あなたの事をふと思い出してつらいから | 胙豆

胙豆

傲慢さに屠られ、その肉を空虚に捧げられる。

日記を更新する。

 

今回は食に関する禁忌について。

 

宗教的な理由で何かを食べないという振る舞いは、例えばユダヤ教で見ることが出来て、ユダヤ教だと鱗のない魚を食べてはいけないとかそういった戒律というものがある。

 

そのような食に関する禁忌ついて、あのようなものはおそらく、中東から始まった文化か、インドの文化が中東に行ったようなものでしかないだろうという推論があって、その振る舞いは人類にとって根源的ではないだろうというとか、そういう話をしていくことにする。

 

仏教だと、肉を食べてはいけなかったり、酒を飲んでは行けなかったり、ニンニクを含む強い匂いや刺激の食べ物を食べてはいけないという話がある。

 

特に酒に関しては、仏教に詳しくない人でも本来的に飲んではいけないという話を知っている人もいる筈で、そのように仏教では飲食物に関して禁忌というものが存在している。

 

まぁ…今普通に仏教徒やってる日本人で、酒を飲んでない人の方が少数だろうけれども。

 

そもそも、酒に関する禁忌に関しては仏教独自のものということもなくて、スラー酒を飲んではいけないという話に関しては、ウパニシャッドという、インドのバラモン教の聖典を読んでいたら度々目にする言及になる、

 

「黄金を盗むもの、スラー酒〔火酒〕を飲むもの、師匠のベッドを汚すもの〔師匠の妻と情交するもの〕、バラモンを殺害するもの―これら四つは落ちる、第五のものとして、彼らと交際するものは。(湯田豊訳 『ウパニシャッドー翻訳および解説』「ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド」 大東出版社 2002年 p.272)」

 

 

…原文の言い回しがそうなっているのだろうけれど、訳はもう少し分かりやすくは出来ないんですかねぇ。

 

これは地獄に落ちるような悪行について言及したくだりで、黄金を盗むもの、スラー酒という強い酒を飲むもの、師匠の妻と姦淫するもの、バラモンという司祭階級を殺害することをしたものは地獄に落ちるという話で、それに加えて、それを行ったものと付き合った人間も地獄に落ちるという話になる。

 

…。

 

湯田の訳がアレ過ぎて、普通に1922年に出版された、文語体で旧字体の『ウパニシャット全書』の方が分かりやすいのではと思うときがある。

 

まぁあれはあれで、文語体で旧字体で、日本語の辞書にその用法が載ってなくて、最終的にネット上で中国語の辞書を見て初めて意味が分かった単語とか、それならまだしも、結局、何処にも意味が記載されてなくて、文字から意味を類推するしかない単語とか出てきてたから、読むのは普通に怠いのだけれども。

 

 

…9万て。

 

まぁともかく、そういう風にウパニシャッドには特にスラー酒という酒に関する禁忌があって、仏教の教義に関しても、あれは結局、仏陀の神聖な教えとしてそのような教義があるというよりも、当時のインドの風潮として、そのようなものを禁忌とする土壌があったから、そのような禁則事項があるという話ではあると思う。

 

原始仏典に於いて、飲酒を戒める記述が何処にあるのかは把握していないとはいえ、おそらく、律蔵の『スッタ・ヴィバンガ』辺りに書いてあるのだろうという推論はある。

 

 

原始仏典の時代からおそらく酒は飲んではいけないものではあっただろうという推論はあって、そのように仏教には飲酒に関する禁忌は少なくとも大乗仏教にはある。

 

飲酒はいけないけれど酒も飲みたいという話で、酒の事を般若湯と呼んで、日本の仏教僧が隠れて酒を飲んでいたというのはまぁ知っている人もいると思う。

 

日本だとそこら辺はガバガバだけれども、本来的に飲んではいけないのはインドの時点でそうであった様子がある。

 

ただ、そのような飲食に関する禁忌は仏教独自の話であるということもないらしい。

 

