配達員の父親の呟き(´ω`) -2ページ目

配達員の父親の呟き(´ω`)

日々の生活や趣味のことなど(^o^)

会社で試験があり、その勉強しててまた投稿が疎かに...w


切り替えて、タイトルの車買ったですが就職して人並みのお給金いただけるようになって初めて新車で車買ったよ!!ってお話^^


もう10年くらい前の話になるけど、車種はHONDA FIT3 RSです^^



現在は違う車に乗り換えたのでこの写真はお別れ前日。

海外で人気があったらしく、5年走り回った割には高く売れた。今は何処かで走ってるのかな?それともバラされてしまったか。


就職してから彼女(今の嫁)もでき、色んなところ行きました。

和歌山も行ったし、鈴鹿サーキットも行ったし、京都の最北端にある海まで泳ぎにも行ったし。


ATの車が当たり前の時代に6速MTなんて乗ってたから嫁のお義父さんに少し気に入られたり...ww

ここは予期せぬプラスポイントやったwww


なんせ色んな思い出を一緒に作った、思い出をくれた車です。


今でもこの型のFIT見かけると当時を思い出します^^


元気に走ってくれてるといいな^^



皆さんも思い出の車、ありますよね^_^

 前回の記事で箇条書きした「8年の間にあった出来事」を1つずつ消化していこうかなと思います!!


タイトルの通り就職した・・・ということです!!

当時の僕は将来「某音楽企業のドラム講師」になるのが目標だったのでバイトしつつ、ドラムの個人レッスンにも通って試験の準備に取り掛かっていました。


 試験は1次審査(音源審査)と2次審査(楽典などの筆記試験)があり、なんと1次審査通過することが出来ました!!

自分のプレイが認められたと思いめっちゃ嬉しかった。

因みに音源審査というのは、好きな曲(ドラムレス音源)に合わせて自分なりに叩くというものでして、僕はTower of powerの「what is hip?」を選曲しました。



funkめっちゃ好きなんですよね(笑)

気合い入れて練習&録音したので審査通過して嬉しかったです!!


が・・・。


2次審査の筆記でお祈り通知頂いてしまいました。これも自信あっただけに残念でした。


 これまで就職もせずひたすら自分のやりたい事を突き詰めて進み続け、気づけばもう20代後半。

いい加減ちゃんと働きなさいと両親から無言の圧力を受け、仕事を探していたところ丁度バイト先の支店長からウチで働かないかとお声がけを頂きました。


正直ドラム講師を諦めきれなかったが、待遇が非常勤(派遣)講師だったために収入が不安定という事実。

それも分かってはいたけど更なる将来の事も考えてお声がけ頂いた職場でお世話になる事にしました。


周りからはその選択が賢いと言われたりしたけど、後々自分もこの選択でよかったなと思いました。


ドラム講師断念後もお手伝いですが素人ドラマーとして細々とやったりしてました!!


人生の岐路に立つとはこの事かと初めての体験でした。


 その後真面目に働き、正社員試験にも合格し、あたらしく彼女もできてまぁまぁ安定した生活を送っていました(笑)



っとまぁ、就職までの話はこんな感じですかね(^^;;


 この出来事で僕の人生は良い意味でガラッとかわりました。

目標に向かって頑張るのは勿論大切なことですが、どこかで諦めも肝心なんだと切に感じました。



あー久々にドラム叩きにスタジオにでもいこうかなー(笑)


 久々に開いて見返したら最後の投稿から8年間が空いてましたw

正直登校するの忘れてました。まぁ、自己満やったし記録として残せれればいいかな・・・って感じでした。それにしても黒歴史すぎて痛々しい表現が沢山あって自分の投稿ながら苦笑いしてしまいましたw

 けどまたなんで再開したのかって話やけど、投稿してない期間にも色々私生活で変化があったので、また記録として残していこうかなと。

その中でも共感していただけることや御意見があればありがたいです(^ ^)


この間にあった事をザッと書くと、

・会社に就職した

・車買った

・結婚した

・子供が産まれた

・異動になった

ですかね。

どれもこれも内容濃すぎて到底書ききれないので、順を追って投稿していこうと思います。


 毎日は難しいですがボチボチ投稿していこうかなと思いますのでよろしくお願いいたします!!

