到達した。(同上『アレクサンドロス東征記 付インド誌 上』 p.150 下線部引用者)」」

 

この記事を書いている最中に色々調べたら、ビアノールのスペルがBianorだと分かって、 Bianorで調べたら英訳の『アレクサンドロス大王東征記』の今引用した箇所が検出された。

 

まぁおそらく、概説書とかに離反者としてビアノールの言及があって、そこだとビアノルではなくて、ビアノールと記述されているのだと思う。

 

次に、ポルモスに関してはこれはおそらくオリキャラで、『ヒストリエ』の序盤に出てくるオリキャラであろう名前は、結構な数がヘロドトスの『歴史』に名前が登場する。

 

どうやら、オリキャラは『歴史』から名前だけ借用しているという場合があるらしい。

 

アルケノルがその例で、アルケノルに関しては一つの記事で丸ごとその話をしているそれがある。(参考)

 

ポルモスに関しても、ポルモスのスペルであるPhormusを英語で色々調べたけれども、マケドニアの将軍の中にポルモスという人物は存在していない様子があって、やはり他のいくらかのオリキャラ同様、『歴史』から名前だけを借りているという話の様子がある。

 

『歴史』にはポルモスという人物が登場する。

 

一八二 三隻の内二隻は右のようにして制圧された。三番目の船はアテナイ人ポルモスの指揮する三段橈船であったが、遁走してペネイオスの河口の辺りで浅瀬に乗り上げ、ペルシア方はその船体は確保したものの、乗員を捕えることはできなかった。アテナイ人たちは船を浅瀬に坐礁させるや否や、船から飛び降り、テッサリアを通ってアテナイに引き上げたからである。(ヘロドトス 『世界古典文学全集 10 歴史』七巻 松平千秋訳 筑摩書房 1967年 p.354 下線部引用者)

 

ここに言及のあるポルモスの名前だけを使ったのが、『ヒストリエ』に出てくるポルモスという話なのだと思う。

 

(同上)

 

『ヒストリエ』のオリキャラは他の書籍に名前の言及があるような名前が多くて、トルミデスに関しても、同じ名前の人物がトゥキュディデス『歴史』に登場するらしい。(参考)

 

(5巻p.7)

 

エウメネスの麾下で名前が分かってる人物の中にトルミデスという人物はおらず、マケドニア関係で調べてもトルミデスという人物はいないので、トルミデスに関しては岩明先生の作ったオリキャラという話で良いと思う。

 

そういう風に色々な古代ギリシアのテキストに登場人物の名前の由来はある様子がある一方で、トラクスに関しても、ヘロドトスの『歴史』に登場する。

 

スキタイ人トラクスというのは完全に岩明先生のオリキャラであって、そのオリキャラがヘロドトスの『歴史』に言及のある人物から来ているとなると、まぁ名前に関してはギリシアの歴史書から借用しているとかそういう話だと思う。

 

マルドニオスは帰還したアレクサンドロスからアテナイ側の返答を聴取すると、急遽テッサリアを発進し、アテナイを目指して軍を進めた。そして通過する土地ごとに住民を部隊に加えていった。テッサリアの王侯たちは以前の行動を悔いるどころか、いよいよ積極的にペルシア軍を激励し、先にクセルクセスの逃亡の際に同行して見送ったラリサのトラクスのごときは、いまや公然とマルドニオスのギリシア侵入を許たのである。(同上 『歴史』 九巻 p.409 下線部引用者)」

 

少なくとも、アルケノル、ポルモス、トラクスはどうやらヘロドトスの『歴史』から名前だけ拝借をしたようで、アルケノルとポルモスに関しては、ねっとりと僕はそのスペルで調べたけれど、アレクサンドロス大王やマケドニアに関連する人物としてのそれは見つけることが出来なかった。

 

まぁそれらは岩明先生のオリキャラなのだと思う。

 

だって、少なくともマケドニア関係者にアルケノルとかそんな名前の人いないもの。

 