仏教の教えは偉大なお釈迦様がその知恵によって人々に授けた素晴らしいものという漠然としたイメージがある場合もあるだろうけれども、インドの他の宗教のテキストを読んでいると、仏教の教えがそのまま言及されていることも多い。

 

というか、卵が先か鶏が先かという話で、同じ文言が違う宗教のテキストに当然の権利のようにあって、けれども、仏典とどちらが先に成立したのかとかは判然としないから、どちらがどちらの教義を受け入れたのかとか、そういうことは良く分からないとしか言いようがない。

 

インドだと諸テキストの成立年代は判然としない一方で、古代中国の場合は、色々な所からテキストの成立時期が推測出来て、『漢書』には「芸文誌」という、当時の漢の書庫にあった本の目録があって、そこに名前があるかないかでテキストのある程度の成立時期が分かったりする。

 

『漢書』にその本の記載があれば、『漢書』が書かれた後漢の時代にその本は既に存在していた可能性が出てくる。

 

もっとも、『漢書』に記載があったところで現行のテキストが班固が読んだものとイコールかと言えばそうではなくて、後の時代にその本と偽って新たに書いていたり、取り違えられて違う本なのにその本であると流布してしまっている可能性もある。

 

まぁそういう風に『漢書』の「芸文志」単体だとあれだけれども、そのような本の目録は後世にも受け継がれていて、後の歴史書の目録にある本の名前があって、その本の名前が『漢書』にない場合だと、おそらく『漢書』とその歴史書の成立の間にそのテキストは書かれたのだろうという推測は出来る。

 

他にも戦国時代や漢代の墓から『老子』やら『孫子』やらが出土していて、現行のテキストが漢代には既にほぼ成立していたと学術的に明らかになっていたりする。

 

そういうところからそのテキストがいつ頃成立したかについてある程度知ることが出来るし、他には、古代中国には死んだ人の名前を使うのを避けるという習慣がある。

 

それは『礼記』という儒教の聖典にも言及されていることで、人の名前を決めるに際して、国名とか日常的に使う漢字を使うと、死者の名前を使わずに暮らすに際してやり辛いから、そういう漢字はあまり使わないようにするという話があったと思う。

 

その習慣のおかげで古代中国の場合は、テキストの成立時期が分かったりする場合がある。

 

古代中国漢帝国の初代皇帝である劉邦は、名前に"邦"という漢字が使われている。

 

この漢字はどうやら、元々は今現在日本人が使う"国"と同じくらいの使用頻度の漢字だったらしくて、漢より前の時代だと、国という漢字の代わりに"邦"という字は使われていたらしい。

 

ただ、劉邦が死んだ後は"邦"という字は使うことを避けたらしくて、劉邦の死より後に書かれたテキストだと"邦"という漢字は同じことを意味する"国"に置き換えられたと僕は聞いている。

 

相国という言葉があって、これはWindowsで「しょうこく」と入れれば変換できるような言葉で、国のナンバー2の立場にある政治家のことを言うけれども、元々、この言葉は相国ではなくて、相邦という言葉だったらしい。

 

けれども、劉邦が死んだ後は、彼の名前にある邦の字を避けて使うようになって、後の時代だと相国と呼ぶようになったらしい。

 

だから、漢代の墓から出て来た文章があったとして、文中に"邦"という漢字を避けて"国"という漢字が使われていたら、そのテキストが書かれたり、複写されたのが、劉邦が死んだ紀元前195年より後だということが分かって、反対に"邦"という漢字が当然の権利のように使われていたら、そのテキストは漢より前に書かれたということが分かったりする。

 

結局、現代日本で国という語を使うのは古代中国からの伝統なのであって、劉邦が居なかったら、日本国は日本邦と書かれていたかもしれないという話になる。

 

何故そのように死者の名前の漢字を避けるかについて言えば、古代中国だと死んだ人は非常に重要視されていて、その死の悲しみを強く思うことが道徳的な正義で、そのために遺族はものが食べれない程に衰弱するくらい悲しむことが望まれていて、そのために杖が与えられたりする。

 