 1年ぶりにブログ更新w

 父が重度の急性心筋梗塞で倒れてから昨日で丁度1年。
月日が経つのは早いと感じる。


退院して暫くしてから直ぐに仕事復帰。
入院で遅れた仕事を取り戻すとかなんとか。
それに加え、半年毎の検診はどれも良好。

とはいえ、心臓の一部は(完全に死んでるとは言わないけど)機能してないのでどことなくしんどそう。

いつも通り仕事行って、風呂は入って、おかんと車で出かけて、パチンコ行って・・・行動自体は元気そのものやけど・・・。


 目の前で父が倒れた(倒れてる)光景を直で目の当たりにした僕は、思っている以上に衝撃が強かったみたいで心身共に少し異変がでるようになった。

 気づかない時もあるけど、救急車のサイレンを聴くと左腕が痙攣する時がある。
病院に搬送中苦しそうにしてる父の手をずっと握ってた手だ。
これもハッキリ覚えてる。

 もう1つ。
(サイレンを聴くと)極度の不安にかられる。
「もしかしておとんになにかあったんじゃないか。」って。


 常に不安と痙攣に悩んでるわけじゃないけどサイレンには毎度毎度やられてますw


やからって父のせいにしたりする気もサラサラないし。
でも、この事は親にはいえないかなー。



とにかく、1年経った今元気に過ごしてくれてるのでこのまま生涯心行くまま全うして欲しいとおもう。




家族全員の写真でも撮りたいな。
 お父さんが倒れてから早一週間。
こういう時の時間の流れはギャップが激しいです。

緊急手術後から昨日(5月20日)までのことをザックリ書き残していこうと思います。

 手術後は勿論ICU(集中治療室)に戻ったわけですが。
日も昇り、午前の面会から病院に足を運んだ。
看護士・担当医の話によると明け方に一度麻酔から目を覚ましたらしいが、また眠りに着いたといわれた。
普段の生活リズムのなかに「寝て、起きる」というのがあるが「目を覚ました」という行為がこんなに嬉しいと感じたのは生まれて初めて。

 昼間の面会の時には目を覚ましていた!!
声が聞こえていていたらしく、意識が朦朧とするなかでも頷いたりしてくれた。
看護士さんが点滴の交換をするとき「○○さん~(苗字w)点滴変えますね~」と声かけた時目が開いた!!

黒目が真っ白だった。

元々お父さんは黒目は白っぽく灰色やけど真っ白だった。
めっちゃ不安になって近くにいた看護師さんに「なんで目が真っ白なんや」と興奮気味に問い詰めた。
点滴や色んな薬を投与してるせいもあってカルシウムが溜まってるんだとか・・・半信半疑だったが直ぐに元に戻るといわれ少し安心。

 夜の面会でもまた意識が朦朧としているが、目覚めていた。
口から管を入れてて常に開いた状態なので、口は渇くし痰もたまる。
痰の吸引をすると言わた。
口の中に吸引チューブを入れられた途端、お父さんの体はビックリするくらい反り返り、白目をむき、とても苦しそうだった。
意識は朦朧としていても異物が入り込んできたと体が認識したんやろう。
一定にリズムを刻んでいた心電図もグシャグシャなリズムに変り、死んでしまうんじゃないかと思った。
でもそうしないと痰がたまって窒息してしまうからね・・・頑張って耐えたと思う。

後日この事を聞いてみると本人は覚えてないらしい。
その時に立ち会ってた看護士数名も、トラウマになることもあるし覚えていないなくてもいいこともあると言っていた。


 翌日、面会に行くとベットの位置が変ったと言われ、ICUの奥の部屋に移動していた。
「きたで~!!」というと「おう!」と!!
この1日の回復の早さに度肝を抜かれた。
58歳とはいえまだまだ「若い」部類に入ると言われたのが確信に変った。
しかもベットから降りて立つというリハビリもしたらしい!!
「拷問じゃー」と面白おかしく嘆いていて、みんなで笑った。

結局このICUで過ごしたのは2,3日。
次に移動したのが「HCU(準集中治療室)」というところだ。
大部屋に変っていて、他の患者さん(面会の方に)挨拶した時にザッとみさせてもらったがどうやらお父さんと同じように術後数日経って少し良くなった患者が入るような感じだった。

 日に日にお父さんの容態は良くなって言ってるように思える!!
ICU2日目の時くらいからご飯も食べるようになってて、今ではもう普通のご飯とか出てきてるしw
やはい病院のご飯はマズいらしいww
でも、いっぱい食べて栄養つけて欲しい!!

 このHCUも2,3日ほどで移動になり、とうとう一般病室に移動!!
リハビリも頑張ってやってるみたい!!
相変わらずご飯は少し残してるが・・・。
ご飯が美味しくないーと言っていたので、退院してから何食べたいか聞いてみたら「寿司」が食べたいと!!
いきなりパンチの効いたモノいいよるw
退院後の食生活についてはまだなにも聞いてないが、もし可能なら寿司食べに連れて行こうと思う!!



 こんなに回復が早く、会話もできて、部屋も移動できて、本当によかったです。
仕事がどうのこうのいってたけど、とにかく今は療養して欲しいです。


 明日も会いに行くよ☆