…スッゲーどうでも良いのだけれど、アルケノルは12巻収録分で、アリストテレスと共にフィリッポス王の手術を行って命を救っていて、それに際して雷光だけあって、雷轟の音のないカミナリが起きて、その時にアリストテレスが「今日はゼウスが留守のようですな」と言うシーンがある。

 

それに関して、これはオカルト的な描写であると判断した人が何人もいた様子があるけれど、別に光だけあって、音のない雷は実際に生じる自然現象でしかない。

 

なんつーか、今年の八月の頭頃に、僕は実際経験している。

 

何度も辺りを一瞬だけ照らす光だけあって、その時に音は一切存在していなかった。

 

どうやら、落雷のあった場所が遠すぎると、音が届かないで光だけ届くということがあるらしくて、その日は僕の住む町では雨は降っていなくて、山の向こう側に電光だけが何回も何回も照らして、けれども音も雨も全てなかった。

 

信頼できるような情報源ではないけれど、その説明をしているサイトも「雷 光だけ」とかで検索すれば検出される。(参考)

 

『ヒストリエ』のあの場面はそれが起きただけであって、実際に発生するただの自然現象である以上、オカルト的な何かを意味しているわけではない。

 

結局、フィリッポスは死の淵からアリストテレスの手によって復活したに際して、その手術は神の禁忌を侵しているかもしれなくて、けれども、雷の音がしないから、ゼウスは見ていなかったという話をアリストテレスはしていて、だから今回の手術は禁忌に触れていないという軽口を放っただけのシーンであるという理解で良いと思う。

 

死体を弄ることが神に対する禁忌であるという話はアルケノルもしている。

 

(4巻p.177)

 

聞いたところだと、古代ギリシアでは雷の音はゼウスが太鼓を鳴らしているから生じていると認識されていたようで、その音がしないからゼウスは不在で、不在だから死者を蘇らせるような手術も、見ていないからセーフだという文脈と僕は捉えている。

 

…。

 

他に解釈の仕方あるんですかね…?

 

まぁいい。

 

最後の話題は話が逸れてしまったけれども、元の話は岩明先生が海外の文献を手前で翻訳してたりするのかどうかについてで、まず2002年の『ヘウレーカ』時点でそのようなことをしている様子はないし、『ヘウレーカ』の時に岩明先生は40歳越えてるし、『ヒストリエ』に出てくるキャラクターはオリキャラ以外ほぼ日本語の文献で登場してる様子があるし、『チェーザレ』で作者が未翻訳の文献を元に描いているという話があるから、何処かの誰かが曖昧な記憶でその事をアウトプットして、それに際して『チェーザレ』と『ヒストリエ』を取り違えたのだと思う。

 

まぁ基本的に『ヒストリエ』の登場人物、日本語の資料の中に出て来ますし。

 

とはいえ、僕が知らないだけで、岩明先生は未翻訳の資料を使っているかもしれないけれども、そういう様子が作品から汲み取れないからなぁ…。

 

多分そういうことだと僕は思うので、今回記事をまとめて、加えて、こういう記事をまとめた時に、岩明先生が未翻訳の資料を用いているという事実があって、それに出典があったならば、有識者がこの記事の内容に対して訂正を入れてくれるはずなので、そういう期待を込めての部分もある。

 

古い知識は刷新すれば良いと僕は考えていて、道理に適った意見であるならば、どんな悪口でその事を指弾されても、僕は今まで受け入れてきたし、これからもそうしていくつもりで、今回のことに関しても、間違っていたら理解を訂正するだけになる。

 

ただ…岩明先生が未翻訳の資料を使っているという話の確かなソース、全然見つからなかったんだよなぁ…。

 

だからまぁ、多分…ねぇ?

 

そんな感じの『ヒストリエ』について。

 

ナニモイウコトハナイ。

 

では。

 

・追記

なんつーか、まんまの呟きを見つけたので、その呟きを引用することにする。

 

…少なくとも『ヒストリエ』と『チェーザレ』が取り違えられる場合があるということは確かだろうし、『ヒストリエ』の未翻訳文献云々は、何処かの誰かが『チェーザレ』と取り違えただけなんだろうな、って。

 

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