つまり、悲しくてたまらなくて衰弱して歩けない状態が想定されていて、それが故に杖を突く必要があるから杖が贈られるという話で、そのくらい死者を悼むから、その名前を思い出すのも辛いのだから、死んだあの人を思い出して辛い思いをしない様に、その想起のきっかけとなる故人の漢字を避けるという振る舞いが、死者の名前に使われた漢字は使わないという文化だと僕は理解している。

 

テキストの成立に関しては他にも、『史記』にしても『春秋左氏伝』にしても、当時あった本や詩に関する言及があることがあって、実際にその書名や詩は『書経』や『詩経』に言及があるものもあって、実際に現存する場合は、注釈でその話がされている。

 

つまりは、そのように他の本で言及される書名は、言及している本より成立が古いという話になって、そういうところから大体の成立年代を把握できるということもある。

 

一方で古代インドの場合はそのような判別方法がないらしくて、原始仏典を読んでいても、ウパニシャッドを読んでいても、それに類さない古代インドの本を読んでいても、どれが成立が早くて、どれが遅いのかとかは良く分からないし、研究者とてその辺りは分からないらしくて、厳密な成立年代は示されないし、成立年代を示したとしても、かなり推論の部分が多くなっている。

 

だから、仏教である言及が見られて、一方で他のテキストで同じ言及があったところで、どちらが先かとかは良く分からないし、そもそも、成立間もない仏教教団はどうやら、修行の果てに天国に向かうことを目指していた様子があって、その様子は『テーヴィッジャ・スッタ』という長部の経典に言及されているけれども、そのような言及がされている経典は極少数になる。(『テーヴィッチャ・スッタ』:参考)

 

結局、その『テーヴィッチャ・スッタ』の成立に関しても良く分からなくて、古いと言われている『スッタ・ニパータ』や『テーラガーター』の記述とその言及内容が似通っているから、おそらく成立が古くて、元々はそのような教義の宗教だったのだろうという推論があるだけで、そもそも『スッタ・ニパータ』の成立が事実古いという断言は専門家とて出来る内容ではないと思う。

 

そういう風にどちらが先に成立したかは良く分からないにせよ、仏典と仏教以外のテキストでは、同じような言及を見ることがある。

 

仏教だと五葷という、ニンニクなどの匂いや刺激の強いを食べてはいけないという発想が存在している様子がある。(参考)

 

その話については、仏教ではないインドの宗教のテキストである、『ヴァイナーカサ・スマールタスートラ』に言及がある。

 

「ガーヤトラ学生とは、入法式後三日の間刺激物と塩を含める食物を食わず、ガーヤトリー讃歌を学習して後、ケーヴイトラ誓戒の終るまで誓戒を行するものなり。(ワ゛イカーナサ法經和譯:参考 旧字は新字へ 下線部引用者)」

 

「ナイシュテイ「終生」学生とは、赤汁にて染めたる袈裟衣と鈴羊皮叉は樹皮を上衣として身に纏い、その頭を結髪し叉は頂髷にし、聖帯、杖、祭縷、弁羊皮を所持し、梵行に佳し清浄にして、刺激物と塩とを含める食物を食わず、自ら集めて師家に提供せる乞得食を食いつつその霊魂の捨離するまで師家に住するものな り。(同上)」

 

ここに刺激物と塩とを食べないという言及があって、やはりこれは五葷の話で言及されるところの、ニンニクなどの食べ物の話だと僕は思う。

 

他の箇所では肉食の禁忌の話もあって、それとは別に刺激物の話がされているのだから、やはりそういう文脈になると思う。

 

「(ヴェーダを習熟する学生は)嫌悪を離れその言葉その思想優雅にして好愛真実のことを語り、よし困苦せる時と錐も不真実不好愛非難する語を云うべからず。 蜜、、魚、味料、酸化物等、食うべからざる食物をとらず、乞食行を為して師の許可を得たる後その乞得食を食うべし。(同上)」

 

バラモン教だと師匠の下に暮らして師匠の教えを受けて日々を過ごすという文化があったらしくて、この場面では師匠の下で勉強をしている際の話がされていて、ここに肉や魚を食べないという話がある。

 

結局、肉食にしても五葷を禁じている話にしても、そのような文化が仏教にあるのは、釈尊がそのように教えたからではなくて、インドにそのような風習があるからそのようなものが禁忌にされたという以上の話はないと思う。

 

仏教が先か、『ヴァイナーカサ・スマールタスートラ』が先か、そのどちらなのかは分からないけれども、おそらくは、インドの風習という以上の話はないと思う。

 

結局、特定の食べ物を食べないという文化はインドにはあって、そういう風習はインドに根付いている様子がある。

 

そのような食に関する禁忌については、旧約聖書の『レビ記』にも言及がある。

 

9 水の中にいるすべてのもののうち、あなたがたの食べることができるものは次のとおりである。すなわち、海でも、川でも、すべて水の中にいるもので、ひれと、うろこのあるものは、これを食べることができる。

10 すべて水に群がるもの、またすべての水の中にいる生き物のうち、すなわち、すべて海、また川にいて、ひれとうろこのないものは、あなたがたに忌むべきものである。(参考)」

 

こういう風に鰭と鱗のない魚介類についての食べてはいけないという話があって、西洋世界で時たま、タコやイカを食べないという地域があるのはこういう聖書の記述が由来なのだと思う。

 

おそらく、捕鯨問題に関しても、全ての場合がそうであるということはないだろうとは言え、クジラは鱗がない生きものだから、それを食べることは聖書の教えに反するという認識があって、それが故にクジラを食べるという行為を糾弾しているような場合もあると思う。

 

他にはユダヤ教にはカシュルートという、食べてはいけない食べ物についての規則があって、反芻できない動物を食べてはいけないとか色々と決まりごとがある。(参考)

 

結局、インドのテキストの成立の時期が判然としないから、どちらの文化が先で、どちらの文化がその風習を受け取ったのかは良く分からないけれども、中東世界とインドには食に関する禁忌という共通の発想があるということが分かる。

 

中東世界に関しては、おそらく調べていけば食に関する禁忌の話はもっともっとあるのだろうとはいえ、単純に僕がそのようなことが書かれたテキストに未だに出会えていない。

 

それと、ギリシア世界にも一応、食の禁忌があって、古代ギリシアのピタゴラス教団はソラマメを食べてはいけないという教義があったりする。

 

ただ…これに関しては少し事情が違うらしい。

 

僕も知らなかったのだけれども、どうやら先天的な遺伝疾患として、ソラマメやソラマメの花粉などに致死的なアレルギー反応を出すような遺伝的な形質を持っている人が地中海世界には居るらしくて、どうやら、ピタゴラスがソラマメを忌み嫌ったのは、純粋に遺伝的な形質として、ソラマメが猛毒だったからという理由らしい。(参考)

 

もっとも、事実存在するのはソラマメに関する致死的な遺伝形質を持つ人が地中海世界に存在するということと、ピタゴラス教団がソラマメを忌み嫌ったことという、点の話でしかないけれども、その点を繋ぎ合わせるとしたら、やはり、ピタゴラスか彼の知り合いに、その遺伝的形質を持った人物が居て、それからソラマメを避けるようになったという話が分かりやすいと思う。

 

ともかく、元の話は食に関する禁忌の話で、中東世界には旧約聖書の『レビ記』が書かれた時点で存在していて、インドに関してもこの記事で言及したテキストに食に関する禁忌という発想があるということが分かる。

 

一方で古代中国の場合は、特にこれと言って食に関する禁忌という発想に覚えがない。

 

一応、『礼記』には君子は犬と豚の腸を食べないという話はあるけれども、それ以外に記憶がない。

 

「君子は犬・豕の腸を食べない。(市川享吉他訳 『全釈漢文大系 礼記 中』 「少儀」  集英社 1977年 p.379)」

 

原文は「君子不食圂腴」なっていて、注釈には"圂"は犬や豚の腸という話はされているとはいえ、それを読んでも何故食べないのかは判然としない。

 

「君子圂腴を食はず〔周禮、圂豢に作る。犬豕の腸を謂ふ。米穀を食ふ者なり。腴は人穢に似たる有り。〕(同上p.378)」

 

 

上の注釈は鄭玄という人物のそれだけれども、意味が良く分からないから色々ネット上の辞書サイトとか、孔穎達という人物の注釈を読んだ結果として、どうやら圂で犬や豚を意味して、この漢字は便所も意味するような言葉で、犬や豚は便所で飼っていたからそのような用法があって、腴は豊かな所やあぶらを意味する単語で、この場面では内臓のことを言うらしいということが分かった。
 
…最初調べた時は辞書サイトだと腴は豊かな所とかあぶらを意味するとしか書かれてなくて、そのせいで煩悶する羽目になった。
 

ただ、思う所があって改めて中国語の辞書を確かめたら、犬や豚の内臓を意味するという用法があるということが分かった。

 
ともかく、その内臓である腴が人穢に似ているから食べないという話が書かれていて、けれども、「腴は人穢に似たる有り」という言及のニュアンスが良く分からない。
 
人穢ってのは人糞似てるとかそういう話なんですかね?
 
「犬豕の腸を謂ふ。米穀を食ふ者なり。腴は人穢に似たる有り。(同上)」とあって、犬や豚は人間と同じように米穀を食うから、その辺りの部位は人の汚物と似ているところがあるという意味なのかもしれない。
 
食べたものによって排泄物の臭気が変わるということは実際あるから、人間と同じような物を食べると同じような臭いになる場合もあって、その話をしているという可能性はある。
 
君子はそういうものを食べないという話だけれども、ここで言う君子というのは賢者程度の意味で、賢者は犬や豚の腸を食べないという話がここでされている一方で、同じ『礼記』の注釈では羊の腸を料理に使う話もある。
 
「朔月には少牢、五俎・四簋あり〔五俎は羊とその胃腸とを加ふるなり。〕(同上「玉藻」p.206」
 

他には胃と腸にある脂を何らか用いる話は別の箇所の注釈にあって、ただ犬と豚の腸の話はあそこしか言及がないので、良く分からない。

 
良く分からないとはいえ、人穢というのが人糞のことで、そのような臭いがするから食べないとすると、それはやはり、食に関する禁忌という話ではないと思う。
 
一方で、古代インドだと食に関する禁忌の話は頻出で、けれども古代中国では犬の豚の腸を食べないという話が一か所にあるだけで、文化として特定の食べ物を宗教的な禁忌とするという発想がないのではないかと思う所がある。
 
古代インドとユダヤ教の場合だと、はっきりと食に関する禁忌についての言及がある一方で、古代中国だと唯一、先の犬と豚の腸のあたりを食べないという話が僕が確認出来ている限り、一か所だけあるのみになる。
 
そもそも古代中国では酒も飲み過ぎなければ普通に飲んでよくて、『書経』の「酒誥」に飲み過ぎを戒めるそれがあるだけで、儀礼に酒を使っていたのは殷の時代からずっと続いている伝統である様子がある。
 
甲骨文字に酒を使った儀礼に関する言及がある物がある。(貝塚茂雄 『増補版 甲骨文字研究 本文篇』 同朋舎 1980年 p.684)
 
実際の文章を引用しようと思ったけれど、常用外漢字が使われていて引用できませんでした…(小声)。
 
・追記
この箇所で言及しているのは酉と彡を合わせた常用外漢字が使われた文章の話なのだけれども、他の箇所の注釈を読んでいたら、どうやら、"酉彡"という漢字が酒を用いた儀式の事を言うかは実際の所、明確ではないらしい。
 
一説には酒を使った儀式の事を言うという話があるとはいえ、あの本の著者の貝塚は、その見解に対して慎重な態度を取っている。
 
ただ、以前パラパラとめくって甲骨文の書き下しを読んでいた時に、直接的に酒を儀礼に用いるかを占った甲骨文を読んだ記憶がある。
 
本来的にその文章の話をしたかったのだけれど、如何せん、その本には3000以上の甲骨文が収録されているから、該当の記述を見つけられなくて、代わりに先の箇所の話をしたという経緯がある。
 
まぁなんにせよ、周の時代には酒を用いた儀礼はあって、殷の遺跡からは酒器と見られる青銅器の出土が確認されているから、まぁ殷の時代から酒は祭祀に用いられていたという話で良いと思う。
 
追記以上。
 
ともかく、酒に関する禁忌は古代中国にはなくて、刺激物に関する禁忌も見当たらなくて、反芻しない動物や、ウロコや鰭のない動物に関する食の禁忌も特に見当たらない。
 
唯一、犬や豚の腸を食べないという話があるとはいえ、それ以外に記述が特に見つからない。
 
そういう事情があるから、特定の食べ物を食べることを忌避するのはおそらくは中東やインドに端を発した文化であるのだろうというのがこの記事の論旨になる。
 
…本来的にこの記事の最後には、『神農黄帝食禁』という、『漢書』の「芸文志」に名前が見られる本の話がある筈だったのだけれども、この記事の内容を書くことに決めた時に見たサイトかPDFが、この記事を書く際に見つけられなくて、その話は省いたという経緯がある。
 
『神農黄帝食禁』って名前だから、如何にも食に関する禁忌の話が書かれていそうだけれども、断片的に残された『神農黄帝食禁』の文章を読む限り、書かれていたのは薬膳とか食べ合わせとかついての話で、やはり古代中国には食の禁忌はなかったのだろうという話で終わる筈のところが、以前読んだその文章を見つけられなくて、何とも締まりが悪い終わり方になってしまった。
 
『神農黄帝食禁』に関しては、白昼夢だったのか、何かの勘違いだったのかは分からないとはいえ、それはそれとして、古代中国にはおそらく、食に関する禁忌という発想はあまりなかったのだろうとは思っている。
 
まぁ、その理解が間違っていると分かったならば、その考えを変えるだけなので、現状だと僕はそのように理解しているという程度の話ではあるけれども。
 
そんな感じです。
 
まぁ色々仕方ないね。
 
では。
 
・追記
最後の方に『神農黄帝食禁』についての話をしたけれど、件のサイトが見つかった。(参考)
 
話としては、逸文の中に『神農黄帝食禁』の可能性のある文章が存在しているという程度だけれども、その逸文にしても古い中国の食文化についての参考にはなるだろうから、その話をして行くことにする。
 
『神農黄帝食禁』の可能性がある逸文には、
「飽食、誤多飲水及酒、成痞癖、酔当風」
とか
「生魚合蒜食之、奪人気」
とか書いてあったらしい。
 
先の方は食い過ぎや飲み過ぎをすると痞癖になるから、酔ったら風に当たると書いてあるのだと思う。
 
痞は腹の中で何かがつかえるような状態の話らしくて、まぁ飲み過ぎや食べ過ぎをすると腹に来るから酔ったら風に当たった方が良いという話なのかなと思う。
 
次の方は、生魚と蒜を合わせて食べると、気が奪われると書かれていて、ここで言う蒜がニラなのかノビルなのか、ニンニクなのかは良く分からないとはいえ、食い合わせの話だということが分かる。
 
他の文章にしても、杏実は熱がある人には食べさせないとか、瓜は味が甘く毒がなく、渇きを癒し熱を除くとか書かれていて、まぁ特にこれと言って食に関する禁忌の話ではなくて、食べ合わせや食べた時の効能の話について書かれた本であった様子がある。
 
この記事を書こうとしたあの日には、この話を持ってきて、やっぱり宗教的な理由での食の禁忌とか、古代中国にはなかったっぽいっすよ?という話を僕はしたかった。
 
…。
 
この内容を書こうとした時には普通にGoogleで検出されて、書いた日には検出されなくて、後日改めて検索したら引っかかったのは一体何なんですかね…?
 
この記事を書いた日にも検出されていて、けれども、僕の目が曇っていて視界に入らなかったとかそういう話なのだろうか。
 
良く分からない。